結婚している訳でもないから、大っぴらに喪に服せないお正月。いなくなってはじめてのお正月。これから過ごさなくてはならない長い長い一年のはじまりのお正月。元旦以外は休みもなく、ずっと働いていました。 昨年、祖母が年末ぎりぎりに他界したために、寒中見舞いも用意せず来たハガキにも返事をしなかったので、今年はほとんど私宛の年賀状はありませんでした。今年も、出す気には到底なれず、いまも来た人に対しての返事すら準備していません。 年賀状をくれた人たちは、Hのことを知りません。幸せそうな新婚カップルの写真。毎年恒例の子供と一緒に旅行先で取った写真。私はその人たちのことがとても好きですけれど、それを見て、返事をするのは辛いのです。きっと今年も何も書かなかったのなら、来年こそ誰からも来なくなるでしょう。来年も、友達なんていなくてもいいなどと虚勢をはっていられるかどうかわかりません。寂しくてひとりぼっちだとすると、それはきっと辛いことでしょう。 もう、すでに、あのころ連絡を沢山くれたのに音沙汰の無い人もいます。私から連絡をするのが少し辛いのと、他に理由もあってこちらからメールしにくいままに数ヶ月経ってしまいました。そして、もっとも世話になった友人の引っ越しも決まっています。いなくなる日のことを考えるだけでどうしていいかわからないくらいですが、行っては嫌だと泣き叫ぶこともできませんし、止める理由もないのです。 辛いくらいなら友達なんていらない。私は一人で寂しく過ごして行くことが罰なのだろうから。ただでさえ少ないのに、今いる人たちもきっと離れて行ってしまう。Hも、寂しくて寂しくてしかたなかったのだから、それを私も一生かけて味わって償っていかなければならないのでしょう。Hのぶんも楽しく生きようとは、まだ私には思えません。後ろ向きだとわかっていつつも。 でも、寂しいのです。 友達のことも寂しいけれど、なによりも、Hがいなくて、寂しいのです。
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