とどすダイアリー
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なんか急に寒くなった。夕べは布団をかぶって寝たヨ。 まだ昼間は半袖シャツをベースに寒ければ何かを羽織るって感じだけど、もう夜は長袖のパジャマ登場です。
サブ・・・。
2004年10月03日(日) |
プリンス自動車の思い出 |
爽やかな秋晴れの日曜日、TODOSは食料品の買出しに日本食スーパーに行った。何の気なしに貸しビデオコーナーを眺めるTODOSであった。彼の目の先にはドキュメンタリーのコーナーの一角を占めるプロジェクトXのビデオがあった。(口調がプロジェクトX風になっているのに気が付いたかな・・・)
TODOSの目に飛び込んできた文字は「プリンス自動車」だった。中島飛行機を母体に発足した今は無い技術主導の異色の自動車会社プリンス自動車には、色んな思い出が詰まっている。TODOSの祖父は商社の現役を退いてから名古屋地区のプリンス自動車のディーラーに勤務していた。当時TODOSは小学生、夏休み毎に新幹線など無い時代に東海道本線の特急おおとりなどで名古屋を往復していた。免許を持たぬ祖父であったが、プリンス・グロリアが日常の足であり幼いTODOSの最も親しみのある自動車だった。内緒の話であるが、祖父がゴルフの間などは駐車場で運転手さんに運転の手ほどきを受けた。従いTODOSが最初に運転した車はプリンス・グロリアと言う事になるのである。(TODOS小学校3年生・・・)
その後、免許を取得し自動車を保有することとなった父母も、この関係や父の仕事の都合もあってスカイライン、ローレルとプリンス系の自動車を乗り継ぐことになり、TODOSも今はアメリカでは日産のマキシマに乗り日本ではプリメーラなのである。源流はプリンス自動車なのである。
さて、このビデオはニッサンに吸収合併される直前に因縁の対決に決着をつけたプリンスR380の物語であった。そしてその源はプリンス・スカイラインなのである。スカイラインはもともとトヨタのクラウンなどと対抗するサイズの車であったが、その役割をさっさとグロリアに渡し、当時黎明期を迎えたモーターレースに適応するスポーツ色を強めた車へと変貌して行った。第2回の日本グランプリを前に高橋国光・砂子義一・生沢徹などの名ドライバーを擁したプリンスチームは日本のGTカーレースでは向かうところ敵無しとなった。
しかし、1964年のグランプリ寸前に突然エントリーしてきたのが式場壮吉の乗るポルシェ904であった。オフィシャルには式場が個人で購入し輸入した、と言うことになっていたが当時より囁かれていたのは「ト〇タがプリンスの圧勝を阻止する為に式場に買い与えた」と言うものだった。それ程までに、箱型の普通乗用車のレースに地面に吸い付くようなデザインのポルシェの参戦は違和感が有ったし強烈なパワーは他車を圧倒した。それでも1周だけ生沢徹のスカイラインがトップを奪ったが、追撃及ばずポルシェの勝利に終わった。しかし判官びいきの日本人のDNAには、箱型のスカイラインが必死に流線型のポルシェを追う姿に、日本の工業技術力を誇りに思いそして酔った!! (フォーカスのページをご覧あれ)
スカイラインの開発者達はその評価には満足しなかった。そして生まれたのがポルシェと同じ土俵のプロトタイプカーR380であった。プリンスの技術者にとってトヨタやニッサンは全く眼中に無かった。R380は谷田部で世界最高速の記録を打ち立てて行った。そしてリターンマッチである次の日本グランプリにはフォード、ジャガーなどの海外勢にまたもやポルシェの最新モデル906が参戦した。プリンスチームはR380のスペックアップのみならず、当時は余り皆が気にしていなかったピットワークでも秘密兵器を開発していた。ポルシェのピットインが1分近くかかったのに比べ、プリンスチームはなんと15秒で給油を終了しトップに立ち焦ったポルシェのクラッシュを誘った。R380は1−2フィニッシュを決めた。仇を討ったのである。
その後R380は進化を続け、吸収合併されながらもプリンスの技術は脈々と続くことになった。しかし、そのニッサンも経営に失敗、ルノーの傘下に入る。元気の無かったニッサンの開発技術はゴーン体制で息を吹き返した。今のニッサン車の開発にプリンスの源流を感ずるのはTODOSだけだろうか?
マネーゲームでない製造業のモノ造りが息づいていた時代。戻って来い!!
TODOSは100%日本人なのですが、良く韓国人と間違えられます。今日もアパートのエレベーターに乗ったら品の良い初老のご夫妻から韓国語で
「アンニョンハセヨ」(つまり、こんにちは、ですなぁ)と声を掛けられました。こちらも
「アンニョンハセヨ」と答えたらやっぱり発音がネーティブじゃないので、
「ハングクサラミイムニカ?」(韓国人ですか?)と聞かれ
「アニ、イルボンサラミイエヨ」(いいえ、日本人ですよ)と答えたんす。
キャディバッグを持っていたのでゴルフに行くの?と尋ねられ練習場へ、みたいに韓国語で会話が続く・・・。この程度の挨拶くらいなら何とかこなせるんですが、やっぱり最後に「韓国人に見えますよ」とおば様から・・・。 こうなりゃ最後まで・・・、お二人がエレベーターを先に降りる時に
「アンニョンヒ、カシプシオ」(丁寧語でいってらっしゃいませ、なのだ)
日韓文化交流は草薙クンやヨン様だけじゃあ、ないんですからぁぁぁ!!!
松井もどんどん進化と遂げていてNYでは頼もしい限り。そこにイチローの大記録達成のニュース!! 凄い!!アメリカ人が全然知らなかったシスラーなんて選手にスポットライトを当てて、すっと追い抜いていったイチロー。スポーツに関して言えば人種に関係なく祝福してくれるのはアメリカの良いところでしょうネ。
ニッポンのプロ野球も揉めてるだけじゃなくて、楽天でもライブドアでも、どしどし新しい風を入れて停滞を乗り越えて欲しいですね。
日本語で「リベート」って言うともの凄く「悪事の香り」のする単語なのですが、ここアメリカでは日常用語。特にショッピングの際に Mail in Rebate と言う言葉が頻繁に使われます。これはレジでは定価を払ったりするのですが、レシートをくれる時に色んな形でリベート証書が同時に打ち出されるんです。そして、書いてある方法に従って、店の領収書だとか、商品の箱に印刷されているバーコードだとか、まあ証拠書類を同封して送る、つまり Mail In すると引き換えにチェックが送付されて来ます。時間的には随分と掛かることも多いし、郵便だから紛失したとかって言うトラブルもあるけど、取り合えずお金が戻ってくると言う仕組みです。
先日デスクトップパソコンを買った時のリベートが4種類に分かれて合計300ドル分のチェックがバラバラと送られてきましたので銀行に入金手続きに行かなければなりません。何か得した気分になっちゃうのですが、実は先払いしている分が戻って来ているだけなので冷静に冷静に・・・。
経理的に言うと売り上げ高は膨らんで販売奨励金が増えるのかな? どうでも良いけど。
2004年09月26日(日) |
とにかくNY事故が多い |
アメリカ人は基本的に自己チューなのですが、事故も多いんですよ。サンフランシスコでの出来事は日記で報告した通りなのですが、出張から帰って今日の日曜日はロングアイランドに行ってきて再び事故の多さに辟易としました。
目的地のBethpageと言う街までは我が家から大体50Kmの距離で、パソコンで調べた地図ソフトでは約1時間と書いてありました。往路は渋滞も全く無くスムースに走ったら(制限速度をオーバーしたのかしら??)45分程度で到着しました。それが帰り道は何と2時間半!!
まあ日曜日の遅い夕方ですから行楽帰りなどの車が多いのは理解出来るのですが、 結局50Kmの間に
事故が3件と故障車1台
最初の事故は玉突きの6重追突でした。見物渋滞を含め凄い渋滞。そして次は3車線の真ん中の車線でトラックがやはり追突しており運転手同士が揉めてました。そして故障車が居て更に渋滞があり、最後もやはりトレーラーヘッドが旧型のフェアレディーZにオカマ掘ってました。
ここを抜けたらスイスイ!!だから、そんなに渋滞する交通量じゃなかったのですよ。ホントは!!
( ̄‥ ̄)=3 フン
とにかく不注意だし、車線を変えまくるし、右からでも左からでも抜いて行くし・・・。マナー・エチケットは最低、だから事故も多いんですよ。やっと家に帰ったけど9時半を回っているし、腹ペコで真剣に料理する気にもなれず、米国味の素製造の冷凍牛丼を作り、玉ねぎをにんにくで炒めて、生味噌の味噌汁作ってオシマイ。納得が行かないネェ。
爽やかな気候のサンフランシスコですが、今回は空港でレンタカーを借りてホテルへ行く間の合流待ちの一時停車中に追突された!!プンプン!! 私は助手席にいて「ドン」って言う衝撃になにごとかと思ったヨ。こちらはキャデラックのデカイのを借りていたから車はバンパーがちょっと傷ついたくらいだけど、突っ込んできた車は多分同様に一時停車して、後ろを見て合流する車がまだ来ないと思いアクセルを踏んだ瞬間に我々の車が未だ前に居た、って言う状況だと思う。だから加速してぶつかった訳で、余計に重い衝撃になったんじゃないかなあと心配してるんですよね。
1日半経過してまあ特に大きな痛みとかは無いけれど、NYに戻ったら大事を取って医者に行っておこうと思う。経験者によると3日目くらいに急に気分がフワフワして来ることも有るらしいし・・・。
ま、今のところ普通に過ごしてます。
ボストンから1時間のフライトでボルチモアに飛びました。マンハッタンのすぐ横を通過しましたが、いつものことながらセントラルパークのサイズには驚かされます。ボルチモアはNYからボストンと逆方向。車で走ると8時間以上の距離を飛行機は1時間で飛ぶのですから、それは便利なものです。
空港を出るとさっきまでのボストンの涼しい気候とは随分と変わって蒸し暑いくらい。お客さんを2ヶ所回って意見交換。夕方にはNYに戻って横メシ(英語をしゃべりながら食事すること)の予定。Jazzの香りはゼロだなぁ・・・。
今日はボストンまで来ています。車で約4時間のドライブですが距離としては320Kmくらいありますから相当に遠いですね。ボストン近郊まで車を走らせてくると、NYよりも緯度的に北に上がるのでジャケットを羽織っていないと寒いくらいです。そして木々はもう紅葉を始めています。これから1ヶ月くらいで紅葉が真っ盛りになるでしょうね。
昨日より本社マネージメントが客先訪問で来米してます。忙しく、甲斐甲斐しく本業に勤しむ日々ですネ。 明日からボストン・ボルチモア・サンノゼへの「びーた」に出まして戻ってくるのが土曜日の夕方。(水曜の夜に一瞬戻ってきますが) 何となくフツーの海外駐在員のような生活。
たまには良いものでしょう。しかし出張続きはデブの素です。気をつけねば・・・。
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