いろいろ不幸は続いてるけど なんだかんだ、したいこともできてる、と思う。 部屋も片付いてるし、気付けば毎晩夕食もちゃんと食べてるし 口内炎はきれいに治り、歯医者にも行って 毎朝毎晩イソジンでうがいをかかさず 仕事も順調だし、ダイエットもできたし 普通に快適な生活をしてると思う。 彼氏のいないこの生活が、やっぱり私にはあってる。 ものすごくラク。
最近はまってるのは2冊の書物占いで 「魔法の杖プチ」をいつもぱかぱか開いて見てる。 もう一冊はノーマルのタイプ。 この2冊のいいところは、いい言葉しか書いてないところ。 なので「YES」になるような質問をすると 八割方「うん。大丈夫」ってなような答えが返ってくるような気がする。 「そっかそっか。大丈夫なのか」とひとりで納得するか 「んなわけないじゃん」としらーっとした気分になるかは そのとき次第なんだけど 私は意外と単純なので「そうかもね。意外と大丈夫かも」なんて プラス思考になれたりする。
誰かに相談するとしたらしょうもないことは聞けないけど 聞く相手は、物言わぬ「本」なので ほんっと、どうでもいいようなくだらない質問ばっかりしてる。 「明日は楽しい?」とか「来年、いい年になる?」とか。 昨日の夜なんかは「明日は早起きできる?」って質問したら 「心配しすぎてるだけじゃありませんか?」ってページを開いた。 もう一度同じ質問をしたら 「イエスです。それはほとんど確実です」ってページだった。 そして今朝はどっぷり寝坊して8時に起きた。 「あ。やべっ」って感じの寝坊したわけじゃなく 起きなきゃなあってわかってるのにずるずる寝てたので 確信犯ではあったけども。
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最近、また活字中毒気味で、本を読んでる。 東野圭吾の「宿命」を読んでから すっかりミステリー中毒になったらしい。 通勤途中、地下鉄の待ち時間がひまだから 本を読もうと思ったのはあるんだけど 最近、映画を見たくてもなかなか見ないし 現実逃避には読書はものすごくちょうどいい。 洗濯が終わるのを待つ時間もそうだし 最近、どくだみ茶を毎晩沸かして会社に持って行くんだけど そのどくだみ茶を煮出してるのを待つ間も本を読む。 時間が来たらぱっとしおりをはさんでいつでもやめれる。
東野圭吾は2冊買った。 「白夜行」と「変身」。 どっちもおもしろそうだったから。 「白夜行」は分厚くて小六法みたい。 しばらく読み終わらずに済みそうだ。 一冊読み終えると、達成感と同時にさみしさがある。 楽しみが終わってしまう。 結末がわかると、「へー」とか「ふーん」とかそんな感じ。 次は何を読もうかなーって、なんとなくぽかーんとなる。
私は基本的に、一度読んだ本をもう一度読んだりしない。 結末がわかってる本をもう一度読むことの意味がわからないから。 私はたぶん、文章を楽しんでいるんじゃなく どういう終わりがあるのか、そのワクワクだけで本を読んでる。 その気持ちがないと読み続けられない。
弟は違う。 あいつは文章を読んでるんだと思う。 音楽を聴くように本を読んでるんだと思う。 「この部分が好き」みたいなのがあるんだと思う。 気に入った本は何度でも読むそうだ。 一度読んでまた読むなんて、私にはできない。 よっぽど時間が経って、内容を忘れてたらするだろうけど。 いやあ、どうかな。あんまりしないな。 新しい別の本を探すだろうな。 今回もそうだけど、同じ本を読むよりは 同じ作家の別の本や似た作家の別の本を読むタイプだ。 私は何事においてもそういうタイプだ。 やり直しとか、そういうのは苦手だ。 別れた彼氏のことをもう一度、とかそういうのも絶対にない。 話は一度終わってるんだもの。結末を迎えてる。 シーズン2とか続編は、前作を上回るできでない限り 楽しめないもんだと思う。 要するにがんばらなくちゃいけないのがめんどくさい。 映画も本も人生もそういうもんだと思う。
終わらせて次、そういうのが好き。 「終わる」「はじめる」それが好きなんだと思う。 最初と最後がいい。 「続ける」というのは苦手だ。
今はその性格が幸いしてると思う。 ずーっと不幸を感じ続ける、ということが 私の性格上、無理なのだ。 飽きてしまう。 飽きるというか慣れるというか。 気にならなくなってしまうというか。 忘れてしまう。 気付けば無関心になってる。
何かのきっかけで思い出すとしばらく止まらないけど それでも何日も同じことを考えたりはできない。 せいぜい、2〜3日。長くても1週間。
忘れてしまうから同じ失敗を繰り返してしまうところもあるけど 忘れるから、ラクなんだろうな、私。
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