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2004年05月16日(日) |
梨木さんの青春(春になったら苺を摘みに) |
梨木香歩『春になったら苺を摘みに』再読完了。 『村田エフェンディ滞土録』に影響されて、また読んでみた。
もしかして、梨木さんって完璧主義者なんだろうか。 いや、潔癖症といったほうが近いかも。 英国での暮らし、ウェスト夫人のところで、多種多様な人との交わり。 文中に「日本人だから」「英国人だから」「アメリカって」 といった表現がよく登場する。 梨木さんは、自分が日本人であることを強く意識している。 でも実は、○○人なのはどうでもいいことなのでは? おそらく、梨木さんも、どんな人であれ受け入れるウェスト夫人に、 その理想を見いだしていたのだろう。 「出身国」を気にすることで、忘れようとしていた、そういう関係か?
やや鼻につくくらいの平和主義、理想論も。 けれど、梨木さんにとって、それはウェスト夫人という具現を得ていたわけで、 その悟りにも似た考えに身を寄せようとするのは、わからないでもない。 おそらく、自分をその柔らかな感覚に近づけようとしていたのでは。 理想論でも、利己的であっても、 これだけのことを必死に感じ取って、考えて、生きている人がいる。 ならば、わたしは? と思う。 惰性の中で、一体何を考え、得ることができているというのか。 この思いは、前回読んだときにも感じたこと。
間違いなく『村田エフェンディ〜』はこの本の流れを汲んでいる。 下宿、英国人の女主人、ということだけでなく、 人がどこの出身であろうと、どこに所属していようとも、 その人であろうと生き、またそのように受け止め交じり合う人びとの物語だから。
きっと、梨木さんの「青春」、ウェスト夫人なのだろうこと。
2004年05月10日(月) |
なんとまあ、せつない物語か(村田エフェンディ滞土録) |
梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』読了。
友よ。 国に、宗教に、さまざまに人は属するといえども、 をれらを乗り越え、取り払い、 心通じ合う、友よ。
主人公「村田」の想いは、 そのまま梨木さんの想いに通じているのだろう、きっと。 下宿の女主人は、まぎれもなくウェスト夫人であり、 オットーやディミトリス、ムハンマドは、 梨木さんが英国で共に過ごしていた下宿仲間。
梨木さん独特の、不可思議な雰囲気を漂わせながら、 静かに、けれど陽気に始まる物語。 しかし、宗教や歴史、そして戦争と、 さまざまな要素が絡まり、次第に暗い影を落としていく。 あくまで、静かに。
しかし、それでもこれは村田の青春の物語であり、 友情という輝きへの賛歌なのだ。
芝桜を見てきた。 とりたてて何もない、ごく普通の道をぽくぽく歩く。 100メートルおきに案内板。 庭先に、冷やしトマトと味噌キュウリの簡易販売所。 静かで、少し奇妙な浮かれ具合。
芝桜、別名ハナツメクサ。 濃淡さまざまなピンク色、そして白。 眼前に広がる光景は、なかなかに見事で。 のんびりと眺めながらおにぎりを食べる。 ちょっとしたピクニック気分。 こういう過ごし方も、いいかもしれない。>>>photo
2004年05月01日(土) |
自分が何者かということ |
『はじまりの記憶』読了。 伊勢英子さんという人は、自分のアイデンティティーは絵描きである! と、かなり強烈に意識している。 絵を描くということは、感情を、はては自分自身を、白い紙に塗りこめることだから。 不器用な中で持ちえた表現方法が、それだった。それが生きる術だった、という。 お父さん、北の国、チェロ、グレイ、子供たち…… いろいろなものに影響されて、でも、断固として絵を描き続ける伊勢さんがいる。
「グレイ」シリーズで一人称を「絵描き」とする、伊勢さん。 そこに、強くショックを受けた。 自分が何者であるか、はっきり言える人。 これほどまでに、自分を見つめて、自分を主張できる人。 では、わたしは?
心の原風景。 自己形成のもと。 わたしの場合は……?
職場移転、どうにか完了。 いろいろと振り回されもした数ヶ月だけど、 ともかく無事終了はめでたい。
柳田邦男&伊勢英子『はじまりの記憶』を少しずつ読んでいる。 自分探し=自分の生き方を見つめる=心の原風景を掘り起こす、 そういう本。
初めて読む柳田さんの文章は、実直な印象。 落ち着いて読める。 ところが、伊勢さんのにはドギマギする。 どうしてこの人は、こんなにも感受性が豊かなのか。 豊かというか、剥き出しで、痛々しい。 またしても、 原画展で感じたことが甦ってきた。 半分透けるように、 「あちら側の世界」に住んでいる人。 おそらく、子供の頃は、 もっと純粋にそこに暮らしていたのだろう、と。
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