剛君が以前、『「ぷっ」すま』で「夏目漱石のモノマネ」といって、 「わがふぁいは猫である」と言ったことがありました。 二十五日は剛君が座長の舞台、 『父帰る/屋上の狂人』のチケットの発売日ですが、 この作品は菊池寛の戯曲です。
菊池寛は芥川龍之介や久米正雄に連れられて、 夏目漱石の漱石山房に行っていた時期がありました。 このときのお話を江口渙が語っています。
男だって若いときは誰でも顔を気にするものである。 菊池寛の場合はなにしろああいう変った顔だったので、 それが特に際立っていたようである。
このような書き出しで、 そのあと江口は菊池の顔の特徴を細かく描写している。
漱石が、 「菊池寛って大変な顔をしているね。まるでシャークみたいだね」と言った。 そのことを、 「まさに適評だね」と鬼の首でも取ったように岡栄一郎がしゃべって歩いた。 その上菊池が新思潮に書いた『閻魔(えんま)』という脚本を、 漱石が漱石山房の座談会で、「あれは大変な代物だね」といって笑った。 それも岡栄一郎がしゃべって歩いた。
その二つが菊池の耳に入ると、 菊池は漱石山房の門をもう二度とくぐらなかった。 「僕は『閻魔』をそんなに悪いものとは思っていないんだよ。 夏目さんが軽蔑したものだから、他の連中がいい気になってバカにするんだ」 と江口にこぼした。
その翌年に漱石が亡くなり、三日ほどして青山斎場で葬儀がおこなわれた。 菊池も時事新報の記者として葬儀の記事をとりにきたが、 漱石の霊前にぬかずいて焼香することなく帰ってしまった。
後年金ができてからの菊池は若いときと違って、 顔なんかぜんぜん気にしないようになった。 金さえ出せば女はいくらでも自由になるものだ。 顔なんか問題じゃないという確信を持つようになったためである。
読んでいると漱石がひどい人のように思えてきますが、 漱石門下の野上弥生子によると、 漱石山房では何でも言いたい放題、バンカラだったようです。 夫君の野上豊一郎と一緒に木曜会に行っていたのかという質問に、 野上弥生子はこのように答えている。 「行っていませんでした。皆、口が悪いじゃないですか。 口の悪いのが揃っていますからね。 その中に連れて行くのが嫌だったんじゃないですか」
漱石山房には後に有名作家になった人がたくさん通っていた。 菊池寛のお顔は特徴があったようで、 有名になってからも三田文学の一部の人が「へそ」と陰で呼んでいたという。 でも、写真で見る菊池寛って、私にはごく普通のお顔に見えるのです。
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