24日午後 娘の書道の恩師がご他界された
娘が祖父のように慕い小学2年から高校3年まで週1回ほとんど欠かさずお稽古に通った先生だった
書道協会の会長を歴任され当市に於いても文化面では大きな功績を残された方でした
私たちにも本当に優しい目でいつもお話ししてくださいました
娘はどんなにかわいがっていただいたことでしょう
高校2年の夏、市からの派遣でオーストラリアに短期留学した時も ホームステイするお宅に差し上げてとわざわざを書いてくださった書に綺麗な表装を施して渡してくださいました
10年ものお付合いでしたから数え切れない思い出と筆舌に尽くし難いご恩があります
県展や市展へ出品した作品がご指導のお陰で最高賞をいただいたことが何度かありました その度に電話が入り、「お母さん Tちゃんの作品が県知事賞を取ったよ」っとそれは嬉しそうに審査時の内容を詳しく話してくださいました
大学進学についても書道を続けてほしいからそちら方面に進むのだったら尽力するからと仰ってくださいました
それでも娘は自分の力の限界を感じていたのか・・・ それはよくわかりませんがほかの目標を立てて進みました
留学前の今年1月帰省していた折、先生に留学の報告とお見舞いをしたいとお電話をした娘でした 先生が出られてお話しをしたのですが 体調が思わしくないからとお逢いすることができませんでした おそらく先生は教え子に弱っているご自分を見てほしくなかったのだと思います
娘に先生のご訃報をメールで知らせ その後チャットで話したのですが 画面の向こうに居る娘がほとんど言葉の出ない様子に 彼女がどんなにショックを受け悲しんでいるのかを窺うことができ私も言葉がありませんでした
お通夜にもお葬儀にも参列できない娘の代わりに私がお別れしてくるからと・・・ お手紙を書いたら先生にお届けできるかもしれないと提案したら 娘がメールで先生に宛てた文章を送ってきました
それを持ってお通夜に伺いご遺族にご霊前にお供えさせていただいてよいかご相談してお供えさせていただくことができました
娘が昨日書いたブログを今読んだところです ずっとお逢いできなかった自分の不忠義さを恥じている彼女の気持ちを思うと 母としてかけてやる言葉も見つからない・・・
「祭壇のご遺影は○子が知っている優しく笑っていらっしゃる先生だったよ」
「先生は○子のお手紙をきっと読んでくださったよ」
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