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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年10月22日(月) AAのニックネーム 日本のAAメンバーのかなりの割合がニックネームを使っています。例えば僕は「ひいらぎ」と名乗っています。これは実名とは何の関係もありません。
ニックネームを使う習慣は日本のAA独自のもので、他の国のAAでは珍しいそうです。他の国のAAではニックネームを使わず、ファーストネーム(名字ではなく名前の部分)かフルネーム(実名)を使っているそうです。
この日本独自のニックネームという習慣は、日本のAAの始まりの頃に誕生したのだそうです。
日本語のAAが始まる前にも、米軍キャンプを中心に英語のミーティングが行われていました。ミニーさんとピーターさんの二人が日本語のAAミーティングを始めた時、英語グループの人たちがミーティングに参加してくれました(通訳は二人がしていたそうです)。英語のメンバーたちは当然お互いをファーストネームで呼び合いました。
そのミーティングに参加するようになった日本人メンバーたちは、「AAとはファーストネームで呼び合うところだ」と解釈し、自分たちに英語風のニックネームつけ呼び合うようになったのが始まりだと伝えられています。
時代が下ると、英語風のものばかりではなく、珍妙なニックネームを名乗るメンバーが増えました。一部には、ニックネームを使うこと自体が自助グループの習慣であるとか、それがアノニミティ(無名性)の実践であると解釈している人もいるようです。それは勘違いです。AA内部ではフルネームを名乗ってもちっともかまいません。(問題になるのは、AAの外で、しかも活字や放送やネットにおいて、AAメンバーであることと実名を同時に明かすことです――伝統11)。
依存症という病気には偏見があるので、AAにやってきたビギナーはこの病気を恥辱だと感じています。また、人とすぐに打ち解けられないタイプの人も少なくありません。だから、ビギナーが自分の身元を伏せておきたいと願うのは珍しいことではないし、住所や名前を聞かれないことで安心する人も多くいます。しかし、いつまでも身元を伏せ続けなければならない、というわけではなく、多くの人は、相応しいときに情報を明らかにしていくようになります。
最近では、奇妙なニックネームを使う人がやや減り、若い人たちを中心にファーストネームを使う人が増えてきました。つまり名字ではなく、名前の部分を使う人たちです。悪いことではありませんが、おかげで、女性のニックネームが憶えづらくなりました。だってそうでしょう?
ゆきえ、ゆきこ、ゆき、ゆり、えり、えりこ、りえこ・・・どうやってこの違いを憶えろと?
おそらく新しい世代が増えて行くにつれて、ファーストネームや名字の部分を使う人たちが増え、本名と無関係なニックネームを使う人は徐々に減るだろうと思います。しかし、この習慣はなくならないだろうとも思うし、それが特に悪いことだとも思いません。
以下は、先日僕が送ったメールの一部です。
・・・・・・・・
日本のAAメンバーが、本名とはまるで関連のないニックネームを使っていることについて、一つ私の経験を述べさせてください。
私は工場で使われる機器を販売する会社に勤めており、顧客の多くはアジア圏です。技術職なので、顧客と直接接する機会は多くありませんが、年に何回かは会わねばなりません。
中国人の名刺をいただくと、ピートとかトミーというニックネームがつけられていることがあります。中国語の発音は難しいので、外国人に中国名を無理に読ませて混乱を招くより、呼びやすい英語風のニックネームをつけてしまっているのです。
ところが、このピートやトミーという名前が、元の名前とアルファベット1文字ぐらいしか一致していないのです。(例えば私だったら、Susumu という名前からサミーとかになるかもしれない)。
こうしたビジネスの習慣が中国全体でポピュラーなものなのかどうか知りません。しかし、外国人と頻繁に取引のある中国人の間で受け入れられているようです。
私がこうした習慣に接したときに、内心反発を感じました。だって、どう見ても我々日本人とあまり変わらないアジア顔の中国人が、ピートとかミッチェルとかいう欧米名を名乗っているのですから「ふざけんな!」という気持ちを持ってしまいました。
私はそうした気持ちを言葉に出すことはしませんでしたが、まず間違いなく相手に伝わっていたでしょう。でも、彼らはそれについては何も言いませんでした。きっと、私のような反応をする人は珍しくないに違いありません。
人は異文化に接したときに、不合理な拒絶をすることがしばしばあります。それは自分が慣れ親しんだことと違うからです。しかし、やがてそれに親しむようになると、理解の幅が広がり、拒絶は取り除かれていきます。
中国人ビジネスマンたちは、私の表に出てしまった反発心をとがめることはなく、またそれに迎合することもなく、むしろ寛容と開かれた心で受け止めてくれました。今ではそれに感謝しています。
私は外国のAAメンバーに接する機会はあまりありませんが、それでもたまには接することもあります。そして、彼らが日本人AAメンバーが使っているニックネームの文化に触れたとき、戸惑ったような顔をするのも経験しています。それは異文化との出会いです。
その時私は、その戸惑いをとがめることはしませんし、また迎合することもしません。以前中国人ビジネスマンが私に示してくれたのと同じ、開かれた心と寛容さでもって受け止めようと務めています。私がそうであったように、やがては彼らも日本の習慣に親しみ、理解の幅が広がり、拒絶が取り除かれていくでしょう。実際そうなる様子を、私は何度も見てきているからです。
2012年10月19日(金) リーフレット「司会者の心得」について メールで問合せがあったので、他にも関心がある人がいるかもしれないと思い、雑記に書いておきます。
10年ほど前まで、日本のAAでは「司会者の心得」というリーフレットを頒布しており、ミーティングで読み上げられることもよくありました。
それには、こんなことが書かれていました。
・司会者が話したことも、他のどのメンバーが話したことも、個人の意見であり、AA全体を代表した意見でも、このグループを代表した意見でもありません。
・持ち帰りたいものは持ち帰り、それ以外は、この場に置いていってください。
・ここで話されたことや、ここで会った人のことはこの部屋にとどめておいてください。
・出席している方々のプライバシーを尊重するために、写真撮影、テープ、メモ等はご遠慮ねがいます。
なぜこのリーフレットが作られたのか古老に聞いたところ、かなり以前に関東でプライバシーがひどくないがしろにされるトラブルが続発し、対策として自分たちで作ったものが徐々に広がって、やがてオフィスから配布されるようになったそうです。
「司会者の心得」に書かれたことの中には、AAの方針に間違いなく一致する部分もありますが、それぞれのメンバーやグループの判断に任せるべき部分も含まれています。ところが、これがミーティングで読み上げられていると、これがAA全体の方針であるとか、ルールであると勘違いする人が増えてきました。
例えば、どこそこのミーティング会場で○○さんに会った、という話をヨソでしてはいけないのだ、とか、ミーティング会場でメモをとってはダメなのだ、というふうに、これを「AAのやり方」とか「ルール」と解釈し、そこから外れた人を責める道具に使う人まで現れました。それは、最初に善意でこのリーフレットを作った人たちの意図から明らかに外れたものでした。
そんな事情もあって、10年ほど前に「司会者の心得」は廃止することになりました。もちろん、もう使ってはならぬ、という話ではなく、使いたいグループが使い続けるのはそのグループの自由ですが、AA全体で使うものとして配布することはやめたということです。
代わりに希望するグループには「ブルーカード」というのを頒布することにしました。ブルーカードも「司会者の心得」に似たリーフレットで、ミーティング会場で読み上げられることを目的としたものです。そこに書かれた文章を要約すると、とてもシンプルです。
・「AAの目的は一つ」であり、ミーティングでは「アルコールの問題」「アルコホリズムに関わること」だけが分かち合われるようにお願いします。
というものです。
僕としては「司会者の心得」が「ブルーカード」に替わったのは良いことだと思っています。
「司会者の心得」の内容は善意で書かれたもので、常識的なものです。例えば、プラバシーを尊重することは(自助グループに限らず社会一般で)大事なことです。ミーティングで自分が話したことが、どこまでも広がってしまうのであれば、話しづらくてしかたありません。特にビギナーにとって、秘密が守られるということは大事なことです。依存症という病気に対する偏見は少なくなってきているものの、自分がその病気であると認めるには恥の意識が邪魔になることもしばしばです。それを認めることが回復の第一歩であるなら、ビギナーの回復のためにもミーティングで話されたことが外に漏れないことが大切です。
でも、ビギナー期を過ぎれば次第にそのことは気にならなくなります。何百人の聴衆の前で話をしたり、何千部も発行される雑誌に記事を書いたりできるようになります。それは、自分自身の中にあった(病気に対する)偏見が取り除かれていったから、つまり回復の結果です。
ミーティングで話をしている目の前でメモを取られたら、話しづらいでしょう。取材じゃないんだし。多くのグループでミーティング中のメモを歓迎しないのには、そんな理由があると思います。
でも私たちは「経験を分かち合う」ためにミーティングをやっています。つまりそれは、お互いに経験を伝え合うということです。伝えるために話をしているという意識があれば、相手が「メモを取っても良いか」と聞いてきたら、断る理由はありません。
おわかりでしょうか。ミーティングで聞いた話は一切外に漏らしてはいけないわけではないし、メモが禁止されているわけではありません。「司会者の心得」が伝えたかったことは、そんな表面的な細かいことではなく、「他者への配慮を欠いた行動をしてはいけない」という根源的なことだったのです。
ところが「司会者の心得」が長く使われるにつれ、そこに書かれた字句が「AAのやり方」とか「ルール」だと勘違いする人が増えてきました。(字句通りに解釈してしまう発達特性を持った人がAAに多かったせいかもしれませんが)。
幸いにしてAAはリーフレットを撤回するという軌道修正を行うことが出来ました。ところが、AA以降に始まり、AAの影響を受けた他のグループの中には、「司会者の心得」の内容を受け継いでいるところも見受けられます。
というのも、他のグループや援助職の人から「自助グループってこういうやり方をするもの」という話を聞くときの内容が「心得」の内容そのものだったりするからです。たった1枚のリーフレットでしたが、その影響が及ぶ範囲は広かった。
僕はAAメンバーとして、他の団体がどうあるべきかという意見を表明することは控えねばなりませんが、すでにAAは「司会者の心得」を廃止したということは、知らせておくべきことだと思います。
個人的には「司会者の心得」の最大の欠点は、回復したくない人にとって都合の良い解釈が出来る言葉が並んでいることだと思います。回復とは変化を伴うものです。変化を伴わない回復はあり得ません。自分の何かを変えるのは、面倒だししんどいことです。しんどさを避け、今の自分のままでいるのに都合の良い言い訳を「司会者の心得」の中に見つけることが可能です。それがあのリーフレットの難点だったということです。
自助グループも変化するものです。10年前、20年前と同じとは限りません。悪い方にも変わりうるし、良い方にも変わりうるということです。僕は日本のAAの現状について嘆くような話を書くことも多いのですが、もちろん良い方向への変化もたくさん起きていることは疑いありません。
2012年10月15日(月) AAミーティングはバイキング料理? 「AAミーティングはスモーガスボードみたいなもんだと思う」
スポンシーと一緒に公民館の草むしりをしながら、そんな話をしたのですが、当然それだけではまったく理解してもらえなかったので、もうすこし詳しく話をしました。
私たちの身体は、私たちが何を食べるかによって、健康にも不健康にもなります。栄養のバランスが取れた食事を心がければ健康が維持されるし、偏食が激しければ不健康になります。脂の多い、味の濃い料理は美味しいものですが、生活習慣病の元です。炭水化物主体の食事ばかりだと、アミノ酸が不足して鬱になりがちです。
身体を健康にしたければ、好きになれない食品も食べた方が良いわけです。(医食同源というやつね)。
同じ事は、精神についても言えます。
私たちには誰にでも「自分なりの考え」というものがあります。他の人から何かを言われたときに、自分が納得できる考えであれば賛同できるし、納得できなければ退けてしまいます。私たちが食べ物に好き嫌いを持つように、考え方に対しても好き嫌い(偏食)があります。
そして、考え方の偏食がひどくなると、私たちの精神は不健康になってしまいます。「回復の役に立つ」として示された考え方でも、気に入らなければ退けてしまう傾向が私たちにはあります。偏食は自力ではなかなか直せません。
さて、スモーガスボードという料理があります。日本ではバイキング形式とも言います。様々な料理が並べられていて、自分の好みに合わせて選んで食べる形式です。バイキング形式のレストランでは、僕はたいてい食べ過ぎてしまいます。
バイキング形式では、人は自分の好きな料理ばかり取ってくるものです。嫌いな料理をたくさん取ってくる人は滅多にいません。健康に気を使っている人は、栄養のバランスを心がけているでしょうが、それでもやはり手を付けない料理があります。
AAミーティングは、参加するメンバー一人ひとりが自分の考えを話すものです。人間は誰一人として同じではないので、ミーティングでは様々な考え方が提供されます。いわば、考え方のバイキング料理みたいなものです。ミーティングの参加者は、他の人の何らかの考えを取り入れて帰るものですが、誰のどの考え方を取り入れるかは自分次第です。もちろん、私たちには好き嫌いがあるので、気に入らない考えは否定して取り入れることはありません。考え方の偏食の結果、私たちの精神は不健康なままです。
偏食がなかなか修正できないように、自力で回復するのも難しいことなのです。
10年以上前のことですが、日本のAAには「司会者の心得」というリーフレットがありました。ミーティングで読み上げられることもありました。それには、こう書かれていました。
「司会者が話したことも、他のどのメンバーが話したことも、個人の意見であり、AA全体を代表した意見でも、このグループを代表した意見でもありません。持ち帰りたいものを持ち帰り、それ以外は、この場に置いていって下さい。」
持ち帰りたい意見だけ持ち帰り、持ち帰りたくない意見は忘れてしまえ! という、まさに偏食の勧めです。このリーフレットが廃止されたのは良いことだと思いますね。
AAにやって来るアルコホーリックの精神は不健康です。考え方も不健康に偏っているし、なおかつ考え方の偏食も激しいので、気に入らない考え方には腹を立てるだけです。だから、AAミーティングだけで回復するのは実は結構難しいことなのです。
そのために用意されているのがスポンサーシップという一対一の関係です。スポンサーは「このような考え方をしなさい」という提案(という名の指示)をします。バイキング料理のような好き嫌いは許容されません。スポンシーに必要な栄養(考え方)を摂ってもらって、健康を回復してもらうのがスポンサーの役目です。もちろん、ニンジンの嫌いな子どもにニンジンを食べさせようとするようなものですから、反発があるのが普通です。当然そこには工夫が必要だし、一筋縄ではいかないし、失敗もあります。
スポンシーにとってみれば、スポンサーの言うこと(考え方)は間違っているようにしか思えませんが、つきつめれば、それは「嫌いだから食べたくない」ということにすぎません。
偏食で身体が不健康になった人は、自分のことを好きになれないものです。偏った食事のせいで、太って、顔色も肌も不健康になり、おしゃれな服が似合わなくなった自分を好きになるのは難しいものです。その人は例えば野菜は好きじゃないかもしれず、食べたくないと思うかも知れません。しかし、努力して野菜とかミネラルの豊富な食事を摂るようになったとすれば、バランスの取れた食事のおかげで、やがてその人は痩せ始め、顔色や肌が健康になり、服も似合うようになる・・・。つまり以前より自分を好きになるし、自分を変えてくれた野菜を好きになります。
考え方にも同じ事が起こります。最初は反発していたスポンシーも、しぶしぶ新しい考え方を取り入れるにつれ、次第にそれが好きになっていくものです。自分の精神を健康に戻し、人生を立て直してくれた考え方なのですから。これはスポンサーから押しつけられた考え方だ、などという意識は消えてなくなり、最初から自分がそういう考え方を持っていたぐらいの気分になるようです。
ミーティングに出ているのに酒が止まらないとか、酒は飲んでないけれど回復した気がしない、という人もいます。そういう人には、スポンサーを持っているのか聞き、いないなら誰か探せと言います。スポンサーがいるのにうまくいかないなら、提案に従ってみろと言います。
このように、ミーティングとスポンサーシップは両立し、バランスが取れていなければならないのだと思います。どちらかに偏るとロクなことがない。
先日AAのラウンドアップに参加したら、ずいぶん遠方から来られていた人たちと話す機会がありました。彼らの地元のAAでは、スポンサーシップがほとんど存在しないのだそうです。なので、ずいぶん遠くまでスポンサーを求めたという話でした。
1970年代に東京で始まった日本のAAは、全国に広がりました。しかし、広がったのはミーティングという形式だけかもしれません。一対一のスポンサーシップは伝えるのが面倒ですから、全国に広がる過程で軽んじられ省略されてしまったのではないかと心配しています。ミーティングとスポンサーシップというのはAAの両輪なのですから、ミーティングだけだと片輪走行になってしまい、ふらふらと安定しません。
「持ち帰りたいものだけ持ち帰れ」という話だとか、「ミーティングだけで回復する」という話が混じってくるのは、AAのプログラムが他のもので薄められたということかもしれません。
2012年10月09日(火) 目標値(日本のAAメンバー数) 先日のポスターセッションで、日本のAAのメンバー数は5千人前後で、まだまだ量的成長の余地がある、という話をちらりとしたら、「では、目標は何人なんだ?」という質問をその場で頂きました。
え? なんですって? 目標値? 確かに、何かの目標は持たなくちゃならないでしょうが、団体としてのAAはそんなの決めたことはないんじゃないかな。とりあえず「個人的には10万人ぐらいになって欲しい」とか言って、その場を過ごしちゃったのですが、それなりに根拠のある数字を考えとかないとだめですよね。
AAは会員名簿も作らないし、自分がAAメンバーだと言えばその人はAAメンバーなので、正確な人数を数えるのは不可能です。ただ、そうも言っていられないので、それなりに数える手段はあります。オフィスに登録しているグループは年の初めに、代表者やミーティングの情報を書いた用紙をオフィスに送りますが、そこにはグループのメンバー数を書く欄もあります。その数字を積算すれば、登録グループ所属のAAメンバー数は勘定できます。それを元にしたのが約5千人という数字です。
もちろんこれには、ホームグループを持たないメンバーとか、自分はAAメンバーだと思っていてもミーティングに行っていない人は含まれない可能性大ですが、それは仕方ない事だと思います。(その人がAAメンバーだと名乗っていても、AAのほうじゃ勘定に入れてない、ってことが起こりうるって話)。
この数字が現実と乖離しているんじゃないか、という指摘もあります。登録用紙に多めの人数を書いたりして、水増してるのじゃないのか? という疑いです。2007年に関東でサービスフォーラムが開かれたときに、実行委員が全国のグループに直接連絡を取ってメンバー数の正直なところを聞いたそうです。連絡の取れないところは、その周りのメンバーから情報を集めて、そうやって集計した数が約4,500人でした。5年前で4,500人、現在5,000人。調査の方法のアバウトさを考えれば、概ねそんなものでしょう。
で、その5千人を何人にするのが目標か、という数字の話でしたね。
AAがそれなりにうまく機能しているアメリカには138万人のAAメンバーがいます(アメリカ・カナダのAAは一体なので、これは両国を合わせた数字)。
資料はここ、
ESTIMATES OF A.A. GROUPS AND MEMBERS
http://www.aa.org/lang/en/en_pdfs/smf-53_en.pdf
推参の方法は、日本とだいたい同じでしょう。
北米 1380 : 日本 5 (単位:千人)
276倍も違うぜ!
ただし、これは母数の違いを考慮に入れていません。日本とアメリカでは人口も違うし、たぶん有病率も違うでしょう。それを計算に入れないと。
アメリカの有病率ってどれぐらいだろう? と思って「prevalence alcoholism」でググったら、こんなのが見つかりました。
Prevalence, Correlates, Disability, and Comorbidity of DSM-IV Alcohol Abuse and Dependence in the United States
http://archpsyc.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=482349
有病率ってのは診断基準によって違ってきますが、この研究ではDSM-IVのを使っています。alcohol dependence(アルコール依存症)の12ヶ月有病率は3.8%(男性5.4%、女性2.3%)、生涯有病率は12.5%(男性17.4%、女性8.0%)。すごい数字であります。さすがは「人口の1割がアルコール依存症になる」とか「誰でも親戚に一人はアル中がいる」と言われるお国柄。
アルコホーリックが多いのは「男性」「白人もしくはネイティブアメリカン」「若くて独身」だとあります。
アメリカの成人人口は2億5千万人ぐらい。カナダにおける有病率のデータは知りませんが、人口が少ない(成人人口2千6百万人ぐらい)なので、アメリカと合わせて、生涯有病率の数字を使ってテキトーに計算すると、アルコール依存症者の数は3千4百万人ぐらいとなります。「アメリカのアル中は3千万人」という数字を他で聞きましたが、だいたい同じ数字になりましたね。
さて日本です。厚生労働省の調査班が2004年に発表した調査では、日本のアルコール依存症の有病率は0.9%(男性1.9%、女性0.1%)。基準はIDC-10だから、DSM-IVとそんなに違わないでしょう。そして、日本におけるアルコール依存症者の数を80万人と見積もっています。
北米 34000 : 日本 800 (単位:千人)
42.5倍だ。
母数が42.5倍違うので、138万人を42.5で割った結果が3.2万人。日本のAAは、とりあえず3万2千人のメンバー数を目標にすればいいんじゃないかというお話。まあ、途中の計算が相当いいかげんなので、話半分に聞いて欲しいのですが。
さて、アメリカのAAですら、3千4百万人のアルコール依存症者のうち138万人しか「惹きつけて」いないのです。全アルコホーリックの4%にすぎません。アメリカのAAは良い結果を出していますが、それでも「この問題のほんの上っ面をかすめたにすぎない」(p.29)のです。
それでもアメリカのAAは健闘していると言えます。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/aa-jso/data/newsletter/s09.pdf
に、ヴァリアント博士の話が載っていますが、アメリカにおけるアルコール依存症からの回復例の4割がAAを通じてのものだそうです。残りの6割のかなりの部分は回復施設を通じてのもので、施設の多くは12ステップをプログラムに取り入れています(もちろんそうじゃないところもある)。
日本に比べて何十倍もアルコホーリックが多く、しかもその1割しか酒をやめない、前の論文によれば治療を受けたことのある人も全体の1/4に過ぎない、それがアメリカの現実です。かくも彼の国の酒の害は深刻なのです。だからこそ、政府が施設に税金を投入して回復プログラムが進歩するし、優秀な頭脳が集まります。また、税金を投入しなくても良いAAは重宝がられます。(自助グループには公的機関の手が回らない部分を引き受けている側面がありますから、自助グループが盛んになれば政府の支出は減ります)。
アメリカのアディクション治療は日本より何十年も先を行っている、と言われますが、あちらには真剣に取り組まざるを得ない社会背景があってこそです。とは言うものの、日本にだって、まだ何十万人も未治療、未回復の人がいることも事実です。日本でも80万人のうち、4%ぐらいをAAが引き受けて、3万2千人のメンバー数、というのもあり得ない数じゃないと思いますよ。
ま、そういった数値目標がAAに相応しいかどうかはともかく。
2012年10月03日(水) 脳の機能障害と回復 掲示板のほうで、脳の機能障害という話をしました。
この脳の機能障害が何を示しているかというと、大脳皮質、特にその前の部分(前頭前皮質)の機能低下のことを指しているわけです。前頭前皮質は、僕らの額の中の所に収まっています。前頭前皮質は、過去の経験や知識に照らし合わせて計画性や創造性を発揮する・・という、まさに人間らしさを実現しているようなところですが、その部分の活動が鈍ってしまいます。すると考えることやることが、無計画で衝動的になってしまいますし、トラブルになると易怒的・他責的な対応になってしまいます。
アル中は、酒をやめて素面になればすぐにマトモに戻る、と信じています。しかし、アルコールによる脳への影響は酒をやめても長く残ります。自分の脳が酒のせいで萎縮しているかどうか、を気にしている人がいますが、容積の問題ではなく機能しているかどうかです。脳の働いている部分は、酸素の消費量が多いので血流が増えます。この血流を計測して三次元的に視覚化したSPECT画像が こちらのページ にまとめてあります。
これを見ると大脳皮質の機能は、断酒後の時間の経過と共に戻っていく様子が分かります。1年経過しても、かなり機能低下が目立ちますが、それでもかなり正常に近づいています。「イライラ3年、ぼちぼち5年」というのもうなずける話です。
ちなみに、うつ病の人も、前頭部の血流が低下している(機能低下)が認められ、これを利用した診断方法の開発が進められているとニュースにありました。
何もしなくても経時変化で良くなっていく、というのなら、自助グループに通わない人でも良くなっていったり、共同生活とミーティングだけで特別なプログラムのない回復施設の効果が説明できます。ただ、なかなかそれだけでは、うまくいく人が少ない、というのがアルコール・薬物依存症の現実です。だからみんな苦労するわけです。
断酒初期に再飲酒が多いのは、前頭全皮質の機能障害で衝動的に行動してしまうことが多いから、という理由で説明できるとします。ではなぜ、10年経っても、20年経っても飲む人がいるのか。それについての話をしてみます。
ジェリネク博士は、50年以上前に大量のアルコホーリックを調査した研究者です。彼の文章は こちら に置いてあります。アルコホーリックになる前の段階のところに、こんな記述があります。
「後のアルコール中毒者(時々異常に飲過ぎる人も)は、大方の社会的なドリンカーとは対照的に、間もなく酒による際立った開放感を味わう」
後にアル中になる人は、酒を飲んだときに感じる快感が普通の人より大きい、と言っているわけです。
人間の脳には「報酬系」とか「報酬回路」と呼ばれている仕組みがあります。生存に有利なことが起きると、報酬系が働きます。人はそれを「快感」とか「気分の良さ」として感じます。食物を食べれば血糖値が上がりますが、それは生存に有利なので気持ちよさを感じます。暖かい布団で寝るのが気持ちよいのも、セックスが気持ちよいのも、お金が入ると気分がいいのも、良い人ですねと褒められれば気分が良いのも、この報酬系の働きによるものです。
この報酬系というのは脳全体の働きによるものですが、その中核は、側坐核や腹側線条体と呼ばれる部分です。これは脳の表面(皮質)ではなく、もっと真ん中あたりに存在します。人が心地好さを感じているときには、側坐核が活動しており、現在の技術はその活動を測定することを可能にしています。
なぜアルコール依存症になる人は、他の人と比べて際だった快感を酒で感じるのか、という疑問に挑んだ人たちがいます。
参考リンク:
心の由来:「心」についての身もふたもない話
依存症なままでは早死にしちゃうよ? パートIII
http://blogs.yahoo.co.jp/kopheee/9869947.html
Wrase先生たちは、アルコール依存症(断酒中)を集め、アルコール関係の写真を見せたり、ゲームをさせてお金が手に入ったり失ったりという体験をさせ、その時の側坐核の活動を普通の人と比較しました。
すると、アルコール依存症の人は、ゲームで普通の人と同じ程度の結果を出していても側坐核の活動は鈍く、飲酒を予感させるアルコールの写真には逆に強く反応しました。
この結果から、おそらくこんな事が言えるのではないかと考えられます。「報酬系の働き」も人によって違い、生まれつき働きが強い人も、弱い人もいるだろうということは、当然予想されます。
報酬系の働きが強い人は、生活の様々な場面で喜びや幸せを感じます。逆に報酬系の働きが弱い人は、他の人と同じ環境に置かれていても、喜びや幸せを感じることができず、むしろ惨めさを感じる回数も多いでしょう。
つまり「幸せを感じる能力」も、人の能力の一つで、個人差がある。勉強であれ、スポーツであれ、能力を伸ばそうと思ったら、努力して鍛えるしかありません。幸せを感じる能力も、同じように鍛えることはできるはずです。能力を伸ばすのに、努力が要らない近道はありません。鉄棒で逆上がりができるようになるには、ひたすら練習を繰り返すしかありません。
ところが、「幸せを感じる」ことについては近道があります。アルコールや薬物は直接報酬系に働きかけ、人に多幸感をもたらします。普段、喜びや幸せを感じていないぶんだけ、アルコホーリック候補生は強い開放感を味わいます。何かをきっかけにして、多幸感を常に酒に求める行動を繰り返すようになります。
報酬系の働きで、脳のシナプスでドーパミンがたくさん放出されると、私たちはそれを気持ちよさとして感じます。放出されたドーパミンはシナプスの受容体で再取り込みされますが、ドーパミンの大量放出が繰り返されると、受容体が閉じて数を減らしていきます。すると私たちは、以前ほどの快感を感じられなくなります。
そこで、元のような快感を求めて、よりたくさんの酒を飲むようになる。それが「酒が強くなる」ことであり、酒に溺れていく原因でもあります。ぶっちゃけ、鈍感になったので、より強く刺激しないと感じなくなっただけなんですが。アル中が何年酒をやめても、この報酬系は元には戻りません。再飲酒すると、最初はうまく酒がコントロールできても、遠からず元の飲んだくれに戻るのは、脳の中でこういうことが起きているからだと考えられています。
元々幸せを感じる能力が低かった上に、さらにそれを酒で鈍感にしてしまった僕らはどうすればいいのでしょうか。
酒をやめたアル中が「酒に変わる趣味を持ちたい」とよく言いますが、残念なことに、アルコールほどの快感をもたらすものは(その人にとって)ありません。手っ取り早い心地好さを求めている限りは、酒以上のものはないでしょうね。
それでも人間の脳にはいくばくかの復元力があるらしいのです。イライラと自己憐憫の塊だったアル中が、断酒何ヶ月かで道ばたに咲いている花の美しさに感動した、という話をして周囲をビックリさせたりします。幸せを感じる能力が幾分戻ってきている、ということでしょう。
ところが、僕に言わせれば、こうした能力を対人関係の中で発揮するには、相当の高さが求められるのです。
例えば私たちは、褒められれば嬉しい(快)だし、叱られれば切ない(深い)。切ないどころか不愉快で反発したり、叱られることが理不尽だと感じたりします。ところが、叱られながらも、相手が本当に自分のことを心配して叱ってくれているのだとか、自分に期待をしているからこそ叱るのだと気付いて、相手の思いやりに嬉しさがこみ上げて涙がにじんでしまった・・という体験が、普通の人なら(アル中でない普通の人なら)あるはずなんです。でも、酒をやめただけのアル中には、そういうのはありません。同じ体験をしても反発だけです。何年酒をやめても。これは単なる例に過ぎませんが。
物に幸せを感じるのは比較的容易でも、人に対して(特に自分の意のままにならぬ人に対して)幸せを感じるのは、難しいことで、経時変化に期待することは出来ません。そして、生きていてもつまらない世界に住んでいる人が、即効性の幸せ薬に手を出すのは時間の問題です。
だから、幸せを感じる能力を鍛えることが必要です。その手段の一つが12ステップというわけです。認知を変えれば、行動が変わり、その人を取り巻く世界も変わります。人を変えるのは難しいし、ましてや世界を変えることはできません。しかし、自分を変えれば世界が変わります。なぜなら、自分の感じ方が変われば、世界は以前とは違って見えるからです。
血流だとか、神経伝達物質とか、受容体というミクロレベルのことが、認知というマクロなことで変わりうるのでしょうか。うつ病に使われる抗うつ剤は、脳内の神経伝達物質のバランスを調整することでうつを解消する働きがあります。しかし、薬を使わない認知行動療法でも、抗うつ剤と同様の結果が出ていることが知られています。つまり、認知の修正というマクロな手段が、脳内のミクロな世界に影響を及ぼしうる、ということです。
酒をやめても回復していないアル中は、即効性の喜びを求めてウロウロします(即効性の喜びは酒には限りませんが)。
それは、何とか練習しないで鉄棒ができるようにならないか、勉強しないで合格できないか、という考え・行動と同種のものです。さらには、努力している他者に対するやっかみも相当強くて、それがますますその人を不快な気分にさせ、一時の慰めがさらに欲しくなります。
飢えた人に魚を与えれば、その日は満ち足りるかもしれません。だが、その人は翌日も魚を要求するでしょう。漁の仕方を教えれば、その人は一生飢えることはありません。でも、漁の仕方は要らないから魚をよこせ、よこさないお前が悪いのだ、と言うのがアル中の脳の機能障害です。
飲まないでいれば経年変化で解消される部分もあるでしょう。しかし、持って生まれた報酬系の働きの弱さは、意識的な努力と行動によって鍛えるしかありません。
2012年10月02日(火) 本人だけの集まりの欠点 最近は、たまに近在の断酒会に出席しています。といっても、用事があるときだけなので、年に数回にすぎません。それでも何年か続けていると、門外の僕にもそれなりに断酒会の雰囲気が分かってきます。
僕の周りには、AAと断酒会の両方に出ている人も結構たくさんいます。断酒会がメインの人は、AAに来ても断酒会っぽい話をしているな、と思います。
AAと断酒会にはいろいろと違いがあります。名前を出す(顕名)の集まりか、無名の集まりか。会費制か献金制か。助成金を受け取るか、受け取らないか。断酒会の指針・規範とAAのステップ・伝統の違い。良く言われるのは、こうしたことです。それらは確かに違いを作り出してはいますが、もっと大きな違いを作り出しているものがある、と考えるようになりました。
それは、家族の出席の有無です。AAはアルコホーリック本人だけの集まりです。だから、クローズド・ミーティングに出られるのはアル中本人だけです。オープン・ミーティングならば家族も出席できますが、メンバーとしてではありませんし、話すのはAAメンバーだけというオープン・ミーティングも少なくありません。AAでは家族はお客さんなのです。
家族のためには、アラノンという別の12ステップグループが用意されており、旦那がアル中だったら、旦那がAA、奥さんがアラノンに参加するのが良い、ということになっています。
日本のアラノンは基本的にクローズド志向なので、本人は出席できません。だから、AAメンバーは家族がミーティングで話をしているのを聞く機会がほとんどありません。自分の家族の話も、他のアル中の家族の話も、聴く機会に恵まれません。
断酒会は、基本的には本人も家族も一緒に例会に参加しています(本人だけ、家族だけの例会に分けることもありますが、基本は一緒)。そこでは家族の話を聞くことができます。
例えば、本人の飲酒に苦しめられた家族は「もう死んで欲しいと本気で何度思ったことか」という話をすることがあります。ところが本人は、家族がそこまで追い詰められていたとは、まるで思っちゃいないものです。家族がそこまで(心理的に)自分を見放していたとは思っていない。どこか、まだ見放されていない、大丈夫だという甘えがあります。
だからこそ、本気で死んで欲しいと家族に思われていた、というのは本人にとっては受け入れがたい事実です。そんな風に自分を見限った相手とはもう暮らせない、とまで言い出したりします(困ったもんだ)。自分の妻が例会に出ていなくても、出ていてもそう言わなくても、他の人の奥さんがそう言っていれば、自分の妻も同じかも知れない、と思い至るようになります。(最初のうちは、あの旦那は酷いことをしたんだなとか、あの奥さんは我慢が足りないなとか、自分のことを棚にあげて考えていたとしても、やがてはその態度に変化が起こるものです)。
受け入れがたいと思っても、受け入れざるを得ないものです。なぜなら、他の夫たちは、妻たちの言葉を、口を結んだり、苦笑いでごまかしたりしながら、受け止め、受け入れているからです。そこで、自分だけ言葉を拒絶するわけにはいきません。例会を重ねるうちに、自分にとって理不尽に感じる、不愉快なことでも、相手の立場に立って物事を見て、受け止められるようになっていきます。それが回復というものでしょう。
そういう話は家ではできず、例会だからこそできる(小出しにだけどね)。それがグループにおけるダイナミクスというものです。
奥様が、「指針には、迷惑をかけた家族には償いをすると書いてあるけど、ウチはまだよね。楽しみに待っているわ」とか発言しても、会場がくすくす笑いに包まれるのは、良い会場だと思います。
逆の効果は家族の側にも起こります。本人がまだまだ身勝手なことを言ったり、やったりしていても、他の奥さんたちがそれを受け止めているのを見て、本人の回復には時間がかかることを受容できるものだと思うのです。
同じ事は性別を引っ繰り返しても起こることだと思います。(奥さんがアル中で、旦那が家族として例会出席)。ただ、僕の周りの断酒会には女性のアルコホーリックの姿はほとんどないので、見てきた話としては言えないのが残念なところです。
日本のAAではこのような仕組みがなかなか働いてくれません。家族の立場からの視点は、時に本人にとって批判的に感じられます。そういう自分とって厳しいことを受け止めていく機会が与えられないまま、AAメンバーは酒をやめていきます。本人たちしかいない環境で、同調圧力や共感がお互いに甘えを許す方向に働いていきます。だから、やや甘えた、脆弱な回復になってしまいます。AAで何年も酒をやめた人が、ちょっと厳しいことを人に言われたり、難しい立場に追い込まれただけで、他罰的な恨みがましい感情をずっと引きずったりするような、面倒くさい人のままだったりします。
AAでも、オープンの会場に家族が何人も来るようなグループでは、やや断酒会に近い好循環が起きていることもあります。だが、そういう会場は「あそこには家族が来る」と言って、一部のAAメンバーからは忌避されます。(そういうこと言っているからダメなんだけど)。また、断酒会でも家族の出席が少なく、本人主体の会になってしまうと、AAと同じ傾向になるようですね。
アメリカでAAが始まった頃は、本人も家族も一緒にやっていたものが、なぜAAは本人だけのグループにしたのか。その事情はAAノパンフレット『アルコール以外の問題』に書かれているので、ここでは繰り返しません。ただ、アメリカのAAとアラノンは別団体であるにしても、日本よりずっと近しい関係だと聞いています。イベントにはお互いのスピーカーを招き合うので、AAメンバーが家族の話を聞く機会も多く、普段のミーティングも同じ建物の別の部屋でやって、終了後のアフターは一緒に過ごすというのも珍しくないのだとか。
日本のAAとアラノンが、どうしてこんなに冷たい間柄になってしまったのか。今さら昔の話を蒸し返しても仕方ありませんが、一部の人たちの確執が、AAとアラノンの分断を招いてしまい、関係が修復されないまま現在に至っています。その分断は、AAメンバー一人ひとりの回復にとって、明らかにマイナスでした。残念なことです。できれば、今後数年間の間に、少しでも関係改善が図れれば良いのですが。
それはともかくとして、AAのミーティングだけにしか出ていないと見えてこないものがあります。少しでも興味があるなら、断酒会の例会に出てみることを勧めます。慣れない人は驚くことも多いかも知れませんが、あなたの心が開かれていれば、足を運ぶだけの価値はあると思います。
(もちろん、それは逆にも言えます。断酒会の人も、興味があったらAAのミーティングに足を運んでみていただきたい。あなたの心が開かれていれば、きっと得るものがあるはずです)。
私たちは他者を通じて自分の姿を見るのです。
2012年09月30日(日) 規則 vs. 原理 実家が農家なので、一日脱穀に行っていました。
さて、緑本のp.169にある話と同じなので、そちらを読んで頂いた方が良いかも知れません。12のステップに馴染みのない人にとっては少々奇異な印象を与えるかも知れませんが、ステップに取り組んでいる人には共感を呼びうる話だと思います。
12のステップは生き方の原理なのだそうです。
誤解を避けるために付け加えると、もちろん12のステップだけが生き方の原理なのではありません。生き方の原理とされるものは他にもあります。それぞれの原理には共通する部分が多い。だからこその原理と言えます。
しかし、原理を伝えるには手間がかかります。12のステップをスポンシーに伝えるのも(何年もかからなくても)少なくとも合計数十時間はかかるでしょう。しかも、それ以前にステップをやる気になってもらうまでにも、時間がかかります。ぶっちゃけ伝える方も、受け取る方も面倒であり、もっと簡単な方法があったらそれに越したことはありません。
だから、「もっとやさしい楽なやり方が見つかるかもしれないと考え」るのは自然なことです。しかし、この第5章の文章の続きは「だが見つからなかった」であり、それこそが私たちの経験です。
原理を伝える手間を惜しみ、規則を与えることで解決しようとする人もいます。スポンシーに規則を与え、その規則を守るように伝えても、なかなかうまくいかないものです。それはアルコホーリックは、規則は破るためにあると考えるものだからです。なんとか規則を避けたり、例外を見つけたりしようとします。
『AAの伝統が生まれるまで』という冊子によれば、AAが始まったばかりの頃、多くのグループが規則作りに熱心になったそうです。ルールを定め、ルールを破った人に対する罰則を定めました。その仕組みがうまくいっていたら、現在のAAには多くのルールが残されていたでしょう。もちろん、それがうまくいくはずはありませんでした。相手はアルコホーリックなんですからね。
だから、AAはルールを廃し、12の伝統といくつかのガイドラインを残すだけになりました。これらは規則ではなく、グループやメンバーがそれぞれに判断するための材料にすぎません。規則ではなく、面倒に思えても原理(12のステップ)を伝えていくことが最も早道であることが分かったからです。
規則を与えることで解決しようとするのはAAに限りません。覚醒剤を法律で禁止して、破った人間を刑務所に入れる。しかし刑務所で生き方の原理を教えてくれるわけではないから、その人の頭の中身は変わらず、出所後も生き方は変わらずに同じことを繰り返し、ふたたび刑務所に戻る。沢山の税金が使われているのに、問題は解決するきざしがありません。飲酒運転の厳罰化も同じ悪循環を産むことでしょう。
規則を定める人は「これこれをしてはならない」と言います。しかし、どうやったらそれをせずに済むかは教えません。それができて当たり前だとしか思っていません。アルコホーリックは酒を飲んではならないと言われたことがあるはずです。どうやったら飲まないでいられるかを過去に教えてくれる人がいたら、今ごろあなたはこの文章など読んでいないはずです。
一般に、人は原理を理解できなければ規則を破るものです。だからAAは原理を教えます。原理が理解できれば、規則は要らなくなります。まあ、規則をゼロにはできないのが現実ですが、必要最低限で済むようになります。
だからAAにおいて規則作りに励む人は、AAのことを「分かっちゃいない」んです。ソブラエティが長かったり、AAのサービス活動に熱心な人の中にも、ルール作りに励む人がいますが、これも同様です。ルールを作って人に守らせることに熱心なAAメンバーもいますが、そういう人はルールを破る人に対して腹を立てずにはいられません。細かな規則の議論をして時間を費やしたりします。
ルールと呼ぼうが、規則と呼ぼうが、提案と呼ぼうがなんでも構いませんが、それを守ってくれない相手に対して腹を立てているヒマがあったら、原理を伝える方に手間を割くべきです。
2012年09月20日(木) ロシアン・ルーレット アルコール依存症の人には、二つの状態があります。一つは、「コントロールを失った飲酒」を続けている状態。もうひとつは、つまり酒をやめ続けている状態(「断酒」)です。
この両極端の中間もあります。飲酒のコントロールを取り戻した時期があった、という人もいますし、飲まない日々を続けているのに細かなスリップ(再飲酒)を繰り返す人もいます。けれど、長い年月の先には、「コントロールを失った飲酒」か「断酒」のどちらかに落ちついていくことになります。
何ヶ月、何年かAAミーティングに参加し続けて酒をやめたのに、その後、来なくなってしまう人たちがいます。その人たちは、その後どうなるのでしょうか?
酒を飲んでしまったがために、AAに顔を出しづらく感じ、来なくなってしまう人がいます。一方で、酒を飲まないままAAを離れていく人たちもいます。AAを離れても、人はすぐに酒を飲むわけではありません(そうであれば話は簡単なのですが)。再飲酒は、何ヶ月か、何年か、あるいは十年以上先かも知れません。中には一生飲まずに過ごす人もいるのかもしれませんが、その確率はずいぶん低そうです。
僕は十数年前に、精神病院のアルコール病棟を退院しました。同じ病棟に入院していた患者(いわば同期の仲間)は二十人近くいましたが、今でもなんとか無事にやっているのは断酒会かAAにいる人だけで、他は鬼籍に入るか、どこかの施設にいるか、飲んだくれを続けていると伝わってきます。それが、十数年という時の試練を経た結果です。
もちろんこれは、僕の周囲のローカルな結果に過ぎません。広い世間には別の傾向を出しているところもあるのかもしれません。依存症の研究の多くが、長くても数年の期間しか対象を追跡していないのが残念です。なぜなのか尋ねてみたら、調査にたずさわる医師が転職してしまうと、対象を追跡し続けることが出来なくなるからだと教えられました。確かに、開業でもしない限りは転職を繰り返すのが、今の日本の医師のありようかも知れません。
なだ・いなだは依存症を糖尿病と同じような「養生の病気」としました。一生養生を続けていかなければ再発が待っている病気という意味です。
上に書いたように、AAを長く続けていると、来なくなった人がその後どうなったかという話に触れる機会が増えます。「飲んでしまったなら、またAAに来れば良いのに」と思うのですが、そう簡単な話ではなさそうです。おそらく戻って来れなくないのには、罪悪感が関係しているのでしょう。僕自身、AAの最初の一年でスリップしたときに、ミーティング会場の敷居を高く感じたものでした。
「再飲酒したら、また断酒をやり直せば良い」という考え方があります。それは間違いではありません。飲んでしまったら、またやめればいい。
だが、「何度でもやりなおせる」という考えは間違いだ、ということはハッキリしています。それは「コントロールを失った飲酒」と「断酒」の間を自由に行ったり来たりできる、という考え方につながります。実際には、自由に行ったり来たりできません。そのことは、AAに戻って来れなくなった人たちの姿が明らかにしてくれます。彼らの中にも、もし飲んだらまたやり直そうと思っていた人がいるはずですが、いざ実際に飲んだときに、やり直すことはできなかったのです。
つまり、スリップ(再飲酒)というのはロシアン・ルーレットみたいなものなのです。シリンダーに何発実弾が入っているかは人それぞれ。たいていのスリップから素面に戻ってこれる人もいれば、次のスリップが命取りになる人もいるでしょう。でも、確率が高かろうが低かろうが、繰り返していれば、いつかは実弾を引き当ててしまいます。
「またやり直せば良い」はすでに飲んでしまった人にかける言葉です。素面のうちからそんなことを考えている人は、飲んだら自分の気持ちががらっと変わってしまうんだってことを忘れています(過去の経験から学べていない)。
次に酒を飲んだら、それっきり二度と酒をやめられず、一生そのままという可能性はゼロじゃない。ミーティングに通い続ければ、いろんなことが学べますが、長く通わないと見えてこないこともあります。これもその一つです。だからこそ、今回のソブラエティがいかに大切なものであるか。今しらふでいるからには、それを感じて欲しいと思います。粗末にして良いものではありません。
「再飲酒したら、また断酒をやり直せば良い」という考えを<自分自身に対して>思うのは、ある種の強迫観念(obsession)だろうと思います。(この場合の強迫観念とは、真実でない考えが頭を占めること)。
2012年09月12日(水) 研修と学会雑感 (AAメンバーとしてではありませんが)日本エイズ学会のシンポジウムで「12ステップの話」をしてくれという依頼が舞い込みました。その日は予定がすでに入っていたのでお断りしたのですが、なぜエイズ学会で12ステップなんだろう、という疑問が残りました。
後で依頼書を拝見して事情が分かりました。エイズとアディクションは関連が深く(特に薬物とセックス)、アディクションはエイズ治療の妨げになることもしばしばなのでしょう。そこで、エイズのケアに従事する人たちに、アディクションの基礎知識や、アディクトの心理、回復について話して欲しいという依頼だったようです。特に12ステップということではなかったみたい。
こんなふうに、人づての依頼は中身が不明瞭な場合も多く、当日会場に行ってみてビックリ、ということもあります。担当の方と事前に話をしておかなければ、とんでもない失礼になっちゃうかもしれません。今回は、僕より適任の方が見つかったようなので安心しています(と持ち上げておく)。
先日も、ある専門家の方から「AAから講演をしてくれるように頼まれたのだが、何の話をしたらいいのか分からない。尋ねても、何でも構わないと言われるばかりで」と話をうかがったので、依頼したAAの委員会の名前を聞いた上で、その委員会はこういう経緯でできたところなので、こんな話を望んでいるのじゃないか、とお伝えしておきました。
頼む方も、頼まれる方も、いろいろ難しいものです。僕も頼む側に回ることもあるので、最近は依頼するときには講演依頼書を書くようにしています。
さて、先月は有給休暇を一日もらって、県の精神保健福祉センター主催の、アルコール依存の技術研修に参加してきました。研修の対象は病院のワーカーや保健所の保健師さんなので、本当は当事者という資格では参加不可なのですが、そこはそれです。
午前中は専門医の先生による基礎知識の講演。午後は、複数の病院から事例の紹介があって、最後に数人のグループに分かれて事例の介入手法の検討でした。これは、介入のワークブックに掲載されている模擬的な事例そのままで、内科的な治療は受けているけれど、依存症の疑いが濃厚、でも精神科の受診を拒んでいる人をどうやって治療に結びつけるか、という話です。
「介入」という技法の基礎を作ったのは、ヴァーノン・E・ジョンソンです。彼はヘイゼルデンなどと一緒にミネソタ・モデルという治療モデルを作り上げました。介入の技法については、こちら
【明日こそ止めるさ】アルコール依存症回復への実践ガイド
http://www.ryukyu-gaia.jp/books.htm
の本に詳しくあります。本を読めば模範解答は出せるようになるはず。
援助職の人が、会いたがっていない本人に直接アクセスするのは難しく、家族の中のキーパースンに情報を提供・指導して説得に当たってもらう、というスタンスです。
家族の立場の人から「本人が酒をやめたがらないのが困る」という相談を受けるAAメンバーもいるでしょう。介入研修は日本中あちこちで行われていますし、本も上記以外にも出ているので、関心のある人はあたってみて下さい。(僕の受けた研修は県の機関のものなので無料でした)。
僕らAAメンバーは、依存症ケアの中で、再発(再飲酒)の予防という「最終段階」を担っていると言えると思います。自助グループの中にだけいると、この「最終段階」だけしか見えなくなってしまいますが、実はそこに至るにはいくつかの段階を経ます。
上に書いたように、まず精神科の門をくぐるまでが一苦労だし、依存症という病名がついても「俺の酒には問題がないのでやめる必要はない」と頑張る人もいます。入院治療を受けて退院しても、自力でやめ続けられると信じて再発を繰り返す人もいます。最初に誰かがアルコール依存症を疑ってから、最終的に回復に至るまでどんなに短くても数年、長ければ何十年かかってもたどり着かないこともあります。
そのステージごとに援助者の苦労があると言えます。精神科という名前のせいで敷居が高くなっちゃうから、アルコール科とか依存科だったら心理的抵抗が少ないのじゃないか・・とか。あるいは、医者が酒をやめろとか入院するように強く説得すると、次から受診しなくなって治療関係がなくなってしまうので、通院でやりたいと言う人にはそれを認めて、次に失敗したときに入院を勧める・・とか。
本人が問題を認めた上で、自力での解決にこだわる場合には、それを認めるという話は、ジョンソンの介入技法にも書かれていて、無理に治療的な枠組み(施設とか自助グループとか)を強いるのは愚策だとされています。そのかわり「次に失敗したら、このやり方に従ってもらう」という約束をきっちりして、どうせ自力解決はいずれ破綻するので、その時点で約束を実行してもらえば良いことです。
先週末は札幌での学会にお邪魔していたのですが、ポスターセッションでの発表の中に、アルコール依存症の入院患者の家族が持つ「(断酒ではなく)節酒させたい」という希望をどうするかという話がありました。家族が本人の節酒を希望するのは珍しいことではなく、「こんなにお酒が好きなのだから、やめさせたら可哀想だし、やめられるわけがない」という依存症への偏見があったり、やめているときの本人の不機嫌さに家族が耐えられなかったり、という事情があります。
この場合でも、無理に断酒へ意見を変えさせずに、退院後の節酒を認めさせると、やがては家族もアルコールをコントロールすることの難しさを目の当たりにして、やっぱり断酒しかないと理解するようになるとう話です。(納得するのに時間がかかる人がいるという話)。
動機付け面接では、人間の気持ちが変わるのに時間がかかるのは当たり前だとされます。スイッチが切り替わるみたいにすぐに気持ちが変わってくれれば良いのですが、そうならないことに対して「否認」という言葉を使って本人や家族の責任に差し戻してしまうのは、援助側の責任放棄です。(本人の気持ち次第というのなら、援助職なんて不要)。
話を戻して、一人のアルコホーリックが酒をやめるまでには、実に手間ヒマがかかるわけですが、AAの中にいるとそうした援助職・医療職の手間というのは見えなくなってしまいます。一方、援助・医療側も、酒をやめた後の人がどうなるかに関心をあまり持っていません。援助側と自助グループの間が断絶している感じです。
みんな、自分のやるべき事に一生懸命なのはいいのですが、本当に息の長い(一生続く)依存症のケアのなかで、自分がどの部分を担っているか(一部分を担っているに過ぎないことも)把握できてなくて、自分のやっていることが全てのような錯覚に陥っている気がします。少しだけ全体を鳥瞰する機会を与えられて、そう思いました。
アディクション関連の学会の大会とか研修とかに行くと、連携、連携と叫ばれてうるさいぐらいなのですが、そういう意味じゃ、ちっとも連携なんて取れちゃいないわけです。(だからこそ連携とうるさいのでしょうが)。全体を見通せる視野の広さを持ちたいものです。
それと、医療の人たちというのは、アル中本人に「AAに行きたくない、断酒会に行きたくない」と言われると、そこでメゲてしまって、それ以上なかなかできないものなんだな、とつくづく感じます。そこで出てくるのが「本人の気持ち次第」とか「行かなくても酒をやめられているか良いじゃないか」という言い訳です。それで酒を飲まれると、飲んだ本人が悪いみたいな扱いです。責任の感じ方が間違っているっちゅーの。依存症という病気にかかったのが不幸ならば、そんな病院を選んでしまうのはもっと不幸です。
2012年09月05日(水) AAの共同体とは(その4) 「日々雑記」というタイトルにしているのに、更新がせいぜい週に一回という体たらくで、名を「週一雑記」に変えた方が良いかも知れません。
不思議なもので、更新頻度が落ちているのに、日々のアクセス数が増えています。
さて、本題。
日本のAAは1975年に東京・蒲田でステップ・ミーティングを行ったのを始まりとしています。日本AAの最初の事務所は、マックという回復施設に間借りしていました。しかし、AAの「12の伝統」は、AAとAA以外のものを区別することを要求しているので、それに沿ってAAを施設から独立させることになり、1981年に信濃町のマンションの一室に「AA日本ゼネラルサービスオフィス」(AA JSO)が作られました。
1980年代は、日本のAAが海外のAAからいろんなやり方を学んだ時期でした。その中の一つがセントラルオフィス(CO)の設置でした。これは、全国を7つの地域に分割し、それぞれにAAメンバーの献金で支えられるオフィス(事務所)を設けようというアイデアでした。地域割りは、北海道・東北・関東甲信越・中部北陸・関西・中四国・九州沖縄です。
当時の日本AAの規模ならばオフィスはJSOひとつあれば十分だったでしょう。けれど、当時のAAメンバーたちは、あえて、ひとつのJSOに加え、7つのセントラルオフィスを設ける決断をしました。JSOには全国レベルの広報などのサービスとAA書籍類の出版の役目を与え、各セントラルオフィスには、本人や家族からの問い合わせに答えたり、グループに直接サービスを提供する役目を負わせました。
こうして数年かかって、次々とセントラルオフィスが作られていきました。一番最後にできたのは、関東甲信越のセントラルオフィスで1993年1月のことです。東京にはすでにJSOがあったため、わざわざ別にオフィスを作る必要はないという意見が多く、意見の調整に手間取って順番が最後になったと聞いています。
オフィスを維持するにはお金がかかります。スタッフに給料を払わねばなりませんし、家賃光熱費その他の費用もかかります。すべてを、AAグループからの献金や出版物の売り上げでまかなわねばなりません(AAは「12の伝統」で外部から助成金などを受け取ることを禁じているため)。
JSOは全国のAAグループが支えてくれます。そのJSOですら、しばしば金銭的に危機的な状況に陥ってきました。まして、もっと少ないグループ数で支えているセントラルオフィスは大変です。日本のAAグループの4割ぐらいは関東甲信越地域(というか東京都と近県)に集中しています。おかげで、関東のオフィスは比較的財政規模が大きいのですが、その他の6つのセントラルオフィスは年間予算が数百万円(しかもその下の方)で、これで全経費をまかなっていくのですから大変です。
日本のAAのメンバー数は数千人です。そのメンバー数に比べて、オフィス職員として給料をもらっている人数が多いと言われます(他の国のAAと比較しての話)。献金は任意で強制されることはありませんが、それでもメンバーの負担感は重く、オフィスのスタッフに対して「俺たちの献金で食べているんだから」と余計なプレッシャーがかかったりします。
北海道や東北では、いったん作ったオフィスを支えきれずに、いったんは閉鎖した経験もあります(その後再開しています)。
どうしてこのような過重な仕組みを作ったのか・・・。当時の決定に関わったメンバーに聞いた答えはこうです。過剰負担は重々承知していたのだが、AAが発展して、メンバーやグループの数が増えれば、遠くない未来には余裕で8つのオフィスを支えられる日が来るだろう、と予想しての決断だった、というものです。
残念ながら、その予想は甘すぎたと言わざるを得ません。AAの8つのオフィスは、いまでも個人的な犠牲と献身に寄りかからねば維持できない有り様です。(少なくとも、オフィススタッフの待遇は魅力的とは到底言えません)。
話を少し変えます。
日本のAAでは、1996年に「評議会」を開催しました。これは日本AAの意志決定機関(決議機関)で、全国のから選挙で選ばれた20人のAAメンバーが「評議員」として参加しました。以後毎年開かれています。
評議員はAAの中の重要な役割ですから、依存症からしっかり回復していて、AAのことに詳しく、AAのサービス活動に割ける金銭的・時間的・体力的な余裕がある人が望ましいわけです。しかも、そういう候補者を何人も立てて、選挙で選抜しよう考えでした。(任期は二年で再選不可なので、毎年10人ずつ必要)。
最初の頃は各地域から熱意に溢れる評議員が選挙されていました。しかし数年すると、立候補者が定数に足りないという現象が起きるようになりました。立候補者をたてるのに汲々とし、昨今ではいったん評議員を経験した人を「代理」として送ることが常態化しています(再選不可の形骸化)。
メンバーが評議員という役目を引き受けたがらない(評議員以外の様々な役目も同様)、という状況に対して、古いAAメンバーから「最近の人たちはAAへの感謝が足りない」という批判が出ることがあります。しかし僕は、そうした「自己犠牲が足りない」という批判は的外れだと思います。
評議員としてAAに自分を捧げられるメンバーは、AAの中にもともと多くはありません。評議員候補者というのは限られた資源なのです。最初に20人の評議員による評議会を作り、毎年毎年10人ずつ新しい評議員を必要とする仕組みは、日本のAAには過大すぎました。だから、早晩資源を使い果たし、可能な候補者全てを使っても足りないという事態を招いてしまったのです。
1995年頃に評議会システムを設計した人たちに話を聞くと、やはり作った仕組みが過大だったという反省はあるようです。でもその時も、将来AAが発展して、メンバーもグループ数も増え、評議員の役割を担う人々も次々出てくるだろう、という楽観的な予想があったと言います。
7つのセントラルオフィス、毎年10人ずつの評議員。どちらも、制度を設計した人たちは、それが大きすぎるのは重々承知の上で、将来AAが発展することを期待し、うすうす無理を承知しながらあえて大きな仕組みを作ったということが分かります。それは、子供が成長するのを見越して、大きめの服を買う親の心理に似ているのかも知れません。しかし、あまりにサイズが大きすぎ、しかも期待通りに成長してくれなかったので、今でも不釣り合いなほどブカブカの服を着ているのが日本のAAです。
制度を修正する必要があるのでしょう。AAが発展を続けるという過去のビジョンにしがみついている人たちからは大きな反発があるでしょうけれど。
日本のAAグループ数は550を越えました。グループ数は毎年増え続けています。しかし、メンバー数が増えているかは疑わしいものです。たぶん、グループ数が増える一方で、1グループあたりのメンバー数は減少し、結局総メンバー数は増えていないのじゃないかと思います。
増えていないという根拠のひとつは、オフィスへの献金が増えていないことです。それはおそらく、グループは増えたけれど、献金をするメンバーは増えていないということでしょう。また、BOX-916というAAの月刊誌の売り上げも、2004年をピークに減ったままです。
献金したり、BOX-916に親しんだり、というのは、AAプログラムに関心を持ち、AAプログラムに感謝を表す行動です。いわばAAプログラムの恩恵を得た人たちの行動です。グループが増え、会場が増え、ミーティングに参加する人たちは増えているのでしょう。自らをAAメンバーだと名乗る人の数も増えているのでしょう。しかし、AAプログラムの恩恵に浴した「中核的な」AAメンバーの数は増えていない、それが献金やBOXの売り上げ停滞・減少につながっていると思います。
ひとつ確かなことは、AAの中でプログラムが薄まっているということです。薄められたプログラムは効果を失い、やがてはメンバー数増加が停滞し、減少へ向かう、というのが先行するアメリカでの経験です。日本AAのメンバー数の増加ペースは鈍り、おそらくはすでに停滞しています。やがてメンバー数の減少が始まるでしょう。あちこちのグループが潰れ、ミーティング会場が閉鎖されていく・・そうなったときに、状況を反転させるだけの力は日本AAに残されていないだろうと予測します。
セントラルオフィスや評議員の数という切り口で見ると、仕組みを設計した人たちがAAの発展に対して楽観的過ぎたことがわかります。その過大な設計には、「量的拡大こそがAAにとって最善」という考えが伏在しているのは間違いありません。それは「AAの発展は量的拡大による」という考え方です。確かに、グループが増え、メンバーが増えていくことは、より多くのアルコホーリクが助かることですから、それがAAの発展そのものです。
しかし「質」という観点を見落としていたことも間違いありません。量を拡大するためには、質を保ち、質を向上させる努力がなければ、薄まる一方です。
AAを量的に拡大するために、医療や福祉や地域社会にAAの存在や魅力を発信する「広報活動」は熱心に行われています。しかし、AAを「質的に向上」させるための試みはされず、ないがしろにされたまま、結果AAのステップセミナーに行っても、ステップの話はほとんど聞けず、AAプログラムの恩恵を受ける人は増えていません。それではAAが発展したなんて言えません。
では質的向上にはどうすればいいか。この「AAの共同体とは」という一連の雑記のテーマもそこにあります。前回までの雑記で、そもそもAAは、ミーティングをやるための団体ではなく、12ステップをやるための団体だということが見えてきました。質的向上のためには、メンバー一人ひとりがより真剣に12ステップに取り組むこと、それ以上でもそれ以下でもありません。量的拡大と質的向上はバランスが取れていなければなりません。量的拡大への偏りを正す必要があります。
古いメンバーの話を聞くことも大事です。彼らは今の僕らにはない経験を持っています。しかし、古いAAメンバー達の欠点が、今のAAの欠点になっていることも忘れてはいけません。オールドタイマーの話を、ただありがたがって聞いているだけではダメです。彼らは日本のAAの礎を築いた人たちでありますが、同時に、今の日本のAAをこのようにしてしまった人たちでもあります。
先人の業績は、後から来るものによって否定されるものです。これはどの分野でも繰り返されてきたことで、AAもその例外ではありません。僕らが今取り組んでいることも、10年後、20年後には否定されているかもしれません。それで構いません。ともかく、今やらねばならないことをやる。それだけです。
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