2004年07月29日(木) |
神障り・・・その本当の理由 |
昨日の日記の中で、私は初めて、 自分の父親の事・・ 私のプライベートについて、お話しました。 過去の相談者の方の実話をお話する事は、簡単です。
けれど・・どうしても、私には、それができなかったのです。 私の過去・・幼い頃の自分を語る事は、 多くの誤解を招き、幾つかのトラブルを招くかもしれない・・ 充分、覚悟しています。
私には、相談者の方々が抱える、 地獄の様な苦しみをお伝えする事はできないのです。
過去の私と同じ立場にある、 相談者の方々の、心からの苦しみ・・叫び声を、 ここに、安易に記載する事ができないのです。
みなさんが、 どの程度、ご理解されたか・・知る事はできません。 どう受け取られようと、構いません。
真の神仏のお力を語る事が、 全ての人々の幸せに繋がる事は、私自身、充分に理解しています。
けれど、そのお話によって、 たった、お一人でも、心に痛みを感じる人が出る事は、 私には、耐えられない・・・・それは、私の役目です。
表面の私が持つ、 父親に対する気持ちは、とても複雑なものです。
子供の頃・・ 私は、父親に対し、殺意を抱いた事もありました・・ 許せなかった・・どうしても、許せなかった・・ 死んでしまえばいいのに・・・ そう考えた事が、何度あったでしょう・・ たかが、3千円くらいの給食費が払えず、 走る車に身を投げ、何度、死んでやる・・と考えたでしょう・・
表面の私は、決して、善の多い人間ではありません。 お釈迦様の言われる、大罪を子供の頃から抱えて生きてきたのです。
神仏に近い人間になりたい・・暖かな光に近づきたい・・ 少しでもいい・・ほんのちょっとだけでもいい・・光の側にいきたい・・ 表面の私の心の中は、常にその思いだけです。
運命は変えられるのです。 断言致します。 運命は変える事ができるのです。 この私が、生き証人です。
育った家庭で、真の人生が、決定されるのではありません。 周りの人達が、貴方の人生を決めるわけではありません。 環境が、貴方の人生を、決められるはずがありません。
この私が、生き証人です。 何度でも言います、この私が生き証人なのです。
人がどんなに頑張っても、 逃れる事ができないものは、確かに、この世界に存在しています。
人の生死・・・生老病死・・・・。 誰もが、生きずらい世の中に生まれ・・ 時と共に、老い・・常に、病に狙われ・・そして、必ず、死ぬ・・。
どの人の人生も、同じです。 誰もが、必ず、その苦しみを受けます。
その中で、どう生きるか・・ 真の幸せにいる人は、生老病死さえも、「苦」とはしません。
真の幸せとは、 全ての苦しみさえも乗り越え、決して、消える事は無いのです。
私は、全ての方に幸せになって、欲しい・・ どうしても、幸せになって欲しい・・・
幸せになって欲しい・・この思いは、私だけではありません。
神仏に近い六明師、 恐ろしく、力ある神様、 罪人さえも温かく見守る仏様、 視えざる大いなる力、宇宙の流れ、 全ては、貴方の真の幸せを願っているのです。
神様が何故、あれだけの怒りを現すか、わかりますか? それは、 神や仏を敬う心を持たない者が、 死を迎えた後には、 終わりの無い、地獄へと落ちる事を知っているからです。
全ての幸せを願う神様は、 それを知らしめる為に、障りを起こすのです。 災いを起こし、 少しでも早く、気がつく事ができるように・・と願いながら、
だから、神障りは 何年もの時をかけて、本人が気がつくように、 幾つもの災いを通して、気づきを与えているのです。 それが、ユタの私が言う、学びと教えなのです。
ユタの私は、 神障りや霊障と言う結果が出ると、必ずこう声にします。 今、知る事ができて良かったではないか・・・
今生から旅立ち、 やり直す事ができない状態になってから、 初めて、気がつく・・それでは、遅いのです。
今生の人生をどう生きるかによって、 貴方の中間生は決定されるのです。貴方の来世は決まるのです。
人様なんて知った事じゃない、 自分の願い通りに、生きている間だけ、幸せだったらいい。 そう、お考えの方もいらっしゃいますね。
その考えを、その日暮し・・と言うのです。 明日の事は何も考えず、今日さえ楽しければいい・・ 今日を楽しむ為に、昨日の罪は、全て忘れよう・・・ 今日さえ、うまくいけば、何もかもどうでもいい・・
このように、お考えの方がその先、どうなるか・・ 言わずとも、ご存知ですね。 鑑定などしなくても、誰でもが知っています。 幼い子供でも知っています。
今、ユタの私や六明師によって 障りが何か、を明確にされた事は、 貴方に、これから先の「幸」をもたらすものです。
神障りや霊障を結果として、持っている方の殆どは、 人生の中、運気と呼ばれる中では、最高の時にいます。 人生の分岐点と呼ばれる、幸と苦との境目に立っているのです。
どうするか・・どう生きるかによって・・未来は必ず、変わります。 何度でも、断言致します。 運命は、変えられるのです。 未来は、貴方自身が創るのです。
そして、それを幸多きものにする為に、 私も、六明師も、力の限り、貴方に言葉を送るのです。
何度でも言います。 貴方は、幸せになる為に、生まれたのです。 全ては、貴方の真の幸せを願い、流れているのです。
それを、どうするか・・ どう受け取るか・・それは貴方次第なのです。
貴方の幸せを私は、心から願っています。 微々たる私ですが、毎日、毎日、日々、心を込め、祈ります。
貴方の幸せを心から、言霊を込め、祈ります。 真に心を込めて。
−AYA−
2004年07月28日(水) |
神障り・・過去の実話 |
昭和の後半、享年40才前半にて、その男性は他界致しました。 男性には、何人もの幼い子供達がいて・・ 彼の家庭は、常に貧乏のどん底の生活の中にありました。 電気、水道は切られ、生活はままならない状態でした。
原因は、彼が10数年間も酒に溺れてしまったからでした。 酒に溺れた理由・・ それは、最愛の長男を亡くした事・・その苦しみでした。 彼は、その苦しみ、辛さ、哀しみ・・ 全ての大きな暗闇を、乗り越える事ができなかった・・。 その苦しみ、悲しみに終わりはなく・・ 今生の全ては、苦のみ・・となりました。
人様のために・・という心は、小さく・・ いつも、何らかのトラブルと災いの中、暗闇を抱え・・ 「何故、自分がこんな目にあうんだ・・」それが彼の思いでした。
過去の流れの中では、家系の因縁から、 神仏に守られ、繁栄している時代も、彼には、確かにありました。
彼は、口癖のように、子供達にこう言っていました。 「時代が、時代なら、殿様のような生活をする事ができたはずだ」 「働かなくても、食う事ができる家系なんだ・・」
彼は、神仏のお力をお借りする方法を知っていたのです。 視えない力、宇宙の説明のつかない力、大いなる力、神仏、 それらが、全てを創っている・・という事を知っていました。
住んでいる土地のどこが、聖域であるかも知っていました。 神仏のお力、御先祖様を敬う心は、強くありましたが、 それは、いつでも「苦しい時の神頼み・・」と呼ばれるもの・・。
そして、彼はこの世界から別の世界へと旅立ちました。
沖縄には、カミダーリィ(沖縄の方言)という言葉があります。 これは、神障りを意味する言葉です。
他界した彼は、沖縄のユタの家系の流れを汲む者でした。 ユタという者は、己の為だけに生きようとすると必ず災いを招きます。 神様の怒り、戒め・・をかうのです。 これが、神障りです。
相談者の方の実話をここに記載する事は、簡単です。 けれど、 それをご家族の身になって考えると、私はいてもたってもいられません。
神障りのご祈祷をされる方は、 殆どの場合、ご本人からのお申し込みではありません。 願主となるのは、ご家族の中でも最も神仏に近い方です。
神障りが起ると、本人には全くの自覚がありません。 自分の心の中、何が悪いのか・・ それを、知ろうとはしません。 全く、己を省みる事をしません。反省というものが無いのです。
全てを環境や人のせい・・だと考え、神仏に対しても恨みを抱きます。
何故、 私が厳しく、信仰心の無い方は入らないで下さい・・と申し上げたのか、
視えざる世界を信じない方は、現代の科学教と呼ばれる考え方で、 神仏に対しての挑戦とも呼べる、悪しき行いをします。
「本当に神罰が下るか、試してみようじゃないか!」 悪しき思いを持った者は、すぐにそう考えます。
私は、人々の幸せを願い、全ての人が本当の幸せを掴み取る為に、 ここに、存在しているのです。 どんな人にでも、幸せの道を歩んで欲しいのです。 これ以上の悪しき行い・・悪業を積んで欲しくないのです。
私が、何故、あんなにも恐ろしい・・と言ったのか、 私は、神障りの恐ろしさを実際の経験として持っています。
実は・・・この男性を私は、身近な者として知っています。 この男性は、・・私の父親だからです。
悲しかったあの頃・・全てを覚えています。 父が、大好きでした・・そして、父を憎んでいました・・ けれど、 私は、いつでも、酒を飲む、父親のあぐらに座り・・ ・・・はしゃいでいました。 私が、はしゃぎ、父を笑わせれば、父は酒を飲む手をとめます。 子供ながらに、父の悲しさ、辛さ、苦しさを知っていた私は、 父に、飲む事をやめて!とは、言えなかった・・。
私は、今でもあの頃の父親をありありと思い出す事ができます。 私が、己の為だけに生きる・・すぐにでも、父の様になるでしょう。
これは、 決して、ユタの家系に生まれた者だけの事ではありません。 他の方も、皆、同じです。
苦しい時だけ、真剣に神様にお願いをし、 自分が楽になった時には、何の感謝の気持ちも無い・・ 厳しく、申し上げますが、相談者の方の中にもいらっしゃいます。
年初めに、貴方は、神社に行かれるのではないですか? 神様を敬う心を持たず、信仰心も無く、ただ、祈るだけ・・ 果たして、神様は貴方の願いを叶えるでしょうか。 「神頼みなんて、効果が無い・・嘘で、ただの迷信・・」 そう、お考えですか?
ただの迷信・・ただの自己暗示・・と考えている方。 初詣には、人が、大勢います。 有名な名のある神社ほど、人が多く押し寄せます。 トイレも満員で、長い列を作っています。
人の波で、気分はイライラする・・ いつもの様に、唾を吐く・・ トイレには行きたい・・子供も「おしっこしたい」と泣いている。 「しょうがない・・」と言って、 貴方は子供を神社の神木の陰に連れて行く・・そこで用をたす。
今生の過去において、 その様な行いをした方の現在の状態を、私は、知っています。 当たり前に、神罰として神様からの障りを受けています。 ユタの私は・・全て、自業自得・・と声にします。
神様には、人間と同じ感情があるのです。 普通に考えれば、わかるのではないですか・・
貴方の玄関先で、貴方を目の前にして、 唾を吐き、おしっこをする・・そして「願いを叶えて下さい」と言う 貴方は、怒りに震えませんか?
真に力のある神様は、必ず、戒めを送ります。
それは、貴方が何年もかけて苦しむように、流れます。 貴方が、どうする事もできない状況になって 初めて、知る事ができるように流れていきます。 逃げられない所まで・・ 人間の力では、どうする事もできない所まで、連れて行かれます。
本当の神様は、力のある恐い存在なのです。 そして、 本当の神様は、すぐに貴方の心の悪しき思いを見抜きます。
自分に利益のある時だけ、喜ぶ・・ 損得勘定で、自分に得のある人だけには、親切にする・・ そんな心は、訳もなく見抜くのです。
六明師の執り行う、 身代わり念珠も極蜜祈祷も、真に力のあるものです。 その為、 ご祈祷や御念珠をお断りせざるおえない方もいらっしゃいます。
全く、信仰心を持たず、 今後、明らかに神仏に対し、失礼な行いをする・・ と感じる場合などは、こちらからお断りをさせて頂きます。 これは、その方の幸せの為なのです。
神障り・・と呼ばれるものは、 貴方が考えている以上に、恐ろしいものなのです。
六明師は、 それを治める為、神社の神主の修業も、何年も致しました。 そして、六明師は密教の名高い僧侶です。
この現状の世界で、 唯一、それを治めることができるのは、御仏様だけなのです。 だからこそ、私は心から祈るのです。 だからこそ、私は、仏道を志しているのです。
私達は、生きているのではないのです。 人間は、偉大だ・・全て、己が力で生きてきた・・ そう、お考えの方は、無知で、愚かです。
貴方は、神仏によって生かされているのです。 貴方だけではなく、勿論、この私も、六明師も、 全てのものは、 視えざる力により、生を与えられ、死がもたらされるのです。 それは、人間だけではありません。
生きとし、生けるものは、皆、同じです。 常に、視えざる力は、私達を視ています。 貴方の毎日を、言葉を、行いを、視ています。
どうか、貴方が、 多くの幸せへと近づく為に、 正しき、真理の道を歩めますように、心から願います。
心から、貴方の幸せを願い、言霊を込め、送ります。 常に、貴方が神仏に近い場所にいますように。 心を込めて。
−AYA−
2004年07月27日(火) |
神障り・・神仏についてお伝えする前に、貴方へのお願い・・ |
「AYAさんへ提案があります。 ダイアリーで、いつか「神障り」についてお話しして下さい。 きっと、他にも同じような苦しみで悩んでいる人がいると思います。 低いものと同調しないための心的態度についてはお話しされましたが、 神障りの場合も同じ事が言えるのでしょうか。 信仰心を強く否定して生きた事があったと思われる人、 前世で神を罵倒したり侮辱した人が、 今生でこのような障りに遭うのでしょうか。 それとも、今生の過去で、 何らかの形で神への不敬があったためになのでしょうか。 「家系の因縁」という言葉がありますが、 本人が直接にではなく、家系の彼かが問題を起こしたためか、 環境的なことでそのようになるのでしょうか。」
昨日の日記の中で、他の方々の幸せを 心から願い、 掲載を希望されている方がいらっしゃる、と申し上げました。 上の文章は、その方からの原文です。
過去の日記(12月、1月)の中で、 恐れ多くも、 神仏について、記載してあるものが、幾つかあります。
これから、 神仏について、今の私の知り得る事をお伝え致します。 私がお伝えする事をお聴きになられる前に、 過去の日記をお読みでない方は、 どうか、一度ご参照下さいますよう、お願い申し上げます。
神障り・・神障解除・・という言葉を みなさんは、あまりお聴きになられた事がないかもしれません。 神罰・・という言葉は、お聴きになれた事があるでしょうか。
実は、 霊的な障り、災いの事を霊障・・と言うように、 神様からの障り、災いを神障り・・と私達の世界では言います。 これは、神様の怒り、戒めを現す言葉です。
間違いがあってはいけません。 ここからのお話は、 どうか、ただの興味本意・・ 遊び半分、面白半分では、お聴きにならないで下さい。 どうか、そのように考えの方は、 私では、責任が持てませんので、ご遠慮下さい。
そう、申し上げている 表面の私は、実は・・・とても緊張しております。
昨日、私は 神仏に対し、強い畏敬の念を感じていると申し上げました。 本当の神様、本当の仏様を 私は、とても恐い・・とても恐ろしいものだと思っています。
真実の力を語る事・・知ってもらう事は、 全ての人の本当の幸せに繋がる・・という事は、百も承知です。 けれど、 今の私に、表面にいる、この普通の私に、それができるのか・・ 正直に申し上げますが・・とても、不安なのです。
ユタの私は、 ただ、静かに穏やかに、微笑んでいる・・だけです。
どうか、ここからのお話は、 視えざる世界など信じないと、お考えの方はお聴きにならないで下さい。 厳しく、申し上げますが、「どうか、お引き取り下さい」
過去の相談者の方の実話は、幾つも存在しています。 ただ、 その方々の全てをお話する事はできません。 実証できるような事実は、一切、記載致しません。
これからのお話を 貴方が、信じようと、信じまいと、どちらでも構いません。
全て、それぞれの魂が持つ、 果てしなく続く、『生』からの「業」だと思っていますので、
神仏に・・全てをお任せいたします。 全てを・・神仏にお任せいたします。
過去の日記では、 もっと、緩やかに、簡単に、 あまり言葉を選ばずに、お伝え致しました。 一年の中でも、一番、神様のお力が強くなる時でしたので、 至急にて、 お伝えしなければならず、勢いにまかせ、書き連ねました。
そして、 今は、一年の中でも、最も、意味ある季節です。
貴方の御先祖様・・数々の御霊に促されている・・ ユタの私は、そう感じています。
ここまででも、随分と長くなりました。 誠に、申し訳ありませんが、 神障りに関する実話は、次回の日記に記載致します。
貴方の貴重なお時間を取り、誠に申し訳ありませんでした。 心から、お詫び申し上げます。 どうか、お許し下さるよう、心からお願い申し上げます。
これまで、 日記への記載でこんなに緊張した事は正直言ってありません もう一度、 心から、貴方の幸せを願い、申し上げますが、 信仰心のかけらも無い・・と仰る方は、 神仏のテーマの所へは、入らないで下さい。 誠に、申し訳ありませんが、厳しく禁止致します。 これは、貴方の幸せのために、申し上げております。
私は、本当に恐いのです。 力のある真実の神様、仏様は、本当に、本当に恐い・・ 貴方の善き思いも、悪しき思いも、すぐに見抜くからです。 どうか、心から、静まり、 真の心にてお聴き下さるよう、心から、お願い申し上げます。
どうか、 貴方が、神仏の本当のお力の前で、 真実から逃げず、 真実を受け取れますよう、心から願います。 常に、物事が、 貴方の心が、貴方の本当の幸せへと繋がりますように。 心から、祈ります。 心を込め、願います。心から、祈ります。
−AYA−
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