おりえの日記
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2008年10月31日(金) 終わりはいつでも傍にある

照れですね。

酒飲んでようが眠かろうがしんどかろうが何してようが。
日記書くことへの照れ。
人に何かをさらすことの照れ。
正直に表現することへの照れ。
それはイコール怖れなんでしょう。
ジーンズとトランクスとコンドームと包皮の中にあるもの
見られたくないだけなんですね。
大したもんじゃないんですけどね。
ひょっとしたら何もないのかもしれないですね。空気。

85歳になる祖母がいます。
認知症なんですが、厳然と残っている欲が彼女にある。
生存欲、金銭欲、そして体裁欲といえばいいのか。
空虚といえば空虚だし本質と言えば本質だし。まあ俗っぽいのは確か。
最近ね、自分と似てると思いだしてきた。
運良くか悪くかそんな歳になって、
自分もひょっとしたらそうなっちまうんじゃないかと。
生きたい、金が欲しい、ええかっこしたい、そんな呆け老人。
誰でも少なからず持ってる欲なんでしょうが、
そこを自分的にひた隠しにしたいのが問題。
祖母も出方は違えど、意識的でないにせよ、そんな人だったから。
照れて隠すことが一種の美学だった世代なのかもしれません。
自分はそうじゃない世代です。
さてどうしていきましょうか。
けど思います。
絶対ああはなりたくねえ。
同族嫌悪ですかね。

秋の夜長はめんどくさいです。


おりえ