2005年05月24日(火) |
15年目の鈴木彩子と、これからの鈴木彩子と |
地球は永遠じゃないの 悲しいニュースがカーラジオに流れる
鈴木彩子の初期の名曲「風に吹かれて」。この日のライブは鈴木彩子メジャー時代、後期の曲を中心に編成されていたが、ライブ終盤、突然アカペラでこの歌を歌い始めた。
子供だったこと忘れて だんだん勝手に生きて何をするの
2005年5月22日。東京・表参道、ライブハウスFAB。「鈴木彩子デビュー15周年記念ライブ・SASOO!」と名づけられたこのライブには、ライブハウスからあふれんばかり、人がつめかけていた。この表現は大げさではない。後から聞いた話では中に入りきれず、入り口のバーカウンターのモニターで演奏を聴いていた人もいたらしい。
ハッチの窓に遠くなった 走ってきた夜がある
15周年。気がつけば長い時間だ。そのうちの12年ちょっと、おいらも鈴木彩子を追いかけてきた。家に帰るまで待ちきれず、CDの発売日、CDショップに学ランのまま、お小遣いでニューアルバムを買いに行っていたおいらも、気がつけばとりあえず「社会人」とよばれる身分になり、自分で稼いだ金でライブに通うようになっている。 この長い時間の間、数多くの鈴木彩子の名曲を聴き、何度もライブ会場に足を運んだ。歌を聴く度に鈴木彩子はやっぱりいいなと思い、ライブに足を運ぶ度に今日のライブは最高だったと思ってきた。そしてこの日も、やっぱりそう思った。 ただひとつ、いつもと別の感想を書くのなら、バックバンドの演奏の「ノリ」が今まで一番良かったように思う。今までのササドラさんのドラムやケンシンさん、マッチのギターの方がうまいギターなのだろう。ただ彼らの演奏は「バックバンド」の演奏だったと思うのだ。この日のライブで演奏したギター二人、ドラム一人は、それぞれひとりのプレーヤー、ミュージッシャンとしてライブに参加して、演奏していたように感じた。ループの時のギターソロ、壊れんばかりに叩くドラム。こんなノリのいいヤツラの演奏を、今まで鈴木彩子のライブで聴いた記憶はない。
毎日が不安だけれど ここまでちゃんとこれたじゃないか
「風に吹かれて」の2番の歌詞を鈴木彩子がとうとうと歌い上げている。その時だ。ふと観客席から鈴木彩子の声にあわせて数人が歌い始めたのだ。
きっと きっと この道を たどればどこまでも行く
その声はみるみるうちに広がっていき、気がついたら会場全体に広がっていった。満員電車並みのギュウギュウの会場。その会場にいる大勢の人が全員一つになって「風に吹かれて」を歌っている。
あの歌 歌うたび 胸が熱くなるなら
ワンコーラス歌い終わって鈴木彩子がつぶやいた。「ありがとう」と。次の瞬間、今まであまり聞いたことのないロックアレンジの「風に吹かれて」が始まった。この曲でもバンドのメンバーが魅せてくれる。最後の間奏部分のギター演奏など、もうほとんど気が狂ったようなパフォーマンスだった。 今、鈴木彩子がやりたい音楽はこれなのか。賛否両論あるだろう。でもおいら的にはイイ。メジャー時代の鈴木彩子は歌うこと、自分のメッセージをリスナーに聴かせることを自分の活動の中心にしてきたと思う。その鈴木彩子が音というものも重視しはじめた。正確にはもう何年も前からそうだったのかもしれない。ホームページの記述などをみているとそうしたことへの興味が随所に感じられる。メジャーからインディーズに移りいろいろなアーティストと接した成果なのかも知れない。
「風に吹かれて」という歌は冒頭、こんな歌詞で始まる
夜がやっと明け始める ヘッドライト消して朝焼け見ようよ
メジャー撤退から何だかんだでもう5年が経とうとしている。メジャー撤退の時、どんなゴタゴタがあったのか知らないが、この5年間、決して鈴木彩子の活動は明るいところを歩んではいなかった。しかしもう「夜」は終わりだ。今回のライブに、新しい鈴木彩子の朝焼けを見たような気がする。インディーズシーンに移ってそれでも歌い続けている鈴木彩子。ライブという形では、この5年間の成果が、今回ひとつの形になって現われた。
次はアルバムだ。この5年間で鈴木彩子が感じたもの、築いたものを「アルバム」という形にして欲しい。この日記上で何度か「鈴木彩子、復活」と書いてきた。復活の段階はもう終わった。復活した上で何を見せるか。今までの鈴木彩子に何を積み重ね、どんな新しいものを作るのか。20年、30年、これからも続いていくだろう鈴木彩子が、とても楽しみでしょうがない。
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