あまり時間がございませんので多くは書きません。 なんてったって明日は修士論文の発表があるものですから。
へこんだり、いきったりしながら人間は成長するものだと思っています。
へこむことは僕にはいい薬というか、とても大事なエネルギーです。 何にも変え難いモチベーションです。そう思うようにします。
そうなった原因を探り、状況を分析し、それからどうやって立ち直るか、 と考え行動することはとても大切なことだと思います。
それに、自分の言っている事をそのまま 「そうだそうだ」 と連呼されるだけでも嫌ですから。
だから、君みたいな友人が必要なのです。 僕にとってはかけがえの無い存在です。
でもやはり認められる事は一番嬉しいです。 それに少しも認められないと自信が持てないので前にも進めませんし。
誉められたり、非難されたり、そのバランスを巧く保って、 適度な刺激を受けていきたいものです。なんだかそう思いました。
2002年02月16日(土) |
毎日負けずにその日のボーダーラインを越える |
思い通りにならない時や、批判・否定をされた時は誰だってへこみます。
そうなれば、調子が良くて自信を持っていた少し前の自分は、 全く虚像かのように感じられます。 そしてそのギャップを感じ、自分の浅はかさを軽率さを感じて、へこむのです。
それは意外にも予期せぬところから急に襲ってきて、 一気に自分をへこみの溝に突き落とすのです。
そうなればなかなか前のように戻るのは困難です。 マイナスがマイナスを呼び、何もやっても巧くいかないことが多くなります。 それは当然です。自分に自信が持てないんですもの。 自分の意見や行動ですら、「これでいいのかな?」って疑ったりしてしまいます。
僕は今そんな状態にいます。あまり自分に自信が持てない状態です。 そんな時、他人にアドバイスを求めます。 「このような状態を脱出するには、どうしたらいいのですか?」と。
大抵の人は言います。 「時間が解決してくれます。時間が経てばそのうち自信を失っている自分を忘れます。 それから徐々に自信を取り戻していけばいいのです。要は時間です」
確かに納得です。「アドバイスをありがとう」と言います。 でも僕は「そんな受身でいいのだろうか?」と思います。 こういうときだからこそ、気丈に頑張るべきなのではないかと思うのです。
自信を持っている時は、誰だって何でも出来ます。 だから調子の悪い時でも、毎日負けずにその日のボーダーラインを越えていくことは、 とても大切だと思うのです。 僕はそれが本当の力だと思うのです。そしてそこから本物の自信がつくのだと思うのです。
2002年02月15日(金) |
いい人間とげすな人間の取り扱い説明書 2 |
実のところ、バランスとモラルは直結しています。だから、
バランスを厳しく設定できる「いい男」は、モラルが高い人間です。 バランスを曖昧に甘く設定している「普通の男」は、モラルがそんなに高くない人間です。
バランスを考えない「やばい男」は、モラルというものが何かを知らない人間です。 バランスを考えずに欲を求める「げすな男」は、モラルが全く欠如している人間です。
人間的な義理・秩序・恩などをしっかり考え、行動できる人が「いい男」であり、 それらを考えようとしなくて、見てみぬ振りをするのが、「げすな男」なのです。
さて6日間に渡って書いてまいりました「いい人間 げすな人間」如何だったでしょうか。 こんな事を我が物顔でかける私は何者でもなく、「げすな男」であるかもしれませんが、
「いい女や普通な女」は「げす」に騙される事なく、「もっといい女」を目指してください。 「いい男や普通な男」は「げす」に憧れることなく、「もっといい男」になってください。 「げすな男やげすな女」は自分を「げす」だと認めて、少しづつまっとうに生きてください。
これが僕が一番言いたいことです。 これもすべて自分をここまで育ててくれた日本のために言いたいのです。
追伸:ちょっと自分は調子に乗りすぎていた感があります。 意外に自分が一番「げす」かも知れません。ちょっと疑ってみます。
2002年02月14日(木) |
いい人間とげすな人間の取り扱い説明書 1 |
前4回に渡り「いい男(女) げすな男(女)」を紹介しました。
人間にはこの他に「やばい男 普通の男 もっといい男」がいます。
「やばい男」は、両親に甘やかされて育って、この世にある欲しいものは勝ち取るものではなく、 与えられるものだと教えられて心底信じていて、コミュニケーションすらもできなくて、 自分の殻から出れないとか出たくない男のことをいいます。
最近かなり増えてきています。自分の子供がこのようにならないように注意が必要です。
どんな人も自分に嘘をつくことは嫌です。できるなら自分に嘘はつきたくはないです。 でもずっと自分に嘘をつかないというのは大変なので、誰だって自分に嘘はつきます。 このように人々は、自分に嘘をついたり、つかなかったりするので、 そのバランス(比率・割合)はそれぞれ個人によって決まります。
「いい男」はそのバランスが厳しく設定できている人です。 「普通の男」はそのバランスが曖昧で、甘く設定している人です。 「普通の男」は、やはりその名の通り「普通」なのです。
ちなみに、「やばい男」はこのようなバランスというものを考えない人達です。 考えないだけなのかもしれませんが、考える事が出来ないのかもしれません。 しかし、そんな細かい状況なんて考えなくても、とりあえず彼らは「やばい」のです。
そして、「げすな男」はその自分に対するバランスがどうのこうのというより、 「その物事が自分の欲を満たすかどうか」 ということでだけで自分に嘘をついたりつかなかったりする人間なのです。(続く・・・)
2002年02月13日(水) |
げすな女の条件(下種) |
げすな女ほど
自分に嘘をつくのがうまく
相手や他人に対して不誠実だから
相手や他人を騙すような自信をねつ造することができ
とにかく横柄で
相手に対し自分を過度に押し付ける
しかし根底では自分に自信がないからみんなに嫌われるのが恐いので
世間的に価値あるお金や地位や過去の栄光やブランドを使って
現在の貧弱な自分自身を武装して創って
周囲の人間を囲って群れる
そして自分の私利私欲のためにしか動けないから
相手や他人に対して多くを要求し
くだらない女だと相手に悟られて捨てられるのが恐いから
相手をきつく縛るのです
それからやはり品がない
いい女ほど
自分に嘘がつけずに
自分に正直だから
自信をうまくみせることができず
謙虚であり
自分をわきまえているから
相手に多くを求めず
相手をきつく縛らないのです
それからやはり品がある
2002年02月11日(月) |
げすな男の条件(下種) |
げすな男ほど
自分に嘘をつくのがうまく
相手や他人に対して不誠実だから
相手や他人を騙すような自信をねつ造することができ
とにかく横柄で
相手に対し自分を過度に押し付ける
しかし根底では自分に自信がないからみんなに嫌われるのが恐いので
世間的に価値あるお金や地位や過去の栄光を使って
現在の貧弱な自分自身を武装して創って
周囲の人間を囲って群れる
そして自分の私利私欲のためにしか動けないから
相手や他人に対して多くを要求し
くだらない男だと相手に悟られて捨てられるのが恐いから
相手をきつく縛るのです
いい男ほど
自分に嘘がつけずに
自分に正直だから
自信をうまくみせることができず
謙虚であり
自分をわきまえているから
相手に多くを求めず
相手をきつく縛らないのです
BBSで「学歴論」を書きすぎたため精も根も尽きたって感じです。疲労。
前の日記で「求めるものが変わる」と書きましたが、好きな物事も変わりますね。
最近1人の時間で1番好きなことは「シャワー+歯磨き」です。まじで好きです。 シャワーを背中に向けて、少し熱めのお湯を首筋に浴びながら、口を閉めずに歯磨き。 歯磨粉が口から垂れようがお構い無し。ユニットバスの中なので何も問題は無い。
立ちこもる白い湯気 シャワーの適度な強さの圧力 一定のリズムで体を打つ水滴群 血行が全く順調に促進する少し熱めの温度 パタパタと浴槽を打つ跳ね返ったしずく
あぁ、考えただけでもやばいやばい。気持ちいいだろうな。よだれがでそう。
しかしながらこんな僕でも、昔はとっても歯磨きが嫌いでお風呂が嫌いだった。 だってめんどくさかったんだもの。 「歯を磨かなくたって、風呂に入らなかったって、死ぬわけないしいいじゃん」 って真剣に思っていた。
でも、人の目を気にして格好を気にする年頃になってからは、 「それらをしなければ嫌われる」と思って、義務的にするようになった。
しかし、今は義務ではない。それが好きなのだ。ほんとうに好きなのだ。 「時間さえあれば1時間でも熱いシャワーに当たって歯を磨いても良い」 とさえ思っているのだ。真剣に思っているのだ。
「求めるものが変わってきたから」 ということが原因なのかもしれませんが、本当の原因は全く見えません。 湯気がこもり過ぎて視界が覆われて全く前が見えない状態なのです。 シャワワワワー パタパタ
2002年02月08日(金) |
今の自分が求めるもの |
ある物事をやるにあたり、その中で人が求めるものは永遠ではない。
子供の頃の自分と現在の自分とでは、その求めるものが全く変わったと思う。
僕は、昔からどんなことをするにしても一番効率のやり方というもの念頭において、 その方法を模索しながら、その物事に従事する気質だった。 けれども、「とりあえずやればいいんだ」と思っていて、やり方がとても荒かった。 「いい加減でも別にいいや」と思っていた。 どんな状態でもいいから「やり終える」という状態だけ求めていたのだ。
しかし最近は「きっちりやる」という事にとてもこだわっている節がある。 どんな事でも「きっちりやりたい」とさえ思って、非常にそれを求めてる。 でも、気分が乗らないときや体が動かない時は、昔の自分の気質が鼻から忍び込んで、 僕の心に告げ口する。
「そんな1円にもならない事など、いい加減でいいじゃんかよ。 やるにしてもテキトーにやっちまいな。それか、もうやらなくていいよ。 っていうか、やるな。やらんでよし。やらなくて大丈夫。誰も見てないよ」
と素晴らしく甘い息を吹きかけてくる。
昔の僕なら完全にその甘い息に眠らされていただろう。 しかし、今の僕は違う。全くもって違う。そんな甘い息は効かぬ、効かぬのだ、トキ。
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