本と同じに、CDもいたって適当に取り扱う人でした。わたしは、CDの盤面に触るのなんてもってのほか。側面しか触らないということをしてきましたが、Hは裏面に指紋がつくのを気にしないなんてものではなく、ケースにも入れずにそのままかばんに放り込んで気にしないのです。CDケースに入れて持ち運んではいましたが、めんどうになったのかわすれたのか、ある日初めてバッグからむきだしのそれを取り出したときにはとてもびっくりして、小言をいうのすら忘れたほどです。 形見分けの際に、CDもいくつか貰ってきました。どれもこれもむきだしのままに引き出しや押し入れに転がっていて、ケースに入っている方が少なくて入っていても違うものだったり。ちょっとお目にかかったこともないくらい、よくこれで聴いていたのだと感心するくらいに傷だらけでした。むきだしのまま、傷だらけのまま、ばらばらになっているディスクたちはそのままHの姿のようでした。嘘つきで、傷つきやすいくせに自ら痛めつけるようなことをする。いろんなものやことばがつまっている。恥ずかしがりなくせにちょろちょろしている。ヤケになって当たってくだけてしまう。そんなHに。 幼少の頃の体験から、モノに執着するということができないのだと言っていました。それでも聞くことは好きだったらしく、たくさんのCDがありました。そして、好きだと言っていて、確かに見たことのあるはずのタイトルがみつからないものもたくさんありました。 先日やっと一年経ってディスクを研磨サービスに出し、きのう、戻ってきました。そしていま、まず一枚をかけながら、これを書いています。なぜかそれは2枚同じものがあり、片方はどうやら直らなかったらしく聞けない状態でした。そのバンドの曲の中で一番だという曲が、わたしとHで同じだったことに驚きうれしくなったことを覚えています。そして、その曲がこのアルバムのなかには入っていて、ダビングしてもらったテープしか持っていなかったわたしはやっと自分の手にCDを手に入れたことになります。 改めてその曲を聴きました。今まで漠然と聞いていた歌詞におどろきました。ケースがなかったのでネットで歌詞を検索し、なんどもなんどもその曲を繰り返して聴きました。なにかの曲を聴いたり、映画を見たりして「これは絶対自分のことだ」などと思うのは気恥ずかしく、いやです。しかし今回ばかりは、これはわたしのことではないのだろうかと泣き出してしまうのを止められませんでした。ただ好きだっただけの曲が、忘れられない曲になりました。 わたしも持っているものが一枚、それはあるジャンルのなかで一番好きと共通していて、しかもあまりメジャーではなかったことから二人とも驚いたそのバンドの、一番好きなアルバム。聴かせてもらったことのあるものが数枚。映画を見たHが気に入って繰り返し車の中や家でかけ続けていたサントラ、ずっと昔から好きだったグループなど。ほか、聴いたことはないけれど知っていたり興味があったり、Hと何度か話題にしたことのあるものが数枚。削ってピカピカになったものもあり、かすかに傷の残っているものもあり。全部直っているのかどうかはわかりませんが、一枚ずつ聴いてゆく楽しみができました。しばらくのあいだは、今かかっているこのアルバムから進むことはできないでしょうけれど。
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