ゼロノオト

2005年05月02日(月) 序章・虚無の消失

夕方、NWBAというイベントのスタッフをやらないかと誘われ、街へと繰り出した。

タダでライブ見れるよ、という甘い言葉につられて蛍より簡単に誘われた。

そのまえにNWBAの展示のほうに行くつもりが間に合わず、

かといってライブがあるオールナイトイベントの開始までは2時間以上。

そこで、読みかけの本を読むべく、山手線ぐるり一周ツアーへ繰り出す。

変わってるね、と言われるも、これは序章に過ぎないのであった。


スタッフと言ってもシフトで割り当てられた時間帯だけ受付係をやれば

あとの時間は自由に過ごしていいという。お、おいしい。


ナイスタイミングで、受付係が終わってほどなく、見たかったkiiiiiのライブが始まった。

おんもろかった。こうやってまじめにバカをやるのは素敵なことだ。

そういう大人になりたい願望はなくはないが、根がまじめなのでできないであろう。

根がおもしろくないからとも言えるのはさておき。


それからはぐでんぐでんに酔っ払った某ゼミのせんせいに会ったり、

ペインティングのパフォーマンスをひたすら眺めてみたり、

いかにも、といった趣の映像と音楽のなか踊る人々に紛れてみたり、

ずんずんずんずんと4つ打ちの鳴る、シャンデリアのある黒い部屋にいたり、した。


そのシャンデリアのある黒い部屋の後部、私がいたところの壁には

胸の位置ほどの高さまでの半畳分くらいの穴があった。

かがめば、横へ横へ洞窟みたいに進んでいけそうな穴だった。

穴は本当の真っ暗で、深さはわからなかった。

はじめ、その穴はスタッフ通路かなにかで、どこかへ通じているのかと思ったけれど、

他の誰も、その穴のことなんか気にも止めないようだったし、

ひょい、とスタッフが出てきたり、入っていったりもしなかったので、

違うのだろうと思った。

通路のつぎには用具置きかなにかなんだろうと想像した。

いつもは黒い布かなにかでふさいでいるけれど、たまたま塞ぎ忘れたのだろうと。

覗き込めばひょい、とバケツやなんかが見えやしないだろうかと思って覗いてみたが

ほんとうに真っ暗でなんにも見えないのはもとより、やはり穴の奥行きの深ささえ

わからないのであった。

そのうちに光の具合で、穴のなかに何かの気配を感じた。

酔いつぶれたひとでも入り込んでるんじゃないかと思って、

覗くのがこわくなった。

黒光りの車の窓みたいに、こちらには向こうが見えなくても

向こうからは覗き込むこちらの姿が見えてるんじゃないかと思ったら、

失礼な気がして、あるいはあとで気まずいと思って、そしてあるいは

今にも穴からこわいひとかなにかが飛び出してきて、掴みかかって来るんじゃないか

という妄想があいまって、覗けなくなった。

しばらく経ったけれど中からは誰も出てこない。

気になるじゃないか。覗きたい。でも怖い・・・

なかなか勇気というものは出てこんのだ。

といっても覗く勇気なんてどれほどのもんか、たかが知れてはいるのだけれど。

出ておいで、といっても勇気も穴の中の人も出てこない。

うるさ過ぎて普通の声なんてかき消されてしまうのだ。

あるいは声にすらならなかったのかもしれなかった。

どちらにせよ、何も出てきやしない。

考えあぐねていると、照明がわずかに明るくなった。

そして。

穴は消えた。

もちろん本当に消えたわけではない。

虚無の消失。

穴なんてはじめからなかったのだ。

ちょっとくぼんでただけで、奥行きなんて10センチくらいしかなかった。

通路もバケツも酔っ払いも消えてなくなった。

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と、短編小説になりそうな妄想を本気でしたりしているうちに夜が明けたらしく、

外に出てみるとすっかり明るくなっていた。

そして序章は幕を閉じる。


2005年05月01日(日) 七変化

ものごとは見る角度によって変わる。



家計簿をつけるのが好きだ。

気づくと案外お金は貯まっている。

几帳面で計画性があるとも言えるし

ただのケチなのかもしれない。


時代遅れのパカパカしない携帯を2年半以上使っている。

人とかぶらないところが気にいっている。

あと、余計な機能がほとんどついていないところも。

継続力があると言えるかは微妙なところだ。

ものぐさなだけかもしれない。




GWの予定にもうひとつライブが加わろうとしている。


2005年04月30日(土) 遠→近

遠くに行こうと思うだけで疲れてしまう。郵便局に行かなきゃいけないし

図書館に本を返しにいかなきゃいけないし、郵便局も図書館も5時までだし

レンタルしていたCDやDVDも返さなきゃいけない。地元の用事が満載だった。

遠くというのはそこを思い浮かべるときに路線図がでてくるようなとこ、

例えば今日行く予定だったライブとか。

わりと都心に近いほうの千葉県に住んでるけどやっぱり遠い。

いろいろあってめんどくさくなってしまったので、

近いところの用事だけを済ますことにしたのだ。


用事を済まして重い荷物をぶら下げて

(結局また図書館でたくさん借りてしまった)

ぶらぶらした。

公園で逆上がりを1回した。

童心に返って巣穴から出てくる蟻を眺めた。

まるで小学生のころのゴールデンウィークみたいな日だ。

蟻をレンズで追いかけた。

そういえば最近接写モードをつかってなかった。

近くでものを見るという行為は、案外世界を広げ得る。


というわけで黄金週間が幕を上げた。

ライブに行く予定が2本。

のみ。

他の予定はこれから考えることにしようと思う。


2005年04月28日(木) 記憶のインプット・アウトプット

記憶を保存するとき、人はその出来事や体験を断片的な映像にして残しているのかもしれない。

そして、思い出すとき、記憶を取り出すときには、その映像をまた言語化しながら。



アメリカにいた幼い頃の記憶はなぜか日本語に変換されて覚えている。

学校の先生が言ってたこととか、友達と遊んだこととか、

場面場面の映像の中に日本語の音声がついている。

これもまた英語→映像→日本語へと変換されたということだろうか。

インプットするときは映像化して、アウトプットのときは言語化。


2005年04月21日(木) イメージ変換

数字って色とかのイメージあるよね。

1は白っぽいとか

2はオレンジっぽいとか

3は緑っぽいとか

4は紫っぽいとか

5は青っぽいとか

6は水色っぽいとか

7は黄色っぽいとか

8は赤っぽいとか

9は茶色っぽいとか

0は黒っぽいとか。

あとそういや子どものころは数字の大きさに関係なく、

数字によって強そうとか弱そうっていうイメージがあったなぁ。

今も思い出せるけどあんまり感じなくなってきた。

例えば1と2だったら数字的には2のほうが大きいけど

なんとなく2は弱いイメージなのよとか。

2はぐにゃりとしてる感じで

3はわりとしゃきっとしてる感じで

4は柔らかいけどシャープな感じとか。

5はずしんと重たい感じとか。


というかこれは言葉の響きの印象なのかな。

「よん」っていうと柔らかい感じだし

「し」って言えば硬い感じとか。

言葉といえば、

簡単な英語を聞くと、ふむふむ、って聞くと同時に理解できるのに

それを日本語に訳せってなると、えーっと、ってなる。

これも英語を覚えるときにイメージで覚えてるのかしら。

appleを「りんご」として覚える前にりんごの絵で覚える感じ。

というかapple→りんごの絵→「りんご」みたいな。

言語間に無意識に付加情報を入れて覚えちゃってる。

だからappleと聞くと、「りんご」っていう言葉より、

「赤い」とか「丸い」っていう情報(というかりんごそのもの)が思い浮かぶ気がする。

まぁ「りんご」くらいなら瞬時に日本語になって出てくるけれども。


そんなわけで言葉や記号(言葉も記号だけど)にはイメージがあるなあと思ったわけです。


2005年04月18日(月) MAU手帳

入学以来、毎年配布されるMAU手帳を使っている。

内側のポケットのところに

大事なレシートやら記念にとチケットやらを挟んでいくもんだから、

最後のほうになるとちょっぴり分厚くなっている。

そして愛着も沸いているもんだ。

この手帳は4月から翌年の4月まで使えるようになっているので、

いつも翌年の4月まで使い切り、5月になってから新しいものへ移行している。

別に5月を待たずに移行してもよいのだけれど、

なんだかそのまっさらの手帳は心もとなくて、

なかなか子離れできない親のような心境で古いほうの手帳を使い倒している。

使い慣れ、使い古したものを手放して、まっさらなところへ飛び込むのは

いつでも大変なことだ。

手垢でよごれたページの側面とか、使う内に折れてしまったページの端っことか、

汚れたりぼろぼろになっていても、この一年の間に自分の手になじんできたのだ。

たったの一年、されど一年である。

だれにも平等に与えられた一年を、「私」が過ごした一年が凝縮されている。

ぐーたらに過ごしてしまった空白も、あわただしく過ごした安心も、

その一年に満足だろうとなかろうと、とにかく全部つまっている。

もう少ししたら、世間より少し遅れて新年度がはじまる。

そんなわけで、まだもう少しだけすがりついている。


2005年04月16日(土) クリック繰り行くパチン

クリッククリックで写真をどんどん進めていく見せ方。

歩きながら次々とシャッターを押す感覚。

空間を突き進みながらその断片を採集する感覚。

点と点を拾い集めながら再構築。

クリッククリッククリックパチン

風船に針を刺して割れるみたいに消える最後の画像

布団に入って目を閉じたときにまぶたに浮かぶその日の残像

パチンと消えたあとの残像

写真、映像、画像、パチン、残像、記憶、記録


一連の流れをまるごと記録すること。

買ったもの、読んだ本、日付、考え、出来事、今。

消去しなくとも忘却していくことへの恐れ?

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話し言葉と書き言葉。口語と文語。自分で書いた文章で内容も頭に入っているのに

それを見ながら読み上げずに口語に変換するのは意外と難しい読んでいた小説のラ

ストが気にいらなかったというか前にも読んだことがあったのを忘れて昨日図書館

で借りてしまったのをまた読み返してみてこれ読んだことあるじゃんと思ったけど

意外と内容も覚えていたけど最後まで読んでやっぱり最後が納得いかなかったとい

うか尻切れトンボみたいだったからじゃあ自分で続きを書けばいいんだと思ったか

らあとで少し書いてみよう。


2005年04月15日(金) 時間の伸縮、距離の伸縮

今週2度目の通学。

今のリズムだと絶対起きれる自信がなかったので寝ずの登校。

朝から起きてると日が長いね!むしろ夜から起きてますがね。

しかも気持ちよく晴れてたからさらに日が長く感じるね。

日が長いもんだから調子に乗って図書館で10冊も借りてしまったよ。

よく考えてみると悪くない環境に住んでることに気づく。

家から徒歩5分圏内に(しょぼいけど)図書館、コンビニ2軒、レンタル屋がある。

3限までなら地元の図書館の閉館時刻にも間に合うのがうれしい。


通学4年目にもなると時間を縮められるようになった。

実際に時間の短縮ができるわけではもちろんないのだけれど、

電車で本を読んだりすれば体感的には短くなるのですよ、時間が!

というか、時間を圧縮してる感覚かしら。

その代わりなのかはわからんけども、わざと時間を伸ばして楽しむことも覚えた。

それは歩くこと。

原始的な徒歩という超低速な移動手段がもたらしてくれるのですよ、近くて遠い世界を!

「世界」なんて使うととたんに陳腐に聞こえてくるけれど。(↑おまけに倒置法)

同じ1時間を歩くのと電車に乗るのとでは、

実際的な距離はたしかに徒歩なんてたかが知れてるのだけれど

遥かに多くの情報に触れられると思うんですよ、徒歩のほうが。(またもや倒置法)


歩かなくなった現代人が交通手段の発展とともに手に入れた遠いのに近い世界と

徒歩や馬しかなかった時代の近いのに遠い世界とでは、

どちらがほんとうの意味で広いんでしょうかねなんて考えちゃいますね。



2005年04月13日(水) 変拍子

4月に入ってのこの更新状況からもわかるとおり、

やる気低下週間に突入中。

今朝も明け方まで小説を読んでしまったため昼過ぎ起床。

めしを食らってから昼寝して、起きたら日が暮れていた。

久々にマシューと正直しんどいを見た。なまり亭が面白すぎる。

寝すぎたのでまたリズムが狂う。

去年は学校に週3しかいかなかったため、軽くひっきーだったのだけれど、

今年は最低限しか授業とらないと週1になってしまう。

重度のひっきー生活まっしぐら。

こ、これはいかんぜよ。

リズムなんてあったもんじゃない。

と見せかけてあとで振り返ったらあれは変拍子だったんだ

ってことになるといい。

単調なリズムからの逸脱。

そしてぎりぎりついていける気持ちよい変拍子へと。


2005年04月11日(月) ケーキの選び方

ケーキのバイキングに行ってまず皿にのっかる分だけのっけてそれを食べ終えたら、

次並ぶときは、もし最初に食べた中で気にいったのがあっても、

ほかのまだ食べてない種類のケーキを食べようとする。

それでようやく最後に並ぶときに締めとして一番気にいったものをもう一度食べよう。

また今度来たときに新しい種類が増えてなければ、そのときはこのお気に入りを何個も食べよう。

新しくて、おいしそうで、そんなに高いやつでないのがあったら、それも食べてみよう。

という性格なのだ。

好奇心旺盛?よくばり?優柔不断?広く浅く?臨機応変?

あと偏見はないほうだと思う。噂話に翻弄されることもあまりない。

つまり自分の目や耳で確かめたい、と思うんだろうなぁ。

となると人の意見は信じない?いやーそうでもない。

頑固?いやー、人が有用なアドバイスをくれたら素直に受け入れるよ。

あーでもあんまり直接相談とかしないほうかも。

とりあえずあんま凹まない。ゆえに反省してないのかも。

ってことは自分が一番正しい、って思ってるのかしら。

んーでもでも、おみゃぁそりゃぁ違うよ、

これこれこういうわけでこっちの方が正しいと思わない?って言われて

そっちのほうが確かにいいって思ったらすぐそっち行くしなー。

そこは切り替え早い?立ち直り早い?

けど自分の中であーでもないこーでもないって迷ってる時間はけっこうあったりするしなー

そこは優柔不断?

けど迷うってことは考えるってことでもあるから、それはそれで大切だしなーとも思ったり。

そう、決め付けない。

あらゆる角度からものごとを検証して、それから判断をするようにはしてるつもり。

うーん。

うーん。

一つの要素を良くも悪くも言えるからなー。

一概に短所だ長所だって言えない。




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