いつもの日記

2001年12月19日(水) 2002年において僕達がすべき事 vol.4

そういう訳で僕は今リサイクルに凝っていて、着なくなった服を再利用している。
でも、間違えないでほしいのだが、着なくなった服を誰かに上げたり、
フリマで売ったりしてる訳じゃない。

ただ、着なくなった服を再び着ているのだ。
押入れの中で、冬眠している服達をわざわざ引っ張り出して、着るのだ。 

昨日は、赤い綿のブーツカットパンツに、
腕の青ライン3本が目印の白ジャージで合わせてみました。

研究室のみんなが「おっ!?」という顔をするので、とてもいい気分です。
ちょっとウキウキします。ウキウキしすぎて猿になりそうです。
もちろんなりませんが。

それらの服は時代にあってないかもしれないけど、
その事を承知で着るのは全く問題ないようです。

しかし、本日はかなり引かれました。
というのは、ケミカルウォッシュのスリムジーンズ(短め)を掃いていったからです。
やはりこれは狙いすぎてて、誰も何も言いませんでした。突っ込みゼロです。

まさに兵糧攻めです。絶えられません。

まぁでも、気を取り直して明日もいこうと思ってます。
明日は当然、ユーイングのバッシュです。
頑張ってきます。でわ。        終わり



2001年12月18日(火) 2002年において僕達がすべき事 vol.3

なんでか解りませんが、3回目になってしまいました。
♪なんでなんでナンデ?(鈴木蘭々)←視聴できます。
耳を澄ましてください。蘭々の心の叫びが聞こえます。ほらね。いかがですか。

vol.1、2とも全然面白くも無い内容で、見返しても嫌なんですが、
質が悪くても見て見ぬフリをしてやらないと、毎日なんて書けないんです。

だから、今日の日記がたまたま面白くなかったからといって、見るのを止めたり、
お気に入りから削除したり、デスクトップにある僕のHPへのショートカットを消したり、
定期購読販売してるバックナンバーを買うのをやめたり、しないでください。

vol.1、2で大まかに現在の環境問題について言及してきたつもりだが、
各国がアレコレ言う前に、自分達一人一人が環境問題にとりくまねばならないと思う。
僕達はマジでビックリするぐらい躍起になって取り組まねばならないと思う。
ほんとにやばく真剣に。とりあえずここらで真剣に。無理から無理かも真剣に。ね。

こういう各個人の認識・行動が大切であるという考えは、結構根付いてきていて、
今の小学校教育では環境問題について教えているところがほとんどである。

環境問題に熱心な小学校では、使い捨ててしまう割り箸を再利用して、
割り箸鉄砲や、本立てや、鉄棒や、黄な粉餅を作ったりして食べている。

黄な粉餅はデザートとして取り扱ってますので、食事の後のお楽しみです。

そこでだ。最近僕も個人で環境問題に取り組んでいる。
個人ができる事は少ないが、一番とっつき易いところではリサイクルだろう。
ところが、しかしだ。ジャイアンが開くのはリサイタルだろう。


****************
あき缶 と ペットボトル
リサイクル と リサイタル
オーストラリア と オーストリア
間違わずに分別しましょう
****************

という標語をどっかで見かけたかもしれませんが、
たぶんそれは「かも」ですので、Maybeですので気にせず行こう。



2001年12月17日(月) 2002年において僕達がすべき事 vol.2

前回の話のつづきになるが、世界中が協力して、
環境問題に取り組んでいくのと歩調を合わせるように、
国単位でも環境問題に取り組む動きが目立ち始めた。

太陽電池や風力発電が注目を浴び、火力発電はのけ者にされた。

「すごいぞ。火力発電。すごいなぁ。火力発電」

と言っていた人達も、手の平を返すように太陽と風力に肩入れし、火力をけなして、
どんどんと火力発電は収縮していった。

そのような状況の元で、
遠いところからわざわざ僕の処までやって来てくれた火力発電1号機は、

「教えてください。僕達はこれからどうしたらいいですか?どうなるんでしょうか?」

と、息も絶え絶え叫んでいたが、僕は、

 「時代の流れです。致し方ありますまい。」

と言って、天狗で一緒にジントニックを17杯飲まなくてはいけなかった。


僕はとても火力は好きなのだが、このご時世で、この時代の流れからいって、
火力を肯定してしまうのはあまりにもバツが悪すぎた。
僕にできることなど、火力が好きなジントニックに付き合うくらいなのだ。


それから1週間後、僕は朝刊で 「火力発電1号機閉鎖」 を知った。

僕は、かじっていた食パンをテーブルに落として、突っ伏して泣いてしまった。
子供の頃泣いたように「えんえん」と。

「お父さん。どうしたの?何か悲しいことでもあったの?ねえ、どうしたの?」

4歳になったばかりの娘の声が耳元で聞こえた。

「大丈夫だよ。ただね、お父さんの大切なお友達の火が消えたんだ。でも、消えただけだよ」

右に座っていた妻も涙を浮かべていた。



2001年12月16日(日) 2002年において僕達がすべき事 vol.1

2002年 人類は山田かつて無いほど科学技術を発展させ、如何なる事でも可能にした。
しかしここへきて人類は、環境問題という非常に重大な事柄に直面することになった。

「このままただ自分達の好き勝手に発展ばかりを続けていっては、地球がもちはしない」
と、専門家達は口々に叫ぶようになり、ある専門家はサジさえ投げていた。
また、ある専門家がフォークを投げて、そのフォークが、
ゴルバチョフの頭に刺さってしまったという話は有名である。

そのような専門家の勢いに押されるごとく、人類は、環境問題を考える第一歩として、
地域を代表する国々がまとまって会議を行うようになっていった。

日本で行われたCO2の排出削減を考えた京都会議は有名である。
会議では主題がかなり2転3転し、最後に往年のジャニーズグループ「忍者」が登場して、
 バク転 をした時には、各国の皆さん何がなんだか解らなくなっていたが、
結局は、CO2において
 CO2→C+O2
を確立することで決着は着いた。

別のところで、
「その化学反応で出て来た炭素Cはどうするのか?」
という議論が白熱していたが、炭素獲得アミダクジ において、
炭火焼肉で有名な「牛角」が、まんまと当りを引き当てていた。

「炭火焼肉でん」の社長はかなり悔しがっていたが、
焼畑に使用したがっていたニジェール共和国の人たちも、唇を噛み締めていた。
焼畑が砂漠化をかなり促進している事に、彼らはまだ解っていないようだ。
僕は、彼らがこの会議にくる資格があったのだろうかと、ただ疑問系であった。 



2001年12月15日(土) やんややんや

リクルートの忘年会が済むやいなや、ボクシング部の忘年会です。

かなりハードですが、これくらいしないと年は忘れられそうもないので、仕方ありません。

例年どおり、練習してから、忘年会です。しゃぶしゃぶです。
狂牛病と世間は騒いでいようとも、美味しいものが安くで食べられるなら、
皆様あまり気にはしないようです。

僕達が食べていた店では、この寒い夜にも関わらず、
並んで待っている客がわんさか居るほどでした。

食べ放題、飲み放題でしたが、僕はほとんど飲まずに食べてました。
もともと多くはお酒が飲めないたちなので、致し方ありません。

先輩の近藤さんが、僕と同期のマネージャーの仲川さんと結婚することになったそうで、
忘年会に二人で現れて、みんなにやんややんやと言われてました。

僕にとってこれは、ボクシング部での最後の忘年会で、少し感慨深い気もしました。
来年には違う仲間達と年を忘れるのでしょう。同じように楽しめたらよいものです。
明日のことすら判らないけど、そう願っていたのでした。12月もこれで半分終わりです。



2001年12月14日(金) 砂山以上 恋人未満

週末は色々とありましたので、今更ですが3日分をUPします。

書きたいことは山ほどあるのですが、時間が丘ほどもなく、
まさに海岸の砂浜で子供達が作った砂山ぐらいしか余裕は無いので、
砂山ぐらいしか書くことは出来ません。

僕達はいつも等速で移動しつづけるベルトコンベア-の上にいて、
アレコレもがいてるだけなんです。

14日の金曜日はリクルートの忘年会でした。
参加者は20人ほどで、4つの鍋を用意して、
水炊き、ちゃんこ、キムチ、トムヤンクン、の4種類の鍋をしました。
全ての鍋がそれなりに、かなり美味しかったです。

それに加えて、各自で購入した千円ほどの物を持ち寄って、プレゼント交換をしました。
これは本当に素晴らしい企画で、最高に楽しかったです。

「猪木カレンダー」や、「雅子さま赤ちゃんおめでとう写真集(CD付き)」や
「道路用白線引きラッカー」をプレゼントにするなんてなんて、とてもセコイです。

そんな事で忘年会はかなり盛り上がりました。砂山以上は盛り上がりました。

この会を準備してくれた皆様への感謝の言葉で、今日の日記を終らせて頂きます。

「ありがとう。そして、これからも宜しく」



2001年12月13日(木) カニカニカニ

大学の友達とカニを食べに行った。総勢9名。
僕は少し頭が痛かったのだが、もう予約してあるので、バファリンを飲んで出かけた。

カニはとりあえず美味しかった。
頭痛を忘れてしまうほど美味しかった。
逆に直ったんではないかと勘違いするほどであった。
カニの刺身を食べて、カニ鍋を食べて、カニ味噌を食べて、
さらに、ぷるんぷるんのカニの身をしゃぶしゃぶして食べた。
締めくくりのカニぞうすいも文句無し。良い。ただ良い。

そしてそのまま温泉へ。カニ→温泉 とは最高の組み合わせ。まさに極楽浄土。

露天風呂に浸かりながら、最高の気分を味わう。
う〜んいい。いい。いいね。最高。
そんな単純な語句しか浮かばないくらい、この上なく上々であった。

みんなも同じ気分だったらしく、タカイシは 「 Fuckin! A lot! 」を連発していた。

僕もそれに触発されて、
「 Much Fuckin! Very Fuckin! 熱いぜ Fuckin! のぼせるぜ Fuckin!」
と言っていたが、それ以上は誰も続かなかった。何故だろう?

そんなこんなでカニツアーは終了。チャンチャン。

と何事も波乱が無いまま終わる予定であったが、車に乗ってしばらくすると頭痛再発。
それから見る見るうちに様態が悪くなり、
「 帰るぜ Fukin!」と叫んでいた過去の栄光はどこへやら、
途中で車を止めてもらい、胃の中を泳いでいたカニカニカニを全てぶちまけたのでした。

慣れないものは食べ過ぎないようにしましょう。身分相応。



2001年12月12日(水) マシュマロ

マシュマロ と聞いてその触感をイメージできる人は、日本に何人居るであろうか。

昨日、そのマシュマロを久しぶりに食べたのだが、
食べてみるとその触感はすごく不確かであって、
食べる前にその触感を少しもイメージ出来ていなかったことを改めて気付かされた。

ナタデココと聞くと、僕達はあのコリコリとした触感をイメージできて、言葉にできるのだが、
マシュマロは ふわっ というかなんというか、はっきり言って言葉で形容し難い。

マシュマロを ふわっ という言葉だけでは絶対表現できないし、
もしそれだけで片付けてしまっては、マシュマロは怒ってビルに攻め込んだりするだろう。

実際そのようなことは過去に何度もあって、
そのマシュマロの反乱を映画化したのが、かの ゴーストバスタ-ズ である。
この映画は、本当に駄作であるが、マシュマロの恐怖は充分に伝えることが出来ている。
と私は自負している。

僕達は、このような過ちを二度と繰り返さないように、
マシュマロを言葉で完全に表現できるようにならねばならない。

だが、科学技術が進歩し、ありとあらゆる有益な情報が交錯し、
私の父も家の畑で耕作している現代においても、
マシュマロを完全に描写する表現はいまだ発見されていない。

あの奥田民生でさえ「マシュマロ」を表現しようとしたが、結局は挫折した。
その経緯を歌った「マシュマロ」という曲の最後には、

♪ マシュマロは関係ない〜  本文と関係ない〜

とフレーズがあるが、民生の溢れんばかりの歯がゆさが伝わってくる。
民生の苦悩を描いたお勧めナンバーです。

そんなことで、一度みなさま久しぶりにマシュマロを食べてみて、
それを表現してみて、私宛まで贈ってください。よろしくです。

注意:マシュマロとマショマロはまったく別物です。間違えないように!



2001年12月11日(火) マジックミラー

ローソンなどの小売店内には従業員専用口がある。
これはお客さんは出入りしないが、従業員が出入りし業務を行うための勝手口である。

その専用口には、たいていミラーがついている。
そして、どの店でもほぼそれはマジックミラーである。

お客さんは、それがマジックミラーだと解ってはいるのだろうけど、
(解っていないのかもしれないが) それで頭のセットを整えたり、ポーズをキメたりする。

僕はマジックミラーの中でたまたまそういう場合に遭遇するのだが、
そういうふうにセットしているのは、たいてい男である。

僕は、彼らが扉の前に居るから扉を開けることは出来ず、
彼らが満足してそこを立ち去るまでは、セットする彼らに付き合わねばならない。

それが嫌だからといって、レジ裏の方から店内に行くのは、負けてるようで気に食わない。
だから僕は、どこの馬の骨かも解らない男のセットに付き合わなければならないのである。

こんな風にして、とても大好きな朝の時間を、
無差別に侵害されている僕の気持ちを解っていただけたでしょうか。

可愛らしい女子高生ならまだしも、川村隆一と同点決勝でプレーオフになるぐらいの、
ナルシストで気色の悪い男なんて、心底かんべんなのである。

ということなので、お店のマジックミラーではセットを整えないで下さい。
日本全国のコンビニバイトを代表して、僕からのお願いでした。



2001年12月10日(月) ナイアガラの滝がライバル視するぐらいの汗

最近かなりの運動不足である。

だから最近僕は、研究室から大学の生協へ何かを買いに行く時は、走るようにしている。

この一文でチンタラのジョギングを想像している人は、そんなものふっしょくして欲しい。
僕の走りはそんな生半可なものじゃない。

走り屋のボスが、大きな手で僕の頭を撫でて、
「ボウズいい走りしてるじゃねぇか。おい!てめえらっ!少しはコイツを見習えよ!」

って言われるくらいマジである。相当マジである。
研究室から生協、生協から研究室、と走った後には、
ナイアガラの滝がライバル視するぐらいの汗が出てる。

研究室の友達はそんなナイアガラをみて、お茶をコーヒーを紅茶を、すするのである。

もし君が、大学で激走している人を見かけた場合、それは僕だと思ってくれて間違いない。

この近代化の波が押し寄せる現代の大学で、
普段着でスリッパで、バカみたいに走っている奴なんて何処に居るというのだ。
それは僕以外にありえない。

だから君がそのような人を見かけた場合、

「とりあえず頑張れよ!」 とか
「日記つまんねーぞ!」 とか
「4人兄弟の3番目!」 とか
「今日って何曜日?」 とか

なんでもいいから声はかけれるはずだから、声をかけるようにしましょう。

でも、断っておきますが、僕はその呼びかけにはたぶん答えないでしょう。

もし答えてしまって、ペースが落ちて、タイムが落ちて、走り屋のボスに呼び出される。
って事になっても、貴方は責任とれないでしょうしね。


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