2010年10月12日(火) |
ねぇ、どうしてあしがないの? |
片足のない車いすの人
背の高い短髪の人
どちらも同じ、その人をぱっと見て目に残った印象。そこに何の違いもなく、悪意も善意もなく、ただそう感じただけ。
でも、それを口に出して発する場合、意識が変わってくる。「あの、片足のない車いすの人」を、「あの、背の高い短髪の人」と同じように自然に口にできるだろうか。
悪いことのような気がしてしまう。意識の奥で、それは口に出してはいけないような、そんな気持ちが生まれる。
これが、私が受けてきた「教育」。幼児教育について学んでいるときも、塾の講師のバイトをしているときも、いつも嫌な違和感が付き纏った。私は「こども」に何を教えるのだろうか、と。
「教育」を受け継ぎ、そんな意識の種を植え付けて、水をやり肥料をやり、育てていく。
「こども」が、「ねぇ、どうしてあしがないの?」と聞いたとき、保護者や周りの大人はどうするか?
「ねぇ、どうして背が高いの?」と聞いたときは?
「ねぇ、どうして背が低いの?」では?
その「差」を、敏感に感じ取り、受け取って、成長していく「こども」たち。
その反応から、上手にボーダーラインの位置を察し、自分の中にも線を引く。
きらきら輝く目が、少しくもった瞬間。
せめてこの違和感は、大切にもっていたい。
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