心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2012年06月04日(月) ジェネリクかジェリネクか

AAのミーティングでは「ミーティング・ハンドブック」と呼ばれる16ページの冊子を使っているところがほとんどだと思います。これは日本独自の習慣で、他の国のAAではビッグブックを使っているところが多いそうですが、ともかく日本ではこの簡便な70円の冊子が愛されています。

この冊子はもう何年も改訂されていないので、メンバーの中には、この冊子の内容は変更できないと思っている人もいるようですが、以前は内容がずいぶん現在とは違っていました。

こんな図も掲載されていました。
アルコール中毒の進行と回復


これは、「ジェリネク・チャート」とか「ジェリネク・カーブ」と呼ばれる図です。図を作ったジェリネク博士(E. Morton Jellinek, 1890-1963)は20世紀半ばのアルコホリズム(アルコール依存症)の研究者として大変有名な人で、彼の功績は現在の医療にも大きな影響を及ぼしています(良い影響か悪い影響かはともかく)。

極めて研究熱心な人だったようで、最後の勤務地スタンフォード大学の研究室のデスクで絶命したという逸話が残っています。WHOのアルコホリズムに関するコンサルタントでもありました。

初期の日本のAAでは、AA以外の文書の翻訳を頒布していました。その中の一冊が『アルコール中毒という病気』という小冊子です。これはWHOのニューズレターをアメリカ・カリフォルニア州政府がパンフレットにしたものをピーター神父が手に入れ、日本のAAメンバーに紹介しようと訳出したものだそうです。すでに手に入らないので、こちらに掲載しています。

アルコール中毒という病気――アルコホリズムにいたる警告のシグナル――
http://www.ieji.org/archive/warning-signals.html

これはジェリネク博士の論文が元になっています。読めばジェリネク博士が、アルコホリズムをどう捉えていたかがよく分かります。彼はこの病気を「アルコールのコントロール喪失」であり「失ったコントロールを取り戻すことはなく、節酒は不可能で」「進行性で死に至る病気」であり、有効な治療を受け入れるためには本人が「底をつく必要がある」としています。これは、AAの主張と重なります。

ジェリネク博士は著書 The Disease Concept of Alcoholism の中で、アルコホリズムを5種類に分類しています。

α(アルファ)型:肉体的・感情的な苦痛に対処するために、アルコールの効果に頼っている。飲酒のせいで社会的な問題が生じているのだが、一方で(飲酒の原因となる)社会的個人的問題を抱えてもいる。いわば「問題飲酒者」。ジェリネクによれば、コントロールを失っておらず、本気で願えば酒はやめられる。「病気(としてのアルコホリズム)」とは言えない。

β(べーた)型:飲酒のせいで肝障害などの身体的な症状がある大量飲酒者。ほぼ毎日大量に飲酒する。しかし肉体的にも精神的にも依存しておらず、離脱症状もない。「病気(としてのアルコホリズム)」とは言えない。

γ(ガンマ)型:アルコールに対する耐性を獲得し、身体的に依存し(離脱症状があり)、コントロールを失っている。いわゆる「AA型のコントロールを失ったアルコホーリック」。ジェリネクによれば、このタイプこそ「病気」であり、アメリカ国内およびAAの中で最も一般的な存在。

δ(デルタ)型:γ型に似ている。コントロール喪失はないが、離脱症状があり断酒の難しいタイプ。状況によっては節酒ができる。

ε(エプシロン)型:他のどのタイプとも違い、周期的に大酒を飲む時期以外はまったく飲酒しない。いわゆる「渇酒症」。γ型の再飲酒とは区別が必要。

ジェリネク博士の研究はエビデンスに基づいたものだったとは言え、批判もあります。アメリカにおけるアルコール依存の研究は1940〜1950年代に進歩を見せていますが、それにはAAが発展したことにより、酒を断ったたくさんのアルコホーリクと面接することが可能になったという背景があります。

ご存じの通り、酔っ払いと話すのは骨が折れます。飲み続けている人にインタビューをしても得るものは少ない。きちんと酒をやめられた人たちの集団を相手にしたかったら、AAしかなかった。という当時の事情もあります。彼は数千人のAAメンバーと面接する研究から、AA型のアルコホーリックこそ、アルコホリズムという病気の本質であると結論づけることになりました。

彼はこの分類をすることにより、アルコホリズムにも多様性があることや、アルコホリズムという疾病概念がいたずらに拡大されることを防ぐ意図があったようです。しかし、彼の意図に反して、アルコホリズムはすべてγ型であるという解釈を広める結果になりました。

翻ってAAは、アルコホリズムは一つのタイプしかないという主張をしています。酒のコントロールを失い、そのコントロールは一生取り戻すことはなく、解決は断酒しかない(断酒を続けるために12ステップをやる)。一方で、酒でトラブルを起こしている人が、全員アルコホーリックだとも言っていません。

ビッグブックのp.31では、「大酒飲み」と「本物のアルコホーリク」を分けています。大酒飲みの中には酒をやめるのが困難で医者の世話にならなければ止められない者もいる、とあります。ジェリネク博士の分類で言えば、γ型以外のアルコホーリックでしょう。一方「本物のアルコホーリク」は、霊的な手段がないと助からないとしています。そして「本物のアルコホーリク」とは、シルクワース博士の描き出した「渇望現象」を持つ人たちを示しています。

僕は以前から、アルコールを乱用している人すべてに「アルコール依存症」とか「アルコホーリック」というラベルを貼るのはやめたほうが良いと主張してきました。境界性人格障害や統合失調症の人が症状としてアルコール乱用をするのは、いわゆるアルコール依存症の人たちの問題とは違っています。

また、ここ数年ビッグブックのやり方で12ステップを行っていると、明確な渇望現象を持たないAAメンバーの存在に気づかされます。自らの渇望の経験を捉えることができないということは、基本中の基本となるステップ1を理解することが難しい人たちです。

こうした「本物ではないアルコホーリク」がAAに存在していることに以前から気がついていた人もいたはずです。

一つは、DSMのような操作的な診断基準に従って、アルコール乱用があればその原因を問わずに「アルコール依存症」の病名を与え、自助グループを薦める医療機関の問題。もう一つは、12の伝統に従って「酒をやめたい」のなら誰でもメンバーになれるというAAの姿勢です。

僕は日本を訪れているシカゴのAAメンバーと一緒に食事をしたとき、「シカゴのAAにも本物じゃない人たちはいるか?」と尋ねました。相手の答えは「もちろんだとも」でした。でも、そういう人たちはAAに長居はしない。せいぜい2〜3年もすれば消えてしまうよ。だって他のメンバーと話が合わないからね。という話でした。

AAはメンバーになる条件として「酒をやめたい」という気持ち以外は要求しません。そうやって否認を伴いがちなアルコホーリックを幅広く受け入れられるようにしています。一方で、ミーティングではアルコールの問題を分かち合うことで、対象外の人たちがふるい落とされる仕組みになっているというわけです。少なくとも海の向こうの地では、そのふるいが有効に働いているようです。日本ではどうなのでしょう。

AAは12ステップを使って酒をやめ続ける団体です。その原則は変えることはできません。僕は5年ほど前からビッグブックを使った12ステップのやり方でスポンサーシップを行っています。その経験から、本物のアルコホーリック(ジェリネク博士のγ型)に対して、12ステップは極めて有効だと考えています。

しかし、前述のようにAAには本物ではないタイプもいます。ハッキリした渇望の経験を持たなかったり、別の原因で酒を飲んできた人たちには、12ステップの効果はあやふやです。むしろ別の方法のほうが良いこともしばしばです。薬物やギャンブルについてもおそらく同じ事は言えるでしょう。

最近では「これが12ステップの限界なのだ」と考えています。12ステップは有効な治療法です。しかし、どんな薬だって対象の病気以外には効きません。風邪の人に、高血圧や糖尿の薬を出す医者はいないでしょう。むしろ、「この薬はどんな病気にも効きます」と言えば、怪しい話になってしまいます。

今の日本で、12ステップの効果は過小評価されていると思います。伝言ゲーム的な述べ伝えによってプログラムが歪曲され曖昧化したのが原因でしょう。しかし、それだけでなく、対象をむやみに広げすぎたのもいけなかったのではないかと考えています。ビッグブックというテキストに忠実に、対象を絞って適用していけば、高い効果が得られて評価も変えられると信じています。

AAはどうあるべきなのか。本物であるかどうかを問わず、酒の問題を抱えた人を広く受け入れる団体になるべきなのか。伝統では「酒をやめたい」という願望さえあればメンバーになれるとしています。ただ、AAに詳しい人なら感じているでしょうが、AAの主張にはしばしば矛盾めいたことが含まれています。同じ12の伝統で、AAはアルコホリズムに苦しむ人を対象にしていると言っており、AAがアルコホリズムと言っているものは、単なるアルコール乱用とは違うものです。

AAは、12ステップ以外のやり方も取り入れて、本物以外でも、アルコール乱用者であればどんなタイプにでも有効な団体になるべきでしょうか。僕はそうは思いません。むしろそれは、本物タイプ(γ型)にも、それ以外にも役に立たない団体になってしまうと思います。「靴屋よ、なんじの本分をはみ出すな」です。

他のタイプは、他のやり方をする団体に任せて応援していけば良いのです。ビル・Wも書いているように、どんな酒飲みであれ「AAに来なかったという理由で発狂したり、死んでしまったりしていいわけではない」のです。同じようにアルコールやアディクションの問題に取り組んでいる「友人」たちの存在に対して敬意を持つべきだと思います。

田舎に行くと「洋食屋」の看板を掲げながら、メニューにはカレーも寿司もラーメンもあるような店もあるけど、たいてい美味しくなくて、いつのまにか閉店しているものですよ。


2012年05月29日(火) 生活保護について

テレビのワイドショーを見ている余裕もありませんが、この一週間は芸能人の母親が生活保護を受給してどうのこうのと騒がれていたようです。

僕の住む長野県は全国的に見て生活保護の受給率が低い県のようです。
少々データが古いのですが、分かりやすい図があります。

図録▽都道府県別生活保護率
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7347.html

生活保護率(人口千人あたりの受給率)の高いところは、北海道・京阪神・九州北部・沖縄です。大阪と言えば最近新しい知事が何かと騒がしいところです。

上に挙げたページには、生活保護率と失業率の相関図もあります。仕事がなければ収入がない人が増えてしまうのは当たり前で、生活保護受給者の増加を語るには、経済政策の話をしなければならないのに、なぜか福祉政策の話にすり替えられてしまっています。

また、北海道と沖縄の失業率が高いのは、国の隅っこだからです。人もモノも国の真ん中に集まるので、隅のほうは経済が不活発になってしまいがちです。これを解消するには、国境を越えて経済活動が活発になればいいわけで、ロシアとの関係が改善されたり、東シナ海の緊張が緩まればいいわけですが、外交と福祉政策を関連づけて考える人は少ないものです。

こうした事情を除けば、一般に都市部では生活保護率が高く、田舎では低くなります。田舎は親子同居が多くて親族による生活扶助が成り立ちやすかったり、生活に自動車が必須で生活保護が受給しにくかったりする事情があります。都市部だと、やはり東京・大阪・福岡は受給率が高くなっています。不思議なのは愛知の受給率の低さです。これは東海地方は自動車産業が活発なのと、名古屋も意外とイナカなのかもしれません。

さて、生活保護の人にとってはAAミーティングに行く電車代も大きな負担です。長野でも数は少ないけれど生活保護受給のAAメンバーがいて、交通費が大変だと聞きました。そこで「AAミーティングに通う電車代だったら生活保護から出してもらえるはずだ」と伝えてあげました。

ところが、生活困窮者の支援機関の人も、行政の窓口も、そのことを知らなかったそうです(調べてもらったらちゃんとそういう規則があった)。厚生労働省の局長通達に

「生活保護法による保護の実施要領について」(生活保護実施要領)
http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T110721Q0010.pdf

というのがあります。

生活保護は基準生活費のほかに、家賃や子供の費用のような加算がいろいろあるのですが、一般生活費の(7)に移送費という項目があります。

これは受給者がいろんな理由で移動する際の交通費を支給する決まりです。例えば親の危篤や葬式とか、刑務所への面会とか、様々な場面が想定されています。該当する場合には(乗車船券を交付するなどなるべく現物支給で、という但し書きがありますが)、必要最小限度の交通費、宿泊料及び飲食物費を支給して良いことになっています。

実はその移送費の対象の中に(セ)という項目があります。全文を引用します。

(セ)次のいずれかに該当する場合であってそれがその世帯の自立のため必要かつ有効であると認められるとき。
a アルコール症若しくはその既往のある者又はその同一世帯員が、断酒を目的とする団体(以下「断酒会」という。)の活動を継続的に活用する場合
b アルコール症又はその既往のある者(同伴する同一世帯員を含む。)が、断酒会の実施する2泊3日以内の宿泊研修会(原則として当該都道府県内に限る。)に参加する場合
c 精神保健福祉センター、保健所等において精神保健福祉業務として行われる社会復帰相談指導事業等の対象者又はその同一世帯員が、その事業を継続的に活用する場合

AAも「断酒を目的とする団体(断酒会)」の範疇なので、受給者が継続的にAAミーティングに出る場合には、交通費を支給して良いわけです。

この移送費にも不正受給の問題もあります。AAに行ったと言って福祉事務所から移送費を受け取って、その金で酒を飲む人だっているので、福祉事務所からAAに「出席証明書を出せ」と要求が来るわけです。しかし、証明書を出すには相手が本人であることを確認しなくちゃなりませんが、AAは会員登録の要らない団体ですのに、生活保護の人だけ身元確認をするわけにはいきません。そこで「本人なり福祉事務所なりが、本人名のすでに書かれた用紙を用意してくれるのだったら、そこに署名捺印だけはしますよ」というスタンスになります。(それでも三文判を買って偽造して不正受給とか、しょうもない話は後を絶ちませんが)。

bの項目は、二泊三日以内の研修会だったら、費用を出すことも可、ということです。AAのラウンドアップとか宿泊付きのセミナーがそれに該当します。自治体によって、年に一回だけだったり、何度でも行きなさいだったり、また同一県内というのを拡大して隣県まで可だったりいろいろです。

この「断酒を目的とする団体」の解釈を拡大して、薬物依存の人がNAミーティングに通う費用を出してもらっているそうです。例えばダルク入所中の生活保護受給者が、ダルク外のNAに通う場合とか。

ともあれ、生活保護の人がAAミーティングに通うのには移送費の受給が可能で、田舎に行くと福祉事務所の窓口の人でさえ、そんな項目があることを知らない、ということです。


2012年05月21日(月) すきま市場ばかり開拓したがる日本のAA

竹内達雄先生とのお話の続きです。

日本にはアルコール依存症者が80万人いる、という数字があります。

これは、2004年に厚生労働省研究班の発表によるもので、3,500人を対象に調査を行ったところ、男性の1.9%、女性の0.1%がIDC-10の診断基準を満たしました。全体では0.9%で、これから80万人という数字がでてきます。(※「成人の飲酒実態と関連問題の予防に関する研究」主任研究者樋口進)

(ちなみに、判別にIDC-10ではなくKAST(久里浜式アルコール症スクリーニングテスト)を使うと、440万人という数字になります)。

一方、厚生労働省では「患者調査」ってのもやっています。
患者調査
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/10-20.html
これは病院や診療所をどんな患者が利用しているか3年ごとに調べているものです。最新の調査は2011年に行われましたが、まだ統計データが公表されていないので、2008年のを参照することにします。

統計表の中で、疾病の小分類まで分類しているものを見てみます。IDC-10の「アルコール使用<飲酒>による精神及び行動の障害」の小分類では、

推定入院患者数12.7千人
推定外来患者数 4.5千人

これは、調査の日(2008年10月のある一日)に全国の医療機関に入院しているアル中が12,700人ぐらいいること。その日に外来で受診したアル中が4,500人ぐらいいる、ということを示しています。

この二つの数字を合計すると、1万7千人ぐらいになります。外来については、別の日に受診する患者さんもいるので、

総患者数=入院患者数+初診外来患者数+再来外来患者数×平均診療間隔×調整係数(6/7)

という式を使って、総患者数を計算します。すると

総患者数50千人

つまり5万人という数字が出ます。(男性は4万1千人。女性が9千人です)。

アルコホリックが80万人いる中で、医療機関を受診しているのは5万人しかいない。1割以下です。残りの75万人はどうなのか。おそらく大多数は依存症の治療は受けていないでしょう。

この75万人をどうすればいいのか。

一つの案として、アルコール依存症で医者にかかっていなくても、その他の病気で医者にかかっている人はたくさんいるでしょう。だとすれば、内科医や産業医に対してアルコール依存症の啓発活動をすれば、早い段階でアディクションの専門医へと紹介してもらうことができるはずです。

「自殺者の3割から、血中に高濃度でアルコールが検出された」という調査がありました。アルコール依存症は自殺のリスクファクターです。だったら自殺予防と依存症の啓発を組み合わせることにすればいい。自殺予防のゲートキーパー教育で、「うつ」ばかりでなく、大酒飲みは自殺予備軍という知識を広める手もあります。

いやいやそもそも、アルコホリックを医療で治療する必要があるのかどうか。いまは過剰な医療化が批判される時代です。例えば中年ハゲにAGAなんて病名を付けて治療する必要があるのか。アルコホリズムが病気であり治療が必要だとしても、その治療を健康保険を使って医療機関で行う必要があるのかどうか。薬物療法中心の精神科医療のなかで、前述の5万人の中には、不要な薬を飲んでいる人が結構たくさんいるのじゃないか。特に、ベンゾジアゼピン系の常用量依存の問題は前にも書きました。

竹内先生との話から少し離れて、AAメンバーとして考えてみます。

AAの唯一の目的は、「いま苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶこと」です。まだ酒をやめられない人に、酒をやめる手段を伝えていくことです。だから、AAメンバーは、アルコホリックが入院している病院を訪問し、患者さん相手に話をします。最近ではそれは、病院の治療プログラムに組み入れられることが多くなり、AAがやっていることなのか、病院がやっていることなのか、区別が曖昧になっています。

そして、AAメンバーは、この「病院を訪問して患者さん相手に話をすること」が、AAのメッセージ活動そのものだと考えるようになっています。(もちろんそれは勘違いですが、今回はその話ではなくて)。

いつからAAは、メッセージを運ぶ先を「医療機関に限定」してしまったのでしょう。そこには80万人のアルコホリックのうち、わずか5万人しかいないというのに。その5万人がすべてだと思ってしまっています。75万人というボリュームゾーンを避け、5万人のニッチ市場?の開拓に熱心なのが日本のAAです。

日本のAAメンバー数が増えないのには様々な理由がありますが、メッセージを運ぶ相手を限定してしまっているのも一つの大きな原因でしょう。75万人という手つかずのターゲットを相手にすれば、おのずと結果は変わってくるはずです。

具体的にどうすればいいのか?

例えば、アメリカのAAは報道メディアとの協力関係を重視してきました。これを見習うこともできます。AAでは、ほぼ毎週末、どこかでオープンスピーカーズミーティングやセミナーが開かれ、何十人、何百人というメンバーが集まっています。しかし、そうしたイベントの広報活動は、ほぼAA内部に留まっているか、せいぜい前述の医療機関にまで知らされるに過ぎません。

それを変えましょう。地元のローカル新聞に頼んで、イベント告知欄に載せてもらいます。また、記者にイベントの取材をしてもらっても良いでしょう。すると酒の問題で困っている人が、その新聞に目をとめて、会場まで足を運んでくる、ということが実際に起きます。その人がその後AAにつながってくれるかどうかは分かりませんが、それまでAAに縁もゆかりもなかった人に、AAの存在を認知してもらうことには成功します。

また、地元で人の集まる場所、公民館やスーパーなどの壁にある掲示板に、AAの存在を知らせるポスターを貼っているメンバーもいます。それを見た人たちが、医療機関にかかる前にAAに来たって良いのです。わざわざ医者にかかるほど重症化するまで放置しておく必要はありません。

はたまた、昨今では各地でアディクションフォーラムやアディクションセミナーという名前で、アルコールの問題だけに限らず、様々なアディクションの問題を取り扱い、社会にアピールするイベントが行われています。そうした外部イベントに参加するのも手です。

このように、75万人、いやもっと多くの人たちにアクセスする手段はたくさんあります。ここに書いた以外の手段もいくらでもあるでしょう。それも「AAのメッセージを運ぶこと」であり、AAの存在目的そのものです。

なのに、日本のAAメンバーは病院を訪問することばかりに熱心であり、また仲間内の秘密結社的なAAイベントを運営するのに熱心であり、他のことには目を向けないばかりか、今までになかった提案をすると「それはAAのやり方じゃない」などといってAAの存在目的そのものを否定するような発言が飛び出してきたりします。

まったくやれやれです。


2012年05月14日(月) 外在化・内在化

週末には実家で田植えが行われていたはずですが、土日とも東京・横浜にいたのでまったく手伝えませんでした。最近、(当事者)仲間からばかりでなく、援助職の方からもこの雑記を「読んでます」と言われることがたびたびあり、うかつなことを書かないように気をつけておかなくちゃ、という気持ちでいます。ただ、雑記の更新間隔がのびているのは、単に忙しいのが理由です。

しばらく前のことですが、某所で竹内達夫先生と話をしていました。

僕は、12ステップは基本に忠実にやること、つまりビッグブックに書かれたようにやることで、ステップの有効性が高まると考えています。それは例えば「本能」という概念を使うことや、表を使った棚卸しをやることです。それについては実績も上がっているので心配していません。

ところが、ビッグブックに忠実にやろうとすると、それについて来られない人たちが出てきてしまう悩みもあります。ジョー・マキューの作ったリカバリー・ダイナミクスは、12ステップを視覚化・構造化するテクニックで分かりやすく伝えています。これには間口を広める効果が確かにあります。それでもやっぱり、誰でもオッケーというわけにはいきません。

12ステップは誰にでも効果があるわけではない・・というのは冷徹な事実です。ビル・Wはその事実と向き合い、対応策を見いだそうとした人です。霊的体験こそが回復のカギだと信じた彼は、それに似た体験をもたらすLSDに期待をかけ、実際にLSDユーザーになり人に勧めてもいました。(当時はLSDは合法だったものの、AAの評判に関わると言われて撤回しましたが)。

ビッグブックのやり方が良いとしても、有効性を高めようと努力するほど、そこから外れてしまう人たちの存在が際立っていきます。何か別の手段が必要なのじゃないか。

その時に僕が気になっていたのが、べてる式当事者研究です。「当事者研究」は北海道浦河にある精神障害者のグループホームべてるの家で作られたアプローチです。

べてるの家というと、「降りていく生き方」や「幻覚妄想大会」という言葉ばかりが注目されますが、実は12ステップの流れを汲む「8ステップ」というものを持っています。もともと統合失調の分野では、SA(スキゾフレニックス・アノニマス)というAA類似のグループがあって、その流れを汲んでいます。

当事者研究は、以前は自己研究と言われていたように、自分で自分の病気のことを研究します。ここで言う病気とは、統合失調の症状(幻聴など)に限らず、生活上の困難や、対人関係の問題を含みます。自分一人で研究し、症状に名前(病名)をつけ、解決策を探っていくやり方もあるそうですが、普通は、たとえばホワイトボードを使って開示し、同じ立場の仲間や支援者といっしょに解決策を考えていきます。

僕が当事者研究に興味を持ったのは、これが発達障害の人の支援の現場で使われていることを知ったのがきっかけです。その場に依存症の人も仲間として参加していると聞いたとき、「なんだ、じゃあこれをアディクションの人に使えば良いじゃないか」と考えたのです。

統合失調であれ、発達障害であれ、またアディクションであれ、本人は日常生活で様々な困難を抱えていますが、それをうまく言葉にして表現できるとは限りません。なので解決の手助けを受けることもできず、自分なりの対処方法(大声を上げるとか、過食するとか、ひきこもるとか)に留まってしまっています。当事者研究はアセスメントに使える道具です。

12ステップにしても、当事者研究にしても、キーワードは「外在化」だと思います。その人の抱える問題がその人の「中」に留まっている限り、自分なりの対処方法しか取れず、解決に導けません。12ステップでは、棚卸し表を使って、問題を「外」に取り出します(外在化する)。そしてそれをスポンサーと一緒に分析します。スポンサーが他者の視点や違った対処方法をを提供してくれます。当事者研究では、ホワイトボードを使って外在化を行い、仲間(ピア)やコーディネーターと一緒に分析し、違った対処手段を提供します。

12ステップと当事者研究。細部は違っても、大まかな構造は同じではないか。

という話をしていたら、竹内先生から、「専門家以外で外在化という言葉を使う人は初めてだ」と言われました。僕はそれまで外在化という言葉が専門用語だとは知りませんでした。というのも、外在・内在というのは辞書に載っている一般用語だし、コンピューター・エンジニアリグのコンサルティングでも問題の外在化という言葉は使うからです(あこれは専門用語か)。おそらく、外在化・内在化というのは心理学の用語なのでしょうかね。

僕は心理の勉強をしたことはなく、たまたま12ステップと当事者研究の類似性を考えているうちに、「外在化」という概念を思いついただけなので、それを専門用語と言われてちょっとビックリした次第です。

残念ながら僕は当事者研究を学んで、それをアディクションの分野に普及させる活動をやっている余裕がありません。興味を持たれた方は、ぜひやってみていただきたいと思います。(アイデア料をよこせとは言いません)。12ステップが統合失調のコミュニティに伝わり、そこで当事者研究という形に変わって戻ってきて、ふたたびアディクション分野の役に立つとするなら、これは素晴らしいことではありませんか?

(アディクションに限らず、欧米のものを良しとする風潮ばかりで嫌になります。海外から講師呼んで、高い金払って。それがすごいことみたいに。もっと日本発のアプローチがあっていいんじゃないかと思いますね)

雑記をここで締めくくってもいいのですが、ちょっと追加します。

外在化と同じように大切なのは「内在化」です。棚卸し表をスポンサーと一緒に見ると、自分の欠点が見えてきます。それはかなり衝撃的な体験だったりするので、「ステップをやった」という実感を持たせてくれます。けれど、そこでスポンサーが提供してくれた他者の視点や、自分とは違った対処方法について、「そうかそういう見方もあるのか」と感心しているだけでは、新しい考え方や新しい行動は身につきません。

欠点を修正しようという根気強い努力が必要になります。それがステップ10です。新しい考え方や新しい行動が習慣化するまで続ける。これは新しい考え方や行動が、「外」から「中」に取り込まれる内在化のプロセスです。

ステップをやった。その時自分は変わった気がする。でもやがて元に戻ってしまった・・・。そういう人はこの内在化に失敗していると言えます。外在化(つまり棚卸し)がかなりいい加減でも、内在化がうまくいけばその人は変わります。でも素晴らしい棚卸しをしても、内在化がうまくいかなければ変化(=回復)は起こってくれません。

最後に関係ない話を。以前「ミーティングで話をすると回復する」とか「ライフストーリー形式の棚卸し」はナラティブ・セラピーの影響を受けているのじゃないか、という考えを述べました。とは言うものの、僕はナラティブ・セラピーの詳しいことは知らずにそう言っているだけです。こんなものを見つけました。

ジョン・ウィンズレイド博士特別ワークショップ
ナラティヴ・セラピーによる心理援助の進め方
http://www.jabp.jp/information/index3.html
う〜ん、5千円。往復の高速バス代も入れると1万円を越えますし、平日だから仕事も休まないと・・。言っているそばから欧米のものに惹かれているし・・。

竹内先生の来年の講演を打診したら「生きているかわからないし」と言われてしまいました。先生、そんなこと言わないで、いつまでも元気でいてください。


2012年05月07日(月) サービス

ひさしぶりの雑記更新。

AAのマークとして知られている、丸と三角のシンボル。


このシンボル、実はアメリカ・カナダのAAでは使わなくなっているそうです。
AAは長年このシンボルを使い続け、AAの商標だと主張し、AA以外の団体が(主にAAメンバー向けの商品に)このシンボルを使うことを止めさせようとしてきました。しかし、調べてみると、実はこのシンボルはAA誕生以前から禁酒運動で使われているもので、AAが権利を主張する根拠がないことがわかり、シンボルを使うことそのものをやめてしまいました。(元ネタはこちら)。

考えてみると、これはすごいことです。AAとAA以外のものを区別するために、他の団体にシンボルを使わせない努力をやめ、自分たちがシンボルを使わないようにした。そのことで「このシンボルがついているものはAAではない」とハッキリしたわけですから。

△の各辺には、RECOVERY(回復)、UNITY(一体性)、SERVICE(サービス)と名前がついています。今回はその「サービス」についての話です。

以前掲示板にブラジル在住の日系人メンバーがいらしたのですが、彼はサービス活動のことを「奉仕活動」と呼んでいました。

サービス活動とは何か? それは「新しい人にAAのメッセージを伝えるために必要なすべてのこと」を指すのだそうです。

大仰に考える必要はありません。例えば新しい人にメッセージを伝えるためには、まずAAが存在し続けなければなりません。だから、ミーティング会場を開け続けること、ポットにお湯を用意すること、茶碗を洗うこと、椅子を並べること、これらすべてAAのサービス活動です。

誰もいなければミーティングが成立しませんから、ミーティングに出席し、自分の番が来たらしゃべること、これもサービス活動です。スポンサーとして飲まないためのアドバイスをしたり、12ステップを伝えることもサービス活動です。

そうすると、熱心なAAメンバーがやっていることは、そのすべてがAAのサービス活動だと言えます。自分とそのまわりの人たちのことだけを考えるのなら、それだけで十分だと言えます。

しかし、まだAAの存在すら知らないアルコホーリックにAAのことを知らせたり、これからアルコホーリックになる運命を背負って生まれてくる赤ん坊のために、何十年も先にもちゃんとAAが存在し続けることを保証するためには、それだけで十分とは言えません。

そのために、例えばグループから代表者を出し、いくつかのグループで集まって活動することも必要です。また、その中からさらに選挙で人を選び、より広いエリアで、あるいは全国レベルで活動してもらうも必要になります。外部の人がAAに連絡するためのオフィスを構えたり、出版物を出したり、他の国のAAと連絡を取り合うことも必要になります。

通常は、グループを越えたこうした活動に対して「サービス活動」という言葉を使います。AAという団体は、このサービスが活発に動いている団体だと思います。

しかし、このサービスの分野は人材不足だと言われます。今に始まったことではなく、10年前からそう言われています。全国レベルでは評議員のなり手が足らず、欠員が出ています。1990年代半ばにAAのサービス機構を整備した人たちは、将来AAメンバーが増え、サービス活動がますます活発になることを予想して、すこし大きめの(つまりたくさん人数が必要な)機構を作ったそうです。いわば子供の成長を見越して、すこし大きめの服を買うようなものでしょうか。それが裏目に出て、熱心な人材を早々に使い果たし、なり手集めに汲々とするようになってしまったのが日本のAAの現状です。だから、サービス構成を縮小すべきだという意見も出てきています。

役割のなり手が足りないのは全国レベルだけではありません。地域や地区のレベルでも役割の引き受け手が足りず、一部のメンバーに負担が偏っています。

グループ数は増え、AAメンバーの数も増えているはずなのに、サービスの人手不足・人材不足は変わりません。これはどうしたことか。「タダでもらったものはタダで返せ」とか「最近のメンバーは感謝が足りない」と嘆く古株もいます。日本のAAメンバーは、自分が飲まないだけで満足し、他の人の手助けをする美徳を失ってしまったのでしょうか。

僕は「サービス活動に参加することの素晴らしさ」を訴えるだけでは、この状況は打破できないと考えています。問題はもっと根源的なところにある、と。

今は使われなくなったAAの丸と三角のシンボル。その三角形の各辺には、回復・一体性・サービスの言葉があてられています。そして、三角形の底辺にあるのは「回復」です。回復が一体性とサービスを支えているのです。回復あってこその一体性、回復あってこそのサービスです。

日本のAA共同体でサービスの力が弱まっているのは、実は12ステップの力が弱まったことの表れです。AAグループ数、AAメンバー数は増えていても、ステップによる回復を経ていないメンバーが増えなければ、サービスはいつも人不足のままでしょう。

ジョー・マキューの本には、「人は霊的目覚めを体験すると、それを他の人に伝えたくなる」とあります。これはたまたまジョーの本の言葉ですが、ジョーだけでなく、12ステップを経験した多くのメンバーの実感です。

感謝ってのは言われてするものじゃない。内側から勝手にわき出るものです。スピリチュアルな回復を経験した人が、それを新しい人に伝えて手助けしたいと思うのは当然のことです。そうして自分の周りの人への奉仕をするうちに、それだけでは足りないことに気づき、グループを越えて「(いわゆる)サービス活動」に参加していくのが本筋でしょう。

ジョーの本には、人に「生き方」を伝え教えることは手間がかかるので、つい人は「ルール」を作って人に押しつけることで済まそうとする、とあります。しかし、ルールを作ったところで、人がそこから逸脱することは避けられません。刑罰をいくら厳しくしても、刑務所に入る人はなくならないのです。ルールではなく、生き方を教える必要がある。それが子供のしつけであり、また本来の教育の姿です。そして、12ステップはもちろんルールではなく生き方です。

最近、日本のAAの様々なレベルで出てくる議題や話題は「ルール作り」に関するものが増えているのじゃないでしょうか。それもまた、12ステップの力が弱まっていることの表れであると感じています。

どうすればいいのか? もちろん、答えはシンプルなものです。


2012年04月24日(火) 「あなたのためだから」

仕事柄IT関係のサイトは時々覗いています。中でも小寺氏の文章には、忙しくてもなるべく目を通すようにしています。その中にこんな文章がありました。

小寺信良「ケータイの力学」:青少年条例と憲法の関係
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1111/07/news053.html

> 自由主義社会において、人の行動を規制するというのは、憲法に定められた数々の自由を制限することであり、大変な権力である。曽我部先生の講演でもっとも興味深いのはこの部分だ。
> 「あなたのためだから」という理由で人権を制限できるのか。通常人権の制限は、他者の人権や公益を害する場合にのみ可能である。したがって、本人にとって有害であることを理由に、人権制限はできないのではないか。例えば成人であっても過度の飲酒・喫煙は健康を害する恐れがあるが、行動が規制されているわけではない。

引用元は未成年のケータイ使用を規制する法的根拠についての話なのですが、引用部分は「本人のためだからという理由で人の自由を制限できるか」という問題提起になっています。

自立支援というニーズ
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20111025
どこから手を付けるべきか(その3)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20111013

という雑記のエントリでは、金銭管理ができないために、所持金をあっという間に酒やギャンブルに費やしてしまう人たちのことを書きました。そして、その人たちのために、金銭を預かって小分けにして渡す公的サービスが必要とされていることも書きました。

けれど、考えていただきたいのは、人は自分の財産を自由に処分する権利を持っており、金銭管理のサービスはその権利を制限していることです。つまり、生活保護で月初めにもらった保護費を、一日でギャンブルや酒や買い物に費やしてしまい、残りの一ヶ月近くを食うや食わずで過ごすのも、その人の自由な選択であり、人にはそうした生活を選ぶ権利があるというわけです。

これには、常識を持った人はそういう選択をしないという前提があるように思えます。自分の行動がどんな結果を生むか予測がつき、たとえそうしたい衝動を持ったとしても、知性を働かせてそれを避けられる人であれば、その選択を「自由」なり「権利」と呼んでも良いでしょう。人に迷惑をかけるわけではありませんから。

それを「あなたのためだから」という理由で制限するべきなのか。

食うや食わずの生活に30日間近く耐えられる人だったら、その自由を認めてあげてもいいのかもしれませんが、実際に金が無くなって生活できなくなったからと、相談に来られる窓口のほうは困ってしまいます。

衝動的に、あるいは無計画にお金を使ってしまい、月半ばで生活費が足りなくなってしまう。酒や薬やギャンブルが止まっても、それが改まらない人がいます。それが買い物に対するアディクションというわけではありません。

その背景には知的障害や発達障害が隠れいているのかもしれません。そうした障害がなくとも、成長する過程でそのスキルを身につける機会がなかったのかもしれません。

いずれにせよ、足りないと言われて金を渡し続けるわけにもいきませんし、叱ってみても説教してみても、そうした金の使い方が改まるわけでもありません。だからといって、ほっておいて良いというものでもありません。例えば、福祉事務所の職員が困窮した相談者を追い返して、その人が餓死してしまったら、人権侵害だとして糾弾されること間違いなしです。

結局、お金を全額その人に渡さず、小分けにして必要なだけ渡すことになります。つまり、誰かがその人に替わって金銭管理を代行するわけです。

家族がいれば、家族に管理してもらうのが理想です。でも一人暮らしの人はそういうわけにいきません。また家族がいても、家族も同じ問題を抱えたりします。金銭管理を代行する公的なサービスが必要です。

成年後見制度というのがあります。認知症のお年寄りや、知的障害の人が、だまされて高額な商品を買わされたりしないように、本人に代わって財産を管理する仕組みです。裁判所が後見人を選びます。各地の社会福祉協議会で後見人を引き受けるサービスをしています。ただ、これの法定後見制度は明らかな障害がないと使えません。

手帳を持っていないレベルだと、本人が同意して契約することで任意の後見制度が使えます。ただこれは任意契約なので、本人側からの申し出で解除できます。金銭管理を受ける側とすれば、「自由を制限されている」と感じるものです。自分の金なのに全部渡してもらえないのですから。だから、不満に思って契約を解除しちゃうこともしばしばです。(せっかく本人を説得して同意させたのに・・・)

そんな感じでいろいろ面倒なので、福祉事務所の職員が、金銭を小分けにして渡したり、現物支給することも行われています。あるいは、訪問看護や介護の人が善意で金銭管理したり・・。本当はそういうことはしてはイケナイのですが、現実的にそれしか解決策がないこともあります(でも法的には根拠がない)。

話は変わって、何度も刑務所に入る人は、生活能力に支障があって、刑務所の外ではなかなかうまく暮らしていけない人も少なくありません。(刑務所の中ではきっちり管理されて生活できるし)。そういう人に対する出所後の生活支援を行うとすると、どうしても(金銭管理も含めて)何らかの自由の制限をせざるを得なくなります。すると「外に出ても刑務所と同じぐらい自由がない」と感じてしまう・・という話も聞きました。

明らかな障害を持っていない人に対しても、公的な金銭管理のサービスを提供する必要があるのだと思います。(法定後見制度みたいな使いにくい仕組みじゃなくて)。でも、それは人に自由を制限することにつながります(しかもそれに法的根拠を与えろという話になる)。

そこで冒頭に書いたような、そもそも「あなたのためだから」という理由で人権を制限できるのか、という話が登場してきます。

人権の制限にはそれなりの根拠が与えられてきました。認知症のお年寄りや知的障害の人には「判断能力がないから」。未成年には「判断能力が未熟だから」。

しかし、現実の「困った人たち」は、そういう明らかな判断能力の欠如はありません。生活費を使い果たしてしまうことを見ると、やはり何らかの能力の欠如はあるのでしょう。でも、それは手帳とか診断書という形では証明されません。だから、制限することに法的根拠がない・・にも関わらず、現実には制限せざるを得ない。「あなたのためだから」という理由で。そこに現場の困難、困惑があります。どうすれば良いのかは正直僕にはわかりません。

ただ、一つだけ確かなことがあるとすれば、それはアディクションがとまっても「解決せずに残るもの」だということです。酒や薬やギャンブルが止まっても、まだ金銭管理の問題は残る人はいます。「回復すれば」とか、12ステップをやれば解決するというものではありません。別種の手助けが必要です。

もう一つ「家族が管理してくれれば理想だ」とは書きましたが、その家族が親である場合は問題が残ります。親が年老いて死んでしまうと、管理できる人がいなくなってトラブルが表面化します。親が生きているうちは、ちゃんと働けて、生活できていた人が、独居になったとたんに生活が崩壊・・という話は珍しくなく、AAで病院メッセージに行くと、患者さんの話に良く聞きます。親としては、よかれと思って面倒を見ていたのでしょうけど。

この雑記で何が言いたかったかというと、管理される側からは「自由を奪って」と責められ、内心「人権侵害なのでは」と悩み、やっていることに法的根拠がないことに不安をおぼえ、それでも目の前の問題を解決しようとしている人の心情、お察ししますということです。


2012年04月15日(日) バック・ツー・ベーシックス騒動(その4)

日本のAA以外の12ステップグループを眺めてみると、施設との関係を断ち切れていないところが目立ちます。いや具体的に名前を挙げるのは憚られますが。施設と自助グループの密な関係は、最初は相互の発展に寄与するでしょうが、時間を経るに連れて弊害が拡大していくようです。最大の弊害は、自助グループが外部からの影響を排除できなくなると、グループの有用性が失われてしまうことです。だから、早めの独立が望ましいし、これから施設の影響を被りそうなグループに対しては、AAのこうした経験を分かち合うことも大切でしょう。

鴨川の集いは多くの賛同者を生み出しましたが、彼らにとってはマック経験者から異を唱えられたことは心外でした。これが新たな感情的しこりが生まれたことは間違いありません。まるでマック派とビッグブック派が生まれ、お互いに足を踏んづけ合うような状況が生まれました。もちろんそれが良い結果をもたらすことはありませんでしたが。

鴨川で使ったバック・ツー・ベーシックスはAAメンバー夫妻の書いたものだったとは言え、ワリー・Pの著作と名前が同じで中身も似通ったものであることが難点で、後に「ビッグフット」という名の別のフォーマットが日本人AAメンバーによって作られています。

こうした台本ミーティングやスタディ・ガイド本の是非については、常任理事会まで持ち込まれたことがありましたが、当時の理事会はアメリカの理事会の声明を引用しました。アメリカの理事会としてはAA公式のスタディ・ガイドを出版する必要性を認めないこと、AAメンバーがそれを出版したり、活用することには反対せず、個々のグループが使うことについて理事会は意見を持たないというものです。ただし、日本の常任理事会は独自の声明として、そうした個人や外部で作られたものは(AAの原理を正しく反映しているとは限らないため)、AA外部においては(例えば病院メッセージなど)でAAを紹介するために使わないように要請を発表しました。

バック・ツー・ベーシックスが日本のもたらしたものはなんだったのでしょうか?

それは12ステップは「教える」ことが可能であること、そして教えることが必要とされている、という認識を広めたことです。まさにそれはAAの原点に戻る動きでした。

マックという施設としてはビッグブックのプログラムを排除する意図など持っていなかったと思います。一部のOB・OGが過敏に反応しただったと僕は解釈しています。現在はそのマックで(それもミニー神父が始めたマックで)ビッグブックと教材を使って12ステップを伝えるやり方が始まっています。マックとビッグブックが対立するものという捉え方がナンセンスになりつつあります。時代は変わります。

評議員となって東京に通い出した2003年頃、僕はビッグブックを使った12ステップというものに、それほど強い関心を持っていませんでした。アメリカ帰りのAAメンバーからいろいろ聞かされていたものの、実際にそれに取り組むには心の中のハードルが高かったのです。実際多くの人たちがその段階(興味はあるけど手が出せない)に留まっていると思います。僕もそうでした。

実はその前の年に僕にスポンシー候補ができ、ビッグブックの分かち合いをやってみようかと提案して、ミーティングの始まる前30分ぐらい前に二人で待ち合わせ、それぞれ1ページずつ読んで感想を分かち合ってみました・・・でも、何にも起きず、分かち合いは2回やっただけで終わりました。「こりゃだめだ」どうも自己流ではダメっぽい、ということだけは分かりました。

そんな時期に、B2Bの騒動を知り、過去の出来事を調べるうちに、なんだか自分のやっていることはビッグブック・ムーブメントの擁護活動みたいになっているのに、当のビッグブックによるステップのことはまるで知らないな、と気づかされ、そして「集い」の中に混じっていったのです。involveという言葉には、参加するという意味もありますが、僕の場合には「巻き込まれる」という感じのinvolveでした。

でも、そうでもなければ、ビッグブックをやっている人たちのことを未だに遠巻きに眺めていただけだったかもしれません(あるいは飲んで死んでいたか)。あの時巻き込まれたことも、今となってみれば、恩恵だったことが分かります。そう、今となってみれば。いつだって、後になってみなければ分からないことはあるものです。

(この項おわり)


2012年04月12日(木) バック・ツー・ベーシックス騒動(その3)

出版物について調べていくうちに、日本のAAは、過去にAA以外の本を売っていた時代があったことが分かりました。例えばヘイゼルデンの『スツールと酒ビン』『一日24時間365日』、アラノンの『今日一日だけ』、その他に『アルコール中毒という病気』というパンフもありました。これらは多くが、日本のAAを始めたピーター神父が翻訳し、マックとAAがほぼ一体だった時代に発行されたものです。

そう、日本のAAはその始まりの頃、マックという施設と密接につながっていました。そして、その後、痛みを伴う分離がありました。僕は何人かのAAの古老に話を聞き、当時なにがあったのか資料を当たりながら調べました。

日本のAAを始めたのはミニー神父というアメリカ人です。彼は京都大学で講師をしていたのですが、酒が酷くなって様々トラブルを起こし、アメリカに帰され、そちらのAAで回復しました。日本は彼にとっては古戦場(AAメンバーは以前飲んでトラブルを起こしていたフィールドをこう呼ぶ)であって、二度と日本には行きたくないと思っていましたが、教会の仕事として、またステップ8・9の埋め合わせのためもあって、しぶしぶ日本を再び訪れることになりました。

日本に来た彼はAAがないことを嘆き、精神病院を巡って患者を紹介してもらったり、断酒会を回って仲間を集め、ミーティングを始めました。これが日本のAAの始まりとなります。

一方で彼は「マック」というアルコホリックのための施設を始めます。その時、彼はドヤ街の住人を対象に考えたようです。なぜそうしたのか。仕事も家族も持っている人たちには、すでに断酒会という回復の場があるが、社会的地位を失った者に手を差しのべる人はいない、という主旨の文章を彼は書き残しています。それもあったでしょう。

アメリカでは19世紀より、困窮者に救いの手を差しのべ、同時に宗教的サービスも提供する「ミッション」が行われています。(たくさんの宗派がミッションを実施していますが、有名なのは救世軍です)。ビル・Wがサミュエル・シューメーカー師の導きを受けたのも、カルバリー・ミッションでした。ミニー神父には、そうしたミッションのことが頭にあったでしょうし、メリノール宣教会の資金を使う理由にもなったことでしょう。(MACとはメリノール・アルコール・センターの略)。

その片腕として呼ばれたのが、当時「受取人のいない荷物のように」教会内であっちからこっちへと(酒のせいで)移され続けていたピーター神父です。ピーターというのは洗礼名で、純然たる日本人です。彼の物語は、日本語版のビッグブック(個人の物語付き)の後ろの方に掲載されているので、ぜひ読んでください。

この二人の神父が日本のAAを始めた、ということになっています。(ピーター神父も神学校で教鞭を執ったことがあり、二人ともインテリです)。そんなわけで、日本の初期のAAメンバーにはこの施設の世話になった人がとても多く、かつ回復後に洗礼を受けてカトリックに改宗した人も少なくありませんでした。

最初の頃のAAのオフィスはマックに間借りしていました。多くの人たちが「AA=マック」だと思っており、「マックAA」や「AAマック」という呼び名すら存在しました。間借りはAAにとって大きなメリットでした。経済的にも、また知名度からも。

「12の伝統」からすれば、AAが特定の施設や団体と特別な関係を持つことは良くないとされています。伝聞によれば、AAのオフィスに対して「マックから出ていくように」と言ったのはピーター神父だそうです。AAメンバーたちはマンションの一室を借りてJSOというオフィスを立ち上げました。1981年10月のことです。

JSOのマックからの独立は、AAとマックの分離にとって象徴的な出来事でしたが、それだけでは精神的な独立を達成するには不十分だと、当時のAAメンバーたちは考えられたようです。3年後には、JSOはAA以外の出版物を取り扱わないことに決め、前述の『一日24時間』や『スツールと酒ビン』などの在庫が廃棄されました。

また、そうした本をミーティングで使わないようにというお触れも出たようです。それらの本はミーティングで使われてAAメンバーに親しまれており、廃止には抵抗もあったようです。ハッキリとはしないのですが、当時、マックとの関係をある程度維持しようとする一派と、AAの完全なる独立を達成しようとする一派の間で、せめぎ合いとでも言うべき事態があったようです。だから、そうした本を使っているミーティングを訪れて注意することも行われたと聞きます。(AAが統治機構を持たないとは言え、改革期には極端なことも行われたということでしょうか)。

特に『一日24時間』についてはAAメンバーの愛着が強く、どうしてもミーティングで使い続けたいと考えた人も多かったようで(僕も良い本だと思います)、廃止後には海賊版も出回り、翌年には横浜のホームカミングがヘイゼルデンから版権を取得して新規訳出となりました。その他の本も、人気の高かったものは現在は概ねどこか他から手に入りますが、もはやそれらがAAミーティングで使われることもありません。

1980年代、90年代は、日本AAのサービス機構が整備されていった時代です。関東常任委員会やゼネラル・サービス・ミーティングが始まり、日本AAの創始者たる二人の神父にかわって、AAメンバー達がAAのことを決定できる仕組みが整っていきました。

東京の都心部のAAは「中央」「城東」「城西」「城北」「城南」の5つの地区に分けられていますが、その地区わけの際に、境界をまたいで別の地区にミーティング会場を持っていたグループは、その会場を閉鎖したり、別のグループと会場を交換して、地区境界をまたがないようにするように言われたところもあったそうです。

当時のWSMの資料を読むと、「AAならぬもの」の影響を取り除こうとしているのは日本のAAに限らないようで、例えばバースディで贈られるメダルをAA公式のものでないと認定したり、AA以外の本をオフィスで取り扱うべきではないという話などが、伝えられています。日本のAAの動きもそうした世界的な潮流に沿ったものだったと言えます。

施設に関わってみると分かりますが、施設スタッフは利用者に大きな影響を持ちます。(利用者に何の影響も与えられなかったら、そのほうが問題です)。そしてその影響力は施設を出た後も続くものです。だから、施設から人がやってくる限り、グループは施設の影響を被ることになります。

AA独立派の人たちは、そうしたマックの影響を排除するのに懸命だったようです。前述のようにマック由来の書籍を排除するばかりではなく、例えばマックのステップセミナーのチラシをAAミーティング内で配ることを禁じたり、施設内のことについて明示的に話すことを諫める雰囲気を作っていきました。

まるでマックのことはAA内では禁忌であるかのように。

もうおわかりでしょうか。バック・ツー・ベーシックスを使った鴨川の集いについて、異を唱えていた人たちは、マックの出身者やその支持者が多かったのです。彼らにしてみれば、自分たちの愛する書籍はAAから排除され、世話になったマックのセミナーについて仲間に広報しようにもチラシを配るのすら苦労するという受難を味わったわけです。(AAとマックのプログラムは同じなのに!) その一方で、バック・ツー・ベーシックスが許容され、鴨川の集いのチラシは配って良いどころかAAの月刊誌にもその広報が掲載されている。この違いが納得できない(理屈はともかく感情が)、といういうのが本当のところだったのだと思われるのです。

10年、20年以上前に起きたAAとマックの分離運動で発生した感情的なしこりが、時を経てそんなところで噴出していたとは。

分離活動については「AAの人たちは、その本流をマックから取り戻した」と外部の人が評したそうですが、これまで見てきたようにそれは簡単なことではありませんでした。それでもまだ、日本AAは始まって10年も経たないうちに施設から分離独立することができたので良かったとも言えます。

日本のAAは、ピーター神父の翻訳による12&12を改訳し、さらに2000年にはビッグブックを改訳し、ピーター訳の文章とほぼ決別しました。夏になるとピーター神父の墓参りに行くAAメンバーもごく一部にいますが、もはや二人の神父の影響の残滓を日本のAAの中に探すのは困難です。創始の苦労を忘れるのは恩知らずだと言う人もいますが、この二人が創始者としての賞賛を拒んだことこそが、謙遜の実践としてその名を知る者に感銘を与え続け、望まれたとおり彼らは忘れ去られていくでしょう。「私だって、あなた達と同じ、ただのアル中です」の言葉通り。

(続きます)


2012年04月11日(水) バック・ツー・ベーシックス騒動(その2)

本筋に入る前に、すこし注釈を加えておきます。

ワリー・Pという人は、当時必ずしも評判が良いとは言えませんでした。彼がB2Bという集まりを、AAとは別の団体として動かそうとしており、自分がその創始者の座に納まろうとしている、という批判が寄せられてもいました。彼が本当にそのつもりだったのか分かりません。その後の彼は、B2BをAAから独立させることなく活動し、現在ではB2Bによって回復したAAメンバーは30万人以上に及ぶと主張しています。その数字には多少誇張が含まれているにせよ、北米のAAのなかで大きな影響力を持つ一派となったことは間違いありません。

さて本筋です。

鴨川の集いに反対する人たちの主張は、AA外部の出版物をテキストとしてAAミーティングで使うのは「良くないことだ」という主張でした。

AAには特に「外部の出版物を使っちゃいけない」という合意事項はありません。しかし、AA以外の12ステップグループにはそのような決まりを作っているところもあるとおり、むやみに外部からテキストを持ち込むのは良いことではありません。例えばAAのミーティングに行ってみたら、そこで聖書の勉強会が開かれていたとするなら、新しい人はAAをなんだと思うでしょう。そもそも、12ステップが薄められたという反省から活動しているとすれば、外から何かを持ち込むことは良いこととは思えません。その主張には説得力があります。

ところが、実は鴨川の集いで使われたテキストは、「バック・ツー・ベーシックス」という名ではあるものの、ワリー著のものではなく、マイク&キャシーという夫婦のAAメンバーが書いた別のものでした。あくまでもAAメンバーの書いたものですから、AA外部のものとは言いがたくなります。(実際にはその名の通り、ワリーのB2Bの影響を強く受けたテキストではあるのですが)。

AAメンバーが書いたものであれば「外部のものを持ち込んでいる」とは言えなくなります。

すると今度は、一人のAAメンバーが書いたものが、ちゃんとAAの原理をくみ取っている保証はあるのか? という議論に移りました。

ここで話はわき道に逸れます。

AAには評議会承認出版物というものがあります。例えばビッグブックは承認出版物です。これはその本が、AAの原理(12ステップや伝統)を正しく反映していることを、評議会が保証しているということです。

この一連の雑記の冒頭に述べたように、AAの12のステップは個人がどのように解釈しようと自由です。その解釈が「正しい」とか「間違っている」ことを判定する機関はAAにはありません。だから、ある人が12ステップにまつわる文章を書いたとしても、それは個人の解釈に過ぎず、AAの原理に合致しているという保証は与えようもありません。(この雑記だってそうですよ)。

しかしそれでは困ったことが一つあります。というのも、AAの創始者はすでに故人ですから、新しい本を書いてもらうわけにはいきません。となると、どのメンバーが書いた本にせよ、その内容は「正しいかもしれず、正しくないかもしれず」になってしまいます。それでは、新しいAAの本を出すことはできなくなってしまいます。

そこで、アメリカのAAでは、本を作る過程で手間をかけ、本の中身がAAの原理を正しく反映していることを評議会で検証して承認する仕組みがあります。そして、アメリカの承認出版物を翻訳したものは、そのまま日本でも承認出版物になると了解されています。

こうして承認出版物を使うことで、国の違いや時代の違いを越えて、いつも同じAAの12ステップが運ばれることを確実にしています。

そんなわけで、AAミーティングでは評議会承認出版物だけを使うべきだという主張がありました。鴨川の集いで使うテキストは、AAメンバーが書いたものではあるものの、それは一人か二人のメンバーが書いたものにすぎず、正しくAAプログラムを反映している保証がない。だから、それは良くないという主張でした。

実はAAは承認出版物ばかりを出しているわけじゃありません。AAの出版物には「評議会承認出版物」と「そうではない出版物」の二種類があります。「ではない」ほうは、例えばBOX-916という月刊誌です。これはAAメンバーの投稿によって成り立っている雑誌ですから、個々の投稿の内容について評議会などで「正しくAAプログラムが反映されているか」どうか審査しようがありません。あくまでも、記事の内容は「書き手個人の解釈にすぎない」のです。

また、AAミーティングでよく使われているハンドブックという小冊子があります。実はNYのGSOは、複数の評議会出版物から抜き書きして集めた本は基本的に許可していません。だから、ミーティングハンドブックは承認出版物たり得ないのです。

そんなわけで、あまり評議会出版物にこだわりすぎると、ミーティング・ハンドブックすらAAで使えなくなってしまいまし、BOX-916をミーティング場に持ち込んだだけで白い目を向けられる羽目になってしまいます。調べてみると、アメリカでは自分たちでローカルなパンフレットを作って使っている地域もあり、大局に影響を与えない限りは、そこの人たちがオッケーというならオッケーなのがAAでもあります。

鴨川で使うのが評議会承認出版物でないからダメだという話にも説得力がなくなりましたが、それでも話は収まりません。

(続きます)


2012年04月10日(火) バック・ツー・ベーシックス騒動(その1)

もう10年も前になるのかと思うと少々感慨深いものがあるのですが、2002年の夏の地域集会で選ばれて、2003年・2004年とAAの評議員を務めました。

ある程度大きな団体であれば、「決議機関」と、そこでの決議を執行する「執行部」というものがあるはずです。AAの執行部はボード(常任理事会)と呼ばれ、そのメンバーはトラスティ(常任理事)と呼ばれます。一方、決議機関はカンファレンス(全国評議会)と呼ばれ、全国から選ばれたデリゲート(評議員)と常任理事がメンバーです。

AAは統治機構を持たないので、常任理事会であれ評議会であれ、AAグループやメンバーに対して命令を下すことはできません。であるものの、評議会の決議は日本のAAグループの総意であるとみなされる重みを持っています。

評議員は地域のAAの声をすくい上げるために、結構忙しく活動しなければならず、アメリカでは「AAメンバーの離婚率は一般より低いが、評議員になると別だ」と言われるほどだそうです。僕も当時はほぼ毎月地元と東京での会議に出席していました。

そうした会議の中で、あるAAのイベントに問題があるのじゃないか、という話が出ていました。

そのイベントの主催は「AAビッグブックの集い」というAAメンバー有志の集まりで、イベントは千葉の鴨川で行われる一泊二日の12ステップ研修でした。それのどこが問題なのか?

実はその研修で使われるテキストが「バック・ツー・ベーシックス」という名前のテキストでした。

ここでいったん話はバック・ツー・ベーシックスに逸れます。

20世紀終わり頃のアメリカのAAでは、ジョー・マキューが述べたように「AAプログラムが薄められた」現象が起きていたようです。12のステップは個人がどう解釈しようとも自由で、そのため皆が首をかしげるような珍奇な解釈をする人もいますが、AAはそのような解釈の広がりを許容しています。しかし、20世紀後半にアメリカで依存症の治療施設がたくさんでき、そこから多くの人たちがAAに来るようになった結果、12ステップ以外の考え方が多くAAに持ち込まれ、12ステップの解釈が変質し、その効果が失われる結果となりました。いくら自由に解釈して良いとは言え、それがAAの根幹に関わるようでは看過してはおけません。

そこで対策として、12ステップの原点に戻る活動がメンバーの間に自発的に起こりました。その一つとして有名なのが、時折この雑記で取り上てきた「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」です。もう一つ有名なのが、ワリー・Pの「バック・ツー・ベーシックス」です。

ワリーさんは、ニューヨークのAAオフィスの記録庫を調べ、まだAAが外部の影響を受ける以前の1950年代に、AAがどのように12ステップを伝えていたかを調べました。そこで、当時はAAに新しく来た人(ビギナー)に12ステップを「教える」仕組みがあったことを発見しました。その仕組みを現代に再現したのがワリーの「バック・ツー・ベーシックス」です(略称B2B)。

B2Bの源流をたどると、AAのクリーブランドグループにたどり着きます。AAは、ビル・Wとドクター・ボブが出会ったアクロンで最初のグループが立ち上がり、やがてビル・Wがニューヨークに戻って二番目のグループがスタートしました。三番目のグループは、アクロンから60Kmほど離れた五大湖沿岸の街クリーブランドで始まりました。彼らはアクロンまで通って12ステップを身につけ、地元に戻ってAAを始めました。

クリーブランドで始まったAAの活動は、地元の新聞に取り上げられました。(その記事はAAの中で有名な文章として今も伝えられていますが、AAを賞賛する内容となっています)。掲載された記事を読んだ人たちが、クリーブランドのAAグループに殺到することになりました。

12ステップはスポンサーからスポンシーへ、一対一で伝えられるものとされています。その基本は今でも変わっていません。しかし、その記事によってたくさんのアルコホーリクがクリーブランドのグループに押し寄せたため、一対一で12ステップを提供することはとてもできませんでした。

そこで彼らは一計を案じました。ちょうどビッグブックができあがりつつあった時期でもあり、彼らは新しい人を一室に集め、ビッグブックを教科書(テキスト)として使い、古いメンバーを教師役にして、教室形式でステップを伝えました。そしてステップで酒をやめて二週間にもならない人が、今度は教える側に回って次の人たちの相手をすることで、爆発的にメンバーが増加しました。これが「クリーブランド現象」とし語り継がれるものです。ビッグブックの重要性が最初に実証された機会でもありました。

こうしたミーティングは「ビギナーズ・クラス」と呼ばれ、『リトリ・レッド・ブック』『スツールと酒酒ビン』の著者もこうしたクラスを運営していたことが知られています。

ワリーさんが再発見したものはこのクリーブランドの流れを継ぐものでした。彼はそれを60分×4回のミーティングに仕立て上げ、週に一度の出席で、4週で12ステップ全体をおおよそ把握できる仕組みを整えました。それが「バック・ツー・ベーシックス」(B2B)という本として出版され、アメリカ国内で広まりつつありました。

なぜそのような「集団で教える」仕組みが、20世紀後半のアメリカAAで廃れてしまったのかは分かりません。しかし、J&Cのビッグブック・スタディにせよ、B2Bにせよ、そのような「教える仕組み」の再興運動だったとも言えます。(おそらく廃れた原因は、その役割を施設が代行したからでしょう)。

B2Bは、ビッグブックからの抜き書きと、抜き書きについての解説になっています。B2Bミーティングではこれを読みながら進行します。実際には本を読むばかりでなく、インタラクティブな要素もあるようですが、スクリプト(台本)ミーティングと呼ばれるように、ミーティングはB2Bという台本に従って決まった形で進められます。

鴨川でのビッグブックの集いは、一泊二日でこのB2Bを実際にやってみようという試みでした。しかしこれが、AAメンバーの過敏な反応を呼び起こしました。

考えてもみて欲しいのです。それまで日本のAAメンバーは、「12ステップは教わるものではない」と捉えている人もいたし、AAミーティングというものは一人ひとりの「語り」によって成立するもので、台本通りに進行するミーティングなんてあり得ない、と多くのメンバーが考えていたのです。

(これについてはナラティブ文化の影響なのではないかという雑記を書きました。日本においても12ステップが「薄められる」現象が起きていたのではないかと思います)

AAにはミーティングはこのように進めなさいという決まりがあるわけでもなく、ステップを教えてはいけないという決まり事もありません。参加者が納得し、12の伝統に反しない限り、どんなやり方をするのも自由です。

しかし鴨川の集いに対して強固に異を唱える人たちもいました。そのような反AA的(!)なイベントの広報を、AAの月刊誌に掲載したり、AAミーティングでチラシを配らせるのは良くないと主張する人さえいました。おそらくその主張の背景には感情的なしこりがあるのではないか、と推測し、僕は評議員活動の一部として、その背景をさぐることとしました。

(続きます)


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加