ふだん通り、光子、と呼ばせてもらおうと思う、 今日も、そしてこれからも。
大女優・森光子が旅立ったという報がきのう届いた。
大先輩、と呼ぶには身を置いているところのジャンルが違いすぎるし、 年代的なへだたりもありすぎる光子。
ただ女子としての親しみを込めて、光子、と。 失礼を承知で、日頃からそう呼ばせていただいている。
わたしと光子との<接近遭遇>は、 観劇の場も含めて、おそらく5回にも満たないだろう。
印象深かったのは、 やはり、帝国劇場で観た『放浪記』。 招待でもなんでもなく、自分でチケットをとり、 たったひとりで出向いたのだけれど、 劇場で席を探していると、なんということか、 我が当てがわれた席の隣には、 <天敵>と呼んで差し支えないほどに苦手としている女子の姿が!
なにかの冗談なのか、 はたまた女子の神の与えたもうた試練なのか、 <ご縁>だなんて思いたくもないので、 とりあえず試練のほうだと思うことにして観劇したが、 さすがは表の駐車場に 何台もの大型観光バスが停まっているほどの公演である。 幕間の長さがハンパじゃなく、居心地が悪いなんてもんじゃなかった。 いま思うに、わたしの人生における <ザ・針のむしろ>ワースト3にランクインするほどである。
こんなとき、 平然と読書などしていられる女子力や胆力を 身につけていたらと思うのである。
いや、胆力を身につけようとそのとき本気で誓ったのだ。 林芙美子を演じる光子を見つめながら、 こころでこぶしを突き上げていた。
ステージ上の光子=林芙美子は、 どんな場面においても「およびじゃない女」であり、 自分なりに居場所をずっと探していた。
居心地悪いはずの空間でも堂々としていた彼女だけれど、 そのかなしみ、おんなのやせ我慢、 たっぷり浴びさせていただきました。
そんなわけで、わたしにとって、 光子と<胆力ゲットの誓い>とは切っても切り離せない。 試練も同時に浴びたけれど、観に行ってよかった。 いい体験だった。
<でんぐりがえし>をするシーンは、 幾度となくワイドショーで見ていたものの、 実際、その場面では、 「出るぞ出るぞ」と思わせてからの「じらし」が三度ほどあり、 まさに至芸なのであった。 勢い余って、 すこしばかり布団からはみだしてしまったのもご愛嬌だった。
さすが光子。 日本喜劇人協会会長である。 そのとき、光子と同じ空間にいられて ほんとうにうれしかった。
その後、安全のために <でんぐりがえし>は<万歳三唱>に代わり、 ついには公演じたいが休眠にはいってしまった。
もうひとつの光子との思い出は、 その観劇の数年前のことだった。
大晦日の東京ドーム恒例の <ジャニーズカウントダウン>に記者席から参加したのだったが、 なんと終わった後にかんたんな打ち上げがあり、 ジャニーズのみなさんはもちろんとっくに会場からはけたあとだったけれど、 光子が、みんなに代わって感謝を示したいから、と乾杯の音頭をとった。
ドームに登場したときは着物だったけれど、 その会場では黒い革パンをはいていた。 颯爽としており、私服はなかなか攻めてるんだなと思ったものだ。
「みなさんよく年の瀬になると、 あっという間だったなんておっしゃるけれど、 戦争を知っている者として、その感覚はとてもしあわせなことです。 それに感謝しながら、あたらしい年もまいりましょう」
といった内容のスピーチだった。 しんみりした。いま思い出して、またしんみりした。
女子としての永遠のこころの友、光子。 森光子さんのご冥福をこころからお祈りします。
小泉すみれ 拝
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