いつもの日記

2002年04月03日(水) 入社3日目

引越し、入社、研修。と、ふぅ大変。どうなることやら。

全体研修は4月1、2日の2日間で終了したので、本日はFITで研修でした。
今は夜7時ですが、このあと9時30分から関西内定者で飲むのでした。

このHPを見てくださる皆様いつもお越しくださってありがとうございます。
本格的に更新するのはもうしばらくかかるかもしれませんが、
今後ともよろしくお願いします。

そして共にがんばっていきましょう。

「がんばっていきましょう」なんてありきたりな言葉かもしれませんが、
「当たり前の言葉が意外にいい言葉」だと思いました。

そんな感じです。実はいい感じです。近頃私達はいい感じ。



2002年03月27日(水) 引越し

今日は引越し。
朝から大忙し。
要らない物多し。
やはり使わない物は使わない。

ようやく荷物がまとめ終わり
お腹が減ったから昼ごはん食べる。

もぐもぐもぐきち。
かむかむかむぞう。
ごくごくごくつま。

それではいざ東京へ。

なので暫くの間は日記とBBSは更新されないかもしれません。
でも、所詮は「かも」です。
こっそり更新しているかもしれません。

そんなことを知らずに、
「更新なんてしてないだろうけど、せっかくだしついでに見ておこう」
なんて言いながらアクセスしてみると、意外や意外。
毎日きっちり更新しているではないか、
「くっそう!更新されないなんてはったりかよ!」
ってPCに向かって一人突っ込みしながら、なぜかにやけ顔。

僕のHPにそんな風にアクセスしてくれた人達を、僕は朝倉大介と共に応援してます。
次回の更新はいつになるのか解らないけどこの辺で。でわまた。



2002年03月26日(火) 卒業を実感する日

昨日の卒業式に出て、そして教授や先生方々のための謝恩会をして、
研究室で最後のお別れBBQをして、その後研究室の仲間とボーリング大会をして、
それらを力を余すこと無くきっちりとこなして、ようやく卒業のようであるが、
「なかなか実感が沸かないなぁ」とぼんやり思っていた。
「実感が沸かないから涙も出ないや」と自分自身に言っていた。

しかし、4年の岩下が「今日でお別れです」と言って去り、
福井も「とりあえず今日が最後だ」と言って去り、
そんな中で研究室の自分の机にあるものを綺麗さっぱり整理していたら、
だんだんと「やっぱりもう卒業なんだなぁ」って気がしてきて、卒業を実感、実感、実感。

満開の桜。
青い空と白い雲。
暖かい太陽。
さわやかな風。
研究室から生協までのアスファルトの道。
大きな池。
食堂のおばちゃん達。
太いフレームの青いメガネ。
点3の麻雀。
ありふれたくだらないトーク。

そんなありふれた風景や物事がとてもかけがえのない物に思えてくる。

この時の感覚はこの先一生会えないのだろうか。



2002年03月25日(月) 卒業式

かなりお久しぶり。今日は卒業式でした。人生最後の卒業式でしょう。
小中高大院で計18年間という長い学生時代のゴールにようやくたどり着きました。
なんとも。
いやはや。
なんとも。

言葉にできる感想なんてもう薄っぺら過ぎて書けません。
もう全ては終ってしまったのです。誰がなんと言おうと。

18年かぁ。長いなぁ。
これだけ十分に好きな事をしてきたのだからあとはその恩を返さねばならぬ。

この世界や豊かな日本や環境や所属や組織や両親に、多くて高価な恩を得てきたのだから、
僕はそれらを最低限返していかねば。
日本をここまでの大国にした先人方に関しても僕は沢山の恩を受けているのだろうし。

僕が受けたそれらの恩は、本当に計り知れないほど多くて高価な恩だろう。
この恩を、この世界に、日本に、環境に、所属に、両親に返すために、
僕は一生懸命に頑張らねばならないだろう。だから、頑張るのだ。
当然、頑張るべきだし、頑張るつもり。



2002年03月20日(水) ひさしぶりに日記

勤務地と配属決定が15日にあり、それから全然インターネットをする機会に恵まれず、
日記も書けず、BBSにも答えられず、ほぼ1週間が経ってしまいました。

15日に来た会社からの通知書には「勤務地:首都圏 配属先:FIT」とありました。
だから17日の夜行バスで東京に乗り込み、18,19と物件を回って新居を決めました。

FITというのはISIZE関連の仕事らしいのですが、はっきり言って何をやるのか解りません。
仕事は編集を望んでいたのですが、暫くの間はお預けになりそうです。

しかしながら、東京は人が多い。梅田なんて全然相手にならない。
池袋、新宿、渋谷、1つ1つが梅田よりはるかに多い。

またそれに加えて、大阪よりそれぞれの個人が強く自分を主張している感じがした。
ただ東京が新しい場所で自分が慣れてないから、そう感じただけかもしれないが、
なんだか結構ゲンナリした。

「これだけの人が全く違うベクトルを強く示しては、まとまるのは難しいな」
って思った。



2002年03月14日(木) 昨日の日記を受けて

昨日の日記に僕は「自分のためだけに生きたらいい」と書きましたが、
当然ですが、これは狂言・冗談・風刺な感じで書いたものです。

実際の僕は、自分のためだけに生きることにあまり価値を見出す事ができなくなったので、
他のために生きたいと思っています。

僕は「この世を少しでも良くしたい」という人が力を合わせれば、
この世は良くなる方向に進むと信じています。
(信じていますが昨日のような事を書きました)

未来は希望の無い世界だといいましたが、
実は問題があるからこそ、そこに立ち向かうべき価値があるのかもしれません。
もしもまったく問題が無いなら、どこの誰も自分のためだけに生きるでしょうから。

逆に考えると、世界を終らせるようなとても重大な問題があるにも関わらず、
自分の事だけに注力していることが問題なのかもしれません。

課題山積み。問題はひっきり無し。
いいじゃない。
やってやろうよ。



2002年03月13日(水) だからみんな自分のために生きているんだね

この世界に希望に満ちた未来なんてあるのかな。

この記事を読んでそう思った。

彼らアメリカにとっては日本で原爆を落とすという非人道的行為の悲惨さから、
何も学習していなかったようだ。
彼らにとって原爆はやはりただの実験だったようだ。
あれだけの成果があったから、ニクソンは、ベトナム戦争でも核を使おうと言った。
あれだけの成果があったから、キッシンジャーはそれはやりすぎだと言った。
そこには人の命というものに対するモラルは少しも現れていない。
そんなアメリカだから、アフガニスタンにおいて一般市民を巻き添えにできる空爆を、
何も躊躇せずできるのだ。
痛みや負けを知らない国はいつまでたっても、痛みを分かち合う事は出来ない気がする。

やはり僕はアメリカがやっている行為は賛成できない。反対だ。
でも反対だからって、僕に何ができるだろう。何もできやしないよ。何もね。
だからみんな自分のために生きているんだね。
そんなことは解っているから自分のために生きるんだね。
変なことが起こっていても自分じゃどうしようもないから、放っておいたらいいんだね。
自分が生きてる間だけ問題が起きなければ大丈夫。
あと20年間ぐらいはもつだろう。大丈夫。
なんとかなるさ。自分のためだけに生きてたらいいのさ。
未来が無いから自分のために生きるんだね。
残り少ないなら他人のためではなく、自分のために生きるのが先決だね。
だからみんな自分のために生きているんだね。納得納得。
僕も頑張って自分のために生きよう。全て自分のためためためため・・・・



2002年03月12日(火) グアムから帰ってきて

グアムはとうぜん半袖。でも、日本はまだコート。
ということは関空に着くとみんなコートなどを羽織るのが普通である。

多くの人はグアムからの出発する時には、長袖を着てジャンパーをたずさえた。
また多くの人は、関空に着くなり、長袖に袖を通して、コートを着た。

でも、関空内はまだまだ全然暖かかったので、僕はずっと半袖だった。
飛行機を降りても、入国審査の時も、税関を通る時も半袖だった。
全然平気なのである。たぶんグアムでの熱がまだ残っているのだ。

僕はそのまま半袖の格好でJRに乗って、茨木の自分のマンションまで帰った。
関空を出てからJRまでは少し寒かったが、あとはほとんど問題は無かった。
太陽が暖かかったから、日の当たる窓際に座っていたら、全然平気だった。

これはただチャレンジをしてみただけだ。どこまで行けるかという。
自分を全く誇示したくないというのは嘘だが、それが目的ではない。
ただ試したかったのだ。半袖で最後までいけるかどうかということを。

でも逆にこんな3月の初旬に半袖でいる奴を自分が見たら、
「あいつアホや」って思うだろうな。

だから僕は、コートやマフラーを着用している人から、そう思われたに違いない。
確かに誰しも僕を見て「なんでこいつは半袖なんだ」っていう顔をしてたし。
でもいいんだ。これはただのチャレンジで、それだけで帰りが楽しくなるから。



2002年03月11日(月) グアム2日目

2日目はまずアメリカ空軍施設の脇をかすめて、グアム最北端の浜に行きました。
遊泳禁止で波の高い浜であったので誰も居ませんでした。
誰も来ない浜であったからでしょうか、まばゆいほど白い砂浜で、
太陽でキラキラ輝いていました。流れついたサンゴも沢山落ちていました。

そのあとに、南太平洋戦没者慰霊公園に行って戦没者にお祈りを捧げました。
又木山戦闘司令部壕跡に行って防空壕を見ました。

それからマイクロネシアモールというグアム最大のショッピングセンター行って、
オレンジ2個とドンキンドーナッツで買いました。
オレンジは安いしかなりジューシーで美味し過ぎました。2個で100円です。
ドンキンドーナッツはミスドのホームカットと同じ味でした。

次に、恋人岬に行って大害絶壁の頂上からの眺めを楽しみました。
それから海に行って小一時間ばかり泳いだ後、お土産を買いました。
そして最後の夕食として、贅沢にも「やし蟹」を食べました。
今度は吐かないようにビールをグラス1杯に控えました。

僕はジュースと水でしたが、ホテルに帰ってしんみり5人で飲みました。
それぞれがこの旅で感じた色んな事や、これからの事について話しました。
「またみんなでこれたらいいな」と僕が言いました。



2002年03月10日(日) グアム初日

卒業旅行として高石、福井、杉口、佐藤、僕の5名でグアムに行って来ました。

2日間すべてレンタカーで動きました。とても楽でしたし、意外に安くあがりました。
僕達はホテルやビーチで栄えている所を離れて、自然が多いローカルな所を回りました。
日本軍に勝ってアメリカ軍が上陸した浜がある平和記念公園をさらっと見ました。
南下して高度を上げて、山の展望台から広大な海と空とココス島を見渡しました。
サザンコンフォート牧場の人が飼っている色々な動物(カメレオンやプーマなど)
を見学してから、タロフォフォの滝と横井カブに行きました。
終戦を知らずに終戦後28年間も隠れていた横井少佐の歴史に触れました。

その後夕方になったのでサザンコンフォート牧場へ行きサンセットライドをしました。
これは日沈くらいの時に馬で山に登り周遊してから、山の頂きで日没を眺めるというもの。
グアムの高い山から夕日で染まった雲と空ときらきら輝く海の眺めは久々の感動でした。
しかし、このサンセットライドはとても怖い。
練習はほとんど無いのに、初っ端から自分が馬を走らせねばならないからである。
馬の動きが激しいから、体が激しく上下動して何度も落ちそうになった。死ぬかと思った。
サンセットライドから帰ってくると、その牧場の人がBBQに誘ってくれて、
ビールを飲んで、鳥を食べて、豚を食べました。野菜は一つも無かったです。

牧場からの帰りにローカルな祭りに参加して、夜店でやってたサイコロの賭けをやったり、
地元のバンドグループが歌うようなステージの前で踊ったりしました。
一緒に踊っていたのは地元のおばさんとおじさんで、若い人は他には居ませんでした。
充実の初日でしたが、ホテルに帰る途中で頭が痛くなり、気分が悪くなって吐きました。

苦しんで吐いている僕を見て「最近このオチばっかりや」と佐藤君が笑って言いました。


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