2004年05月02日(日) |
前世について・・「毒矢を射られた男」の話 |
『毒矢に射られた男』 ある一人の男が毒矢に射られたとする。 そこに、 妻や親戚、友人が集まり、 急いで医者を呼び毒矢を抜いて、毒の手当てをしようとする。
ところがそのとき、その人が、 「しばらく、矢を抜くのを待て 誰がこの矢を射たのか、それが知りたい 男か、女か、どんな素性のものか、 又、弓は何であったか、大弓か、小弓か、木の弓か、竹の弓か、 弦は何であったか、藤弦か、筋か、矢は籐か、葦か、羽根は何か、 それらが、わかるまで矢を抜くのは待て。」 (原文掲載)
上の文章は、仏教聖典からの原文です。 さて、 この男はどうなると思いますか?
言うまでもなく、 全ての事がわかった時には、 この男は全身に毒が廻り、死んでしまいます。
この場合、しなければならない事は、 まず、矢を抜き、 毒が全身に廻らないように手当てをしなければなりません。
前回、 「前世にこだわる事、無かれ」 とのユタの私の言葉をお伝え致しました。
ユタの私は、 前世にこだわり、 現実の苦しみから眼をそらしている方を こう表現します。 「自ら暗闇の中に入る・・ 光も持たず、自ら暗い苦しみの中へ・・」
先日の鑑定結果の中で、 この言葉をお伝えしたところ、 この言葉の意味を教えて欲しいとのご質問がありました。 真摯にお答え致しましたが、 この場をお借りし、もう一度お伝え致します。
現実の苦しみの原因を探すのではなく、 前世や摩訶不思議な事の答えを探している間にも 時は、過ぎていくのです。 私達の生きる時間は、永遠ではありません。
自分の心に浮かぶ、 前世についての疑問や謎を問き明かしてくれなければ、 神仏のお力を信じる事はできない・・・
このように、お考えの方は、 生きている間に、幸せを得る事は不可能です。
ユタの私は、言います。 「現実の苦しみを視よ・・現実からの逃避を避けよ」
表面の私は、 幼い頃から「本」が大好きでした。 何でも読みました。 今では、 書物は私の生活に無くてはならないものになっています。
前世についての研究書籍も幾つも持参しています。 確かに、 現在盛んに研究され、その成果が現されているように、 前世を明らかにする事に 私は、大きな意義がある事を理解しています。
催眠療法を始め、前世療法によって 人々が、救われるという事を信じています。 それらに関わる方々を偉大だと尊敬しています。
そして、 ユタの私もこれらについては、 一切、否定もしなければ肯定も致しません。 「良いも悪いも無い」 ただ、 今生の過ちを視ず、 何の努力もせずに全ての原因を前世の流れとし、 その苦しみの原因を己に向けない事に警告を発するのです。
随分と難しい事ばかりをお話している・・ 貴方を混乱させる原因となるのではないか・・ 本当に、ごめんなさい。 表面の私は、 ユタの私からの言葉・・声を表現する事が まだまだ、できていないのです。 本当に、ごめんなさい・・ もっと、もっと学びます。 もっと、精進致します。
答えは、簡単なんです。 『人は、問題を選ばなければならない・・ 自分にとって何が一番の問題であるか、 何が自分に最も押し迫っているのか、 それを知り・・・ 自分の心をととのえる事から始める・・』
まず、現状の問題を明らかにする・・ 問題の原因から起る結果を知る・・・
『原因と結果を知る』
それが、苦しみから逃れる方法です。 それが、哀しみを生まない方法です。 それが、必ず喜びの兆しとなります。 それが、大いなる光に近づく方法です。 それが、本当の貴方になる方法なのです。
私と貴方とは、同じです。 私も貴方のように・・ 前世への過った受け取り方をしていた時期がありました。
経済的にも貧困の中で育った私は、 きっと、何もかもが前世からの流れなんだ・・ きっと、頑張っても何も変らない・・ 今はうまくいっていても、必ず悪いときが来る・・ 子供の頃から、 ずっと、そう思っていました。
前世では、何をしたんだろう・・ 何で、こんなに苦しむのか・・・ 何で、こんなに惨めなのか・・・ それを知る事ができれば、きっと乗り越える事ができる・・ 知りたい・・知りたい・・・ 苦しむ意味を教えて・・悲しみの意味を教えて・・・ そう、願っていました。
そして、 ユタの私が目覚め始めた時、 その意味が明らかになってきたのです。
光の中にいるもう一人の貴方は知っています。 どうか、 光の中にいる神仏と最も近い貴方の声を聴いて下さい。 お願いです。 心を静め、本当の自分・・正なる自分と向き合って下さい。
貴方に、 本当の幸せ・・心の安らぎが訪れる事を切に願います。 心を込めて。
−AYA−
2004年05月01日(土) |
前世と業(行い)・・「原因と結果」について。 |
長い間、 日記を書き込む事ができず、 本当に、申し訳ありませんでした。
今日は、 みなさんにお伝えしたい事があります。 この期間、 鑑定依頼や相談者の方からのご質問で 最も多かった内容が、前世と業(行い)に関する事でした。 「AYAの宝箱」の中にも それに関することを掲載させて頂きました。 誤解のない様に、しなければなりません。 しばらく、 日記のテーマを前世と業(行い)について お話したいと思います。
ここで、正直に申し上げますが、 ユタの私は、 前世に関する事をお伝えする事を大変に嫌がります。
それは、何故か・・ 幾つもある前世の中から ある特定の前世を絞り出しお伝えすると、 殆どの方は、 現実の世界に起きている悪い事の原因を そこに求めてしまうのです。
今の環境が悪いのも、自分のせいではなく、 前世からの流れだから・・ 今の人間関係も全てうまくいかないのは、 きっと、 前世において悪い関係だったから・・
ユタの私は、 このお考えを否定する事はありません。 けれど、 もしそれが真実ならば、 私達はどんなに頑張っても幸せにはなれない・・
前世からの流れで、 今があるのだとすれば、 人生における、全ての流れは決定されている事となり、 「運命で定められているから・・」 という考えに繋がります。
何度も、申し上げますが、 「運命なんて無い・・」とユタの私は断言しています。
確かに、前世は全ての方に視られます。 確かに、前世からの流れとしての出逢いが存在します。 確かに、前世での「業」を返さなければなりません。 確かに、生まれた環境は前世からの繋がりを示します。 確かに、魂の方向性として前世からの流れがあります。
幾つもある前世が、 今生に影響を与えている事は真実だと考えています。 けれど、 今の貴方の悩みや苦しみは、前世が全て原因ではありません。
はっきりと申し上げます。 現状においての苦しみは、過去の貴方が創り出したものです。 過去の貴方の行い、過去の貴方の考え方が、 今の貴方の現状を創ったのです。
物事は、 全て『原因と結果』から成り立っています。
貴方が原因を創り、貴方が結果を受け取るのです。 他の誰のせいでもありません。 全ては、 貴方の選択によって、決定されたものです。 今ある環境の全ては、過去の貴方が決断した事です。
仏教の世界・・ お釈迦様の言葉にもあります。 長い苦行の末に、ブッタ(悟った人)となって、 初めて説かれた教えです。 「因果応報」・・「因(原因)と果(結果)」
又、 哲学の世界でも同じです。 私が心から尊敬している 哲学者ジェームズ・アレン(英)も言っています。 最も売れている哲学書として有名な方です。 聖書に次ぐ、ベストセラーとして今なお売れ続けています。
どの宗教も否定しない私は、 勿論、聖書も持っていますが、 キリスト教の一説にも存在しています。
医療従事者としても、申し上げますが、 医学の世界でも同じです。 治療においては、 必ず、その原因を究明しなければ病を撃退できません。
何でもそうなんです。 全て、そうなんです。
『原因と結果』
これが、全てです。 人は生まれたから、死ぬのです。 生があるから、死があるのです。 喜があるから、苦があるのです。
難しい話ではありません。 毎日の生活でも同じです。 食したから、排泄するのです。 当たり前の事です。
これは、極蜜祈祷をしている相談者の方からの ご質問の答えでもあります。 ご祈祷をしているのに、何故うまくいかないのか・・ それは、 過去の貴方が創った今生での業を 真に受け取り、改めなければならないからです。 答えは簡単なんです。
相談者でない方は、びっくりされるかもしれませんが、 それが、神仏のお力なのです。 今生での過去で行なった悪業(悪行)善業(善行)は 必ず、 今生で返すように物事は流れていきます。
当たり前の流れです。 良い事をすれば良い結果が得られる・・ 悪い事をすれば悪い結果が与えられる・・ 必ず、そうなります。
思いやりの真心から行なった 過去の貴方の言動をスムーズに「喜、幸」として得る・・ 弱さ、無知から行なった 過去の過ちを「学び、教え」として受け取る・・ そして、 それが将来の貴方の本当の幸せへと繋がるのです。
前世が全てではありません。 だからこそ、 生まれた時には、その全てを忘れているのです。 だからこそ、 私達は、何度も生まれ変わるのです。 だからこそ、 人間は、生き直すのです。
私達は、誰もが幸せになる為に存在しているのです。 何度も・・何度でも、申し上げます。 貴方は幸せになる為に、ここにいるのです。
前世に囚われてはいけません。 何度でも、生き直せばいいのです。
己れを真に見つめ、我が身を変えればいいのです。 その為に、私達は生きているのです。
「己れを変える・・」 それができる方には、御念珠もご祈祷も必要ありません。 私も六明師も必要ありません。 このHPも要りません。
「本当の貴方になって欲しい」 「神仏と繋がる光の中の貴方になって・・」 私は、貴方の本当の幸せを ただ、ただ願い・・毎日、毎日祈るだけです。
全ての人と共に幸せになりたい・・ 生きている人も、この世に存在していない方も 全ての魂が、幸せに、穏やかに過ごす事ができるように。 それだけが、私の願いです。 それだけが、私の祈りです。
どうか、 貴方が私の言葉を深く、真に受け取り、 幸せのきっかけとする事ができますように。 どうか、真理の道に入れますように。 心から願っています。 心から祈願致します。 心を込めて。
−AYA−
2004年04月17日(土) |
相手の立場に立つ・・(ご質問へお答え致します) |
『お伺いしたいことがあります。 「怒り」等負の感情は魂の負担になるということをきいたのですが だれかのために怒りの感情を持つことができるということも 良くないことなのでしょうか? また、笑いながら人を殺すような事件があったときなどに、 どうしても犯人を理解できず 負の感情が湧き出ることをとめることができないときに その感情にどう対処したらよいのでしょうか? もし機会がありましたら、ご助言いただけるとうれしいです。』 (一部省略)
先日、 日記への感想として上のご質問が寄せられました。
「笑いながら、殺人を犯す・・」 現在、このような悲惨な事件が相次いでいます。 この方の仰るとおりです。
「善に反した、行為を見た時に湧き上る感情・・正義。」 正常な人間ならば、誰もが感じるこの感情・・ 一体、どう処理すればいいのでしょう。
大変に、 大きな意味を持つご質問だと思います。 ご質問を下さった貴方にお礼、申し上げます。 ありがとうございました。 この場をお借りし、改めて感謝申し上げます。
さぁ、 今日は、このご質問から考えて生きましょうか。
これから、お話する事は 表面にいる私とユタの私の考えです。 みなさんには、みなさんのお考えが必ずあるはずです。 みなさんにも考えて頂きたいのです。
毎日、毎日・・流される悲惨なニュース・・ 表面にいる私は、テレビのニュースを見る事が嫌いです。 ユタの私を抑えていても・・ 事件に関わりのあった人々の感情を読み取ってしまう私は、 自分の生活に支障を及ぼすほどの感情移入をしてしまうからです。 怒りと哀しみに包まれる・・
表面にいる私は、常に正義を追い求めます。 過去の私は、 自分の正義に反する人を許せず、 何度も何度も怒りを爆発させていました。
「人として、有るまじき行為!」 それが、その頃の思いです。 ニュースを見て、 被害者の立場に立つ時、その頃の感情が蘇ります。 みなさんと同じです。
それが、普通の感情です。 当たり前に誰もが持つ、正義感です。 その正義感・・道徳感がなければ安全な社会は成り立ちません。 あって当たり前の感情です。 決して、私は否定致しません。
被害者の立場に身を置くことはすぐにできます。 けれど、 加害者の考えに耳を傾ける事ができない・・・ 加害者の立場に身を置くことができない・・・ 殺人を犯した人と同じような「負」の感情に入れない・・
あえて、 加害者の感情の中に入らなくても良いのです。 悲惨な事件・・壮絶な事件を引きこす加害者達は、 心身ともに健全ではありません。 どこかに、ゆがみを生じている人ばかりです。 専門的な精神鑑定などしなくても、誰もがそう思っている。 健全な精神状態であれば、誰でもわかる事です。
表面の私・・そして、ユタの私・・ 正義の怒りに包まれている私の心の中で、ユタの私からの声がします。
「己が善くて、人殺しをせぬにあらず・・」 以前の日記の中でもお伝えした事がある、三浦綾子氏の言葉です。
加害者と同じ境遇だったら・・・・ 加害者と同じ生活環境だったら・・ 加害者と同じ選択をしていたら・・ 加害者と同じ感情を抱いたら・・・
「自分が善の人間だから、人殺しをしないのではない・・」 私が、たまたまその境遇ではなかったから・・ 私が、たまたまその生活環境ではなかったから・・ 私が、たまたまその選択をしなかったから・・ 私が、たまたまその感情を持たなかったから・・
ユタの私は、 怒りに包まれている私に言葉を送ります。 「人の心の善と悪・・誰もが持つ光と暗闇・・必ず誰もが持つもの・・」 そうなんです。 私達、人間は誰もが同じような過ちを起こす危険性がある・・
怒り、憎しみ、恨み・・誰もが抱えている感情です。 無いという人は、まだ生まれたばかりの赤ん坊です。
過去の悲惨な戦争・・・ そのどれもが、 正義感からの怒りや憎しみ、恨みから始まっています。 一年前のアメリカとイラクの戦争もそうです。 「報復せよ!我々は「正」である!」 どちらも、それぞれの正義を根本に持っています。 過去の流れ・・人々を育てたそれぞれの歴史が背景にあるのです。
どちらが悪いと言っているのではありません。 私の善悪の範囲内で、 それらを裁こう・・などと言っているのではありません。
私は、神や仏ではありません。 人は、神や仏ではありません。 人が人を裁き、罪を与えなくてもいいのです。 神仏・・大いなる力が常に視ているからです。 全て、ご存知だからです。 神仏にお任せすればいいのです。
ただ、ユタの私は、 人がどんなに弱く、汚い者かを私に教えてくれるのです。 私が、誤った選択をすれば、すぐにでもそうなる・・ 「おまえも同じ・・」 そう言うだけです。
貴方や私が何故・・ これらの事件に遭遇せず、生きてこられたのか・・・・ 貴方や私が何故、この安全な日本に生まれたのか・・・ 何故、戦争の被災者達は、その国に生まれたのか・・・ 全ての人が・・ 同じ思いで、幸せを願い、生まれ変ったはずなのに・・
何故・・何故なのでしょう。
過去の歴史・・何千年・・何万年の時の流れ・・ 繰り返される時間・・ 魂は幾つもの時の流れの中にある・・ 幾つもの人生を経験し、誰もが何度も生まれ変わる・・
先日からの日記で、 「反省」の意味を何度もお話してきました。 反省・・悔恨・・懺悔・・。
相手の立場に立つ・・ 自分の犯した罪を相手と同じ立場に立ち、受ける・・ 与えた痛みがどれだけ大きかったのか・・・ 与えた苦しみがどれだけのものだったのか・・ 与えた哀しみがどれだけの涙を流したのか・・ その全てを受ける・・同じようにもがき・・苦しむ・・
前世での因縁・・・ 前世での「業」・・ 今生で創った「悪」・・ それらを必死にかえす・・
人に与えた苦しみは、必ず戻ってきます。 大いなる力は、常に平等です。 大いなる力は、人を選びません。
貴方が、 誰かに与えた罪は、必ず貴方に戻ってきます。 貴方の与えたものが大きければ大きいほど、 それらは、何倍にもなって帰ってきます。
それが、神仏の力です。 それが、自然の流れなのです。 それが、当たり前の流れです。
悪い事をすれば、悪い結果が起こる・・ 良い事をすれば、良い結果が起こる・・ 誰もが知っている常識です。
「情けは人の為ならず・・全て、己が為・・」 この言葉の意味・・ 安易に人に情けをかけてはいけない・・ 依存心の強い人間にしてしまうから・・・そんな意味ではありません。 情けは人の為にかけている様に見せかけて、 実は、自分の自己満足の世界である・・・そんな意味ではありません。
情け・・情・・ 貴方の真心からの行いは、人の為の行いではなく、 貴方自身の為の行いなのです。 貴方の行った「善」の行為・・ 真心からの行いは、必ず貴方に帰ってきます。 今生での積み重ねの善行は、来世に持ち越されます。 必ず、遠い将来の貴方に帰るのです。 情けは、 人の為ではなく、最後は将来の貴方の為になるのです。
人に悪い事ばかりを与えてきた・・と貴方が感じ、 反省し、懺悔するならば・・二度と同じ過ちは繰り返さないと誓う事です。 そして、 それを早く返す事ができるように・・善の行いを積み上げる事です。 それが、ユタの私が言う反省と懺悔なのです。 そして、本当の反省ができた時には、 「善行」をさせてもらえる周りの人々に、貴方は感謝するようになります。 それが、ユタの私が言う感謝なのです。
貴方が自分の人生を振り返り、 自分自身を正しく見つめる事ができるように 心から願います。 どうか、 貴方が真理の道に入る事ができますように。 どうか、 将来の貴方に大きな「善」が訪れますように。 心から願います。 心から祈願致します。 心を込めて。
−AYA−
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