2002年05月18日(土) |
無駄なものなんて何も無い |
桜井はニューアルバムの中のある歌の中で、 「この世に無駄なものなんて何も無い」 って歌っていたけど、本当にそう思う今日この頃。
みんなは何をして週末を過ごしているのかなぁ。
2002年05月15日(水) |
昨晩の思考 23:30 |
弱い人間ほど他人を認められない。
2002年05月14日(火) |
憎しみからは何も産まれない |
とっても単純なことだが憎しみからは何も産まれない。
過去にあった事をわざわざ持ち出して、現在に産まれて育つ何も感じていない子供達に、 憎しみを呼び起こすようにされる行為(ある特定のものを憎むようにされる教育)は、 本当に意味がない。
ただそこにあるのは未来にもたらされる災いだけだ。
その歴史が善であろうが悪であろうが、現在生きている僕らはどの歴史も否定できない。 歴史を否定する事は、自分の存在を否定する事。
歴史はただそこにあり僕達とこの世界をつないでいる証のようなものだ。
山の手線の朝のラッシュは大変だね。 ほんとに身動き取れない。
こんなに身動きが取れないのは、 ピッコロに右手一本以外を致命傷を受けたゴクウのようだった。
おっさんの汗っぽい頭が目の前にあって大変だね。 ゴクウのように、 「右手一本残っているぞー」 って叫びながら、カメハメ派が撃ちたくなった8時半。
京都府北部にある実家から大阪までバスで戻ってきて、 それから新幹線で東京に戻る前に、小学校からの友人である幹人君と会って話をした。 そこは朝の8時の新大阪のロッテリアだった。
彼はこのGWには実家には帰らなかったので、僕が実家の話を彼に聞かせた。 また高校の同じクラスメートの現状などを話し合った。
僕が居た高校でのクラスは進学クラスで、いちおう学力の高い人達が集まっていた。 しかし、その進学クラスにいた多くの人は、高校卒業以降の活躍はあまり聞かず、 まっとうに社会に順応している人が少なかった。
僕はその原因を幹人君と話し合っていた。 また彼らの多くはその社会に順応できない反面、 趣味など勉強以外の処において自分を見出そうとするものが多かった。
そういう現状に幹人君は、 「誰もかれも、これみよがしに趣味に走っているな」 と言った。 「これみよがし」 こんな言葉をさらりと使った彼に、僕は「やはり」と思えた。
*** これみよがし:(形動)〔「がし」は接尾語〕これを見よといわんばかりに、 得意そうに見せつけるさま。「―に飾り立てる」「―の態度」
2002年04月28日(日) |
深夜の高速バス〜帰省途中で大阪に寄る〜 |
深夜高速バスで大阪まで帰ることにする。 普通の観光バスタイプだったので、通常より安く7430円だった。 観光バスタイプは、完全リクライニングの深夜バスタイプと違って、 中央に通路があり、左右に2シートづつある一番スタンダードなタイプだった。
はっきり言ってこれで寝るのはキツイ。 寝つきがとても良い僕でも「これは眠れないぞ」と思えたほどだった。
そして「この状況をどうやって打開すべきだろうか?」と考えていると、 なんと横の席の若い男が、出発そうそう10分で寝息を立てていた。
それに彼は僕よりシートを倒していなかった。また彼はメガネをかけたままであった。 そのようなとても不利な状況でありながら10分で寝付いた彼に、僕はただ驚嘆した。
「世間は広いな」と僕は思った。
それから僕はなぜか、大学時代にお世話になった人の事を考えだし、 その人間関係を思い出し考え切ろうとしていたら、結局一睡もできなかった。
当然全く疲れは抜けなかったけど「一晩中色々と考えるのも決して悪いことでは無い」 そう自分に言い聞かせて茨木に着いてから公園のベンチで寝た。 太陽の光が暖かく、その恩恵に感謝した。
2002年04月26日(金) |
社会人になって1ヶ月を終えて。 |
12台のノートPCセットアップと過去の資料や備品を整理整頓をして、 4月の業務は幕を閉じた。
疲れた。でも出来るだけ楽しもうとした。 でも適当にやるのではなくきっちりやった。やり遂げた。
この1ヶ月は初めての社会人だったが僕としては、 充分に予想できる内容だったし、スタートでだった。
だから驚きというものはまだ無い。 何故か僕の居る部署は5月から本格的な研修が始まるから、 本当の仕事はまだまだ先で、驚きというものには暫く会えそうもない。
僕の中では、社会人になっても学生時代とほとんど変わっていない。 ただお金を得ているという点だけが違うだけだ。
期待をし過ぎたか? 未知なる仕事に。 自分が望んだ会社に。 大きな東京に。
ノートパソコン12台を全て初期化して、 ウインドウズ98をインストール。 これが世間一般でいう雑用というものだろう。
ある未来に僕が誰かと結婚し、 そして子供が生まれたとしても、 マスターカードで1800円かけてフェイスペインティングするような子供には、 育てたくない。
イスラエルのやり方が間違っていることは、通常の人間なら解る。
テロは、あまりに非道で下劣な行為だが、 そのような行為をされる自分達にも非があるんだという、 自らをわきまえる気持ちが必要だろう。
誰がどのような気持ちでやっているのかもはっきり解らないテロなのに、 それをパレスチナ人の全体の悪のように捉えて、武力で抑えるのは明らかに間違っている。
難民や一般市民の方々はとんだ災難だ。 というより「災難」なんていうだけでは片付けられない。 自分の家を正当な理由無く壊すやからなど、悪以外の何者でもない。
僕はGWに実家に帰るつもりなのだが、もし自分の実家が潰れていたら、 実家を潰した奴をとことん恨むだろう。 そして、気持ちが晴れるまではしっかり生きていけない気がする。 親や兄弟の命がとられたとなると物事はもっと深刻で重大だ。
でもそんなことが正に起こっていることが問題なのだ。
イラクのフセインは、イスラエルの軍事行動に対し、 「イスラエルへ原油の輸出をやめる」と言って、経済的措置で反対を明らかにした。
アメリカも本当にイスラエルの軍事行為をやめさせたいなら、 イスラエルに物資を輸出しなかったらいいのだ。そのように全世界に呼びかけたらいいのだ。
結局、 「私達はイスラエルに『これ以上の侵攻を止めろ』と言ったんですが、止めないんです」 というアメリカの行為からは、 「アメリカの平和的なイメージや、リーダーシップを世界にアピールしたい」 というようなものしか伝わってこない。
口ではイスラエルに止めろと言っておきながら、 実際には経済物資や資金は送っているように思える。
お金とアメリカの名誉が保てれば、パレスチナ人の命や家などどうでもいいのだ。
こんなこと僕の勝手な憶測であるけれども。
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