家に帰ったらまず、家の電話の留守電のランプを見るのだが、 一昨日も昨日も留守電のランプが点灯してた。
点滅してないと用件は入っていないらしい。
でも、用件ボタンを押してみる。ピッ。
「用件、ゼロ件です。」
確かにそうだろ。 でも今日は点滅してるかなぁ。そんな事を期待して家に帰る。
けれども今夜は渋谷に寄り道して、フットサルに行こう。 疲れたけど、頭回らないけど、ボールを蹴ろう。
体を適度に疲れさせよう。
頭や精神ばかりを浪費しては、良くない気がする。 うん。たぶん良くない。
迷える子羊に愛の手を。 僕の家の留守電に伝言を。
君の携帯番号や、君の近況報告や、F1通過の効果音やらを。 フォォーーーンン
123+123+123+999=12000(8000)
昔の日本語は横書きの時、右から左へ書いた。
即ち、 「ーュチシムーリク」 というように。
ならば左右という単語は、 「右左」 と 書いたのだろうか。
これではどちらが右でどちらが左なのかこんがらがる。 大変だぁ。
6+6+3+3+4+2=24
ガンバレ ニッポン!
スズキ サイコウ!
イナモト グレイト!
ヤッパリ ナカタ!
オノ オノ オノ!
声が枯れた。
汗をかいた。
涙でそう。
土曜にブルーのユニホームを買って、日曜に応援しよう。
僕は「無知の知」という状態で生活していたつもりだ。
でも、「無能の知」という状態では生活していなかった。
無能であることを自覚して、貪欲に努力を積まねばならないなぁ。
がんばろうっと。
携帯壊れた。
完全にデータが飛んだ。
電源は全くつかない。
携帯を持つことに疑問をもっていたから、せっかくだしこの機会にもう携帯は止めた。
と言う訳で、僕の携帯に電話をかけても、もう通じません。
今でも不通ですが、明日正式に解約するつもりです。
でも、友達の携帯電話の番号データが無くなったのは、不便です。
だから、これを見られた方は、是非あなたの携帯番号を記してメールをください。
お願いします。そんな報告でした。
2002年05月23日(木) |
僕は最近こんな事を思った。 |
ある事柄に対して世論やメディアの意見がどうであれ、 自分が感じたことが、この世界の事実である。
他人が感じていることがどうであれ、昔から伝わった歴史の本がどうであれ、 自分の感じていることが、この世界では事実なのである。
「事実」とは「自覚」である。
最近僕はとてもそう感じる。
これは教えられたり、学んだ訳でもなく、そう感じるようになった。
もしも、前から信じていたある自覚が、ある刺激によって改まったなら、 事実も改まったということである。
最初から事実があったのではない。
僕は最近こんな事を思った。
ここで断っておきたいのは、事実は真実では無いということ。 この世の様々な事柄に対し真実を突き止める事は、極めて難しいということ。 しかしながら、真実を求めることはとても大切だということ。
こんなことも付け加えてみた。
「あなたの考えは行き過ぎている。もっと色んな可能性を考えたほうがいい。 その事に関する事は、君の言う事だけじゃないから決め付けないほうがいい」
「でも僕は、他の可能性を考えていない訳でも、別に1つに決め付けている訳でも無いです。 他の可能性もある程度考えているし、他のこともあると思っていますが、総合的に判断して、 『これだ』と思った事を言っているだけです。
第一、色んな可能性ばかりを求めていたのでは、主張は出来ないし、 自分の意見を持つ事も出来ない。
そして少し見方を変えると、それは自分の考えを決め付けない事で、 『ただ逃げているだけ』とも思えるんです。僕からすればですが。
問題やテーマには様々な考えがあって当然です。そして、色んな主張があって当然です。 僕の友人が『答えが無いから問題があるんだ』というような事を言っていました。 まったくその通りだと思います。 答えが無いから、皆が考え、色んな主張があるのです。
あなたの言う、 『その事柄には色んな可能性があるよ。それだけじゃない』 なんて、そんな当たり前のことを大人面、先輩面で言わないで欲しいのです。
批判したいのなら、『俺はこれについては、こう思う』と言って欲しいのです。
僕の言っている事が解りますか」
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