僕は、4月からの全く変わりのない目の前の光景から目を伏せ目を閉じ、 学生時代の何も強制力を加えられなかった捕われの身では無い生活の事を考えた。
時計の長針が12を指して、周囲の人間がガザガザと、 パソコンもそれにあわせてカタカタと、コピーやFAXもガーガーと動き始めても、 僕はずっとあの頃のリングの中にいた。
僕はそのリングで勝利を確信し、静かに勝利のゴングを待っていた。 祝福の歓声を待ち焦がれていた。
下を向いて目を閉じている僕に心配したのだろうか、どうかしたのか、 と通路を挟んで右手側にこちら向きに座っている上司が言った。 すぐに顔を上げて、別に何でもないです、と僕は言った。
「そうか、それならいいが。ところで、昨日話した件をドキュメントにまとめておいてね」 「は、はい。やっておきます」と僕は言った。
今の生活では、あなたの言葉がゴングになってしまっていた。 そんな何も響かない、少しもときめかないゴングなんてとことんウンザリなのに。
「ゴングは選べない」
それが24歳の春に僕が学んだ事の1つだ。
僕は24歳で、昨日と1cmも変わらない席に座っていた。 僕が所属する巨大な会社は、僕の意思とは無関係に、 ただ前期よりも今期の数字を上げることに注力していた。
時は2002年8月のある日。何日だろうが何曜日だろうが、記憶に無い。 そりゃ毎日毎日同じ事を繰り返せば、誰だって何がなんだか解らなくなる。 ガムをずっと味の無くなるまで噛んでいたら、それが何が解らなくなるようなものだ。 なんでそうしていたのかすらも解らなくなるのだ。
「ふぅ」と僕はため息をついて、ノートパソコンを開き、メーラーを起動した。 メーラーは、狭いLANケーブルの中をくぐり、メールサーバー上に蓄積された 僕の新しいメールをどんどん運んで来た。 メーラーは何度も僕のパソコンとメールサーバーを往復していた。ご苦労なことだ。
僕のパソコンの画面はすぐに未読メールで真っ赤になった。 僕が本当に求めているものなどそこには1つとして無いのだが、 会社員にとっては知らなくてはならない最新情報は一杯あるのだ。
しかしながら、最新情報にはキリが無い。
2002年08月23日(金) |
合理的にできてるんだ |
僕は普通の会社員で、朝7時に目を覚まし、シャワーを浴び、ご飯を食べ、 ニュースを見て、家を出た。 毎日と同じ道を、同じ歩幅で、無理をしながら、早足で駅に向かった。 駅の周辺は不法駐輪の自転車で溢れていた。 これはいつもの変わらない景色だが、一つ一つの自転車に紙が張ってあるのがいつもとは違っていた。 紙にはこう書かれていた。
「台東区の条例改正 撤去自転車の返還料金 2500円 → 5000円 」
5000円。これなら誰でもびびるだろう。 案の定、いつも同じ場所に自転車を止めている高校生が、一度止まった後引き返して行った。
結構この世は合理的にできてるんだ。そんなことを考えたある朝だった。
プライオリティを考えてデフラグの毎日。 やらなきゃならないことはとめどない。
2002年08月18日(日) |
「ランチパックたまごサラダ」と「小岩井コーヒー」 |
今日の夕方「ランチパックたまごサラダ」と「小岩井コーヒー」を買って食べた。
ランチパックたまごサラダの柔らかな触感は、 まだハイハイもできないから決められた柵のベビーベッドの中で、 腕や足を忙しく動かしている赤ちゃんの腕のような触感のようであり、 とても柔らかく、甘くなく、やはり美味しかった。
柔らかさ以外に僕がランチパックたまごサラダに引かれるのは、 たまごサラダを挟んでいる上のパンと下のパンとのつなぎ目である。
そのつなぎ目は、固くないのも素晴らしいが、隙間がすこしも無く、 きっちりと封がしてあるのだが、あの封加減がなんとも良い。
小岩井に関しては何も言う事は無い。 コーヒー牛乳を買うにあたって、雪印が僕の選択肢から消えた今、 グリコのカフェオーレと、小岩井コーヒーではやはり小岩井となろう。
しかし、小岩井というのは地名であるのだろうけど、何処にあるのかが全く解らない。
ハヤシライスの美味しい店を教えて欲しいなぁ。
世間は盆だ。 だから東京には人は少ない。
人の少ない電車はいいな。 人通りも少なくていいな。 お店も込んでなくていいな。
世間は盆だ。 人が少なくていいな。
人少ないなぁ。
はぁ、世間は盆かぁ。
交友関係が広い人は、それだけ魅力のある人だ。 そういう魅力のある人に会って話すと、自分もこの人と良い交友関係でいたいと思う。
「相手は僕のことをどう思っているのだろうか」 魅力の無い人間はそのように不安に思う。 自分の魅力に自信が無いからだ。
人間の魅力は、その人がやってきた結果に依存するのではなく、 生まれ育った環境で培った人間性に最も依存するような気がする。
そうでなければ既に先天的に運命のように決まっているのだろう。
これは考えても仕方ないことさ。次に行こう。次に。
2002年08月09日(金) |
共通認識なんて妄想かもしれない |
僕はとても自分を主張したがる。 他人にもっと詳しく自分のことを認めて欲しいのだろう。 それだけ自分の存在が不安っていうことだろう。
でも、不安だからといって自分だけ一方的に主張し、 他人を認めるという努めを怠れば、他人も自分を認めてくれないものかもしれない。
だれだって不安なのだ。たぶん。
ある1人の他人が自分の存在を認めるというのは、単なる一個人の見解だろうけど、 それだけで救われる気がする。
そりゃあ認めて欲しい人に、認められるのが最高でこのうえないことは間違いない。
でも、自分が認めて欲しいと思っていた人が、 自分のまったくの勘違い、間違い、と気づいたりすると、 それは無意味、不毛となるのであろうか。
そんなことを考えると、何が正解か解らなくなる。 この現実世界はとってもかっちりした有か無か、ゼロかイチか、の世界かと思っていたら、 掴むところも、寄りかかるところも何も無い、全て電気を消した闇の世界だったということだろうか。
手探りで進んで何かに触れたにしろ、それが何かが解らないそんな世界のような気がする。 「これはAだ」と信じて進むしか道は無い。
認識が、初めて存在を産み、世界を創る。 世界は目の前のあるのでは無く、僕達の心の中に存在している。
そして僕の世界では地球上に63億人が存在するから、63億人の種類の世界がある。 ただ僕の世界に限って言えばの話だが。
村上春樹の長編が9月に刊行するらしい。楽しみだ。
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