ひとりびっち・R...びーち

 

 

みんなびっち - 2001年07月04日(水)

 ユーゴスラヴィア代表の名前。

 監督も選手もほとんど「○△×□ビッチ」。

 


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進路は南 - 2001年07月03日(火)

 7月だ。

 どうやら夏っていう高圧的、いや、高気圧的(?)なヤツが来るらしい。
 
 入道雲もくもく、お日様じりじり、陽炎ゆらゆら、蝉みんみん、である。

 季節の話題や暑さ寒さについて、表向きそれなりの応答はしているものの、相変わらずいまいちピンと来ていない。
 「そのうち何とかなるだろう」と思っているあいだに、四季が一巡したらしい。

 今のところ何ともなっちゃいないが、とりあえず腹は減るし、“眠い”という感覚を思い出しつつある。

 落とし前をつけるという意味では、「生死出づべき道」の課題レポートも提出できた。
 やっとこさスタート地点に戻ってきたという感じかもしれない。
 もう一度走り出せるかどうかはわからないとしても。
 
 明日はどっちだ?

 ・・・・・・・

 なんて、ちょっとジョー風にリキんでみたら、期末テストを明日に控えた娘の机にも「決意表明」が貼ってあった。

 ・・・・・・・

 おいおい、「どこに?」って、横にコンパスがあるじゃないか。

 はなげヨーソロー! 進路は南だ。

 学校の進路調査票に「南」って書いて、保護者印押しちゃうぞー。
 


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孤独 - 2001年06月25日(月)

「そういえば、パピコって一人じゃ食べないよね〜」

・・・TVではCMオンエア中・・・

「おかーさんは食べたことある。2本、一人で」


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課題漂流 - 2001年06月22日(金)

 23文字×28行、文字にしてたったの644文字。
 中央仏教学院通信教育部入門過程、卒業認定課題レポート提出用原稿用紙である。(長い)

 これが今、私の半分以上壊れている脳味噌を苦しめているひとひらの紙なのだ。

 実はまだ一文字も書けていない。

 親鸞聖人が歩まれた「生死出づべき道」(しょうじいづべきみち)について簡単に明記しなさいと言われてもなぁ・・・。

 たぶん、現代国語の長文読解のように、送られてきたテキストの「ココ」と思う部分を抜粋してまとめればいいのだろうけど(もちろんテキストはそうしてくださいといわんばかりの構成になっている)、何だかそういう「作業」はしたくない気持ちで、ずーっとぐずぐずしている。

 そして、書留郵便で返送しなければいけない期間が残りわずかになった昨日も、明惠(みょうえ)という高僧の見た夢のことを考えていたりする。
 このお坊さんは、親鸞聖人の師である法然上人の『選択集』(せんじゃくしゅう)を徹底的にこきおろした『催邪輪』(さいじゃりん)という書物を書いた人だから、関係あるといえばあるけれど、当面書かなければならない644文字からの距離は遥かに遠い。

 そして、航路を外れた私はとめどなく漂いはじめ、上田三四二(うえだみよじ)が西行・良寛・明惠・道元について書いた『この世この生』という新潮文庫をぱらぱらとめくり、ついには、岩波短歌辞典に載っていた上田三四二の短歌に漂着する。

 夏至の日の長き日暮にゆく道の額紫陽花は雨に鮮らし
(げしのひのながきひぐれにゆくみちのがくあぢさゐはあめにあたらし)

 だって、昨日は夏至だったんだもん。

 公民館でお世話になっている短歌会にしろ、京都タワーの西で大きな屋根を葺き替えている教団の通信教育にしろ、何となく学ぶ方角が微妙にズレているような気がする今日この頃である。

 ・・・・・・・

 「ねぇ、おかーさん、環境問題と経済についてなんだけどさー」
 「京都議定書かい?」
 「そう、それ。ニュースであっちがこうだとこっちがああで・・・って、ぐちゃぐちゃやってたんだけどね」
 「ふーん、それで?」

 「アレって、“仕事とあたしとどっちが大事なのっ!?” っていうのと似てるよね」

 むむう、おぬし、なかなかヤルな。
 返す刀で、かーさんのレポートも一刀両断にしてくれないかなぁ。

 これがホントの他力本願、な〜んちゃって・・・
 全国の門徒さんの顰蹙を買い占めてしまいそうなので、本日はこのへんで退場いたします。ごめんなさい。

 ・・・・・・・

 ※「他力本願」の本来の意味は、一般に使われている上記のような例とはまったく異なるものです。念のため。



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いつかスズメになる日 - 2001年05月23日(水)

 未明に目が覚めてぼんやりしていると、まだ薄暗いうちからスズメたちの鳴き声が聞こえてくる。
 隣家の屋根やTVのアンテナ、コテツ(実家の犬)の餌入れのあるガレージなどを、忙しく移動しているのがわかる。

 今、近隣にいるスズメの群れには、子スズメがいる。
 親たちより少し小さく細身な彼らは、飛び方もまだ心もとなくて、よく親に遅れてちゅんちゅん鳴いている。
 きっと、子スズメが迷子にならないように、ひっきりなしに鳴きかわしているのだろう。
 
 一昨日はスズメたちの群れに、姿も鳴き声も違う鳥が2羽混じっていた。
 10倍の双眼鏡を使って見てみると、大きさはスズメとほぼ同じだが、かなり細身でオリーブ色に黄色のまだら模様だった。
 昨年の暮れに衝動買いしそうになった“ローランド・カナリア”によく似ている。
 小さな銀の鈴を振った時のような、高音で澄んだ鳴き声もよく似ている。
 鳥を見る目はまったくないので断言はできないが、たぶん迷子になって野生化したカナリアだろう。
 空を自由に飛びながら歌うその鳥の声は、ペットショップの小さな竹籠の中から聞こえた声より、数倍のびやかに響いていたように思う。

 そんなこんなで、心身のレベルゲージが低めで推移していると、じーっと窓から見える鳥たちをウォッチングして一日を終える日が続く。

 ここはひとつ、デジカメで小鳥たちを撮影しようと試みたのだが、3倍ズーム&オートフォーカスのマイカメラでは、一番近い隣家のアンテナに止まっているスズメですら、小さな影にしか写らない。

 せめてもう少し手前の、隣家の雨どいまで近づいてくれないかと思い、食パンをちぎって撒いてみた(お隣りさんごめんなさい)。
 しかし、餌付け(?)を始めて今日で3日目だが、私が待っているうちは近寄らず、次に見るとパン屑がきれいさっぱりなくなっているという状態が続いている。
 魚に餌だけ持って行かれる時のむなしさに近いものがあるが、早朝、3Fの窓から隣家の屋根めがけて、パン屑を全力投球している強肩の中年女性の姿は、ボウズで家路を辿る黄昏の釣り人に、勝るとも劣らない悲哀に満ちているかもしれない。

 ・・・・・・・

 「おかーさん、何してんのー?」

 「餌付け」

 「だぁぁーーっ」

 彼女は今、中間テストの真っ最中。
 登校前の慌しい時間、スズメたちの動向にも、夢見がちの母親の動向にも、そうそうつきあってはいられない。
 
 その後、昼に帰ってきた娘と、窓越しに雨の中の子スズメを眺めながら、ハムとチーズときゅうりのサンドウィッチをほおばっていた。

 ・・・・・・・

 「あのさー、朝起きたらおかーさんがスズメになってたりしてさー」

 「パソコンの縁に止まってちゅんちゅん・・・ちょっと怖いねー」

 「スズメになると、やっぱりカナ入力かなぁ」

 「なんで?二本足タイプだったら、ローマ字のほうが楽かもよ」

 「スズメだとさー、キーボードはけっこう重いのに、ローマ字だとふたつずつ押さなきゃなんないよー」

  ・・・・・・・

 スズメになった母親の入力方法まで心配してくれるなんて、なんて親孝行な娘なんだろう。

  ・・・・・・・

 「ところでスズメになっちゃうと、保険はおりるのかなー」

 「どうだろう、スズメになっても生きてるワケだから、おりないんじゃないかなぁ」

 「じゃ、スズメで死んだ場合はどうなんだろう」

 「契約したのは人間のおかあさんだからね、スズメになったおかあさんだと難癖つけて保険金払わないんじゃない?」

 「そうかー、ダメかー」

  ・・・・・・・

 「なんか、今日一日、ずーっとスズメになったおかーさんのことを考えそうだな、困ったなー」

 そう言い残すと、娘は夜のテスト勉強に備えるという名目で、昼寝の床に直行した。
 うなされなければいいが・・・。



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カーテンコール - 2001年05月17日(木)

 高層ビルのシルエットが浮かび上がる夕暮れの新宿、朝のうち降っていた雨も上がって、ばら色の雲がガラスの壁面に反射して万華鏡のようだ。

 新宿の南口にタカシマヤと東急ハンズが開店して話題を集めたのは何年前だったか。
 開店当初、30分もあれば行けるところに暮らしていたのに、一度も足を運ぶことはなかった。
 松本行きの特急「あずさ」や、埼京線が行き交うホームと平行して南に伸びているデッキ風の歩道に、「タイムズスクウェア」という名がついていることも、今日初めて知った。

 まあ、1年京都にいても、観光地にはほとんど行っていないから、暮らしてしまえば案外そんなものなのだろう。
 当時は物見遊山で新しいデパートに出かけるほどヒマじゃなかったのだ。きっと。 

 さて、今日の行き先は、そのタカシマヤと東急ハンズの先にあるはずの「紀伊国屋サザンシアター」である。
 突然舞い込んできた2名様ご招待のチケット、通常なら母が出かけるところだが都合がつかず、娘と私で行くことになったのだ。
 体調に不安はあったが、娘と一緒なら何とかなるだろう。
 娘にとっては、お子ちゃまミュージカルの『オズの魔法使い』以来のお芝居、初めてのオトナの演劇だ。

 小劇場系の芝居と聞いて、私は理由もなく1階もしくは地下の小屋と決めつけていた。
 ビルの上階に劇場があるとは思わず、ふらふらと空の写真を撮っているうちに、うっかり紀伊国屋書店ビルを通り越してしまった。
 しかし、娘がめざとくエレベーターの前に掲示してあったポスターをチェックしていたので、無事開演前にたどりつくことができたのだった。

 入り口でいろいろな芝居のチラシが挟まったパンフレットを受け取る。
 そのずっしり重い紙の束に、劇場は新しく清潔だが、この世界はあいかわらずなのかなぁ、と思う。
 昔は、芝居を見に行くと、入り口付近に各劇団のチラシ配り隊がいて、あっというまにファイル一冊分ぐらいのチラシを持たされたものだ。

 好きで、ただ好きで、寝食を忘れて芝居に打ち込む若い人たち。
 TVやCMで稼いだ金を、自分の劇団の舞台につぎ込む俳優さんたち。
 贔屓の劇団の公演のためなら、会社を休むぐらい何とも思わない熱狂的なファン。
 本当に特殊な世界だ。

 特殊といえば、宝塚や歌舞伎はもっと凄いらしいが、ちょっと魔界の森が深そうなので、この際、触れないでおこう。

 アナウンスが流れる。

 劇団M.O.P.第36回公演 『黒いハンカチーフ』 の開演だ。
 
 作・演出をしているマキノ・ノゾミ氏は、NHKのドラマの脚本も手がけている人だし、公演回数からして、小劇場系でも中堅どころなのかもしれない。
 私が演劇を見なくなり、劇評も読まなくなってから長い月日が流れているので、劇団のカラーも何も知らない。
 見覚えのある役者も一人もいない。
 まったく白紙の状態というのも初めての経験で、席についた時点で疲れていたものの、少し楽しみだった。

 で、ここまで前置きが長くて、1行で済ませるのは心苦しいが、要約するとこういう芝居。

 軽妙洒脱な詐欺師のお話。

 ・・・・・・・

   ※万が一、劇団関係者、及びファンの方がいらっしゃったらごめんなさい。

    脚本、巧かったです。どんでん返しもそれなりにやられました。
    役者さんたち、上手でした。
    美術さん、シンプルだけど効果的な演出のできるセットでした。

 ・・・・・・・

 最後のどんでん返しに笑いつつ暗転。
 
 拍手。
 
 役者さんたちの挨拶。
 
 拍手。
 
 幕が降りる。

 拍手止む。

 え? 止んじゃうの?
 
 カーテンコールもなし。はい、おしまい。

 ・・・・・・・

 はぁ。

 軽いとは思っていたけど、ここまであっさり??

 面白かったね〜、と、コミックス一冊読んだ後のように、連れと談笑する若者。
 さくさくと劇場から出て、スペースシップのブリッジのような空調の効いた渡り廊下を駅に向かう観客。
 芝居を見た後で、ここまで軽く乾いた感じなのは初めてだった。
 この世界も様変わりしたということなのか、それとも、この劇団のカラーなのかを考えあぐねて、ふと、隣りを見ると、娘が目をキラキラさせている。

 「おかーさん、私、あーゆーの、作ってみたい」
 
 「面白かったの?」

 「うん」

 そうか、もしかしたら、変わったのは私なのかもしれない。
 あちこちガタがきても、モノを感じる力だけは衰えていないつもりでいたのが、このザマである。
 
 さわやかな夜風が高層ビルの谷間を吹き抜けていく。
 今までに観たいろいろな芝居の、いろいろな場面が、ビルのてっぺんの赤いランプのように点滅している。
 
 ・・・・・・・

 時は70年代、終劇の予兆に、役者も観客も一体となって臨界点に達したとき、紅いテントが舞台の裏で翻る。
 紅テントが “向こう側” に抜けるのだ。
 冷たい外気と、テントにこもった凄まじい熱気が渦を巻く。
 異空間への扉が開き、彼岸への道標のように、新宿花園神社の灯篭が揺れている。

 それはそれは形容しがたいほど濃密な空間で、紅テントを観た後は、なかなか此岸に戻れない感覚に陥ったものだ。
 きっと、私の目玉は、今の娘以上にキラキラ(もしくは虚ろ)になっていたのだろう。

 ・・・・・・・

 そして幾星霜。
 当時、魔術師のように思っていた唐十郎は、今やどこかのドラ息子の再教育を請け負う親父になっているし、美術学校の学園祭で、一緒に芝居をした仲間の何人かは本当に彼の岸へ渡ってしまっている。

 ・・・・・・・

 「でもなー、お芝居って、お絵描きよりお金にならなそうだよね」

 「まぁね」

 「うん、ちゃんとわかってるんだー。だから、ちょっと面白そうでも、手は出さない」

 「そっか、でも芝居って、やるのはまぢで楽しいぞ、チームプレイとしては、最高の一体感だしね」

 「いい仲間と好きなことやるのは楽しそうだけど、ビンボーはイヤ」

 ・・・・・・・

 リアリストの娘は、夢見がちな私の錨みたいなもんだな。
 もうしばらくの間は、漂流しなくて済みそうだ。
 私も、夢とうつつの隙間で、カーテンコールまでもう少し頑張ってみるか。




...

マシュマロマンの思い出 - 2001年05月14日(月)

※りんぜさん、大変お待たせいたしました。

 ・・・・・・・

 ず、ずぅ〜〜〜ん、どっし〜ん、どっし〜〜ん・・・

 東京タワーにはゴジラ、京都駅にはガメラ、エンパイアステートにはキングコング・・・。
 大怪獣が現れて都市を破壊するシーンは特撮モノのハイライト、一種のカタルシスである。

 前回、のりきっちゃんちのトップページにあった“デブ猫型大地震発生?”の、街並みと巨大(?)グーちゃんの合成画像は、そんな数々の名画の1シーンを彷彿させた。

 そして、現れるモノ数々あれど、一番インパクトが強かったのはマシュマロマンであろう。
 ご存知のように映画『ゴーストバスターズ』に登場する、巨大化したらぶり〜な商標である。

 かわいい猫のグーちゃんが巨大化した図は、どうしたってマシュマロマンを思い出さずにはいられない。

 ・・・・・・・

 『ゴーストバスターズ』は、私が唯一プレミア試写で観た映画である。

 当時、デヴュー作がバカ売れしたマンガ家の男の子がいた。
 そのN君とは、若い頃、某マンガ家さん宅でアシスタント仲間だったのだが、それぞれ別の事をするようになってもつきあいが続いていた。

 売れ始めたマンガ家というのは、編集から下にも置かぬ扱いを受ける。
 今考えれば、まったく無責任だと思うのだが、バブルの真っ最中ということもあって、飲み食いタダは当たり前、この映画が見たいといえば、白いカバーのプレミア席に、ご一行様でご招待となる。
 数ヶ月前には4畳半の下宿でカップ焼きソバをすすり、夢は中古車を手に入れて、かわいい彼女とドライブすることだった貧乏学生が、新車付きで白亜のマンションの住人になっていたりするのだった。

 その後、彼はお金の感覚が麻痺して人が変わったようになり、少し売れなくなった時にはずいぶん可哀想な境遇になった。
 手のひらを返すような編集のやり方に憤りを感じるとともに、お金の持つ魔力を知ったような出来事だった。

 おっと、話が横道にそれてしまった。
 マシュマロマンに戻ろう。

 そんな旧友のおこぼれに預かって、中華料理の豪華フルコース付き『ゴーストバスターズ』に招待されたのだが、その時私は臨月の妊婦、お腹の中にいたのが、今は屈強な女子高生のびー子である。

 軽いコメディだから妊婦でもOKだし、栄養もつくからおいでよ〜、というわけで、亭主もほったらかして(まだその頃は配偶者がいたんだっけ)、のこのこ新宿まで出かけて観た『ゴーストバスターズ』、マシュマロマンの出現で大爆笑したとき、お腹の中でびー子がじたばた、ぐるぐるぐるっ! と動いたのだった。

 普通、臨月に入ると位置も安定して、向きを変えることはほとんどないのだそうだ。

 次の検診で医者に行ったとき、先生がびっくりである。

 「あれぇ? この子、こっち向きだっけ??」

 「はぁ?」

 「この前は確か右向いてたのに、まるっきり逆になってる…何かあった?」

 むみゅう…マシュマロマンで大笑いとも言えない。
 
 「いや、ちょこっと笑ったら動いたんですよぅ」

 「ふーん、ちょこっと、ねぇ…」

 他に異常がなかったので、先生もにやにやしながら、一見落着となった。

 ・・・・・・・

 その後、何度かTVで放映されている『ゴーストバスターズ』だが、初めて娘と一緒に見たとき、彼女がマシュマロマンで大ウケ、ひっくり返って爆笑している姿を見て、妙に納得した気分になった私だった。




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