彼にもらった指輪をずっとしていました。 それは薬指には大きくて、中指に。 わたしがそういったものを貰いたがらないのを残念がっていて、たまたま買い物の最中に見つけた二人とも可愛いと思えるデザインを、自分が欲しいから買うのだと言い張って買って、わたしに渡した指輪でした。 そのときも大きいからと、中指にはめたわたしを少し恨めしげに、でも嬉しそうに見ていました。 照れくさくて薬指にはめられないのも、きっとわかっていたと思います。 指輪をしなれないわたしは、その後もあまりつけることはなく、寂しい思いもしたでしょう。 その代わりのように、彼は或る時私がつけていたブレスレットを欲しがり、それを自分がずっとつけていました。 今までは束縛されたくなんてなかったんだけど、こうすると君に手錠されているみたいで嬉しい、と。 いなくなって初めて、貰った指輪をし、ペンダントをし、勝手に彼にちなんだつもりの石の数珠で自分を拘束していったわたしは、彼の目にはどう写るのでしょうか。 指輪はガラスを使ったちょっと変わったもので、毎日身につけるには適さないデザインでした。 つけなれないわたしには特に。 つけっぱなしでぶつけたりもしたし、変色したりしていくうちに、段々アンティークのような雰囲気になっていき、なんだかよく褒められるようになりました。 いつしかつけていることに違和感もなくなり、つけていて当り前になって、何年もたって、そして今年の四月が来て、わたしは一歩踏み出しました。 近い将来、この指輪を外さなければならないのも、わかっていました。 ただ、まだすぐに外すつもりなどはなくて、いつか、と。 そんな風に思っていたら、ある日、左の中指の指輪の当たるあたりに急に湿疹ができてしまい、外さずにいられない状況になりました。 わたしの手は荒れやすくて、ここ数年軽くなったものの、すぐに湿疹やひび割れやらで来てしまうのに、なぜかこの指にだけは指輪をし始めてから何も起こらなかったというのに。 直りかけてはつけて、また荒れてしまって外す。 何度か繰り返しました。 あきらめて、しばらく外したままにしていました。 そしてもう、2ヶ月近く経ちます。 まだ、少しかゆみのある指を言い訳に、指輪のない状態に慣れるのはあっという間でした。 「今だからこそ、こんなになったのかもしれない」 「外させるきっかけなのかもしれない」 これもまたみんな自分を納得させる言い訳かもしれません。 けれど、わたしはもう、前のようにはこの指輪をはめ続けることはしないでしょう。 数珠を外すその前に、指輪をひとつ、作ろうと思います。 薬指にする指輪ではないけれど、シルバーのリングに彼のしていたタトゥーのデザインを彫ったものを。 それが出来上がったら、数珠も外して、一見何でもなさそうなその指輪だけをつけて、何でもない振りをして、生きて行こうと思います。
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