取り残されているのか、ただ佇んでいるのか。 彼が追いつくことは無いことはわかっているのに、期待し続けてこの場にいるだけなのか、来るかもしれないと思い込むことによって踏み出す勇気がないことに目をつぶっているだけなのか。 そんなことはどちらでもいいのかもしれないけれど、わたしがどこにどれだけ立ち止まっていようとも、わたしを巡る外の世界は確実に流れ続けているのですね。 親友に子供が産まれました。 あまりに彼女が母親と言うあたらしい存在になったことが不思議でならないけれど。 ほんとうにおめでとう。こころから、無事に産まれてくれてよかったと思っています。 昨日の日記は、そんな予感がどこかにあったのでしょうか。 彼がまだ存在していた頃には、相手とも出会っていなかったのに。 その子の、存在の芽すらなかったのに。 もしかしたら、先に新しい命を(彼の生まれ変わりかもしれない命を)抱くのはわたしだったかもしれないのに。 相変わらずそんなことを考えてしまうということは、やっぱりまだ半歩も動き出せてない証拠でしょうか。 親王誕生のニュースにはそんなことを思わなかったのですけれど、やっぱりわたしは彼女に嫉妬しているのです。そんなきもちは、とてもいやなきもちなのに、なかなか捨てることができないのですね。
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