mortals note
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1.
「自宅のほうにも帰った様子はありません」 「そうか」 東軍大佐であるジャンヌ・ビレスは、柳眉をひそめて整った顎に手をあてた。 「さすがにおかしいだろ、今までこんなに連絡がつかなかったことはないぞ」 「分かっている」 中佐の言葉をいらだった様子で遮る。 そう、誰もが気づいている。これは異常だ。 この部屋の主―――彼らの上官は気侭ではあっても無責任ではない。殊、任務に関してはそうだ。 大将殿と数日にわたって連絡が取れないというのは、異例の事態だ。 ただの気まぐれならばいいが、何かが起こっているのだとしたら……。 ノックもなしに扉が開かれたのはそのときだった。 同じ軍服を纏った、見知らぬ男が立っていた。 「……何用だ」 「ノックもなしに不躾じゃないんですか?」 低く問うジャンヌに、シノブが軽い調子の声をかぶせた。が、彼が逸早く身構えたのは、誰の目にもあきらかだった。 人影は何も言わずに室内に踏み込んでくる。その後ろにぞろぞろと兵士がつづく。 「何の用だと聞いているんだ!」 猫を脱ぎ捨てて、シノブが声を荒げた。男とジャンヌの間に割って入る。 (階級章……?) ジャンヌは目を眇め、はじめに踏み込んできた男の襟元を見た。 軍服の襟の左側には、どちらの所属であるかとどれほどの地位であるかを示す階級章がついている。襟を見るだけで、相手がどのような立場かすぐ分かるように出来ているのだ。 所属は―――獅子ということは西か。そして階級は。 「ルクレイヴ中佐か」 階級章を信じるのならば、男は西軍の中佐ということになる。 そして西軍の中佐は―――ジン・ルクレイヴ。 「ミイラ男のジン、か?」 アフライドは目を凝らして相手の顔を見る。 常に包帯で全身を覆っていた男が、何故今は素顔なのだ? ひどく焼け爛れているなどという噂を鵜呑みにしていたわけではないが、包帯を巻くならばそれなりの事情があるのだろうと思っていた。だが、眼前にいるのは”ただの”男だ。顔には傷ひとつない。 「お察しのとおり、わたしはジン・ルクレイヴです。あなた方に、上からの通達をお伝えにあがりました」 この男の声を、初めて聞いた。 「これが通達を伝えにきた者の態度か!」 ジンは頤を持ち上げ、冷えた瞳でシノブを射抜き、 「逃げられては困りますゆえ」 と言った。 「貴様っ……!」 「トクヤマ」 気色ばむシノブを、鋭いジャンヌの声が制止する。 苦虫を噛み潰したような顔をして、シノブは一歩下がる。 「通達を聞こうか。良い話ではないのだろうが」 「貴女はいつでも理性的で助かります」 皮肉なのか本心なのか分からぬようなことを言って、ジンは―――うっすらと笑った。 この男の笑う顔を見たことなどない。そもそも素顔を見たのも今がはじめてなのだ。 得体の知れぬ悪寒が背筋を撫で上げる。 知らぬところで、確実に何かが起こっているのだ。 「軍大将殿の行方をご存知ですか」 目を瞠ってから、ジャンヌは後悔した。動揺を悟られてしまったかもしれない。 確かに数日連絡がつかないとはいえ、東軍大将ミカエルの不在はそれほど外には漏れていないはずだ。 「……我らも、知りたいところだ」 正直に白状するのは屈辱だった。しかし、相手の手の内が分からぬのならば、下手な隠しごとは裏目に出る場合がある。 「そうですか。ならば閣下の独断と考えるべきなのでしょう。あなた方が嘘をついていないのであれば」 「何が言いたい」 「端的に申し上げましょう。ミカエル・シャイアティーン閣下には、反逆罪の嫌疑がかけられています」 「なっ……!」 一気に爆発しかけた男二人を片腕で制止し、ジャンヌはジンを睨みすえた。 彼女の腹のうちでも腸は煮えくり返っていたが、自分まで理性を手放せば、足元をすくわれかねない。 「左官が出向いてくるということは、確かな情報なのだろうな?」 「警備省からもたらされた情報です。軍部はノータッチだったはずのサロン摘発に、閣下の姿があったとの報告を受けています」 「それだけで反逆だというってのか!」 ジンは、低く唸った金髪の男に視線を流した。 「ならば何故閣下と連絡が取れないのでしょう? 我々ならばまだしも、あなた方まで。それにわたしは確定したと言ったわけではありません。嫌疑がかけられていると言ったはずだ」 アフライドは折れそうなほどに奥歯を噛み締めた。 「それで、どうなる」 ジャンヌは先を促す。それだけで終わる話ではあるまい。 「閣下が確保できるまで、東軍幹部の全権限を凍結します」 あくまで事務的に、ジンは告げた。事務的であったがゆえに、その衝撃を飲み込むまで、間が要った。 「指令系統はすべて西軍に移譲されることとなります。ビレス大佐、あなた方左官は」 ジンは焦らすように呼吸を置き、東軍左官に向き直った。 「しばらくの間、自宅待機をお願いしたい」 「謹慎していろってのか!」 「待機を、お願いしたいんです」 ジンは繰り返した。 「貴様っ!」 「トクヤマやめろ!」 「しかしジャンヌ様! これはあきらかな策謀ですよ! 東軍を無力化するための……」 「わたしはやめろと言った!」 ジンのほうへ乗り出したシノブの肩を、ジャンヌはぐっと引き寄せた。 「どう見てもおかしいことはわたしにだってわかる」 「だったら!」 「わからないのか、ここで我らが抗えば、奴らは我らも反逆者として捕らえるつもりだぞ。そうすれば、本当に東軍の意思はなくなってしまう。わたしたちは、閣下から東軍を預かっている身だ、忘れたのか」 「……」 「我らが捕まれば、東軍は事実上、”なくなる”ぞ。―――聞き分けてくれ」 肩を掴むジャンヌの指先が、かすかに震えている。シノブはきつく目を閉じ、こみ上げる憤りをなんとか腹の底に押し戻した。 がっくりと肩を落とすシノブを押しのけ、ジャンヌは傍観者の前に立った。 「上層部の判断に、従うこととしよう」 「賢明な判断です」 うすい唇をひいて、ジンは微笑した。
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