2007年01月31日(水) |
センチメンタル・クライシス |
所用で、京橋に行っていたのだ。
京橋ってトコはなんつーか、フタ昔前のミナミみたいなトコで、賑々しいのだがなんとなく雑然とした、スキマ産業とスキマ産業をつなぎ合わせた様な、混沌とした街である。
JRと京阪のエキステーションを中心に四方にウネッとアーケードが伸び、極僅かに整備されたエリアを侵食するように瓦礫のような生身が絡みついた、まんちゅうか
“ミッドガル”
みたいなトコなんである。
で、高校を卒業してすぐウチを出るまでの18年間をこんな街で過ごしたんである。
所用を済ませて暫く、ブラっと歩いてみた。
なんとも懐かしい。
て言うか何にも変わっていない。
例えば僕がミナミに引っ越してきてから五年ほどになるが、引っ掛け橋の下は遊歩道になったし、道頓堀にダイブすら出来ないようになって、商店街からはキャッチが消え、目まぐるしく商店は入れ替わって見た目だけ清潔になった。
今日歩いた京橋は、相変わらず澱んでいて、活気だけが悶々としている中学生男子みたいな、スマートさの欠片もない様はなんにも変わらなかった。
かつてスト2をやりまくっていたゲーセンは相変わらずヤンキーのたまり場だし、“永楽”と勝手によんでいたパチンコ屋はいまだに怪しさ満開だった。
二軒飛ばしに三軒もたこ焼きやがあったりするし角の出店では僕が小学生の時からマグロの握りスシを売ってたが、やっぱり並んでいるのはマグロだった。
グランシャトーもよくもまぁ改装もせずに健在していた。
シャトービルの五階には“シ○トー飯店”と言う、大阪でも五本の指に入るくらいまずい中華屋があるが、どのくらいまずいかっていうと、あまりの料理のイケてなさに窓からギョーザを、通行人めがけて投げて遊んだくらい、だめなんである。
BB弾並のハナシだ。
こんな濁った街と家庭のしがらみから逃げるように家を出たのだが、そんなトコでも落ち着いて空気をすってみると懐かしい気持ちになる。
“俺達はでっかいピザの下にしがみ付いて、それでも張り付いて生きているんだ"
とはバレットの台詞だが、妙に今日の気分にしみる。
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