ニッキ?

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2005年03月10日(木) ちびくろさんぼ復刊

「ちびくろさんぼ」の復刊が決まったらしい(バターの話のみ)。
今までも、名前やイラストを変えての「復活」はあったけど、
今度のはあの岩波版まったくそのままらしい。
やった!
だって、あれは名作だと思うもの。

絶版になった理由は、
ちょっとこの場合、言いがかりに近いように思うんだけど、
でも、「される側」と「する側」に大きな隔たりがあるのが、
差別問題の常だからね……
しかしやっぱり、過剰反応はよくないと思うのだ。

たとえば、手塚治虫の漫画には、今から見ると「差別」にあたる誇張もある。
でも、断りを入れることで、今もそのまま「作品」には載っているわけで。
そこに、「時代」というものがあるのだから、
そういうことも含めて、受け止められるおおらかさがあっていいのでない?
いや、むしろ、それが今、必要なんじゃないのかな。


2005年03月06日(日) プチオタクの血が騒ぐ(ダーリンの頭ン中)

小栗左多里『ダーリンの頭ン中』読了。

ダーリンは、言語オタク。
何カ国語も操り、日々研究に余念がない。
妻はとうていオタクじゃないけど、素直な疑問で対抗。

相変わらず、その掛け合いが面白いよ。
もちろん、それは漫画家としての小栗さんのセンスだろうけども。

わたしは正直、外国語はからっきしダメな人間だけど、
でもこの「オタク」な視点は好き。
漢字の成り立ちとか、韓国語と日本語の発音の関係とか、
英単語の語源とか、おもしろい。
そんなピンポイントでは、なんの役にも立たないけど、
いいんだよ、おもしろいから。


2005年03月05日(土) (りかさん)

梨木香歩『りかさん』再読。
こらえきれずに再購入しちゃった。

なんか、どうしても『からくりからくさ』の印象が強くて、
「ようこ」はおっとりしている気がしてしまうけど、
意外と行動的。
しかし、その後のようこ=蓉子の土台が、やはり見えている。
おっとりと、なんでもやさしく包み込めるおとなになるには、
痛かったり悲しかったり、怒りだったり、たくさんの鋭い感情に接して、
受け止めていかなきゃいけなかったのだろう。
「ミケルの庭」で、それがはっきりわかった気がした。

りかさんも、よくしゃべるし、ただしゃべるだけでなく、
冗談言ったり、愚痴こぼしたり、なかなかに人間味が豊かだ。
そういえば、そうだったんだなあ、と思う。
おばあちゃんのことを「麻子さん」というところなど、
まだ艶やかな「女学生」のようだ。


2005年03月03日(木) ナニサマ

ひなまつり。
ああ、今年も『りかさん』再読を逃してしまった。
つーか、どこ行ってしまったのだろう。


*****
人には得手不得手がある。
不得手を克服しようとする人、
少なくとも、自分の不得手を苦にしていて、
なんとかしたいと思っている人を、
だれが責められるというのだ。

何かをできる人が、できない人を理解することは、難しい。
(もちろん、逆もだけど、意味がちょい違う)
できる人が、できない人を、安易に責めてはいけない。
いったい、何様だというのだ。
だって、そうだろう?
君にだって、できないことはたくさんあるはずじゃないか。

カタチも大事だけど、ココロも大事だよ。
仮に、シゴトにおいてはカタチがすべてだったとしても、
そのヒョウカと、ジンカクは切り離して見るべきじゃないのかい?

と、思うことがしばしある。
特に今日は。


2005年03月02日(水) 大興奮時代(八十日間世界一周)

ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』読了。

最後のたたみこみがスゴイ。
そして全編通して巧妙に張られた、
大どんでん返しの仕掛けにまんまとはまった。
細かい伏線も見事だし。
スリリングで、ユーモラスで、夢があって、
面白いよ、これ。

本を読んでいてこんなにハラハラドキドキしたのは久しぶり。
たとえば『指輪物語』もすごいけど、壮大すぎて実感がない。
ひきかえ、列車や船を乗り継いでいくだけの世界一周は、
その「少しの遅れが命取り」の実感がものすごいある。
だからこんなにもスリリングで、興奮してしまうのだろう。

事の次第は、世界一の冷静男フィリアス・フォッグ氏の思いつきなわけだけど、
もうひとりの主人公は、間違いなく、
誠実で勇敢、愛すべきおっちょこちょいのパスパルトゥー。
彼は、『指輪』のサムにも通じると思う。
(ヨーロッパにおける従者ってそんなイメージなの?)
そのほか、聡明なアウダ婦人、自分の義務に忠実であろうとしたフィックスなど、
キャラクターのバランスも絶妙なのだ。


鳥乃 |MAILHomePage

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