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今日は、彼の住んでいたアパートの片付け。 大家さんの都合でしばらく片づけに入ることができず、随分時間が経ってからの掃除です。 私は仕事だった為手伝っていません。 彼のお兄さん夫婦と近所に住む私達の友人夫婦が片付けました。 そもそも彼が一人暮らしをはじめたのは、一緒に住んでいた父親とうまく行かず、その為に職を失うまでになり、鬱になり自殺未遂を繰り返し、このままではどうにもならないという状況からでした。 以前は別の女性と同棲していたのですが、別れて家に戻ってからずっと厳しい状態ではあったようなのですが、仕事に張りがあったり、(うぬぼれのようですが)私と出会ったりして、なんとか持っていたようなのです。 しかし塵も積もれば。 いろいろなことが重なり重なりして、何はともあれ離れなくちゃだめだよと、貯金がないことを気にする彼をせきたてて、逃げるように引っ越しさせたものでした。 結局は、仕事の関係でまた父親とは繋がりをもってしまったのですが…。 私と彼の家は電車で一時間半ちかくかかり気軽には会いにいけなかったので、私が丁度中間地点に転職したこともあり、私の職場の近くに部屋を求めました。 なぜか探した部屋が私の友人のすぐ近所で、すわこれは運命とばかりにそこに部屋を決め、ミニバン一つで足りるくらいの荷物で引っ越しをしました。 家財道具がなにもなく、家具や家電を二人でああだこうだ言いながら揃えたことが、ついこの前のことに感じます。 必要なもの以外の、洒落た家具や雑貨類は、毎月一つづつ揃えていこうねとお店を覗いては愉しみにしていました。 結局、仕事がうまくゆかず、食べていくのに精一杯になってしまった為、その計画もはじめの数回しか叶いませんでしたけれど。 彼が亡くなった後に、形見わけの品物を選んだり、探し物があったりして何度か部屋には入っていますが、いなくなってからもまだ部屋がそのままというのは…、辛くもあり、嬉しくもありました。 家具や、食器や、それこそ歯磨き粉のチューブにいたるまで何から何まで思い出があります。 私の手で片付けたかったという気持ちと、思い出のすべてがどんどん部屋から消えていくのを見たくなかった気持ちが両方。 いまこれを書きながら、なにも無くなった部屋を想像してみましたが、不動産屋に連れられて初めて見に行った時のことしか頭に浮かびません。 もう、あの部屋は、私の入ることのできる部屋では無くなってしまったんですね。 一キロくらい歩いて抱えてきた500円の古めかしい扇風機をかけて、黒ビールを飲みながら、寝転がって司馬遼太郎を読んでいる人はもういません。 あの扇風機もありません。 窓にかけたすだれが風に揺れることもありません。 思い出だけでなく、あの部屋で話したこれからの計画も消えてしまいました。 そして繰り返していたらしい自殺未遂の痕跡も同じく消されているでしょう。 せめて、あの部屋で、苦しんでいたと同じくらいの楽しかった思い出が彼に残っていますように。
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