前途多難と前途洋洋のはざま日記



たったそれだけのことで

2004年07月17日(土)

髪を切る。
たったそれだけのことで気分はだいぶ変わる。
たったそれだけのことで晴れる気分だったのだから、元々たいしたことで悩んではいなかったのだ、そう思いたい。

いつかは死を迎えるのだと思うと恐くなる。
私は可能な限り長生きしたい。
死ぬのが恐い。
死にたくない。
でも、
今、生きているということは、いずれ死を迎えるということだ。
いつそれを受け入れる覚悟ができるのだろう。


祇園祭宵山

2004年07月16日(金)

気持ち悪いほどたくさんの人間が繰り出す。
屋台で売られるものは、そこまでぼったくるか!という値段。
1本400円の焼き鳥や、一口でなくなりそうな300円のかき氷でもあの人出では売れるのだろう。
凄まじいぼったくりを京都府警に取り締まってほしいような気もするが、でも、無理矢理焼き鳥を買わされるでもなく、無理矢理かき氷のために腕を引っ張られるでもなく、自分がそれでも買いたい食べたいでお金を払うのだから、取り締まりの対象になるはずはないか・・・・。


記録的な集中豪雨

2004年07月15日(木)

小学生の頃、大きな水害に遭った。
私と弟は親に言われるまま2階の部屋でおとなしくしていただけだが、窓から見る風景は今でも脳裏に焼き付いている。
道路が河に変わり、濁流の表面にはどこからどこへ流れて行くのか、大小の家財道具やらがぷかぷか浮かんでいた。

うちは思いっきり床上浸水。
全国の小学校から見舞金が寄せられたもよう(このあたりはまだ幼かったので詳細はよくわからない)。
被害の度合いによって『見舞い品』が違っていたが、私は最上級、あるいはそれに近い見舞い品を受け取った。

新潟県を襲った記録的な集中豪雨。
ニュースで繰り返し報道されている三条市はお隣の市だ。
幼い頃の記憶が蘇る。
大河と化す道路。
両親が、体の大部分を水に浸かりながら家財道具を2階に運ぶ姿。
水が引いた後に撒かれた白い粉薬。

私の生まれ育った市は、あの時の水害を機に治水行政になんらかの変化があったかもしれない。
でもお隣の三条市はどうなんだろう?
五十嵐川の堤防が決壊して被害は大きくなったらしいが。


ところで、『長崎は今日も雨だった』という歌がある。
歌っているのは前川清とクールファイブでしたか?
あ、お若い人にはわかるまいって話題だな、こりゃ。

昔々、ある年のゴールデンウィークに九州を訪ねたことがある。
日程の中に『長崎訪問』を組み込んでいたが、よりによってその年のGW、長崎は『記録的な集中豪雨』に見舞われた。
結局どこへも行けず、ホテルの一室に閉じこもっていた。
長崎でしたことといえば、ビショビショになった靴を新調すること、そして、長崎に来たという証を求めるかのようにカステラを買ったこと、それだけ。

 < 過去  INDEX  未来 >


はっつぁん [HOMEPAGE]