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「ちびくろさんぼ」の復刊が決まったらしい(バターの話のみ)。 今までも、名前やイラストを変えての「復活」はあったけど、 今度のはあの岩波版まったくそのままらしい。 やった! だって、あれは名作だと思うもの。
絶版になった理由は、 ちょっとこの場合、言いがかりに近いように思うんだけど、 でも、「される側」と「する側」に大きな隔たりがあるのが、 差別問題の常だからね…… しかしやっぱり、過剰反応はよくないと思うのだ。
たとえば、手塚治虫の漫画には、今から見ると「差別」にあたる誇張もある。 でも、断りを入れることで、今もそのまま「作品」には載っているわけで。 そこに、「時代」というものがあるのだから、 そういうことも含めて、受け止められるおおらかさがあっていいのでない? いや、むしろ、それが今、必要なんじゃないのかな。
2005年03月06日(日) |
プチオタクの血が騒ぐ(ダーリンの頭ン中) |
小栗左多里『ダーリンの頭ン中』読了。
ダーリンは、言語オタク。 何カ国語も操り、日々研究に余念がない。 妻はとうていオタクじゃないけど、素直な疑問で対抗。
相変わらず、その掛け合いが面白いよ。 もちろん、それは漫画家としての小栗さんのセンスだろうけども。
わたしは正直、外国語はからっきしダメな人間だけど、 でもこの「オタク」な視点は好き。 漢字の成り立ちとか、韓国語と日本語の発音の関係とか、 英単語の語源とか、おもしろい。 そんなピンポイントでは、なんの役にも立たないけど、 いいんだよ、おもしろいから。
梨木香歩『りかさん』再読。 こらえきれずに再購入しちゃった。
なんか、どうしても『からくりからくさ』の印象が強くて、 「ようこ」はおっとりしている気がしてしまうけど、 意外と行動的。 しかし、その後のようこ=蓉子の土台が、やはり見えている。 おっとりと、なんでもやさしく包み込めるおとなになるには、 痛かったり悲しかったり、怒りだったり、たくさんの鋭い感情に接して、 受け止めていかなきゃいけなかったのだろう。 「ミケルの庭」で、それがはっきりわかった気がした。
りかさんも、よくしゃべるし、ただしゃべるだけでなく、 冗談言ったり、愚痴こぼしたり、なかなかに人間味が豊かだ。 そういえば、そうだったんだなあ、と思う。 おばあちゃんのことを「麻子さん」というところなど、 まだ艶やかな「女学生」のようだ。
ひなまつり。 ああ、今年も『りかさん』再読を逃してしまった。 つーか、どこ行ってしまったのだろう。
***** 人には得手不得手がある。 不得手を克服しようとする人、 少なくとも、自分の不得手を苦にしていて、 なんとかしたいと思っている人を、 だれが責められるというのだ。
何かをできる人が、できない人を理解することは、難しい。 (もちろん、逆もだけど、意味がちょい違う) できる人が、できない人を、安易に責めてはいけない。 いったい、何様だというのだ。 だって、そうだろう? 君にだって、できないことはたくさんあるはずじゃないか。
カタチも大事だけど、ココロも大事だよ。 仮に、シゴトにおいてはカタチがすべてだったとしても、 そのヒョウカと、ジンカクは切り離して見るべきじゃないのかい?
と、思うことがしばしある。 特に今日は。
2005年03月02日(水) |
大興奮時代(八十日間世界一周) |
ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』読了。
最後のたたみこみがスゴイ。 そして全編通して巧妙に張られた、 大どんでん返しの仕掛けにまんまとはまった。 細かい伏線も見事だし。 スリリングで、ユーモラスで、夢があって、 面白いよ、これ。
本を読んでいてこんなにハラハラドキドキしたのは久しぶり。 たとえば『指輪物語』もすごいけど、壮大すぎて実感がない。 ひきかえ、列車や船を乗り継いでいくだけの世界一周は、 その「少しの遅れが命取り」の実感がものすごいある。 だからこんなにもスリリングで、興奮してしまうのだろう。
事の次第は、世界一の冷静男フィリアス・フォッグ氏の思いつきなわけだけど、 もうひとりの主人公は、間違いなく、 誠実で勇敢、愛すべきおっちょこちょいのパスパルトゥー。 彼は、『指輪』のサムにも通じると思う。 (ヨーロッパにおける従者ってそんなイメージなの?) そのほか、聡明なアウダ婦人、自分の義務に忠実であろうとしたフィックスなど、 キャラクターのバランスも絶妙なのだ。
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