2004年08月03日(火) |
御念珠について・・・(深い意味があるのです) |
先日から、神仏に関する事・・ 又、御念珠やご祈祷、ご供養に関する、 ご質問、問い合わせが、大変多くなっています。
今の時期は、 霊的な意味を持つ季節・・と先日お伝え致しました。
TVニュースの中でも、 悲惨な事故や事件が相次いで起っています。 警察や病院が最も慌しい時期です。 今も私の近所では、消防車の音が、頻繁に聞こえます。
この時期、 相談者の方からの悩みや不安が倍増する・・・と申し上げました。 又、御念珠の寿命が終わりを告げる事が多い・・と申し上げました。
さて、昨日、告知したように、 本日は、御念珠について、お話したいと思います。 ただ、 御念珠をされていない方々も、この場には多く訪問されています。
先に、 御念珠とは、何?と思われている方々の為に、ご説明致します。 私のHPでは、 身代わり念珠と呼ぶ、災いから身を守る為の腕輪念珠を 相談者の方々には、身に着けて頂いております。 本日は、そのお話となります。
少し前から、若者の間では、 ファッション感覚として、お念珠を身に着ける方が増え、 今は、あちこちで腕輪念珠をされている方を見かけます。 天然石を扱っているデパートでは、簡単に手に入ります。 「幸運を呼ぶ○○」と言うのが、うたい文句の様です。
これまで、私は御念珠に関して、 みなさんに、詳細な事は申し上げてきませんでした。 それは、何故か・・ 実は、過去の相談者の方で、 御念珠に、あまりにも頼りすぎてしまった方がいたからです。
時に、 御念珠は、日々の行ないを映す、鏡の役割をする事があります。 その方は、御念珠を毎日の生活の指針としてしまったのです。 これは、はっきりと申し上げて、本末転倒のお考えです。
ただ、 今は、「AYA宝箱」にも掲載致しましたが、 多くの方々から御念珠についてのご質問が寄せられています。 その為、今回の記載に踏み切りました。
現在の相談者の方の中にも、 御念珠に関して、誤解されている方がみえます。
身代わり念珠は、貴方の身体を守り、 災いや災難を貴方の身代わりとなって、受けてくれるものです。
貴方が持つ御念珠は、 貴方が現在持っている、オーラと呼ばれるものから天然石を選択します。 人の体には、生命体・・生命エネルギーと呼ばれるものがあります。 同じ人間でも、全く違います。 親子でも、兄弟でも違います。 しいて言えば、双子であっても異なります。 その人だけが持つ、オーラから決定されるのです。
貴方のオーラから選択された天然石に、 今度は、貴方に合った神仏の性根が込められます。 仏教の世界では、それを「性根入れ」と呼びます。 通常、お寺を新しくする時などは、 必ず、仏様の像への性根入れの儀式が執り行われます。 それと同じだと思って下さい。
そして、初めて貴方とご縁のある御念珠が貴方の元に届くのです。
先日、 御念珠の紐を自分で入れ替えた・・とのご報告が来ました。 何度も、申し上げますが、身代わり念珠はただのお念珠ではありません。 一つ、一つの珠にも、その紐の色にも、結び目にも、 全て、深い意味があります。 御念珠は、生きているのです。
ある一定の期間、 御念珠を身に着けられた方はご存知だと思いますが、 御念珠の色は、微妙に変化します。
貴方が日々、励み、己に厳しく、 ご自分の体を大事にし、規則正しい生活をされている場合は、 御念珠の色は、深く濃い美しいものへと変化します。
逆に、生活をまともに送っていない場合、 決して、人様には見せられない生活を送っている方の場合は、 その気づきとして、御念珠の色は白く、薄くなってしまいます。
体の状態を映す、鏡の役割をする事があるのです。
又、御念珠は霊的なことに関しても、同じように鏡の役割をします。
今の時期のような障りの多く視られる時期は、 貴方の身を霊的な災いや災難から、必死に守ろうとします。 その為、今の時期は 殆どの方が、薄くなってしまう・・御念珠の弱い時期なのです。
他に、 御念珠は貴方が現在、受けている霊的な障りを吸収しようと働きます。 貴方の障りを代わりに受け、貴方の体を浄化しようと、努めます。 この場合も、同じ様に、珠は白く、薄くなります。
視えざる世界においては、低い位置にいる成仏できない御霊は、 貴方が、御念珠を身に着けているために、近寄る事ができません。 外から来る「魔」に関しては、御念珠は強い力を発揮します。
ただ、 御念珠には、弱点があるのです。 貴方が呼び寄せた内からの「魔」に関しては、力を発揮できません。
内からの「魔」とは、何か? ご存知の方も多く、みえますね。
貴方の心から生まれた悪しき思い、考えを指します。 人への憎しみや恨みや嫉み・・強い悪に通じる心の事です。 以前、お話したように、 その様な考え、思いに支配されている方は、 良くない御霊と波動を同じとしますから、 その方の周りには、常に「魔」と呼ばれる者が集まります。
「魔」が「魔」を引き寄せ・・結果は大きな災いとなるのです。
内からの「魔」は、 ご祈祷と貴方の日々の行ない、思いによってしか、消す術はありません。
先ほど、 御念珠は生きています・・と申し上げました。 貴方の身を守るお役目をする御念珠は、 必ず、何時の日か・・寿命を迎えます。
全ての生きものには、寿命と呼ばれる、取り決めがあるのです。 自然の流れ・・万物の流れ・・自然の摂理です。
そして、 その寿命の迎え方にも又、深い意味が隠されています。 紐が切れる・・・・はじける・・結び目がほどける・・ 珠に傷が入る・・珠が欠ける・・水につける・・失くす・・ 全てには、意味があります。 それぞれの終わり方には、必ず、深い意味があります。
御念珠はその最後にも、貴方への気づきを残すのです。
私は、これまで、 御念珠を強く、お勧めした事は、一度もありません。 これは、ご祈祷に関しても同じです。
その方が、望まなければ必要は無い・・と考えています。 全ては、自業自得だからです。 ご自分で、お決め下さい・・と、必ず申し上げます。 冷たいかもしれませんが、私の人生ではなく、 その方の人生だからです。
私では、どうする事もできないのです。 どうすれば、幸せになれるか・・ それを知っていても、ご本人に、その意志が無ければ何も変わりません。
人様の人生を左右し、未来の流れを変える事は、許されない事です。 大きな罪です。 それは、大罪なのです。
気づきと知るとは、違う・・と先日、申し上げました。 御念珠が何を貴方に教えようとしているのか・・ 貴方は、それを知らなければなりません。
貴方の御念珠には、神仏の性根・・神仏の念が入っているのです。 神仏の念とは、貴方の幸せを心から願う、神仏の思いです。
常に、貴方は大いなる力にて、守られているのです。 貴方の御念珠は、 貴方とご縁があって、貴方の元に届けられた貴方だけのものです。 世界中で、一つしかない貴方だけのものです。
天然石の種類が同じ場合でも、性根は、全く違います。 決して、 遊びで、はめ変えたりしてはなりません。
必ず、左腕に身につけ、 外からの「魔」の入り口を塞ぐようにして下さい。 そして、 どうか、心から、その御念珠を大切にして下さい。
私は、これまでの相談者の方々が、 何度も、御念珠で、命を救われたか・・知っています。 男の人からの暴行を受けそうな時・・ 突然の予測もつかない、事故で・・・ 数ある危険な場面で、救われた・・と、仰っている方々を知っています。
どうか、貴方の真の心で、体感し実感して下さい。
常に、私は言います。 貴方の周りには、 視えざる力が流れ、貴方を幸せにしようと貴方を守っている・・と、 それを視る事ができるのが、御念珠なのです。
常に、貴方の側で、貴方を見守っているのです。 そして、 この私も、常に、貴方と共にいます。
貴方の幸せを同じように、心から願っています。 私は、貴方の身代わりになる事はできませんが、 貴方の幸せを心から願い、心から祈る事はできます。
常に、貴方の幸せを祈っています。 心を込めて。
−AYA−
2004年08月02日(月) |
昨日の日記について・・お詫び申し上げます。 |
昨日、お伝えした日記の内容、表現に、 みなさんに、誤解を招くような部分がありました。
誠に、申し訳ありませんでした。 心から、お詫び申し上げます。
本日、 日記の内容を再度見直し、削除と追加を致しました。
お伝えする内容に、誤りがあってはなりません。 どうか、 もう一度、ご覧下さる様お願い申し上げます。
次回の日記は、最近特に多く寄せられるご質問、 御念珠について・・お伝え致します。
−AYA−
2004年08月01日(日) |
神障り、霊障・・(その原因は、無知) |
先日から、日記の中では、 神仏について、お伝えしています。
私の元には、多くの問い合わせや鑑定依頼、 又、相談者の方からのご質問が寄せられています。 まだ、 お返事を出す事ができていない方もいらっしゃいます。 必ず、本日か、もしくは明後日までにはお送り致します。 どうか、もうしばらくお待ち下さい。
実は・・今回のお話で、 みなさんには、まだ重要な事をお伝えしていません。 これは、多くの方に関係する事です。
世の中には、 「あんなに、一生懸命に信仰しているのに、何故?」 「幸せになろうと、常に、努力しているのに何故?」 と世間から、噂されている方が少なくありません。
神仏に敬意を払い、一生懸命に励み、お経も読んでいる・・ なのに、全然、悩みや苦しみが減らない・・ 逆に、災いが多くみられる・・何故なんだろう? そう、思われる方が、 貴方の周りにも、いらっしゃいませんか?
実は、 神仏に対し、真剣に敬い、敬意を払っているにも関わらず、 何の効果も無い・・逆に災いが多くみられる・・という場合、 六明師の霊視によると、 その殆どが、間違った信仰心を持っている・・との事でした。
真に仏教を理解しようとせず、 自分の考え、思い込みで、自分に都合の良いように、解釈している・・ これでは、新興宗教と同じです。 当然、「幸」からは遠く離れてしまいます。
お釈迦様は、 不幸せの原因は「無知」である・・と仰っています。
視えざる世界を信じる事ができない 信仰心の無い方の多くは、 自分の目で、確かめる事ができなければ、信じない・・ 実証できない事は、一切を否定する・・・と言います。 己の目だけを真理とし、己が一番と考えている、 全くの「無知」である為に、 当たり前に、幸せから遠く離れ、大きな災いを受けます。
そして、もう一つの「無知」から来る 神障り、霊障について、お話しなければなりません。
まず、霊障について・・・。 その方は、高齢の女性です。 先祖代々からの宗派に属し、お経も唱え、信仰心は強い方です。 悩み、苦しみについて具体的なことはお話できません。
もう一人の女性・・ 彼女は、仏教に関心が深く、常に真理とは何か・・ 己を向上する為に、心から探し続ける方です。
最初の女性の霊障・・その原因は、明らかにお経でした。 驚かれた方もみえるかもしれません。
誤解の無い様に、申し上げますが、 私は、その宗派を否定しているのでは、ありません。 表面の私も、ユタの私も、 全ての宗教、宗派の根本は、皆、同じである・・と考えています。 私は、それぞれが、 各個人にあった宗教を選択しているだけだ・・と思っています。 いつでも、私は、各人の信仰を心から尊重致します。
その女性の大きな原因は・・ お経を唱える時間帯・・又、その時の考え、感情・・でした。 ユタの私は、 悪しき心にて、得るもの・・と声にしていました。
実は、 その女性は、深夜になってからお経を唱えていました。 それも、 一日あった出来事の恨み、つらみを必死に仏前に通していました。 「助けて下さい・・」彼女の祈りは、まさしくその一言。 この時間、最も強くなるのは、成仏できていない御霊です。 この女性の感情、 悪しき心と波動を同じにしている、 低い位置にいる御霊が、その女性の元に集まっていました。
向上心のある彼女の場合・・彼女もお仏壇をお守りしていました。 若いながらも、毎日のお勤めをこなそう・・と頑張っていました。 彼女の原因は・・・・仏教の作法に関する事。 お位牌を毎朝、丁寧に、丁寧に、磨いていました。 これが、原因。 人の手は、いくら綺麗に洗っても、 視えざる世界においては、煩悩にまみれた欲の多い手です。 どんなに修行を積んでいてもです。 お位牌の霊位は、それを大変に嫌がったのです。
仏教には、 それぞれの宗派により、様々な細かい取り決めがあります。 作法には、それぞれ意味があるのです。 間違った行いをすれば、それは障りに繋がります。 お二人とも、「無知」から来る障りです。
では、真理への眼が塞がれている、 真の信仰を知らない「無知」からくる、神障りについて・・
その老人は、 神社の境内にある石を持ち帰り、大事にしていました。 何でもない、どこにでもある様なただの石です。 強い自分勝手な信仰心から、常に神様の側にいたい、との思いからです。 それが、神障りの引き金でした。
もう一人の方は、有名な資産家でしたが、 精神的な疾患を抱える息子さんがいらっしゃいました。 裕福な方で、先祖代々の土地には井戸がありました。 自宅を新築に立て直すときに、その井戸を埋めていました。 その方は、地鎮祭は、無駄な経費・・と考えていました。 原因は、土地の因縁・・水の神様からのものでした。
これまで、お話した方々の共通点は、 神仏に対する敬う気持ち、信仰心が「表面的には」有るという事です。 ただ、 それぞれが、皆、自分勝手な、自分に都合の良い、信仰心です。 厳しく、申し上げますが、偽の信仰心なのです。
真の神仏を知ろうとは、していません。 これこそが、最も大きな障りの原因・・なのです。
仏教とは、亡くなられた方の為にあるのではありません。 どの宗派のお経も、 全て、お釈迦様からの説法、教えを説いたものです。 お釈迦様が、生きていらっしゃる時に人々に説いた教えです。
どうすれば、幸せになれるのか・・それを説いたものなのです。 ですから、お経は生きている人の為の教えなのです。 お釈迦様の仰られた、 「無知」が不幸を招く・・この意味がご理解頂けましたでしょうか?
間違った行い・・誤った行い、考え、 古くからの仏教、神道の作法、教えを真に学ばず、 全てを網羅した教えとして、我流で、 真理を追究しようとするのが、実は、新興宗教の始まりなのです。
先ほど、どの宗派も否定しない・・と申し上げましたが、 私は、新興宗教は、その一切を厳しく、否定致します。
障り・・と呼ばれる事について、お話する場合、 どうしても、神仏のお力、仏教について語らなければなりません。
初めて、ここにいらっしゃった方々は、 ここは、宗教の勧誘か?と、勘違いをされる・・ 私も六明師も断じて、自分の宗派をお勧めする事はありません。 真理への道は、幾つも存在している・・と考えているからです。
『無知』 それが、どれだけ恐い事か・・ 殆どの方が、無知であったために、 数多くの誤った行い、思いにて、多くの「苦」を生み出したのです。
私は、老人と呼ばれる賢者の方々が大好きです。 何気なく、話される会話の中、 その中には、幾つものヒントが隠されています。 古くから伝わるお話には、 数多くの真理が隠されている事が多いのです。
「気づき」と「知る」とは、全く違います。 障りの多くは、幸せになる為の「気づき」です。 常に、毎日「気づき」は与えられています。
「気づき」を「知る」に変える事が幸せへの道です。 小さなヒント「気づき」で「知る」事ができない場合、 それは、段々と大きな「気づき」に変ります。
貴方にとって、数多くの善き気づきとなりますように・・ 私は、それを願い、この日記の中で、様々な事をお伝えするのです。
貴方が今ある小さな気づきの中から、 大きな真理への道、幸への道を知る事ができますように。
貴方の「苦」は気づきであり、 それは「幸」への一つの階段である事、 貴方が、それを心から知る事ができますように。
貴方が常に、幸せである事を私はいつでも願います。 心を込めて。
−AYA−
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