ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月21日(火) 初大師

朝は氷点下近くなり冷え込んだが日中は15℃まで気温が上がり

ぽかぽかと暖かく春を思わすような陽気となる。

高知城下では梅が開花したとのこと。ほっこりの春便りである。

やがては四万十も咲き始めることだろう。とても楽しみであった。

長閑な春の光景が目に浮かび心が浮き立つようである。

終らない冬などありはしない。ゆっくりと春の足音が近づいて来ている。



工場の仕事は今日も停滞しており一向に捗らない。

同僚も苛立っているのだろう。今朝は出勤するなり一悶着あった。

「大型車の車検を引き受けるからだ」と言うのである。

まるで私の責任のように受け止められむっとせずにはいられない。

仕事を選んではいけないのだ。それが商売の基本ではないだろうか。

「出来ません」とどうして断ることが出来ようか。

朝から言い争うのも厳禁でそれ以上は何も言えなかった。

黙々と整備を始めた同僚の背中が何だかとても憐れに見えて来る。


義父は今日も田んぼである。工場の忙しさを気にしているようでもあったが

口を散々挟んだ挙句に逃げるように出掛けて行った。

首の痛みも和らいでいるのか心配無用のようである。

とにかく好きなようにさせてやらなければいけない。

あちらを立てればこちらが立たずでは苦労が台無しであった。




今日は「初大師」今年初めてのお大師さんの縁日である。

早目に帰宅していたので時間の余裕は十分にあったが

すっかり足が遠のいてしまったお大師堂へ行く気にならなかった。

このままもう二度とお参りに行くことはないのかもしれない。

信仰云々よりも私の心の持ちようではないだろうか。

億劫でならないのである。何と罰当たりなことであった。


今朝は夜明け前にお遍路さんの詩を書いた。

「初大師」にせめてもと思うささやかなことに他ならない。


        冬遍路

    微かに響き渡っている
    金剛杖の鈴だろうか
    険しい峠道を越えると
    一面の田園地帯だった

    まるで雪のような霜である
    朝陽を浴びてきらきらと輝く
    その光こそが希望におもえる

    同行二人であったが
    なんと孤独な旅であろうか
    肩を寄せ合う人もいない

    黙々と歩き続けている
    誰を想い誰のためだろう

    苦しみも哀しみも遠ざかり
    ただひたすらの歩みであった

    旅は続くその道が空であるかのように






 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加