ニッキ?

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2005年02月27日(日) どつぼ

あ〜も〜!!
なんてボキャ貧なんだ!

自分のネーミングセンスのなさにがっかり。
わかっていたけどさ。
それにしてもひどい。

ふつうの言葉で、オリジナリティって難しいよなあ。
(凝った言葉でも難しいんですけどもね)


もともと得意じゃないけれど、
輪をかけてひどくなっているように思う。
情けなくて涙も出ませんがな。


2005年02月26日(土) 今日はお花見

河津桜を見てきた。
濃いめのピンクと、菜の花の黄と、空の青と、
それはきれいなとりあわせ。
ばかばかしい宴会なんてせず、ただひたすら歩く、歩く、歩く。
人も犬も、みな薄紅色の傘をさして、歩く。
そして、川辺にちょっと腰を下ろし、見上げる桜の鮮やかさよ。

濃い色の花びらが、「さくら」のイメージと若干違う。
なんというか、意志の強さというか生命のたくましさを感じる。
まだあまり散っていないからだろうか。
この花も、普通の桜と同じように、かすかな風にも舞い散るときには、
うつつ世の儚さを、人の心に染み渡らせるのだろうか。


2005年02月25日(金) まんが衝動買い(シェハキム・ゲート、炎人、柴田家の人々。)

この間の『セシリア・ドアーズ』に刺激されて、
江ノ本瞳の『シェハキム・ゲート』を買ってしまった。
聖書(?)の暗喩が難しい!

またも近未来の、荒んだ連中の話。
しかも今度は、推定12歳の女の子が主人公。
ううむ、やれやれ。
その幼さのせいで、あまりにも現実味がなく、
ストーリーテラーとしてはちょっと残念だけれども、
話は、なかなか考えさせられる。
ドラッグや愛情や、変な宗教、他者との交わり……
『セシリア』と同じテーマが見いだせる。
江ノ本さんのことはよく知らないけど、
根底にこういうテーマを抱いている人なのかしらん。

ラストは、一応救われていると見ていいのかなあ。
ぎりぎりのところで、主人公は「負」の世界から抜け出したか。
(自分のことを悪魔だって言ってたのにね)
『セシリア』でもそうだったけど、
この世界をもう少し信じてみようと、最後に一応望みを残したってとこか。


*****
そして勢いついでに東山むつき2冊購入。
『炎人』2巻と『柴田家の人々。』。

いや、おもしろい。
やっぱこの人、絵はうまいし、話の構成もいいし、
ギャグのセンスはユニークだし、読んでて楽しい。
(そういう諸々が、本当に上条淳士に似てるんだよ。
 そもそも、白と黒のツートーンを基調にした絵自体が似てるし)

東山作品の登場人物も、たいがい荒んでたり、
おバカだったり、どっかイカれているのばかりだけど、
基本的にみんな、愛情があるんだよね。
好きだなあ。

東山さんが病弱じゃなければ、もっと作品出してくれるのかねえ。
体大切に、頑張ってもらいたいものだ。


2005年02月24日(木) 愛はあったかい(白い犬とワルツを)

テリー・ケイ『白い犬とワルツを』読了。

以前、ドラマ化(映画化?)されたり、流行ってたね。
でもやっと今頃読む、天の邪鬼。

一人称と三人称、視点の切り替わりが曖昧な独特の文章。
それでいて、わかりやすい。
妻を亡くした老いた男の、不器用な愛。
でも、けっして、『鉄道員』の健さんみたいなのとは違う。
「彼」は堅物ではあるけれど、ウイットに富んでいる。

この物語は、あたたかく、愛にあふれている。
夫婦愛、家族愛、兄弟愛、友人愛、隣人愛……
少々疎ましいこともあるけれど、でもやっぱり嬉しいものだ。

「死」は重たいものだけれど、
愛に包まれて、過ごした日々はとてもあたたかい。
そういう日々の末に迎える死は、恐ろしくないのかもしれない。
サムが妻の死を受け入れ、自分の死も静かに受け入れる様は、
美しくもあった。

白い犬が、歩行器に前足を乗せると、なんだか頬が緩んでしまう。
俺の犬だ。ってね。


2005年02月20日(日) みんなイカれてる(セシリア・ドアーズ)

突然思いついて、
久々に江ノ本瞳『セシリア・ドアーズ』1・2巻を読む。

もう10年くらい前の作品なんだね。
何度か読み返しているけど、前回読んだのはいつだろう?
なにもかもが懐かしい。

「きみは彼らのことがいなくなればいいと思っているね」
で、義理とはいえ「父親」に簡単に毒を盛る。
怪しい新興宗教の団体がいれば、
「あいつらむかつく」
「では殺そうか」
「いいよ、めんどくさい」
思いつきで「バカ」「タコ」「ボケ」「死ね」と言い、
あっさり実現させたり、あっさりやめたり。

『セシリア』は、世界も人もみんな「イカれてる」。
10年前の世の中は、心の中に潜むそんな「イカれてる」状態を、
漫画という架空の世界に昇華させて、浄化していたのだろう。
かつてのわたしも、その時期特有の後ろ向きな精神を、
そうやって慰めていたのかもしれない。

でも、今は、この10年で物語は現実になりつつあるわけだ。
人が死んでも、人を殺しても、気にしない子供たち。
すさんだ気持ちを「イカれてる」と吐き出すことで自己消化することもできず、
突発的な行動で、表に出してしまうのか。

怖ろしいとか、嫌だわとかでもなく、
大人が悪いとか子供が変だとか、誰のせいというのではなく、
この変化を、どう受け止めたらいいのかしらん。

『セシリア』は辛辣で毒を含んだ物語だけれど、
救いがないわけじゃない。
人が人と寄り添うことを、ちゃんと描いている。
江ノ本さんの絵によるところも大きいが、だから美しいのだ。


鳥乃 |MAILHomePage

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