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■ 23年前
1983年11月29日午前8時34分 長女誕生。 出血量 多量・・・もう一歩で輸血が必要だった。
前日の定期検診後そのまま入院。 生まれそう・・・だったのではなく、私が骨盤が狭いために赤ちゃんがこれ以上大きくならないために予定日よりあまり遅れることなく生ませようっていう事だった。 骨盤は体重に比例するのではなく、身長に比例する。 従って小柄の私の骨盤は狭いらしい。 私には、3000gが、自然分娩できる限度で、この時点ではちょうど赤ちゃんがその位だろうという予想だった(結局は羊水が多くて、赤ちゃん自体は小さかった)。
入院して陣痛の兆候なし。 夕食後主治医が「明朝レントゲンで赤ちゃんの大きさをもう一度見てみる」と言いにきた。 その明朝を待つことなく、夜中から陣痛がはじまった。 ナースコールをしても反応なし。 仕方ないから陣痛5分間隔になってから、自分でナースステーションへ向かい、そのまま分娩室へ。 この世とは思えない痛さにウーウー言って堪えているのに その夜宿直の助産婦は、何と平然と私の傍で女性雑誌を見ている・・・ 陣痛3分間隔になったところで、その助産婦さんが言った言葉。 「そろそろお医者さまを呼んでもいいんだけど、今呼ぶと深夜料金取られるよ。どうする?」 この言葉一生忘れないよ。 さっさと呼んで!
いや〜、検診の時は結構強面で怖い先生だと思っていた主治医がこの時は神様に見えた。 で、主治医の診断は「病棟の主治医があと1時間で来るから、その先生と相談して帝王切開にするかどうか決めよう」 え?何時もは偉そうな事言っていたのに一人で決められないの? 病棟の主治医が来るまで、痛みは益々増すけど、生まれる兆候なし! 1時間後2人の医師の相談の上、帝王切開と決定。
その決断を聞いて、これでこの痛みからも逃れられる・・・と思ったけど、そううまいことはいかなかった。 帝王切開って「手術」なので、家族の同意書が必要となり、夫が来院するのを待つ。 その間、手術前の検査で心電図とったり、採血したり。
後で聞いた話によると、夫は前日主治医から 「生まれるのは2〜3日後」 と聞いていたので、病院から連絡があった時は出社する直前だったそうだ。 「分娩室に入った」という連絡もなく突然「緊急帝王切開」と聞いた夫は「何事が起きたのか?」と真っ青になって飛んできた。
いざ、手術室へ。 またまた、これが大変。 分娩室があったのは、旧棟で、手術室があるのは新棟。 旧棟には、エレベーターもエスカレーターもない。 旧棟と新棟を結ぶ渡り廊下のある階まで、階段を自力で歩かなくてはならない。
帝王切開が決まった時点で「陣痛を止める薬」を注射していたけど、そんなの速攻で聞くわけがない。 つまり、陣痛が起きているにもかかわらず、渡り廊下があるところまで歩かなければ、話は先に進まないのであった。
麻酔が切れた後(全身麻酔)、病室にきた主治医の説明によると 「廻旋異常を起こしていた上に、地頭骨盤不適合だった。もっと早く帝王切開に踏み切ってあげればよかった。」 つまりは、臍の緒が赤ちゃんの首に巻きついていた上に、赤ちゃんの頭が私の骨盤に入っていなくて、あのまま自然分娩を出来る状態じゃなかったって事。
妊娠一ヵ月目に妊娠しているのに気がつかず、ソケイヘルニアの手術はしちゃうし、 切迫流産しかかったり、妊娠後期には「普通の人では立っていられない」と言われた程の貧血に悩まされたけど、私にへばりついていた娘。
やっとの事でこの世に生を受けた娘は、今日23歳になった。
・・・で、このあとの結構大変な日々が待ってました。 実家の母は、当時仕事を持っていたし、義母は「嫁に貰った」という思いが強かった人なので、最初から退院後は里帰りせずに夫の実家にお世話になる予定でした。 それが、退院直前に義母の父(夫の祖父)が危篤状態になって、義母は当時義父が入院していた前橋と東京を行き来するし、場合によっては前橋に行ったままになるので、私と生まれたばかりの娘を引き取れないって言って来るし、実家の母にも「急に言われても会社を休めなくて困る」って言われちゃうし〜。
結局、初産なのに、自宅に戻りました。
それから夫の世話、生まれたばかりの娘の世話、家事を全て一人でやって、頑張りすぎちゃったのか、退院して2週間後に高熱と腹痛でダウン。 雑菌によって子宮が炎症をおこし、腫れちゃったのでした(>_<)
あれから23年経って・・・今思えば、若いから何でも乗り切れてきたのかな・・・。 娘も学校で苛めにあったこともあったけど、ぐれることもなく、育ってくれました。 今は、小学校の教員になるという小さい頃からの夢に向かって勉強中です。
今夜は、親子3人で、娘のリクエストで大好きなイタリアンのレストランで食事をして「洋服を買いたい」という娘に付き合って、ショッピングをしてきました。
一緒にお誕生日のお祝いができるのも・・・あと何年かなぁ〜(笑)
写真は、今日食事をした街(7年前まで住んでいた街)の駅前の紅葉です。 そういえば、娘が生まれた年の冬は、東京にも雪が沢山降った年でした。
2006年11月29日(水)
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