オリビエの日記

2006年02月19日(日)    菊池寛のお顔

    剛君が以前、『「ぷっ」すま』で「夏目漱石のモノマネ」といって、
   「わがふぁいは猫である」と言ったことがありました。
   二十五日は剛君が座長の舞台、
   『父帰る/屋上の狂人』のチケットの発売日ですが、
   この作品は菊池寛の戯曲です。

    菊池寛は芥川龍之介や久米正雄に連れられて、
   夏目漱石の漱石山房に行っていた時期がありました。
   このときのお話を江口渙が語っています。

    男だって若いときは誰でも顔を気にするものである。
   菊池寛の場合はなにしろああいう変った顔だったので、
   それが特に際立っていたようである。

    このような書き出しで、
   そのあと江口は菊池の顔の特徴を細かく描写している。

    漱石が、
   「菊池寛って大変な顔をしているね。まるでシャークみたいだね」と言った。
   そのことを、
   「まさに適評だね」と鬼の首でも取ったように岡栄一郎がしゃべって歩いた。
   その上菊池が新思潮に書いた『閻魔(えんま)』という脚本を、
   漱石が漱石山房の座談会で、「あれは大変な代物だね」といって笑った。
   それも岡栄一郎がしゃべって歩いた。

    その二つが菊池の耳に入ると、
   菊池は漱石山房の門をもう二度とくぐらなかった。
   「僕は『閻魔』をそんなに悪いものとは思っていないんだよ。
   夏目さんが軽蔑したものだから、他の連中がいい気になってバカにするんだ」
   と江口にこぼした。

    その翌年に漱石が亡くなり、三日ほどして青山斎場で葬儀がおこなわれた。
   菊池も時事新報の記者として葬儀の記事をとりにきたが、
   漱石の霊前にぬかずいて焼香することなく帰ってしまった。

    後年金ができてからの菊池は若いときと違って、
   顔なんかぜんぜん気にしないようになった。
   金さえ出せば女はいくらでも自由になるものだ。
   顔なんか問題じゃないという確信を持つようになったためである。

    読んでいると漱石がひどい人のように思えてきますが、
   漱石門下の野上弥生子によると、
   漱石山房では何でも言いたい放題、バンカラだったようです。
   夫君の野上豊一郎と一緒に木曜会に行っていたのかという質問に、
   野上弥生子はこのように答えている。
   「行っていませんでした。皆、口が悪いじゃないですか。
   口の悪いのが揃っていますからね。
   その中に連れて行くのが嫌だったんじゃないですか」

    漱石山房には後に有名作家になった人がたくさん通っていた。
   
    菊池寛のお顔は特徴があったようで、
   有名になってからも三田文学の一部の人が「へそ」と陰で呼んでいたという。
   でも、写真で見る菊池寛って、私にはごく普通のお顔に見えるのです。


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