蘭室の友 - 2004年08月10日(火) わたしがすきなひとのはなしをする。 ほかのともだちは、あそんでいて一緒にいるときにたのしいとおもうのに、 そのひとだけが、さよならを言ったあとに、わたしの胸に花の残り香をのこすのにきづいたのは12歳のときだった。 そのひとはわたしがなにかいうと鈴のようにわらう。 いつもわたしいがいのひとをすきでいる。 でも、まだわたしのそばにいる。 - そんなにいそがないでよ - 2004年08月09日(月) 昨日下山したら同期の男の子から緊急発表メール。9月4日に結婚します。みんな夕方あけといてね。 オイ!ってかんじだけどこういうのって職場のひとには直前までいわないよねやっぱり。でもくわしくメールできいたら本人はあまり気が進まないまま結婚するらしい。 えーーっ そんなにいそがないでよ、あたしたちまだ子供じゃん。 それに気が進まないのに結婚するってのがこれまた大人っぽい。かなしい。 あたしも仕事やめたいときは結婚結婚と胸がさわぐけど、ぜんぜん実感なんてない。まだ遠い空の果てのナメック星くらい実感わかない。それは結婚したいひとがいないからなのかなぁ。でもまだまだバカみたいにみんなであそんでいたいんだよ。バカみたいに、外国に住みたいとか職人になろうかなとか、叶わないような夢を一緒に話してたいんだよ。映画とか音楽とか本とかに影響されちゃうような若さが永遠にほしいんだよ。 大人になんかなりたくない。しあわせにはなりたいのに。 そんな矛盾が支配する、社会人二年目24歳。 これからなのかもうオワリなのかがつかめない歳だよ。 今日ともだちに誕生日プレゼントとしてフィルム一本写真を撮ってもらった。縄あたまにまいたり、下着姿になったり。夕暮れの川原で。こうやってあたしはまだまだ大人になんかならないようにして生きる。精一杯、力一杯、だからわるいこともするんだ、きみに嘘もつくし答えを出さないまま側にいることも平気なんだ、すべては大人にならないようにするため。 一歩一歩、ゆっくりと無茶苦茶に、そして確実に不幸へとちかづくわたしの人生にかかわってるきみときみときみ。 - 居眠り登山 - 2004年08月08日(日) 登っておりてきました、富士山。やっぱり山はなめちゃいけない。豪雨と雷の中、夜も登り続けて、ほんとに人生でいちばんがんばってしまった。 富士山特有の混雑と登山渋滞、気を抜けば転落する岩場、強烈な寒さ、点在する山小屋が近いってことを教えてくれるのはトイレのアンモニア臭。すべてが日常生活とはかけ離れすぎてて、でもけっこうオシャレでかわいい女の子なんかたくさんいて、ほんとよくみんな登るよなっておもう。 わたしは、もちろんごくふつうに苦労し疲労しのぼったわけなんだけど、八合目の山小屋から歩きはじめたあたりは、渋滞でなかなかすすまないためなんかものすごい眠気におそわれ、ウトウトとねむりながら登っていた。舟を漕ぎ夢を見ていた。足をまえに出すときだけ意識を戻して登ってたんだろうけど、けっこうきつい岩場なのにしんじられないじぶんでも。あとからひとにきいたら口は開けっ放しの眼は遊泳状態のというかんじでかなりまぬけ、かつおそろしいすがただったみたい。いやぁ、高山病ってこわい。 しかし九合目に着く前あたりから急にパチっと眼を覚ましたわたしは、体調の悪い男の子のリュックと自分の軽いリュックを交換してあげ、いきなり笑顔満開で岩場をぴょんぴょん飛ぶように頂上まで一気にのぼりつめ、そしてふりかえり、そこでちょうど見てしまった、噂のご来光。 ほんとにきれいで、雲は遥か下で紅くそまっていき、日本のあらゆるものが自分より下にあるという事実を三度くらいあたまのなかでコネコネと確認しコーフンし、写真をバチバチと撮る。 朝日なんて最初からかなりキレイなものだってわかってるけど、やっぱりこれがなかなかよかった。いつかまたぜひ。 余談ですが、下山でも私は強烈な眠気に襲われ、いきなり道の脇に倒れこみ熟睡してしまうこと数回くりかえしました。カエルのように眼を閉じて歩いているわたしに、山登りのベテランみたいなおじさんが心配して「ヒザ痛いの?」と声をかけてくれたけど、「ねむい。ねむいんです」と愛想なく答えてまた眼をとじて歩き出してしまったこと、いまあやまりたい。ごめんなさい。 でももちろん全体的にはアクティブでたくましい女ってかんじの一日だったんだよ、日々のわたしがそうであるように。 -
|
|