ゼロノオト

2005年04月06日(水) ひとり時差ぼけ

ここにきて、リズムが乱れている。夕方起きた。

明日から学校だというのに。

目が覚めても外が暗いと、軽く混乱する。

いま何時なのかわからなくなる。時計を見てもどっちの6時かわからなかったりする。

そして小さい頃、目覚めたら外が薄暗く、家がしんと静まり返っていて、

台所の灯りだけがついていて、母がいる、という光景を思い出す。

外のほのかな青と、台所のオレンジの白熱灯のコントラストが印象的だった。

いまになって思い返しても、それが夕方だったのか早朝だったのか

よくわからないままである。

たぶん、起きて外が明るくないと、脳や体が一日を認識できない感じだ。

だから今日もたいしたことはなにもできずに今日が終わりそうだし、

あの日も、夕方なんだか早朝なんだかわからないまま、記憶の隙間にあるような気がする。


2005年04月03日(日) 満腹

夕方早足新宿ライブ大会

marzとmarble行ったり来たり。

好きなバンドばかりでおなかいっぱい。

お得はお得。

終了後、新宿は夜の雨。


2005年04月02日(土) 無駄などない、はず。

日暮里てくてく銀座

アッポーストアにて修理待ち

1時間半待ったあげく、2秒で修理完了。

2日かかってぬけなかったケーブルが、

かよわそうな店員によって、一瞬にして、抜けた。

素直に喜べないなぁ。

「まぁこういうのはビンのふたみたいなもんですから」

とがっくし来ているわたしをなぐさめる店員。

銀座てくてく新橋

新橋ゴトゴト渋谷

坂道はらごしらえMOOG



無駄なことなんてない、はず。


2005年04月01日(金) よいこのチャイム

夕方、いまの時期だと5時に鳴る、「よいこのチャイム」というものが

むかしからこの街には流れていた。

夏は6時、冬は4時半、春秋は5時に流れるそのチャイムを、

私はここに越してきた小学校低学年の頃から聞いて育った。

「ちゃんちゃらんちゃらら♪外で遊んでいる、よい子のみなさん♪

もう、おうちに帰る時間ですよ♪ちゃんちゃらららら

事故などにあわないよう、みんなで気をつけて帰りましょう♪ちゃららら

あしたもまた、元気に遊びましょう♪ちゃんちゃらら・・・」

こどもや親はこのチャイムを目安にしていたし、

小学校高学年にもなると、「悪い子だからまだ帰らない♪」

なんて言いながら、夕方と夜に挟まれた貴重な時間を過ごした。

もっと大きくなると、その時間に地元にいることも少なくなったりして、

こんな春休みなんかに週に何度も聞いたりして、

あぁ、もう少ししてこの家や街を出て行ったら、たまに帰ってきたとき

こんななんでもないチャイムなんかが、とてつもなく懐かしかったりするんだろうな、

なんて思ったりしていた。

ほんとうに2、3日まえにそんなことを思っていたもんだから、非常に驚いた。

そのチャイムの音楽が今日から変わってしまったのだ。

驚きのあまり部屋を飛び出して母に知らせに行ってしまったくらいだ。

もうあのひび割れたような音質で、

近くにあるスピーカーと遠くのスピーカーからディレイして聴こえてくる、

「あの」チャイムは、聴けなくなってしまうのだ。

聴けなくなってしまったのだ。

新しいチャイムは、まるみを帯びたような音質で、確かに聞き取りやすくなったかもしれない

けれど、耳慣れない新しいメロディの、よその物、という感じはこの先もぬぐえないだろうな。

にこにこぷん世代が、ドレミファドーナツを懐かしめないように。

(ドレミファドーナツは中学生のころ部活がない日なんかに見たりもした

から、ある意味懐かしくもあるけれど)

チャイムひとつでこんなに衝撃だったことに衝撃である。


2005年03月31日(木) 近くて遠くてどこへもいけない

夕方新宿あいぽっどフォト

電車読書運ばれる運ばれる

わくわくあいちゅん整理

カチカチマウス腱鞘炎寸前

目は強いのに、手首が弱い。

あいぽっど充電完了いざ接続、

不良品ばかやろう明日電話だ。



そういえば札幌行きの青い電車を見た。

日暮里なんぞには目もくれず、走り去っていった。

線路は札幌まで続いているのですね。

あれに乗れば札幌まで運ばれてしまうということに驚いた。

運ばれる運ばれる



「爽」の新発売「ブルーベリーヨーグルト味」

コンビニ回るもどこにも置いてない。

冬だからか。

冬でもアイス食うだしょ。

食いたいだしょ。



久々に夜が白む

見てなければ夜は白むことなく去っていく

見てなければ海に浮いたオレンジの皮は存在しない

見ればそこには「ある」のだ


2005年03月30日(水) 巡るレトロ

わたしが生まれる前からあるんじゃないかってほどレトロな電気スタンドを磨いた。

磨いてみたら、NECの製品だった。

ロゴが今と違う。

自分が幼い頃にべたべた貼り付けたシールもはがして、ほこりも拭いて、

新品同様、とまではいかないけど、きれいになった。


よく、服やなんかも、2、30年周期でブームが再び巡ってくるけど、

そういうのも、こういうことなんじゃないかと思う。

2、30年っていうと、アレじゃない、親の世代との差と同じくらいじゃない。

流行りだからちょうどいい具合に親が昔着てた服が使える、ってんじゃなくて、

親の昔着てた服がちょうど着れるもんだから、流行になるんじゃないかしら。

少なくとも流行を追いかけるんじゃなくて、作るひとたちは。

といっても雑誌やらのメディアが作り出す流行ではなく、

自然発生的に生まれた流行というものは。


服に限らず、家具やなんかも、何十年かに一回、レトロブームが再来するのは

こうして大人になってから古い電気スタンドを磨いたりするひとが

いるからなんじゃないかと思うのです。


今はいまいちと思っているデザインも、数十年後には新たな「レトロ」ってカテゴリーに

属していることになるかもしれないですね。

デザインの良し悪しは置いといて、懐かしむんだ。きっと。


2005年03月29日(火) 狭い早いあと少し

大塚てくてく茗荷谷

ピンポンもりもりてくてく

狭いなぁ東京。

というか、23区。

下手に地下鉄つかわないほうが、早い。

そして、時が過ぎるのも、早い。

もうすぐ4月だよ。

3月は、おもうぞんぶん、遊び、そしてだらけたな。

もうすこし、

もうすこし、考えよう。

いろいろと、ね。

思考する時間が必要に思うのだ。




2005年03月28日(月) いつまでたってもにがいじゃないか

ほんの出来心で手にした冷蔵庫の缶ビール。試飲缶135ml。

まだまだおこちゃまのようです。にげぇ、、。

まだ半分くらい残ってるよ。はは。

さすがに酔えないよ。この量じゃ。

こんなに苦かったっけ。

おとなになったらおいしくなるって聞いたのにな。

いつまでたってもにがいったらない。

苦いと若いってよく読み間違えるよね。

そういうことか。

そういうことか。


2005年03月27日(日) 見えないもの、聴こえないもの

3時間かけて重い腰をあげ、家から徒歩2分、レンタルしていたDVDを返しにいく深夜2時。

聴こえないはずのものが聴こえてきたらこわいので、音楽を聴きながら出歩く夜。

それでも聴こえなきゃいけないものが聴こえないと困るので、音量は抑え気味で。

イヤホンから聴こえる音楽と、外の静けさが、半分ずつ聞こえる夜。

誰もいない夜。

あたりまえ。

するとマンションの下に一台の自転車。新聞配達の自転車。前かごと後ろの荷台いっぱいの新聞。

・・・。・・・?新聞?深夜2時に?朝刊にしては早くないかい?・・・

昼間、あたり一体の人間が消えるSFを思い出す。

からっぽになった街がそのまま夜になってしまったかのような、誰もいない夜。

配達員の姿もない。

普段みるよりも、うすっぺらく感じた積まれたたくさんの新聞。

立ち止まることもできず、そのままレンタル屋へと向かう。

大通りが見えたところで、走ってる車が見えて、少し安心する。

消えちゃいない。

パトカーが2台、サイレンも鳴らさず、交差点を横切っていった。

たぶんサイレンは鳴っていない。

もういなくなってるだろうと思いながら再び戻ってくると、

ちょうど配達員が自転車にまたがってこちらに走り出すところだった。

すれ違いざまにカメラを向ける。

帰ってきて写真をみてみると、ブレていてなんにも写っていなかった。




2005年03月26日(土) 流像

なにもしないをしている日々。

なにもしてなくはないけども、

つまり、ひきこもっている。

映画を3本見た。

わたしたちはいつも、結果や、はっきり目に見えるものを見ようとしてしまうけれど、

そしてそれを見ることでカタルシスを求めてしまうけれど、

なんとも形容しがたい感情やなんかも、実際にはあるわけで。

だから感想文なんてもんは書く必要がないように思う。

結論がないのだから。

形容できないのだから。


映像を流し見ている。


小説も読み流しているかもしれない。


写真も・・・?


もうわかりきった物語はいらない。

起承転結に沿わなくたっていい。

先が見えちゃぁ、、ねぇ。



ぐちゃぐちゃ〜

ポイ。



アリ?




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