2003年02月05日(水) |
インディージョーンズ「若さの泉」 |
ディズニーシーのインディージョーンズで「若さの泉」を見つけられた方々へ
BBSでもメールでも結構ですのでご連絡下さい。 画像があれば送って下さーいー。
「4回も乗ったのに見つけられなかったぁ〜」 と嘆いて止まない方が僕の所に殺到していますので。
でも、「若さの泉」は「自分のメガネ」と一緒で 探しても見つからないのかもしれまん。
2003年02月02日(日) |
テレビの上のぬいぐるみ |
部屋を掃除したら気持ちがいいな。 少しだけ注意してこれを持続させよう。 いつも週末の頃にはぐちゃぐちゃになってしまってるんだから。
テレビの上のぬいぐるみをブリッジさせて部屋を出る。 彼にとってこれは辛く、かなりの苦行になるだう。 ちょっとかわいそうなことをしたかな。
と思ってたけど、おもちゃのチャチャチャを思い出した。 たぶん彼は僕がいなくなると自由に遊びだすだろう。 だから実は僕は彼の足の裏に赤いペンキを塗ったんだ。
今ごろ彼はカーペットについた赤いペンキをどうやって落とそうかと 必死に考えている違いない。
2003年02月01日(土) |
ドクターは言いました |
まだ立ち直るには日数が要るようです。 交通事故にあった次の日からすぐに外に出てあるけるような 強靭な体力と精神力は僕は持っていないのです。 だからといってベッドで駄々をこねてても仕方ありません。 こんな僕にドクターは言いました。 「確かに今は安静にすべきだ。 でも完全に回復するまでに要する時間を 1ヶ月間から1週間ひいては3日間に短縮できるのは君次第だ。 逆に考え方によっては1ヶ月間が半年になることもあるのだよ。 OK?解ったかい?」
2003年01月30日(木) |
2003年に入りもう1ヶ月経ったが・・・ |
「でもなんだか何も見えないんですよね。 この先どうしたいのかもどうしたらよいのかも。 だからといって現状に不満というわけでもないんです」 ただ苛立っているのかもしれないですね。 このまま流されていても別にいいじゃんって許してる自分に対して」
「解決策はあるのかな?」
「これといった具体的解決策はまだ考えられる状態じゃないから、 とりあえず晴れた日に散歩したいって思ってます。 まず状態を良い方に戻さないと良い解決策も考えられないと思うんですよね」
「それは正解かもしれない。でも良くなった時にはもう考えないのかもしれない。 悪い時でないと結局考えないのかもしれないのだよ。 だから悪くなる良くなるの繰り返しをしてるだけで結局何も変わらないのが、 一般的だしそれが平凡でもあると思う。 どうなりたいか。理想はどこにあるか。どれだけストイックになれるか。 そういうことだよ。忘れたのかい」
「はい。確かにその通りです。理論は正しいです。 ただ僕は問題を先延ばしにしてるだけなんです。 そして先延ばしにして結局到達できないんだろうなっても思うんです。 これが「人間なんだろな。人間的だな」って最後まで納得させると思います」
「ところで2003年に入りもう1ヶ月経ったが何か変わったかい? または何か良い方に向かおうと努力したかい?進んだかい? 仕事が少しはできるようになったということと、 こういう人間の生きる本質・根本的なことに対して向き合う事は、 やはりまったく別の問題なのだよ。違うのだよ。 前者では3歩進んでも、後者では1歩も進んでいないなら、 それは結局1歩も前進してないということになるのじゃないのかな。 だからといって前者では1歩も進めなかったが、後者だけ3歩進んだ というのもどうかと思う。 結局、前者は他とのつながりで、後者は自分自身に対することだ。 これは、やはり偏り無くバランスを保って進ませるべきだ。 足並みそろえて1歩づつね。頑張りたまえ。」
2003年01月24日(金) |
自宅から駅まで歩く往復の経路 |
「調子が悪い時は、自宅から駅まで歩く往復の経路を考えてみる事だ。 そういう時は決まって同じ道を歩いている。 知らず知らずのうちに同じ道しか歩けなくなっているんだよ。 なんどきその状況に陥っていること気がつけるか。 それがリカバリーの速さでもあるし、モチベーション維持にもなりうる」
2003年01月23日(木) |
最も重要なファクター |
解らないな。それは解らない。 たぶん誰だって一人の夜は淋しいってことじゃないかな。 女々しいじゃなくただ淋しい。 僕ではなく誰が必要なのかを考えてみることだ。 潔いとは見切ること。 見切ることは前向きに捉えること。 何かを得れば何かを失う。 クールな人だから無理をしたんだ。 誰だって一人が楽さ。 自分を費やすほどの他人なんてこの世の何処にも存在しないよ。 自分を切れる存在は血の繋がった家族のみ。 こんな無駄な時間ってないよな。 予測や予定もつかない人間関係にくだらなく思い悩んでさ。 いったりきたり。 やっぱりやめた。 これとこれか、うーんどうしよう? 金も時間も浪費して。 人が物事を共有するのはやはり無意味なことばかり。
結局新鮮さは人間的生活において最も重要なファクターだぜ。
「最近全然書いてないね。いつきても更新されてないからつまんないじゃないの」 「はい。そうですよね。頑張って書きます」 「うん、頑張ってよ」 「近々ちょっと忙しいんですよね。言い訳じゃないですけど」 「誰だって忙しいわよ。いい訳だよ」 「そういえばそうですね」 「まっいいや。なるようになるし。じゃーね」
2003年01月08日(水) |
どれだけやってもやるべき事ばかりだ |
とっても時間が無いな。なぜだろう?
どれだけやってもやるべき事ばかりだ。
やはり人間の基本的能力自体は変わっていないが、 何事もコンピューター化の時代になり、 インターネットやメール等の出現によって集団による情報の共有化が 以前よりも容易になったことが原因だろう。
「集団による情報の共有化」の向上によって、 会社が発見できる課題が多くなるのだ。
同じ人数でも見える課題が増えれば一人のやるべきことは多くなるのだ。
そんな感じ。
どんな生活をしようが経験値はたまるもの。 どんなに強くなろうがスライムを倒したら1の経験値が得られるのだ。
*** 「○○は、××だったけど、経験が得られたから良かった〜(ポワ〜ン)」
と言っている人々が2002年12月現在、町中に溢れてる事実を、 数日前に僕は、朝の目覚ましテレビで、大塚さんがくだらないギャグを言って、 なっちゃんが苦笑いして、かるべさんが無視する、 という雰囲気がたまらなく好きだというスタバの店員から、 カフェラテと一緒にこの事実に関するメモを渡された。
僕はそのメモをレシートと一緒に、外のゴミ箱に捨てた。 横のゴミ箱を浮浪者があさっていた。 ゴミ箱の中は缶とビンが混ざっていた。
時は夕暮れ。 帰宅のため駅に向かう会社員の流れに逆流しながら僕は会社に戻った。 ****
どんなことをしても経験は得られるのだから「経験が得られたから良かった〜」ではない。 経験とは、 「その時の自分と周りの環境が、どういう状態で存在しているのかを、詳しく知る」 ということである。
即ち、経験とは 「あるAという物事を終えるのに自分はおよそ1時間ほどかかる」 ということを知ることであり、 「あるAという物事をするには、○○の準備が要る、××というリスクがある」 ということを知ることでもあり、 「あるAという物事って、結局過去に既にやったBという物事と、 この部分をのぞいてほとんど同じじゃない」 ということが解ることであるのだ。
だから、なにも触れていなくてイメージも出来ない全く解らないAという物事があって、 それに取り掛かることになると、Aをやっていくうちに、 上の3つのようなことは、必然的に感じるはずで、 「経験が得られたから良かった〜」 という感想がでるのだ。
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工事中
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ロールプレイングのキャラクターは何のために経験値をつんでいるのだろうか?
100の経験値を120にするためなのだろうか? 100の経験値を10000にするためなのだろうか?
彼らは、経験値をつむことで、レベルを上げて、 能力をUPさせるために経験値をつんでいるのだ。
経験とは、 「その時の自分と周りの環境が、どういう状態で存在しているのかを、詳しく知る」 であるが、 その時の自分というものを固定的に捉えるのではなく、 常にレベルアップして能力が上がっていくとても可変的なものとして自分を捉え、 そして常に捉えなおし、更新していくことは大切なことだと思う。
それはレベルアップへの一番の障害である「経験になっているからいいや」 というような甘えを抑制するのだ。
*** ミスチルの桜井がワンダフルワールドで言ってた。 この世界は今日も美しい そうだ、美しい ***
2002年12月27日(金) |
2002年最後の・・・ |
2002年最後の仕事日となりました。 明日と新年に繋げよう。おー!
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