意味あること。 - 2008年07月10日(木) 意味があることは特に、その時には分からないものだと思う。 私は今、接客のアルバイトをしているけれど、 昔3年間、ファーストフードのバイトをしていた時とは、全く働き方が違う。 例えば、私はものすごく仕事の効率が良くなったと思う。 昔は教えられたことしかできなかった。 お店の状態や、店員の動きや働きを見て、今自分に必要な仕事を考えて動いたり、 そういうことは全くできなかった。 だけど、「人の状態や、人が何をしたいのか、その為に自分はどう動くか」ということを、 私は大学時代の友達に教わった。 大学時代の友達は、本当に先読み、即行動の人たちだった。 それを見て、私は学んだんだろう。 あとは、お客さんに対して、気軽に話しかけられるようになった。 店員として、に加えて、同じ人として。 昔はお客さんが怖かった。 だけど、私は人好きになったと思う。 それは、3月に4泊6日でした、1人旅が大きなきっかけだったと思う。 自分自身に関して、全ての責任を負わなくてはならなかった経験。 いろんな人に話しかけて、色んなこと教えてもらったりした。 人って怖くない。悪くないなって、私は思ったのだ。 1人旅の後、しばらくは、 私に1人旅は合わなかった、もうしないだろうと思っていた。 私は極度のお喋り好きだし、強く人と時間や感覚を共有したいと思っている。 だから、1人旅は、少し物足りなく感じたのだ。 だけど、今思えばその1人旅は私に大きな変化をもたらしてくれたし、 私の生活や生き方に彩りを与えてくれたと思う。 人に対する恐怖心が払拭されて、今まで以上に人と接することができるようになったことで、 私の世界はぐんと広がりを見せると思うから。 そして、1歩も進んでいないと責め続け、 毎日を無為に過ごしていると感じていた3ヶ月間。 今考えれば、その3ヶ月間がなかったら、 今、未来に胸を馳せて期待や希望でいっぱいな私は確実にいなかった。 その時は、意味の見出せないことでも、 時間が経った時に、確実に自分の血肉になっていることに気付かされたり、 自分の中で物を考える時の、考え方やものの見方もぐっと広がる。 ただ何も考えず、消費しているだけの毎日からは、きっと自分の奥行きとか、限界は広がらないと思う。 口先だけで物を言い、深く悩むことなく負の感情を消化していた時期が私にはあった。 だけどその月日は、私に殆ど何も与えてはいない。 自分の感情や自分の感性に敏感になって、 周りの環境や、その変化に巻き込まれながら、 自分自身深く考え、見えない答えを探し、それでもみつからなければ助けを求め、 自分自身に自覚的に、能動的に向き合っていれば、その時間がいくら無駄に思えても、 いつか絶対に、絶対にその時間が自分の財産になる時は来るのだと思う。 自分の気持ちを無視したり、 自覚的・能動的になることが怖くて誤魔化していた時代も確かにあった。 だけど私はこれからは、常にありのままの自分を受け入れていきたい。 今は未来への期待で溢れているから少し痛みは鈍化したけれど、 あの時の傷が消えたなんて、絶対に言い切れない。 かさぶたが剥がれて、傷が体に取り込まれるまで、傷は消えることはないと思う。 だけど、私にとって、あの出来事は必要なことだったのだと思う。 絶対に。絶対に、私にとって必要なことだった。 これから、大事なものたちを失わない為に。 大事なものを、大事にできる力を得る為に。 生きてるだけで、死んでしまうんじゃないかと思うような、 苦しくてやるせなくて、悲しい日々があった。 だけど、今は少しだけ、感謝。 あの時のことがきっかけになって、私はきっと、どんどん変わっていけると思うから。 ...
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