せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年06月18日(日) 爆弾投下後の快復期の日常

先日の日記で、「ヒッピーちゃん」こと「爆弾少女」について色々と書いたが、彼女の仕業によってワタシは実は相当傷ついている、という事に気付いた。

というのも、「アルカセルツァー」の世話になった日の夜、疲れていた筈なのに中々寝付けないでいらいらとしていたので、漸く気付いた次第である。

ならば、無理せず気が済むまで傷を舐めよう、と決める。遅かれ早かれ、どうせ同じ事をやるのである。翌日の予定は午後だから、寝坊したって良い。今やってしまえ。

そうして思ったのは、結局彼女は全ての事について、相手が誰であれ「反論」や「批判」をするのだという事、それは「反論」というより自分の「エゴ」を満たす為の「難癖・いちゃもん」に過ぎないので、とことんこてんぱんにやっつけるまで止めないから注意が必要であるという事、だから彼女には「弱音」を吐いたり「弱み」を見せたりなど突っ込む隙を与えるべきで無く、「完全防備」で挑まなければならないという事である。

仮にも友人に対していつも「完全防備」だなんて残念な事だとは思うけれど、此方としてもそう度々傷つくのは嫌だから、致し方無い。

(巷で「批判精神」などと言う時、本来はある一定の客観的理論を用いて「批評する」の意なのに、何のバックアップも無いまま主観的に「非難」、「駄目だと言い続ける」と同一の意のように捉え違いをしている輩が余りに多いように思うのは、正にこういう時である。)


今回傷ついた所以を鑑みるに、彼女がワタシの日記の書き方・物書きのスタイルといったものに口出しをして、その関連で暗にワタシを「能無し」扱いした事がそもそも引き金を引いたのではないか、と推測している。

ワタシにとっては、「日記サイト」というものは日本語表現を忘れない為の練習台であり、また精神のバランスを保つ為に必要なセラピーのような存在でもある。

尤も公開しているのだから、読者の皆さんの事も当然念頭に置くべきなのだが、基本的には筆者である「ワタシ」が好きな事を好きな時に好きな様に書く場所であり、それを気に入った読者があれば好きな時に立ち寄って楽しんで行って下すったら良いし、またワタシの方も好きな様に書いて行くので良い、と思っている。

そこへ他人にワタシの書き方がどうだとか、いちゃもんを付けられたく無い。気に入らないなら読まないで結構、という事である。

殊に外国に住み始めてから、ワタシは他人から干渉されるという事がめっきり少なくなったので、あれは駄目だの止せだのと言われると、何故お前がワタシに指図をするのだ?と混乱し憤る。それが他所様を傷つけているとでもいうのなら兎も角、そうでないなら、全く余計なお世話である。

手前のやりたい事は手前んちでやれ。ワタシはやりたい事を自分ちでやっているだけの事だ。ワタシは手前のやり方に文句を付けないでいるのだから、手前もワタシのやり方には敬意を払うべきだろう。


しかしそれを、多分、ワタシはその場で「どうぞお構いなく。ワタシの日記ですので、好きにさせて貰います」と言ってやったら良かったのだろう。

それを周りの大人の皆さんの例に倣って、または彼女の「爆弾振り」に呆気に取られて、自己主張を控えてしまったのがいけないのである。だから、後になってわだかまって、夜更けにひとりでいらいらとやっている訳である。

これでは「喧嘩はその場解決」という、ワタシの基本精神に反する。




寝不足のワタシは、翌日の午後ヴォランティア活動に出掛けて、低所得層の子供たちに無償で「サマーキャンプ」を提供している団体の電話確認作業の手伝いをする。

今年のキャンプにまだ申し込みを済ませていない家庭、申し込んだが書類が不備な家庭、また幾つかあるキャンプ・プログラムのうち希望の日程・場所が満員で引き続き手続き中のケースなど、それぞれに電話して確認していくのである。

何しろ低所得層だから、電話が切られている家庭も多かったが、繋がっていても大抵母親は仕事に出ていて、「祖母」や「おば(伯母・叔母)」と話す事が多かった。

中でもおばあちゃんたちは、一様に孫思いである。「去年も一昨年も行ったんだけど、えらい気に入ってねぇ。今年も早速申し込んだのよー!」と、大きな笑い声と共に教えてくれたりする。色々の色の子供たちが、暑い盛りの野山をわいわい駆け回る姿が、目に浮かぶようである。

そう、サマーキャンプは楽しいからね。沢山お友達も出来るし、思い出も沢山。気が済むまで遊んでおいで。



それが済むと、ワタシは久し振りに大通りを北上して、観光客の波に揉まれながら散歩をして帰る事にする。

今日は良い天気である。一寸蒸し暑いが、久し振りのすっかり晴れ渡った週末である。


「せやけどやっぱあれやろ!あかんやろ?」

誰かが忙しなくそう言ったように聞こえたので、近くにいた亜細亜人の小父さんたちの方へ寄って行って、こっそり聞き耳を立ててみたのだが、そこで聞こえて来たのはなんと中国語だった。

可笑しいなあ。てっきり関西弁だと思ったのに。そんなに疲れているのか、ワタシ。


「このあと帰ったら、貴方一体誰と寝る気なの?」

人込みで声を抑えて詰問する長身の西洋人女性と、その脇で黙って俯く男性もいる。ふふ、色男、一体何をやらかしたのだ。

まるでそこいら中に小さい芝居小屋があるようだ、とワタシはひとりほくそえんで、ずんずん歩いて行く。

そのうちまた本当の芝居を見に行ってみようか。もう夏だし。また割引券が出回っているかも知れない。


歩きながら、ワタシは空腹だった事に気付く。

惣菜を売っている店で寄り道をして、卵サラダとパスタサラダに鶏のカツレツを三切れ乗せて、買う。

かなり太りそうな取り合わせだが、何しろ疲れているところへ脂っこい物が食べたかったのだから、今日のところは堪忍して貰いたい。

何処か外で食べようかと思ったのだが、この暑いのに日陰が見当たらないので、止む無くうちへ帰る事にする。

帰って惣菜を開けてみると、「バジルとトマトのパスタサラダ」だと思ったものは、実はバジルではなく「ワカメ」が入っていた。何だか奇妙な取り合わせだと思ったけれど、構わずがつがつと喰らう。



寝不足だった訳だし、そして炎天下に散歩までしてしまったのだから、ワタシは相当疲れていた。ワタシは少し昼寝でもしようと思ったのだが、しかしまたしても寝付けない。暑過ぎるのである。

相変わらずだが、うちには冷房が無いので、窓を全開にして団扇でばたばたとやる。そろそろまたお茶を大量に作って、冷やしておかなくては。

テレビでも観る事にする。しかし年度が終わったので、古い番組の再放送ばかりやっている。比較的楽しみにしているお笑い番組も、クリスマスツリーを背景に下らない替え歌を歌っていて、興醒めである。

本を読む事にする。今夜は暑くなりそうだ、と思いながら、時折敷布の上で身体の位置を変える。ずっと同じ位置にいると、暑くてならないのである。


そうこうしながらワタシは、自分の時間と共に平静を取り戻して、漸く眠りに付く。



巷では、ワタシがひとり憂えているうちに、いつの間にか夏真っ盛りを迎えていた。


最高気温は約33℃。



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