学生のころバイトしていたラーメン屋は隣にお弁当屋さん、反対のお隣さんにはスナックというかパブのようなお店。そのまた隣にはマクドナルドという立地。 うちのラーメン屋はいまどきのオサレ感は一切ない、閑古鳥が鳴き続けるわけでもなく、かと思えば行列ができる店になる一時があったりもする、シティーハンターと竜馬の漫画本がおいてあるお店だった。 時々、ごく稀に、ごはん切れに陥るほど混みあうことがあって、そんなときはお隣のお弁当屋さんに空のどんぶり持ってって、白米を「借りる」のであった。同様にお弁当屋さんのほうも、ごはん切れを起こすと、ウチへごはんを借りに来るのであった。借りたごはんは当日中、または翌日炊き上がったらおよそ同量返すのだ。
スナックのおねえちゃんたちがラーメンを「テイクアウト」してったこともあったし、年末大掃除か何かで店を早じまいにしなくちゃいけないときに、いつものまかないの代わりに「マックでごはん食べてきて」なんてこともあった。(ひどくさみしい深夜近くのマックで食べるハンバーガーの味気なさったらなかった)
いま思い返してみても現代とは思えないほどに、なんとも牧歌的なご近所付き合いだったなあと、懐かしく思うのでありました。
思えば学生の頃のほうが仕事運があったのか、やる気があったのか、時間があったのか、ほかにすることがなかったのか、時期によってはがっつり稼いでいた。正直、こんなんでこんなにもらえるのか!労働ってのは!楽勝ではないか!とすら思っていた。 しかしあれは、生きるための労働ではなく、「単なるバイト」だったからこそ持ちえた感想だったのだと思う。部活とか習い事の延長のような感覚だったし、長くても学生でいるまでの期間限定のおしごとだからがんばれた。飽きたらやめることだってできた。逆に、学校を卒業して社会にでて働く、となると、「卒業」のない、無期限の、いわば終身刑のような恐ろしさを想像していた。そんなわけもあって、学校と社会の狭間みたいなところで数年をのらりくらりとやってきたのでありました。
けれども、いざ社会へ出てみると、なんのことはない、生活するために働く、ごはんたべるために働く、いたってシンプルなことだったんだと。そんで、せっかくなら辛いよりは楽しく働くために、興味のあることを仕事にするんだなあって。働き方はさまざまあるけど、生活の大半を仕事に費やすのだから、働くということは、どう生きるのかということなんだなあと。
というわけで、だいぶフォトショップと仲良くなりました。久々の再会だったOS9やMOといった環境にも慣れてきました。お給料はそんなに望めませんが(学生時代の出版社バイトのほうがぜんぜん時給いいし…!)、毎日働けていることや、建設的な暮らしができているであろうこと、それらをありがたく思いつつ日々を過ごしている。めしをくっている。
2009年08月15日(土) 入出力スイッチを久々にONする |
●やっぺ出力デバイスの不調 2,3ヶ月前だったかにタイピングゲームブームが私の中で実に4年ぶりくらいに再燃して以来、しばらくキーボードで文章を打っていなかったことに気づいた。なまっている。
●やっぺ入力デバイスの満腹中枢破損 ときどき活字不足を感じると人様のブログや日記を、数年分さかのぼって読み漁ったりする。というか、活字不足のときに読み応えのあるテキストを見付けてしまったが最後、寝食を削ってまで、ひどいときには夜が白み始めるまで読破したりなんてことも。しかしやめられないとまらない。そんな文章に出会えたことを幸運に思うべきなのか。
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結果 ・なんとなく文章を吐き出したくなって三日分まとめて投稿してみる。 ・三日というのがよくなかった。後で見返したとき、あるいは第三者が見たときに、明らかに三日坊主臭が漂う。はたして四日目の更新はあるのか。あたまたまた数ヵ月後になるのか。
*明日はいよいよロングロングバケーションの最終日ともいうべき日曜日。モラトリアム最後の日曜日。モラトリアム最後のまっさらな一週間をふいに別件の仕事で埋めてしまい、期せずして社会的生活時間帯で行動する予行演習期間のようになってしまった。もったいなかったような気もするがさんざん休暇を満喫したし、また日曜日はやってくる。
茶髪にすることと、エアコンを使うことは、似ている。 プリン状態や、締め切った窓によるサウナ状態を避けるため、「一度はじめると、なかなかやめられない」ってところが似ているなぁと。そしてやめるタイミングが訪れるのは、黒髪に戻したり、エアコンのいらない季節になってから。つまり、やめるとナチュラル、ニュートラルな状態になっているという点でも。
そんなワタクシは、茶髪にはここ数年してないし(それどころか美容院にほんとうに行かなくなってしまった)、昔から極力エアコンを使わない生活を送っている。黒髪と扇風機が一番だと思っている。特に、こんな涼しい甘っちょろい夏には。
うす焼きショコラというお菓子をご存知だろうか。亀田の薄焼きせんべい×明治チョコのコラボ商品。パリッとした薄い生地で薄塩味のせんべいにホワイトチョコがコーティングされている。ポテチ×チョコというのがあるぐらいなので、店頭で商品を目にした瞬間にこれはイケると直感し、予想は外れなかった。むしろポテチ→せんべいのぶん、油分が少ないのでさっぱりしつつもせんべいの塩気とチョコの甘みがほどよく混ざり合い、絶妙な甘じょっぱさに仕上がっている。さながら塩と砂糖のツンデレーションである。(違うか。) 昔から知られる「スイカに塩」には馴染めなかった私。塩キャラメルをはじめとした昨今の塩+甘ブームにもいまいちハマるとまでは行かなかったこの私を唸らせたのが、このうす焼きショコラなのであった。同時に3箱リピート買いしたのは初めてであろう。問題は、こうしてポニョ化が進むことである。
2009年05月29日(金) ところてんde目がテン |
やらかしました!!
ところてんを食べようと思って、 でも寒いし、スープにしてみよう、と思い立ち、 火にかけたら、溶けました! ところてん、溶けました! 溶けるんだね…! そうかそうか、ひとつ賢くなったよ。
せんじつ、ねんれいかくにんされました、どうもにじゅうごさいやっぺです。
せんじつ、タブチと「確定申告してないでしょ!?」「いやいやとっくにしましたから!!」 というやり取りを夢でしました。確定申告はしました。
うごきたいのに、うごけない、ダメ波が地味にきている。 いかん、けしからん、いやんばかん。
いやならさっさと、うごけばいーのだ。 とりあえず、目前の山をふっとばす勢いで片付けよう。 と、宣言。 だめな日々を繰り返していたら、たのしくないぜよ。 目前の山は、たのしくないことが積み上がってできておるわけじゃが。 やってもやらなくても「たのしくない」としても、やらないと、 いつまでたっても変わらない! いま流行りのチェンジ!だぞよ。 頂上からの眺めに期待しつつ、やっちまおうではないか…。
コタツをしまいそびれている。 暑かったり、肌寒かったり、気まぐれな5月であることよ。
歩けえ。進めえ。走らずとも、止まるな、進めえ。
自分を鼓舞するために書く。書いておく。
あぁ、網戸と窓も掃除したい。あと衣替え。
人見知りしないんじゃなくて、 人見知りしてないふりしてる気がしてきて、 ちょっと、疲れている気がしてきたじょ。
ついつい、よいこでいようとしてしまう。 よいこのふり。ものわかりがいいふり。 というか、よいこのふりをしてないふり。(素でよいこ、のふり?)
あんまりよいこにしないようにする努力も時には必要なんだね。(なんじゃいその努力)
雨だし寒いとよくないね。晴れ晴れいきたいものですわ。
2009年04月11日(土) 人生、しょせん気晴らし |
自分の写真が本の表紙に使われました。 アマゾンではまだ画像は出てませんでしたが文春のページから写真がみられます。
http://www.bunshun.co.jp/book_db/3/71/16/9784163711607.shtml
『人生、しょせん気晴らし』/中島義道/文藝春秋/2009年4月13日発売/ISBNコ−ド978-4-16-371160-7
みなさまに生かされていますなぁ。 ようやく社会の一員として、ちいさな役割を果たせたような気がします。 離れかけていた写真への意識も、持ち続けていきたいなぁと思いました。 続けることって、すごいこと、大事なことなんだ。
タイトルがまたすばらしい(笑) 哲学系の本だというのもうれしいですな。
ヨーグルトと共に格闘してくれた文春のN君ありがとう。
まずは動くこと。そのまえにそのために考えること。 どう考えりゃいいかわからんくても、なんかしらのとっかかりはあるだしょ、 それをね、ぐーぐるさんに聞くもよし、 なんかヒントくでーって気持ちで街を歩くもよし、 なんだな。
取り掛かりが遅いという悪いくせをどうにかしたいorz けどここまできちゃったんだから、いまから、ここから、途中から感満載でも、やるしかないのだよ。 それに、ぜいたくでもったいない日々も多々あったけど、無駄ではないはず。 無駄だったことにするも、有益だったことにするも、これから次第なんじゃねーのか。 んだよ。思考をプラスに。 プラスはシフトとセミコロンだよ。プラスへシフト。正の世界へゴーだぞよ。 前を向ける気がしてきた!
大事にすべきこと、その基準の設定の仕方がようやくわかってきた。 要はバランスかなって。 つまりは生活を想像することなんだなって。 人生とか言われてもわからんもんね。生きる意味?シラネ。 より具体的に、卑近なところから考えればいいんだなぁ、って。
たぶん何年も前にしとくべきだったこと、考えとくべきだったことに いまさら取り掛かっているんだけど、しょうがないさね 眺めたところでわからなかったんだもの。 想像できないと、前に進めないタチなんでね。
世界が広すぎるものに思えて、どうにも想像つかんかった。 だから決定を先延ばしにする決定を選択しつづけて今に至る。 だけど、新旧の友人や幅広い年代の卓球仲間のおかげか、すこしはみえてきたようにおもう。社会とか世界とか宇宙とか!というか、それらの概要というか、見方というか。 人付き合いのスイッチがこないだONになってから特に、かもしれない。 連鎖するように外部接続スイッチも見つかった気がス。 もしくは外部接続スイッチをONにする必要性を認識でけた気がス。
ゴールさえ設定できれば、がんばれる。 世界は広すぎるもの。とりあえず割り切る。あまりはとりあえず無視!
見えてる世界のなかから選択するしかないんだから。 取捨選択。
せんたく。
引っ越してきてからはじめて外に干した洗濯ものが、あんまりちゃんと乾くもんで驚いたんだ。
とりあえず、春も来ちゃったことだし、お外に飛び出してみようとおもうのだ。
毎朝、チャゲやあすかに、「行ってきます」ってね。
はるになってもうた
春に虫虫、で、蠢(うごめ)く。…おそろしい字だ。
ねずみこわい(ドラえもんか
チャゲとあすかの日向ぼっこ。路地の猫。に勝手に命名。 デブチャゲとラテはきょうはいない。 ミッキー狩りに精を出してほしいようなほしくないような…
サクラはあっというまにぜんぶ散る
しっかしあったけぇ。22℃の日向はパーカー脱ぎたくなるくらい。 もう冬物コートはいらないのかも。
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