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英多郷のかえでさんからミュージカルバトン、受け取ってました。 7/10のことなんで今さらですが、放置するのは申し訳ないので、回答します。 でも、回す先がそろわないので、ワタクシのところでで打ち止めで。 (なおのこと、今更回答する意味がないというもの……)
*Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量) >>>>5.1GB。 HDを音楽用に20GB割り当ててあるけど、いつの間にか結構たまったなあ。
Song playing right now (今聞いている曲) >>>>「今」って、まさに今? だとするとなし。 最後に聞いてた曲なら小野リサの「My Cherie Amour」(アルバム「pretty world」収録)。 ていうか、この質問が成り立つほど、みんな常に何かしら聴いているもんなの?
The last CD I bought (最後に買ったCD) >>>>むむ、なんだろう? 最後に手に入れたCDなら、「鳥の歌」(チェロ:黄原亮司、ピアノ:水野ゆみ、ソプラノ:山本千晶)。 でも、これ「買った」んじゃなく「もらった」ものだし…… 買ったのは、平原綾香の「ODYSSEY」か?
Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲) >>>>まず、谷山浩子「DOOR」。最近ではダントツ。 バッハの無伴奏チェロ組曲(とくに第六番)。 永井真理子「夜空にのびをして」。 一青窈「ハナミズキ」。 ん〜、あと、森山直太朗「さくら(独唱)」かな。 ふだんはほとんど谷山浩子かチェロの垂れ流しなので、よく聴く曲はそれで埋まってしまう。
Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人) >>>>ここでストップ! 前述の通り、回せません。あしからず。
杉浦日向子さんが亡くなった。
江戸風俗研究家、漫画家、エッセイスト、文筆家…… 肩書きはいろいろつけられるけれど、 とにかく、江戸を身にまとっている人だった。
「お江戸でござる」に出演しなくなっちゃったんだな、 と思っていたけど、そういうことだったんだろうか。
『大江戸観光』好きだったのにな。 『一日江戸人』好きだったのにな。 あの、気負いを一切感じさせない、そして端正な文章が、 これからはもう生み出されることがないと思うと、残念でならない。
今頃あの世で、北斎と酒を酌み交わしたりしているだろうか。
2005年07月10日(日) |
(逆説の日本史3、西の善き魔女5巻、カザルスへの旅) |
久々日記。 そして、あまり本を読んでないな。むむむ。
***** 井沢元彦『逆説の日本史3 古代言霊編』 歴史の「推理」は面白いんだけどなあ。 「歴史学者の態度、考え方」への対抗意識の方が勝ってきて、うざくなってきた。 歴史学者にけんか売るのもいいけどさ、 井沢さんの推理に興味があるんだから、を純粋に楽しませてよ。
***** 荻原規子『西の善き魔女』文庫版5巻 外伝なのでフィリエルではなくアデイルが主人公。 「お嬢様」は自分の非力さと、武器と、なすべきこととを知る。 それから、優れた仲間を得る。 人が生きる強さを学ぶ。 フィリエルがだんだん深刻さにはまっていくのに反して、 こちらは冒険あり、戦闘あり、恋愛ありで、なかなかに面白い。 ん? フィリエルの物語もそういう意味では要素は同じか。 でも、「自分の本来あるべき世界でないところ」でトラブルに巻き込まれる場合、 野から宮廷へ行ったフィリエルより、 宮廷から砂漠へいったアデイルの方が、「何もできない」加減が面白いのかも。
谷山浩子の「岸を離れる日」はフィリエルにぴったりだなあと思い、聴く。 って、アデイルの話なのになんでフィリエル。
***** 伊勢英子『カザルスへの旅』 実は前に読んだときも、感想を書けなかったのだけど、 今回ものばしのばしになってしまった。 読むと、最終的に打ちのめされるんだ(でも好きだ)。
そして伊勢さんの新刊『ふたりのゴッホ』。 エッセイの新刊は久々かしら。 発売日前日に入手して、ちょびっとずつ読み中。 表紙(カバーにあらず)が黄色! 鮮やかだけど、ちょっと渋い黄色! ゴッホなだけにね。 その装丁に、まず胸が躍る。
2005年05月29日(日) |
さいきんの感想あれこれ |
こっぴどく風邪をひいておりました。
【最近読んだ本】 井沢元彦『逆説の日本史2 古代怨霊編』 意外と面白くなかった。1巻のあとに期待しすぎ? 聖徳太子ノイローゼ説は面白かったし説得力があったのだけれど、 聖徳太子怨霊説は、いまいち。どこかはぐらかされた感じ。 その説の運びに1巻ほどの稚拙さがなく、まず結論ありきで、 古典の解読や他人の説も、自分に都合のいいところだけを持ってきたような、 強引さや歯切れの悪さを感じる。 残念だ。
こうの史代『夕凪の街 桜の国』 なんといってよいか……やるせない。 どんなときも、どこにいても、だれにでも、生活があるんだ。 ただ、戦争があった、とか、原爆で何人死んだ、とかでなく、 そこには生活があって、その生活が破壊されて、でもまたそこに生活が生まれて。 伯母のお葬式でずっと、この人は終戦のとき二十歳だったんだ、 と思っていたことを、思い出した。
伊勢英子『画集「死の医学」への日記』 とうとう入手。 探し始めて1年半くらいか? 絶版品切れ、古本屋でも見あたらず。 でも、ついに古書店のネットで発見。世の中便利になったものだ。 この本を、なんの前触れもなく見たら、どんな感想を抱くか、もうわからない。 わたしは、伊勢さんの事情も、ついでに柳田さんの事情も、 そしてこの連載がどういうものであったかも、すでに知っているので、そういう目で見てしまう。 後半、女の子と父親風な組み合わせが増えれば、 まぎれもなく伊勢さんとお父さんのことだろうと思うし。 鉛筆だけで、これだけの絵を描き上げる。 しかも毎週、毎週。 死と直面しただれかのことを思いながら、その原稿にきっとうちひしがれながら、 そして、自分の父と、自分のことに置き換えながら。 きっと大変な労力と精神力を要したことだろう。 次第に、何か達観していくかのような様を感じ取れるのは、 なにも、その事情を知っているからだけではないと思うのだ。
荻原規子『西の善き魔女』4巻 ようやく世界の真相に迫り始めた、かな? 各巻の巻頭に載っているわらべ歌にでてくる、 「西の善き魔女」「東の武王」「賢者」「詩人」とそろってきた。 まだ「氷の都」「真昼の星」と残っている。 (これがわたしの鈍感だったら笑いものだが) さあ、このあとどう解いていくのか楽しみだ。 なんとなく、世界の謎が見えてきたようで、 その実、主人公たちはようやくその謎に巻き込まれつつあるところ。 今までは自分たちのことしか考えていなかった彼らが、 この先、どう動いていくのか楽しみだ。
【最近の見物】 ゴッホ展 覚悟をしていたけど、すごい人。 ゴッホ=点描風、黄色、青 というのがわたしの持っていたイメージだが、確かに点描を彼は学んでいた。 でも完全にではない。いいとこどりだ。 後年、「点」が「荒く」なる。大きく長く。それで独特な「うねり」が出る。 また、ゴッホは、空気中の色を見られる人だったのか。 目の錯覚に騙されない人だったのか。 私の目には、連続するもの(服や机や壁や…)は「同じ色」に見えてしまうけど。 青と黄色が印象的。 伊勢さんも青だ。そして、ピンクっぽい色。 なにがしかの影響を受けたのだろうか。 わたしにとっては、ものの本質を解いて、色で表してみせる二人は、 同じ線上に並んでいるのだ。
2005年05月12日(木) |
“歴史”は想像の産物だ(逆説の日本史) |
井沢元彦『逆説の日本史1 古代黎明編』読了。
すごいすごい。 学者じゃなくても、これだけ考察できるんだもの。 いや、学者は特異な能力でもなく、ただそれを専門にやっている、 というだけのことだから、時間と、なにより精力をかければ、 もちろん誰でもできることだ。
小説家は、物語を生む人。 つまり、その舞台背景や文化や信仰や思考やなんかを、全部考え出す。 考え出すと言っても、それはその作家の中にある、 なにかがきっとベースになっていて、あとは想像力なのだろう。 (ほら、想像力は創造力だ) そういう点で、『指輪物語』のトールキンは、最たるものだ。
そして、その想像力を生かせば、 架空の世界を作り出すだけでなく、 歴史の背景、一般に知られている「出来事」の裏にある事柄まで、 思いをはせることができる。 それを面白く表現できるのが、また作家の才能。 ちょうど、去年の大河ドラマの三谷幸喜がそうだ。
で、井沢元彦。 もとは雑誌の連載だったこともあり、同じことを何度か繰り返し説明してくれるので、 内容=井沢氏の主張がわかりやすく伝わってくる。 もちろん、平易な文章で書かれているからでもある。 井沢氏の推理(誰がどうがんばったって、歴史の解読は推理にすぎない)は、 納得できるところと、できないところがあるけど、それはまあ当然だ。 それぞれ、人によってとらえ方は違うから。 もちろん、わたしは彼のように詳細に調べているわけじゃないので、 反論しろって言われても、できないが。 しかし、彼の考えの根底にある、日本の歴史研究の三大欠陥 ・呪詛的側面の無視ないし軽視 ・資料至上主義 ・権威主義 というのは、納得だ。 いったい、どれほどの研究家が当てはまるのかは知らないけれど、 もし、本当にそうだとしたら、やっぱり歴史は理解できないと思う。
身近な研究家の名誉のために言っておくと、 わたしの習った先生は、この日本古代における「呪詛的側面」をすごく重要視していた。 現代人の感覚ではなく、古代人の感覚で考えるべし、ということを教えてくれた。 だから、井沢さん、そんなに捨てたもんじゃないと思いますよ。
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