きっと どこかで
DiaryINDEX|past|will
2005年10月25日(火) |
子供の通院(発達障害) |
発達障害といわれている子供(ユウ:HN)の方だが、今、リハビリセンターに通院しているのだけど、ユウのような子供(軽度の発達障害)を多く診ているという医師にも診てもらうことにした。今の医師に話したところ、快諾していただいて、紹介状も書いてくださった。それで、その新しく診てもらう医師のところに行ったのが、今年の8月。ユウを連れて行ったのだが、そこで診てもらうにあたり、また、検査が必要とのこと。それで、2回検査に通い、この間、その検査の結果を聞かせてもらった。
まあ、だいたいはわかっていたことだけど、改めて、結果として聞かされると、ちょっとショックもあった。もう少しよい結果が出るかと思っていたけどやっぱりそんなによくなかったのか、という感想。
以前聞いた診断名とは違う診断名を今回は言われた。
普通の子供って、どういう結果が出るんだろう・・という疑問がちょっとわいた・・。アンバランス(出来る事と、出来ない事との差があるということ)とか、社会性がないとか言われたけど、ほんとに同じくらいの年の子と比べて、そうなのかな・・?確かに、学校生活では、他の子供と同じように行動出来ない様子を、親である私や担任の先生も感じているのだから、まあ、そうなんだろう・・。
知能レベルだが、非常に微妙な数字が出ていた。担任の先生の言われるとおり。障害児学級に入るほどのレベルではないが、通常学級で過ごすには、ちょっと苦しいかなと思われる。今まではこういう子供達を支援するものはなかったそうだが、最近出来た、発達障害者支援法には、ユウも含まれるようだ。
すなわち、発達障害者支援法が対象とする「発達障害者」は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、LD、ADHDその他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう」と定められている。
ユウの診断名をここに書くことは、いろいろな事情により差し控えるが、上に書いてあるものの中に含まれる発達障害である。
すべての子供は、等しく教育を受ける権利がある。それぞれの子供の状態に合わせた、教育を受ける事も、子供の権利なのではないか?
検査結果は、今後ユウと接していく上での指針としたい。
それで、ユウは、リハビリセンターで薬をもらっているのだが、それは変わらずそちらでもらってください、との事だった。相談ごとなどあれば、こちら(新しく診てもらった先生)に来てください、との事だった
「日本発達障害ネットワーク」
2005年10月15日(土) |
台風時に女性職員が早く帰宅すること |
以前もとりあげたが、今回も香川県HP(知事へのメールのコーナー)の記事をとりあげる。
台風時に女性職員が早く帰宅することについて
台風時に警報が出た時に女性職員が休暇をもらい、早く帰宅することを、批判する内容だ。
これは、小さい子供を保育園などに預けている場合は、警報が出た場合は、迎えに来るように言われるので、帰らざるを得ない。他に迎えに行ってくれる人がいるような人がいる場合はいいが、そうでない場合は、自分が迎えにいくしかないではないか。子供を持つ女性は働くなということ?そういう風潮は、まだまだ残っているような気がする。小さい子供とか、介護の必要な家族とか、そういう人を持った人は、それなりの大変さがあるのだが、その中でも、時間をやりくりして、仕事をしたいと思っている人も多くいると思う。実際、生活のために、という人も多いと思う。
知り合いの家庭では、奥さんが家にいると、扶養家族手当てがもらえ、子供がいるとまた扶養家族手当てが職場からもらえ、旦那さんの給料自体も多いところもあるが、我が家の場合は、そういうのは一切無い。
給料だって、ここ何年かは、ほとんど上がっていない。(旦那の方)昔のように、年功序列式に給料が上がって、というのは、今の時代にはない。子供がいれば、かかるお金も年々増えていくのに、給料が上がらないのだから、生活を切り詰めるといっても、限度がある。今は、女性が働くことも、可能な時代なのだから、できる範囲で、働きたいと思うのは当然のことではないか。
ただ、女性だから、という理由での休暇は、あまりにも安易な与え方だとは思うが、今の香川県庁がそんなことをしているはずはないと思う。昔とはだいぶ違ってきていると聞いている。それと、昔の県庁の女性職員は、同権とはいいながら、昇格などで、多少の差別があったように思う。年配の方で、係長にならずに、「主任主査」という女性のみにある役職で退職を迎える方もいた。そのかわりに、男性は、休みも惜しんで働くが、女性は家庭もあるから、ある程度、そこまでしなくていいい、というのがあったのではないか。
家庭を省みず仕事をする事、これがよいことと思われるのは、あまりに企業主義というか、じゃあ、家庭は誰がするのか、という疑問がわく。誰かが家庭のことをしなければいけないのではないか?夫婦お互いに協力して、と言う考え方でも、する時間を確保する必要がある。
少ない時間にしたって、時間は絶対必要だ。食事、風呂、着替え、寝る為だけに帰宅し、子供の顔も見ずに朝早く出勤する旦那さんをもつ、妻なら、(そういう旦那さんを持つ人は、まだまだ多いと思う)家庭の事は、時間をとってやるしかないと思う。子供がいるならなおさらだ。子供は、自分達の未来を担っていく人材である。
また、近くの職場を希望するのも、家庭を大切にしたいということで、希望がかなえられるなら、望ましいことだと思う。
小さい子供がいるうちは、子育てしながら働く事は、まわりが思っている以上に大変なのである。
子供が大きくなっても、家庭を大事にしたい為に転勤を断ったりという人は、男女問わず存在する。その為に、将来、昇格などで、不利になるのも覚悟の上である。それだけ、家庭が大変だということである。いろんな家庭がある。そんなに手をかけなくてもいい子供もいるだろうし、手をかけることも必要だし、通院だとかそういうことも必要な子供もいるだろう。
香川県HP
先日、帰宅して夕食の支度をしていた頃(午後7時ころ)、子供の通う小学校の教頭先生から電話があった。「ユウ(HN)くん、家に帰っていますか?」というもの。そういえば、この日は、私が帰宅した後(午後6時すぎ)に帰宅したようだった。電話があった時には、帰ってきていたので、私は、「もう帰ってきていますね、でも、今日はいつもより遅いようでした」と答えた。教頭先生は、「いえね、PTAの副会長さんより、電話が学校にあったんですよ」ということで、我が家に電話してきたらしい。その内容とは・・。
実は、ユウは、犬が苦手である。通学路に、犬を放し飼いにしている時があり、それで、ユウが途中で歩けなくなることもあった。副会長さんの家は、その通学路の近くにあるんだそうで、そういうユウの様子を、以前から見て知っていて、放し飼いにしている家の持ち主に、犬を放し飼いにしないように言ってくれていたんだそうだ。
ただ、その日は、ユウの帰宅時間自体も遅かった。学校を出たのが5時すぎくらいだったらしい。その時、犬の放し飼いに遭遇したらしい。それで、なかなか歩けず、さらに帰宅が遅れたようである。そういうのも、副会長さんは見ていたそうだ。犬の放し飼いも、何回か話をしてあるのにするのも悪いが、そういう時間帯に、帰宅するのも、どうかと思う、ということだったらしい。
ユウには、学校を出るまで何をしていたのか聞いたら、廊下で本を読んでいたということだった。それは、学校の先生で知っている人もいたように聞いた。今年に入ってから、ユウの帰宅が遅くなっている。担任の先生に聞いたら、教室にいたり、校庭で遊んでいたり、ということだった。私の実母がユウのことをかわいがってくれていたのに、2月に亡くなってしまったことも影響しているのかもしれない。
それにしても、ユウが帰宅が遅いとか、犬を怖がっているとか、見てくれている人がいるんだなあと思った。
ユウには、あまり遅くならないうちに帰るように話した。
ちなみに、学童保育、この学校では、やっているんだよね、この子供達の帰宅時間はと聞いたら、午後5時くらいで、同じくらいの時間のように思えたが・・。
教頭先生が言われるには、「これから日の暮れるのも早くなることだし、小学生が遅くに一人で歩いているのは、危ないですから」ということだった。
2005年10月11日(火) |
学期末個人懇談(その2) |
先日、個人懇談のことで、ケンのことしか書いてなかったので、発達障害のある子供(ユウ)の方のことを書いてなかったので書きます。
この子供の担任の先生とは、1学期の参観日にも時間をもらって、個人的に話をした。その時、「どういう風に接していいのか、迷っている」というような返事だった。そのため、去年の担任に比べて、ユウは、あまりかまってもらってないように思えた。こう書くと、ユウはかまってあげないと、何もできないわがまま子みたいだけど、ユウには、他の子供とは違う関わり方をすれば、その場で、本人が過ごしやすくなる。
自分はクラスの一員、という事を認識できないのがユウ。普通の人には、この感覚はわかりにくいかもしれないが・・。「みんな」という呼びかけに、普通は、自分も入る、と思うが、ユウのような子供は、「みんな」には自分も含まれるということが分かりにくいのだ。たとえば、「さあ、皆さん、○○しましょう。」という話。普通は、自分も、○○しなきゃ、と思うよね。それが、ユウのような子供は、それが、理解できないのだという事だ。
それを、理解させるにはどうすればいいか。「ユウくん」、と声かけをして、こちらに感心を向けさせてから、目的の話をする。また、話の前に、肩をポンとたたいてもいい。
そんな話を、夏休み中にも1回学校へ行って、先生に話したように思う。それを、夏休み明けにしてくれたことがあるらしく、「お母さん、以前話してもらっていた事、してみたんですが、効果ありますね」と言ってくださった。
1学期の時にも、ユウと向き合ってくれそうな気配は感じられたし、私の話も、メモを取って聞いてくださる。(こういう先生も初めてです。)
さて、1学期の成績は、そんなに悪くはなかった。頭は悪くはないのだ・・。ただ、思考回路が他の子供と違うようなので、言動や行動が、他の人から見ると奇妙に見えることもあるのだろう。
また、小学校入学以来気になっている、離席行動について、聞いてみた。 「授業中、教室の後ろに寝そべっていることもありますね」とのこと。それについて、他の子供達の反応は?
「ユウくん、席に戻りなよ」と言う事は言うけど、それでも戻らなかったら、しょうがないなあ、という感じらしい。ユウはこういう子供だから、ということで、容認されているらしい。他の子供が影響される事はないらしい。
それでも、この前の自由参観の時でも、こんなユウでも面倒みてくれる子供や、楽しそうに話す子供もいた。ユウは、結構人気者のようだし・・。
授業では、興味のある教科とそうでない教科で、授業への参加の仕方が全く違うらしい。そう、好きな教科は、すごくのめりこむくらいやるけど、そうでない教科は、見向きもしない、というところらしい。
私も、病院の先生や親の会の方からアドバイスを受けたり、本で読んだりして、この子供の接し方には気をつけているので、今のところは、そう大きな問題はないようだ。ただ、出会う人間が、変わり、ユウの事を十分に理解してくれていないと、よくない状態になる場合もあるので、それはいつも気をつけている。
今の先生はどうか、というと、やっと理解してもらえたようだ、というところ。でも、その前も、ユウの可能性を信じて、いろいろ挑戦させていただいた。先生も大変だったことと思うが。そして、その期待に見事答えたユウも素晴らしい。
先生は、今回の懇談では、最初の頃に出来なかったことで、最近できるようになったことなども話してくださった。
もちろん、他の子供にはできてあたりまえのことなんだけど。一つは、ランドセルの片付け。これは、最近は、自分でやるようになったんだとか。
なんでも、あきらめていてはだめだ。いつかは出来るようになる、そう信じてあげることが、ユウには大事なんだと思えた。
2005年10月09日(日) |
母の葬儀翌日以降(その3) |
母の葬儀関連の話に戻ります。
母が亡くなった日に、私は、研修に行く予定だった事は前に書いた。直属の上司や、東京の業務担当部長さんが、いろいろ気を使ってくださって、私の他にも、研修に来れなかった人がいること、後、東京の人の研修がまだであったことなどで、もう1回、同じような内容の研修をするから、それに出席したらいい、という話をしてくれた。
実際にいくはずだった日の分の飛行機のチケットのキャンセル料、また、次の研修の飛行機代と研修の時に取っていたチケットの差額代、全部、職場で負担してくれた。
その、代わりの研修は、1ヵ月後くらいに行われた。
来れなかった人がだいぶいたのかと思ったが、実際来ていたのは、東京以外で来ていたのは、私の他に一人だけだった。
かなりていねいに教えていただいた。後から聞いた話だが、実際の研修の時は、それほどていねいに教えてもらってなかったようで、私はちょっと得したみたいだった。
研修は2泊2日のスケジュールで行われた。主に東京の方向けの研修ということだったので、1日目、朝9時から5時まで、2日目、朝9時から5時までということだったが、旅費は3泊分もは出せないということを言われ、2日目の飛行機に間に合う時間に帰るように言われた。
1日目は宿泊した場所の近くの、いつもいく本部事務所だった。歩いても行ける場所に宿をとった。2日目は、地下鉄や電車を乗り継いで1時間くらいのところ。
パニック障害の持病のある私は、この朝の地下鉄がちょっと心配だったのだが・・。実際、乗っている時、気分が悪くなりかけたが、なんとかやりすごすことが出来た。外の風景が見えない、閉鎖された鉄道、というのを考えただけで不安になるのだ。
ついた駅で、1日目に一緒だった方と偶然一緒になり、研修場所まで一緒に歩いていく事にした。なぜ研修に行けなかったのか話してあったので、この日私の顔色が朝ちょっと悪いのを察したのか、「お母さんが亡くなってしばらく大変だったでしょうね」と話しかけてきた。いや、それじゃないんだけど・・これはいつもの持病の不安発作のようなもんなんだけど・・。
他のところでも、この後も、いろんな人に出会うわけなんだけど、母親が亡くなったことを話題にしてくれたのは、ある程度年齢のいった方ばかりだった。そうでない方は、まだ、そういう経験をしていない(身近な人が亡くなったという)から、わからないのかなと思ったりもした。
私の年代でも、母親を亡くしたのはそう多くはないだろう・・。母はまだ69歳だった。
2日目の研修は、2日目の午後に来る予定だった方が、急病で来れなくなったとかで、代理の方の研修で、講義のみで、ちょうど私が帰る予定だった、午後3時くらいにはほぼ終わっていた。
飛行機は、上司から、もし私が、乗り遅れても大丈夫なように、最終便のひとつ前の便を予約するように言われていた。後、おみやげ買う時間もちょっと欲しい、ということで、実は、羽田空港についてから、1時間くらいは余裕があった。でも羽田空港は広いし、荷物チェックも時間のかかる時があったりするので、このくらい余裕を見ておかないと、危ないと思う。
で、予定どおりの時間に研修場所を出られたので、羽田空港でも余裕をもって、手続きをすることが出来た。
なんだか、別の日に、研修を受けて、もしかしてちょっと得したのかも、と思いながら、帰途についた私だった。
|