ソモ算

2008年05月11日(日)

私は議論に弱い人間でもありますので(一度文章にしないと頭が整理できない)、ここら辺から黙りこくるようになり、この日は結局彼女の人間性を攻撃するという愚劣な手段に出たのです。

あなたって前からそんな「ふつう」「変」とかで人を分けて、偉そうにする人だったっけ?

(2)の友人のことを「あのこって本当にふつうだよね、会って何話すの?」と言ったのがなんだかカンにさわりました。「ふつう<変」という価値観を自分が内在させている裏返しでもあり、あの子のことなら私のほうが知っているというようなつまらない競争意識の現われでもあるでしょうが。

「美大行って本当に良かったよ、パン大とはやっぱ違うから」と言ったのがなんだかカンにさわりました。パン大という言葉は初めて聞いたので、多分「ノンケ」と同じような位置の言葉なのだと思います。社会的に例外扱いされる人が、名前のない「ふつう」を命名する言葉。今まで自分がしてきたように、特別取り立てて呼ばれる逆転が不快なのか、Fランと私を一緒にすんじゃねぇよというプライドなのか、よくわかりませんけれども。

言ってみて私は、自分がもはや個性的なおもしろい女も、ふつうのつまらない女も、共に目指すことができなくなったのを悟りました。普遍的な面白さがあるとは元より思っていなかったはずですが、心のどこかで引きずっていた意識を直視することができました。

なるべく潔くつまらない女になると前のどこかで書きましたが、私自身がつまらなくなることはありえないのです。誰かに私がつまらないと思われるだけです。最初から(3)(4)的つまらなさと限定はしたつもりですが、よりはっきりと認識しました。

そして、とことん馬鹿にされてみて初めて「ふつう」であることの尊さを弁護したくなったのです。「ふつう<変」の価値観を内在させた、つまらなさ(という形容が普遍性を帯びてしまうとすれば、ある人にとってそれがたまたま好意がもてないこと)と同義の「ふつう」ではなく、コミュニケーションの担保となる「ふつう」です。

(つづく)


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戸袋 [MAIL]