ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月17日(木) 縁の行く末

「若葉冷え」も何処へやら。今日は25℃に達し夏日となる。

全国的にも広い範囲で初夏の陽気だったようだ。

今年の春は短くすぐに暑い夏が訪れるかもしれない。


午前中、平田町の信用金庫まで行っていたのだが

それはそれは沢山のお遍路さんが歩いていた。

何とそのうち6人は外国人で驚く。

背の高い男性、金髪の女性もいた。

朝の山道では見かけなかったので山里の民宿泊だろうか。

山里には2軒の民宿があり宿泊客も多いと聞く。

「どぶろく」を振舞うのは「民宿くろうさぎ」で

外国人さんも昨夜は酔っぱらっていたかもしれない。

言葉は伝わらなくても楽しい夜を過ごしたことだろう。



仕事は一歩前進。今朝は義父が待機してくれており助かる。

おかげで車検が完了し納車することが出来た。

代金は明日にでも振り込んでくれるそうで夢のようである。

来週早々には大口の支払いがあり困り果てていたところだった。


同僚は大型車のクラッチ修理に集中しており

飛び込みの来客がないことを願うばかりである。

義父はまた田んぼであった。もうどうしようも出来ない。

仕事があるのは有難いことだが同僚一人ではとても手に負えないのだ。



整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。

療法士のU君の手は今日も「神の手」であった。

リハビリを終えサニーマートで買い物をしていたら

先日ご主人を亡くしたばかりの義理の叔母に会った。

お悔やみの言葉を述べたら「どうして知っちょるがよ」と云われた。

義父がお通夜もお葬式も行っていたのだから当然のことだが

「あんたは来てなかったよね」と念を押すように云うのである。

たとえ義理の仲でも参列するべきだったのだろうか。

母のお葬式ではお世話になったので恩を返すのが筋だったかもしれない。

なんだか責められているように感じ一気に気分が塞いでしまった。

帰宅して直ぐに夫に話したが私の思い過ごしだろうと云ってくれる。

おかげで少し気が楽になったが何とも後味の悪い出来事だった。


一切の血の繋がりがない。それは義父も同じであったが

夫婦も同じである。元々は赤の他人に他ならない。

母は義父と50年以上連れ添ったが叔母にとっては姉ではなかったのか。

もしかしたら突然転がり込んで来た厄介者だったのかもしれない。

しかも私のような連れ子もいて迷惑をかけてしまったのだろう。

亡くなった義叔父とは私の婚礼の時に初めて会ったきりだった。

義理の上に義理を重ね世間体を取り繕っただけなのだと思う。

今日のことで何だかそれを思い知ったような気がした。


さらりさらりと水に流さなければいけない。

みんなみんな縁あってこその仲なのに違いないのだ。


          
          発芽

      柔らかな土であった
      必要なのは肥料と水
      それから空である

      農夫は季節を知り
      まるで我が子のように
      種を蒔く

      春の陽射しを浴び
      薄っすらと汗をかき
      吹き抜ける風に会う

      困難もあるだろう
      失望もあるだろう

      けれども希望失くして
      どうして生きられようか

      種として育つ春である
      恵みの雨を待ちながら
      むくむくと息を放った

      空がいっそう近くなる
      頭をあげて手を伸ばす

      もう芽である
      もう踏まれることはあるまい



※今のところ誰からも苦情や意見は届かず引き続き詩を掲載させて頂きます。
  
 お目汚しをどうかお許し下さい。


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