ガンモ&まるみのクラカメ日記

空耳/Music by shisyun
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執筆者:まるみ MAIL   ガンまる日記 もよろしく。


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日記才人

2001年04月15日(日)
買いそびれたクラ専

 札幌のカメラ屋さんで、持っていないクラ専を買いそびれてしまった。
 ホテル近くのカメラ屋さんで、街に出かける前に見つけたのだが、今買うと荷物になるのではないかという思いがよぎり、買うのをためらっていたところ、次に行ったときにはお店はもう閉まっていたという始末。

 ガンモはかなり残念がっていた。



2001年04月03日(火)
動画も撮れるデジカメが欲しい!

 フジテレシネサービスの上がりを見ていて思ったこと。「映画みたいなものを撮ってみたい・・・。」
 というのも、ガンモが撮影した映像よりも、私が撮影した映像のほうが手ぶれも少なく安定していたため、ちょっといい気分になってしまったからだ。

 社長さんのなまりが非常に気になる「ジャパネットたかだ」を見ていると、デジタルビデオが格安で紹介されていたのだが、メディアのことなどを考えると、動画も撮れるデジカメのほうが一石二鳥で良いのかなとも思う。

 クラシックなカメラにひかれる一方で、ホームページを持っているとデジタルカメラやデジタルビデオなどのデジタルものにも興味を持ってしまうのは仕方のないことだろう。近いうちに、動画などもこのページで紹介できたらと思う。



2001年03月29日(木)
今年のお花見は?

 毎年行われているはずの、「東京カメラ倶楽部」と「アルパ研究会」の「合同お花見」の案内がまだ届かない。果たして、今年は開催されるのだろうか。・・・と言っても、4月7日では桜はもう遅いのかもしれないが・・・。


2001年03月23日(金)
写真部の話

 きのう、大学の頃の話を書いたので、その頃のことを少し思い出して書いてみたいと思う。

 私が通っていた大学には、「写真研究会」と「カメラクラブ」という二つの写真サークルがあった。聞いた話によると、「写真研究会」のほうが設立が古く、ちょっと堅苦しい雰囲気を持っていたため、「写真研究会」の雰囲気になじめなかった人たちが、もう少しラフな雰囲気のサークルを作ろうとして設立させたのが「カメラクラブ」だったらしい。学園祭のときに写真展を開いても、両サークルの作風はまったく異なっていた。

 私が所属していた「写真研究会」は、文化サークルといえども、上下関係が比較的厳しかった。だから、下級生は上級生に対してへこへこしていたし、使いっぱしりのようなこともしばしばやらされた。

 当時、同じ「写真研究会」の仲間が持っていたカメラで覚えているのは、キヤノンAE−1(プログラムなし)、オリンパスOM−1などである。カメラを持っていない部員もいて、写真展の時期になると、カメラを持っている人からカメラを借りて撮影したりする風景も見られた。

 ほとんどの部員が一眼レフを使っていたのだが、Sさんのように、何とその当時からライカを使っていた人もいた。Sさんは、当時からものすごく写真がうまい人だった。「流行通信」を愛読し、かなりセンスのある人だった。

 そのSさんに、数年前の中古カメラ市でばったり会った。Sさんは実家に戻り、家業を継いでいるようだった。今でもライカを使っているのかどうか、確認はできなかったのだが、その素晴らしい才能を生かした仕事に付いて欲しかったと思う。

 当時の「写真研究会」の仲間たちのほとんどは、もはや写真を撮ることをやめてしまったようだ。青春時代の情熱は、社会生活に入ると消えてしまうものなのだろうか。そう考えるとちょっぴり寂しい気もするのである。



2001年03月22日(木)
証明写真

 常駐先の会社に提出するため、6ヶ月以内に撮影した証明写真を用意しなければならなくなった。しかし、仕事が忙しく、写真屋さんが開いているような時間にはとても帰れない。仕方なく街角のインスタント証明写真で撮影することに決めたのだが、ガンモが「それなら俺が撮ってやろうか?」と言う。何でも冷蔵庫に古いポラロイドのフィルムが長いこと入ったままになっているらしく、どうやらそれを消化してしまいたいらしい。私は「どんな写りになるのかわからないので遠慮しとくよ」と断った。

 証明写真と言えば、大学の頃、写真部の仲間同志で学生証の写真を撮りっこしていたのを思い出した。もちろん、撮影後は自分で現像する。だから、証明写真と言えばモノクロというイメージをずっと持っていたのだが、カラーのサービス判プリントでも、サイズさえ合っていれば履歴書に貼り付けても良いということがわかったのは、ずっと後になってからのことだった。しかし、指定サイズにカットしたときに、顔が真中に来るように距離を調整するのはなかなか難しい。今思えば、大学のときのノウハウをちゃんとメモしておくべきだったと後悔している。