きっと どこかで
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2005年05月09日(月) |
実母死去その日(前日のこと) |
今月末で、実母死亡の百日目(百か日)を迎える。
今日は、母が亡くなった前日頃の事を書いてみようと思う。
その日も、何回目かの医師からの呼び出しがあった。「もう危ないから、(死ぬかもしれない)家族やきょうだいに連絡をしてください。」というもの。ガンの末期で痛みが強かった為、痛みを感じなくする為に、眠らせる薬を使っていたので、もう、話すことも出来ない状態が続いていた。
その日は、口から白っぽい液体があふれてきていて、看護師さんが、吸引の処置をしていた。まあ、身体の中から出る膿のようなものだろうか。
ちょうど日曜であったので、私は子供を連れてすぐに病院へ行った。この状態を子供はどう感じるかは分からないが、死へ向かう人間の様子を、知っておくのもいいのではないかと思った。
翌日から、私は、2泊3日の予定で、出張に行くことになっていた。母の様子がこんな感じなので、行くかどうか、ずっと迷っていた。職場の上司、母の担当医師、父、旦那、妹など、いろんな人に相談したが、まだどうなるかわからないのだから、出張に行ってもいいのではないか、という人と、もう危ないのだから、やめておいたほうがいいのではないか、という人と。
迷ったが、結局出張をやめることを、出張前日の夜に決めた。旦那には、「親がこんな状態の時にまで行かないといけないような大事な内容の出張なのか?この出張を断ったら、後の仕事がやれなくなるのか?」と聞かれ、考えてみたが、今回の出張は、同じ職場から、もう一人出席するし、新しいシステムの操作研修への参加なので、私が行かなくても、困ることはないなと思った。ただ、キャンセルの手続きなどが面倒ではあるが・・。
まずは、上司に連絡。「そうか、キャンセルの手続きはきちんとしておけ」という返事。飛行機会社、ホテルに連絡。後、一緒に行く予定だった人にも連絡。「やはりな、私も、行けるのかどうか心配していたんだ」という返事。上司には、母の側に付き添うため、しばらく休みをもらいたいという話をして、了解をもらった。
そして、ずっと付き添いをしている実父に、明日は私が替わるからと話をして了解をもらった。
結局、次の日の夕方に実母は息を引き取ったわけであるが・・・。 続きはまた次の日の日記で。
お久しぶりの日記である。
忙しかった・・それが書けなかった理由。
2月の半ばに終に、実母は天国へ旅立って行った。悲しいという思いはとっくの昔に通り過ぎていた。死が近いというのは、もうだいぶ前からわかっていたことだから。最期のあたり、薬を使う直前はかなり苦しそうだったので、もう、治ることのない病気ならば、楽にさせてあげてもいいのではないかと思っていた。
でも、本人は、意識のなくなる直前まで、治ることを信じていた。その為にと苦しい治療も受けていたが・・。
亡くなる直前は、実母への交代の看護、亡くなってからは、いろいろやることがあって忙しいのだ。よく、49日が済むまでは、喪に服して・・というが、それこそ、喪に服している間、毎週のお参り、実母が無事にあの世に行けるようにということらしいが、これもあるので、忙しい。実母の遺品の整理・・。こちらは、まだ半分も手付かずだ。
私も仕事をしながらの身なので、土日休みの時くらいしか、出来る時がない。
49日が過ぎて、週に1回のお参りがなくなって、ちょっと時間に余裕が出来た気がする。
最近になり少し実母のいない生活に寂しさを感じるこの頃である。今まではそれすら感じる余裕がなかったのだから。
私の一番の理解者、相談相手だった。母に相談していれば間違いない、そう思ってやってきたのに、これから、自分で判断していかなければいけないのだと思うと、ちょっと不安、でも、もう私もいい大人なのだから、いつまでも人を頼ってはいけない、そういうふうに思う。
どこかで、私達を見守っていてくれているのだろう、そう信じていたい。
2005年02月06日(日) |
ピアノプレコンクール |
いろいろ忙しいので・・。久々の日記である。
ピアノの個人レッスンを受けている子供の方の、コンクールが先週あった。参加したのは、去年と同じプレ部門。
最近は、私は、レッスンには付き添っていない。先生にお任せしている。コンクールがある少し前、ちょっと家で、子供に弾いてもらったが、結構上手に弾けるようになっているなあと思っていたところ。
本番の時、客席で聴いていた私の感想。聴いていて、楽な演奏。雰囲気も曲に合っている。フレージングも、感じられる演奏。
さて、審査発表の時、銅賞、銀賞、金賞の順に発表していくのだが、銀賞まで来ても名前が呼ばれない。まさか、金賞・・?このまま呼ばれないのか・・?と思ったが、結果は、見事、金賞だった。この結果に喜んでいたのは、他ならぬ本人で、うれしさのあまりだろう、ステージまで走って上がって行っていた。
その後、実母の見舞いに、子供達と行った。母は、金賞受賞をとても喜んでくれた。賞状を部屋に置いておいて欲しいと言われたが、これは一つしかなく、本人のものなので、コピーを持ってくると、私は話した。
こういうことがあると、またピアノ続けようという気になれるよね。この子は、いい先生に教えてもらえてよかったと思う。この子が自信を持てるものを与えてくれたのだから。
私の実母が入院している。今は、起き上がることも出来ない。実父がずっと付き添っている。
たまには、私も、付き添いしたいのだが、お前は小さい子供がいるし、旦那もいるし、仕事もしているし、そっちをしっかりしてくれればいいのだ・・と断られてしまう。
私の親は、こんな状況にあっても、自分の事より、子供自身の幸せを、考えていてくれているのだろうか・・。
親には心配をかけてきたし、世話にもなったので、こんな時こそ、私は面倒見ないといけないのだろうが・・。
病院に見舞いに行くこともなかなか出来ない状況。今日は休みだったので、病院に行こうと思えば出来た日だが、仕事や家事、育児で疲れており、休養したい気持ちが強く、行くことが出来なかった。子供の事も気になるし・・。
なんだか、子供の一人には、宿題しなさい、と言ってばかりの日々のような気がする。自分はこんなこと言われなくても勉強したのになあ、と思うとこの子はどうしてこうなのか、理解しているつもりでも、できなくなりそう。
これから先、どうなっていくのか、考えると不安になるばかりなので、あまり考えないようにしている。いいことがあるかも、しれない。あればもうけもの、のような気持ちでいれば、ちょっとしたことが、すごくうれしかったりするものだ。こういう私は、案外幸せなのかもしれないなあと思う。
私から見て、恵まれた環境だと思っている人でも、悩みを抱えながら生きて いるのだということ、最近、感じられるようになったからかもしれない。
先月、生活習慣病予防検診(旧:成人病予防検診)を受けた。何年か前から、毎年、年に1回受けられるようになった私である。(職場から補助の適用となったので)
去年の採血の時も、血管が細くて、注射針をなかなか、刺すことが出来なかった。血管は以前から細かったんだけどね。そして、何ヶ月か前、職場に献血車が来た時、献血させてもらおうと、行ったのだけど、針がうまく刺さらず、看護師さんから途中で中止させてほしいと言われた。
ただ、血管は細いが、血液検査の結果は、異常なしだった。もちろん、献血の前に受けた検査でも、400ml献血OKの結果だったのだけど。
今回の検診の時は、いつもの腕の真ん中のところから採ることが出来ず、手首のところから、採血した。こんなに血管が細くなっているのなら、もう、しばらく、献血するのも、あきらめたほうがよさそうかな、と思った。
さて、結果については、前回と変わりなし、ということだった。前回、注意を受けたことについては、結構気をつけて生活したつもりだったんだけど・・。
なにしろ、私の場合は、パニック障害の持病があるので、検診を受けるのも、実は、大変なことなのである。一番大変なのが、胃の検診。去年は、ほんとに途中で気分が悪くなり、半分の時間で終了したことがあった。看護師さんのその時の話では、低血圧で脳貧血を起こしたのだろうということだった。パニック障害は不安障害。以前そういうことがあると、また、同じようなことが起こるのではないかという不安が、起こるのである。今回も、不安があったが、前回、気分が悪くなったら、途中でやめてくれたので、大丈夫と思いながら、受けた。
採血も、手首で採るのは、腕の真ん中で採るより、痛いと聞いていたので、嫌だったが、思ったほどには、痛くなかった。なぜ、ずっと、腕の真ん中にこだわっていたのだろう・・と思ったほどだった。
私の腕の血管が細いのは昔からなんだけど、なんとか太くする方法はないものなのかな〜。ますます、細くなっていきそうな感じ。重いものは持ったことはない、なんてことはないんだけど・・。
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