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あ〜も〜!! なんてボキャ貧なんだ!
自分のネーミングセンスのなさにがっかり。 わかっていたけどさ。 それにしてもひどい。
ふつうの言葉で、オリジナリティって難しいよなあ。 (凝った言葉でも難しいんですけどもね)
もともと得意じゃないけれど、 輪をかけてひどくなっているように思う。 情けなくて涙も出ませんがな。
河津桜を見てきた。 濃いめのピンクと、菜の花の黄と、空の青と、 それはきれいなとりあわせ。 ばかばかしい宴会なんてせず、ただひたすら歩く、歩く、歩く。 人も犬も、みな薄紅色の傘をさして、歩く。 そして、川辺にちょっと腰を下ろし、見上げる桜の鮮やかさよ。
濃い色の花びらが、「さくら」のイメージと若干違う。 なんというか、意志の強さというか生命のたくましさを感じる。 まだあまり散っていないからだろうか。 この花も、普通の桜と同じように、かすかな風にも舞い散るときには、 うつつ世の儚さを、人の心に染み渡らせるのだろうか。
2005年02月25日(金) |
まんが衝動買い(シェハキム・ゲート、炎人、柴田家の人々。) |
この間の『セシリア・ドアーズ』に刺激されて、 江ノ本瞳の『シェハキム・ゲート』を買ってしまった。 聖書(?)の暗喩が難しい!
またも近未来の、荒んだ連中の話。 しかも今度は、推定12歳の女の子が主人公。 ううむ、やれやれ。 その幼さのせいで、あまりにも現実味がなく、 ストーリーテラーとしてはちょっと残念だけれども、 話は、なかなか考えさせられる。 ドラッグや愛情や、変な宗教、他者との交わり…… 『セシリア』と同じテーマが見いだせる。 江ノ本さんのことはよく知らないけど、 根底にこういうテーマを抱いている人なのかしらん。
ラストは、一応救われていると見ていいのかなあ。 ぎりぎりのところで、主人公は「負」の世界から抜け出したか。 (自分のことを悪魔だって言ってたのにね) 『セシリア』でもそうだったけど、 この世界をもう少し信じてみようと、最後に一応望みを残したってとこか。
***** そして勢いついでに東山むつき2冊購入。 『炎人』2巻と『柴田家の人々。』。
いや、おもしろい。 やっぱこの人、絵はうまいし、話の構成もいいし、 ギャグのセンスはユニークだし、読んでて楽しい。 (そういう諸々が、本当に上条淳士に似てるんだよ。 そもそも、白と黒のツートーンを基調にした絵自体が似てるし)
東山作品の登場人物も、たいがい荒んでたり、 おバカだったり、どっかイカれているのばかりだけど、 基本的にみんな、愛情があるんだよね。 好きだなあ。
東山さんが病弱じゃなければ、もっと作品出してくれるのかねえ。 体大切に、頑張ってもらいたいものだ。
2005年02月24日(木) |
愛はあったかい(白い犬とワルツを) |
テリー・ケイ『白い犬とワルツを』読了。
以前、ドラマ化(映画化?)されたり、流行ってたね。 でもやっと今頃読む、天の邪鬼。
一人称と三人称、視点の切り替わりが曖昧な独特の文章。 それでいて、わかりやすい。 妻を亡くした老いた男の、不器用な愛。 でも、けっして、『鉄道員』の健さんみたいなのとは違う。 「彼」は堅物ではあるけれど、ウイットに富んでいる。
この物語は、あたたかく、愛にあふれている。 夫婦愛、家族愛、兄弟愛、友人愛、隣人愛…… 少々疎ましいこともあるけれど、でもやっぱり嬉しいものだ。
「死」は重たいものだけれど、 愛に包まれて、過ごした日々はとてもあたたかい。 そういう日々の末に迎える死は、恐ろしくないのかもしれない。 サムが妻の死を受け入れ、自分の死も静かに受け入れる様は、 美しくもあった。
白い犬が、歩行器に前足を乗せると、なんだか頬が緩んでしまう。 俺の犬だ。ってね。
2005年02月20日(日) |
みんなイカれてる(セシリア・ドアーズ) |
突然思いついて、 久々に江ノ本瞳『セシリア・ドアーズ』1・2巻を読む。
もう10年くらい前の作品なんだね。 何度か読み返しているけど、前回読んだのはいつだろう? なにもかもが懐かしい。
「きみは彼らのことがいなくなればいいと思っているね」 で、義理とはいえ「父親」に簡単に毒を盛る。 怪しい新興宗教の団体がいれば、 「あいつらむかつく」 「では殺そうか」 「いいよ、めんどくさい」 思いつきで「バカ」「タコ」「ボケ」「死ね」と言い、 あっさり実現させたり、あっさりやめたり。
『セシリア』は、世界も人もみんな「イカれてる」。 10年前の世の中は、心の中に潜むそんな「イカれてる」状態を、 漫画という架空の世界に昇華させて、浄化していたのだろう。 かつてのわたしも、その時期特有の後ろ向きな精神を、 そうやって慰めていたのかもしれない。
でも、今は、この10年で物語は現実になりつつあるわけだ。 人が死んでも、人を殺しても、気にしない子供たち。 すさんだ気持ちを「イカれてる」と吐き出すことで自己消化することもできず、 突発的な行動で、表に出してしまうのか。
怖ろしいとか、嫌だわとかでもなく、 大人が悪いとか子供が変だとか、誰のせいというのではなく、 この変化を、どう受け止めたらいいのかしらん。
『セシリア』は辛辣で毒を含んだ物語だけれど、 救いがないわけじゃない。 人が人と寄り添うことを、ちゃんと描いている。 江ノ本さんの絵によるところも大きいが、だから美しいのだ。
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