ひとりびっち・R...びーち

 

 

特効薬 - 2001年11月07日(水)

 たとえ風邪をこじらせて、ゆううつを漢字で書いたぐらいぐちゃぐちゃな気分でも、これさえあれば・・・。

 こたつでテレビでサッカー中継

 そうです。
 これです。
 しあわせまっしぐら〜♪

 ・・・

 しかし、埼玉スタジアムの芝、ありゃ、マズイっしょ。



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隣りの事件 - 2001年10月30日(火)

 今しがた、ちょっと珍しい経験をして帰ってきた。

 ミスタードーナッツのカウンター席、私はバス待ちでコーヒーを飲んでいた。
 けっこう混雑していたので、すぐ隣りの席にも若い男の子が座った。

 しばらくして、彼の注文した飲茶セット(飲み物はアイス・ティー)が運ばれてきた。
 そして次の瞬間、彼は、「ぅあぁ〜っ」と、小さな悲鳴のような声をあげたのである。
 思わず彼の方を見ると、ガムシロップの空容器を手に呆然としている。

 最初は何が起こったのかわからなかったのだが、彼はスタッフに向かって、こう言った。

 「あのぅ、スミマセン、これ(ガムシロ)もう1個ください」

 「はい・・ぃ?」

 「こっち(ラーメン)に入れちゃったんで・・・」

 「は、はい、どうぞ・・・あのぅ・・・こちら(ラーメン)の方もお取替えしますよ」

 「あ、う、はぁ、申し訳ないっす」

 手早く片付けられるガムシロップ入りラーメン。
 彼は呆然としたままアイスティーに新しいガムシロップとミルクを投入したが、突然ハッと我に返ったようで、いきなりトイレに駆けこんでしまった。

 カウンターの奥からはこんなやりとりが聞こえてくる。

 「どうしたんですか?」
 「ガムシロ入れちゃったんだって・・・」
 「・・・」(必死に笑いをこらえている気配)

 というところで、私もハッとした。
 あろうことか、私もコーヒーカップを口に運ぶ途中で固まったまま、呆然としていたのである。
 
 何しろ、ラーメンにガムシロップを入れてしまった現場に居合わせるのは初めての経験だったので、当人に負けず劣らず呆然としてしまったのだった。

 ・・・これはマズイ。
 こういう場合は、何事もなかったように振舞うのが大人のルールだ。
 瞳孔も口も半開きでフリーズするなんて、小学生並みの反応じゃないか。

 このままだと、彼がラーメンを食べ、肉まんを食べ、アイスティを飲み終わるまで、ず〜っと注視してしまいそうだ。

 バスの時間にはまだ早かったのだが、私はコーヒーのおかわりをあきらめ、そそくさと席を立ったのだった。



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いちげんさんおことわり - 2001年10月27日(土)

 まず、昨日の夕刊(読売)の記事からの引用。

・・・・・・・

 打ち込みと一口に言っても、その目的とするところは様々に分かれます。攻めを含んだもの、模様を根こそぎ荒らすもの、値切るものなどです。
 (中略)
 今回は模様を値切る打ち込みを取り上げますが、この場合は「消しのテクニック」が必要になります。

・・・・・・・

 打ち込み・・・ミサイルかな?
 模様を根こそぎ・・・敵の秘密基地は、絨毯まで徹底的に襲撃するのか?
 う〜〜ん、アフガンでの軍事行動や諜報活動の記事・・・かも??

 と、思われた方がいるかもしれないが、囲碁を知らなければ当然だろう。
 実際、数年前の私だったら、「消しのテクニック」と読んだ瞬間に、ゴルゴ13の顔が浮かんだと思う。
 実はこの文、レジャー&趣味の紙面、石井邦生九段の囲碁講座の冒頭部分なのだ。
 囲碁・将棋の記事の場合、ある程度知っている人しか読まないという前提で書かれているとしか思えないから、知らないものにとってはちんぷんかんぷんである。

 だからこそ、専門用語が少しわかってきて、その用語を使って話せるようになると、ちょっと特別な気分でうれしくなったりもするわけだ。

 車やバイク、各種スポーツ、音楽などもまったく同じだろう。
 使う言葉が専門的になればなるほど特別な気分は増大するし、同じレヴェルで会話できる人に仲間意識を感じたりするんじゃないだろうか。

 結局はどんなことでも、勉強するなり経験するなりしなければ、話もできないということだし、逆に、まったく知らなかったことでも、繰り返し経験を重ねていけば、理解できる可能性はあるということだ。

 こんなことは、あらためて書くまでもなく、本当にあたりまえのことなんだけれど、昨日アクセスしたサイトのヘッドラインが、あまりにもちんぷんかんぷんだったので、大笑いしつつ、ちょっぴり考えてしまったのだった。

 ちなみに、その究極のちんぷんかんぷんは、ネイチャージャパンの最新の物理学系コンテンツだ。

「4粒子のからみ合いの成功」

 三すくみ、っていうぐらいだから、四つも絡んじゃうと凄いんだろうな〜。
 でも、四つの粒子って何?

「正孔をドープしたC60の52Kにおける超伝導」

 う〜〜〜ん、とりつくしまなし。

 それぞれ Nature に掲載された論文のタイトルなのだが、とにかく笑っちゃうほどわからない。
 でも、このタイトルを読んで、「ほほぅ」と思う人や、「やられた〜!」と思う人もいるわけだ。

 「いちげんさんおことわり」というのは、京都の老舗にかぎったことではない。
 初心者がいきなり上がれない奥座敷っていうのは、どんな世界にもあるものなんだな。
 ネイチャーの敷居もチョモランマ並みに高いっていうことだけは、良〜〜〜くわかった。 

・・・・・・・

※囲碁記事の難解さについては、「碁石と親切」という宮沢章夫の名エッセイ(『牛への道』に収録されている)があって、べらぼうに笑えるので、機会があったらぜひ一読をお薦めする。


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夢のラーメン - 2001年10月24日(水)

 幸いなことにハワイアン・ムームー軍団の悪夢は見なかった。

 しかし、某サイトの掲示板で、ポンチョとソンブレロの着用をすすめられたせいで、夢の中の常夏の地は、椰子の木が揺れる南の島ではなく、サボテンが乾いた熱風に吹かれている砂漠だった。

 それに、寝る前に読んだ本の影響が重なって、夢の中の私は、サイバーテロリストと闘うハッカーグループの黒幕で、老メキシコ婦人という設定だった。

 今読んでいるのは、川端裕人の『 the S.O.U.P. 』という小説だ。
 まだ半分ぐらいしか読んでいないのだが、サイバーテロの描写がかなり面白い。

 しかし、あまりにも原因がはっきりしている夢というのも、面白みに欠けるものである。
 ポンチョとソンブレロは、思いのほか似合っていたような気もするが・・・。

・・・・・・・

 ところで、話はこってりと変わるが、みなさん「大盛り」はお好きだろうか?

 今、我が家(といっても、娘と私だけだが)では、「てんこもりっち」という言葉がブームになっている。

 「てんこもり」に「りっち」が合体して、質量ともに最強の盛り具合を表しているのだが、そう簡単には実現しない状態なのだ。

 話のはじまりは、娘が見た夢の中の食べものである。

 ・・・

 日曜日っぽいんだよね〜。
 テレビで囲碁やってて、それを見ながら、大きなお饅頭を食べているんだ〜。
 でね〜、そのお饅頭がなくなるまで、ひたすら食べつづけるんだよ。
 でね〜、それがなくなると、おかーさんがラーメンを作るんだよ〜。
 でね〜、そのラーメンが、でかいんだよ〜、ただものじゃないぐらい・・・。

 てんこもり〜! っていうか、てんこもりっち っていう感じ?

 でね〜、食べすぎじゃな〜い? でも、おいしいよね〜♪
 って言いながら食べてるんだよね〜
 あ〜〜しあわせだ〜〜っ! って思ったところで目が覚めちゃった。

 ・・・

 そこで、量はともかく、気になるのは味である。
 娘に聞くと、どう考えても食べきれる量じゃないはずだ、と、心の中では思っているんだけど、食べても食べても美味しいのだそうだ。
 そいつはスゴイ。
 
 ちなみに、饅頭は肉まん風で、味はたいしたことはなかったそうだが、ラーメンの方は、野菜たっぷりの塩味、海老まで入っていて、かなり美味しかったということである。

 私は以前にも書いた通り、夢の中でも現実と変わらない食べ方をするのだが、娘にとっては“ちゃんと味のする初めての夢”だったそうだ。

 その後、両親が留守で、娘が風邪っぴきだった時の夕食に、二晩続けて「夢のてんこもりっちラーメン」を作ってみた。
 味は塩ではなくしょうゆと味噌だったし、大きさはもちろん小さいが、かなり夢のラーメンに近い出来、という娘の評価である。

 満腹になって『犬夜叉』と『コナン』をまったりと見るのもまた良し。

 「てんこもりっち」は我が家のささやかな幸福である。
 


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小春日和 - 2001年10月23日(火)

 今日は暖かいというのを通り越して、半袖で歩きたいぐらいの晴天だった。
 たぶん、こういう気候のことを小春日和というのだろう。

 私は高校生ぐらいまで、小春は文字通り“小さい春”のことだと思っていた。
 スミレやタンポポやつくしのような“小さい春”を見つける日のことだと思っていたのだった。
 きっと、「だ〜れかさんがみぃ〜つけたぁ〜♪」という歌(たぶん『小さい秋』だったと思う)の春バージョンだと勝手に考えていたのだろう。

 自分の間違いに気づいたのは、「インディアン・サマー」という言葉の意味を調べたときのことだった。

 ・・・日本の小春日和に相当。(広辞苑)

 えっ? 秋のことだったの?! がぃ〜〜〜〜〜ん。

 この手の間違いは、誰にでも経験のあることなのかもしれないが、どうも私は思い込みの激しいタイプらしく、いまだに小春日和から連想するのは、川原の土手の春の風景なのだ。

・・・・・・・

 ものはついでなので、究極の勘違いシリーズをもう一つ。

 幼き日の私は、「しんぱいゴムよう」という言葉が大好きだった。

 「心配はゴムのように伸びても元に戻る=大丈夫!ってこと」

 と、大人たちの用法から意味を推察し、完璧に理解しているつもりだった。
 だから私は、事あるごとに「しんぱいゴムよう!」とみんなを励ました。
 もちろん、頭の中には、ゴムひもが“びよよ〜〜〜ん”と伸びては戻るイメェジを描きながらである。

 「心配御無用」

 この言葉を漢字で読んだ日のショックは今でも忘れられない。

・・・・・・・

 で、話は戻るのだが、晩秋や初冬の暖かい日のことを「老婦人の夏」と言う国もあったなぁ、と考えたところで、私の頭に素敵なイメェジが浮かんできた。

 「常夏の老婦人」

 ブーゲンビリアの花かなんか耳に飾って、鼻歌まじりに心配ゴムを、びよびよ、びよよ〜〜〜ん。

 能天気でいい感じの婆さんじゃないか。
 
 めざせ常夏!

・・・・・・・

 なんちゃって追加。

 いかん、いかんぞ、このイメェジは!(ぷるぷると首を左右に振る)

 常磐ハワイアンセンター(今はもっとオシャレな名前だったような気がするけど)の大宴会場、揃いのムームー軍団が・・・。

 なんか、悪夢にうなされそうな予感。

 
 

 

  
 


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誕生日 - 2001年10月22日(月)

 今期最も輝いた人物、シアトルマリナーズのイチロー、今日は彼の誕生日だ。

 そして、今期最強の腐り具合を呈した私の誕生日も今日である。

 45なんていう数字は、単純に喜ぶには多すぎるし、長寿を祝うには足りないし、途方に暮れるぐらい中途半端だが、せめて日記再開の言い訳ぐらいには役立ててみよう。

 

 

 
 

 


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二枚舌 - 2001年09月25日(火)

 実りの秋、食欲の秋、味覚の秋。
 天高く馬は肥えても、牛にとってはかなり危ない今年の秋。

 有明海の海苔のときにも感じたことだけど、農水省って、かなりアタマが悪いような気がするのは私だけだろうか?

 「肉骨粉」で、本来草食動物の牛に、病気の仲間の死骸を共食いをさせてたなんて、牛が神様のインド人(ヒンドゥー教徒)が聞いたら、びっくりじゃ済まないだろうな。

 で、ふと思ったのだが、神様を食べちゃう国や国民に対して、「報復」や「制裁」を考えないのって、かなり寛容なんじゃないだろうか。

 と、時事噴飯モードに突入するのは穏やかじゃないので、話を戻そう。

 そう、味覚の秋である。

 ここのところ、めっきり手抜きとマンネリが目立つ母に代わって、料理を担当することが多くなった。

 出盛りの栗で、栗ごはんを炊いたり、里芋の煮物をしたり、男爵イモでコロッケを作ったりしている。

 安価な旬の素材を生かし、添加物やグルタミン酸ソーダや精製された塩や砂糖を極力使わず、薄味で健康的な野菜中心の料理。
 これは、喘息で病弱だった娘の成長期に勉強して、徹底して行っていた調理法である。
 いわば昔取った杵柄であるからして、健康的な食生活について語れと言われれば、うるさいほど語れるかもしれない。

 しかし、である。
 私は高度経済成長期の子どもである。
 チクロたっぷりの粉末ジュースを飲み、インスタント食品の発展と歩みを共にしてきた。
 弟と半分ずつではなく、コーラを1本全部飲んでみたい、とか、サッポロ一番やグレープフルーツを初めて食べた時に、「こんなおいしいものがこの世にあったのか!」と思って育ってきたのだ。

 だから、「食」に関しては、私は完全に二枚舌である。
 
 美食や健康食を知識として語れて、調理もそこそこできるというのが「表」の舌ならば、秘められた「裏」の舌こそ、私の本来の味覚であろう。(大げさ)

 さて、その裏ベロだが、とにかく健康に悪いものをこよなく愛している。

 人工のメロン香料がばっちり効いているメロンパン。
 これを「ごはんの前なんだから食べちゃダメよ!」という時間帯にこっそりと食べるしあわせ。

 コンビニの肉まん。
 真冬の帰り道の買い食いが最高。
 歩きながら、時には車を運転しながらこれを頬張るのは、まさに至福の時である。

 カップ麺。
 夜更かし三昧をした深夜、「ああ、こんなものを食べてはいけない!」と、背徳的な気分に浸りながら啜るスープは、骨までしみる禁断の味だ。
 午前3時に友人が買ってきてくれたカップ麺ほど美味しいと思った食べ物はいまだかつてない。
 
 ここまで書いてしまうと、カミングアウトをしたような気分で、実に爽快だ。

 不美食バンザイ!
 




 


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