◆ ダイアリー ◆

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初代管理者(AYA)
(沖縄県出身。 愛知県在住の医療従事者。 祖母は沖縄に伝わるユタ。)

【現在の管理者  杏珠】
AYAの直接の恩師

現在までに数え切れない程の様々な人の人生を良き流れに導いてきた霊能者。       

初代管理者の結婚・引退に伴い、その志を受け継いだ。
今までに鑑定した現代社会における悩み、霊的な相談等を
通し学んできた「気付き」を皆様へ心を込めて書き記した日記。             


2004年11月18日(木) 皆様へのお願い・・・杏珠・・・

取り急ぎ、いつも−スピリチュアリストAYA−を訪れてくださる皆様へ
私からのお願いになります。

先日、鑑定を依頼された方で、こんな方がいらっしゃいました。
「自分のこんな相談をするのは、申し訳ないような気がしてきたので鑑定依頼をキャンセルしても宜しいでしょうか?」
私は、悩める方のご相談内容に「レベルの高い悩み」「低俗な悩み」と分別をする事は、ありません。
どんな悩みでもその方にとっては、「解決したい悩み」だと受け止め、私でお答えできる事でしたら、鑑定をさせていただきます。
敷居は決して高くありませんから、いつでもお問い合わせくださいね。

他にも、とても大切な質問を頂きました。
「自分の心の闇や、恥ずかしい部分まで書いてあるメールを杏珠先生以外の方(スタッフのかた)が目を通す事はあるのでしょうか?システムがわからずに不安を感じたことがあります。」
これについては、きちんとした説明をいたしますね。

※メールの件名が『杏珠先生』もしくは、相談だと解るように記されている場合は、私の目にしか触れる事はありません。メールの受信ボックスについては、私が管理しておりますので、スタッフが開封する事は絶対にありません。
 
※霊感を正しく保つために、『物欲』に繋がるような各々の料金の管理については、私は携わらないように全て(私が全信頼をおいている)スタッフにお任せいたしております。これについては、六明師に厳しく戒められております。ですから、鑑定依頼から始まって、極密祈祷や身代わり念珠の受付や管理・・・のような事務的なメールにつきましては、スタッフと皆様とのメールのやり取りになります。

※『ダイアリー』と『宝箱』については、私が管理いたしております。それ以外の部分は、全てスタッフにお任せいたしております。(私は、アナログ人間ですから技術的なことは全くお手上げですから)

また、それ以外にも、少しずつではありますが、改善をその都度加えて行く予定をしております。
(例えば、法律に基づいた連絡先の表記など)
サイト管理以外がとても忙しいので、本当に少しずつですけれど・・・


そして最後に、『宝箱』へのご協力のお願いをいたしたいと思います。
現在、皆様からのメール一通ごとに『宝箱』への掲載を望まれない方には、『掲載拒否』と入れていただいております。
これについては、大変申し訳ないのですが、引き続きお願いいたします。

今回お願いしたいのは・・・
私共のサイトを訪れる方の殆どが『悩み』を持っておられる方々です。
悩みには千差万別色々な悩みがありますね。
私が、ダイアリーでお話しする事も大切ですが、
現実に悩みを解決して行く行程や、皆様からの血の通ったメールを他の方々への『気付き』のチャンスとして、もっと色々な方のメールを記載させて頂きたいのです。
それは、少なからず記載をお許しいただいた方の『徳積み』にもなります。
自分だけのことを考えるのではなく、もっと周りの方にも心遣いをして頂けたら・・・と切に願います。
もちろん、個人的な事柄や、誰とわかるような部分は『省略』させていただいた形にいたしますので、どうかご協力をお願いいたします。

         −スピリチュアリストAYA−を訪問してくださる
         皆様の幸せを真の心を込めて、祈ります・・・

                   杏珠



2004年11月13日(土) 私が考える『霊能者』とは・・・杏珠・・・

皆様からの悩み・質問などに携わっている毎日のなかで、感じている憤りがあります・・・

私が『怒ってはいけない』と自分に言い聞かせながら、どうしても
『一体どうしてこんな事になってから私共の所にいらしたのだろう?誰がそんな無責任な事をこのかたに言ったのか・・・』と考えさせられてしまう事。

世の中には、恐ろしく多い数の霊能者と言われる方がいらっしゃいます。
私もその中の一人なのですが・・・
悩んでおられる方々の精神的・肉体的に弱っているのを良い事に、不安にさせたり脅したりする方のことを霊能者だと私は考えたくありませんし、認めません。

六明師と私の考える真の霊能者とは

※自分の幸せを感じる事を出来ている方
     (幸せを感じる事が出来ない方が人を幸せに導く事は出来ません)

※誰が見ても幸せに見える方・笑顔の多い方
     (贅沢をしているという事ではありません。ほのぼのとしていて、こんな人になってみたいと思わせてくださる方)

※節制をし、自分の禊及び神仏に対するお勤めを一日として怠らない方
     (御自分の奉っている神仏に対する供養も出来ない方には、他人様の供養や祈願など出来る       訳がございませんし、飲む・買う・打つ等をされる方はお粗末にも程があります)

※大病をされておられない方
     (大病をされるのは、他人様の霊障による障りを自分が受けてしまったり、浄霊及び供養がきちんと出来ていない証です)

※威張ったりする事のない、謙虚な方
     (霊能力があるからといって、自分が偉いわけではありません)

※悩んでおられる人に対してに必要以上に脅したり、不安に陥れたりしない方
     (生計を立てるためなのかどうかは存じ上げませんが、脅したり不安にさせて高額な御布施を強制する事は、とんでもないことです)

※霊的世界の真実を知っておられ、自分で確認・確信した事を、必要と判断したことのみ、答える方
     (あまりにも曖昧な答えやどちらとも受け取れる事を伝えて、責任逃れをしたり、相談者の方々にとって全く解決策にはならない、その場しのぎのことばかりでは、全く救いとなりません)


以上のような事は、霊的な能力の力量以前のモラルです。これらが出来ていて、初めて『他人様の人生を良い方向に(幸せ)、導いて行くことが出来る』のではないでしょうか?
(但し、相談に訪れる方々にも、常識ある態度をしていただきたいとも感じます)

あまりにも、酷いことを言われて、かえって傷ついたり、迷い惑わされてしまったりといった方々の多さに・・・本当に憤りを感じています。
皆様も、上記のような事柄をよく踏まえて霊能者(私を含む)と仰る人の事をもう一度よく考えられ
(この人は本当に自分のためを思っていってくださっているのか・ただ単に私の気分が良いと感じられることしか言っていないのではないか・慰めを言っているだけなのか・・・等)、判断なさることをお勧めいたします。
最終的な基準は、その方の言う事を実践して行って本当に御自分が幸せをつかむ事ができるのか・・・に尽きますが。

どなたにも言えるのですが、酷い事や不安になる事を言われてしまうと、その言葉が耳から離れず・・・その後に私共のところにいらして、事実や道理をどんなに心を込めてお伝えしても、悲しい事ですが、解っていただけない事があるのです。

ごめんなさい。
本当は、『供養』についてお話しようと思っておりましたが、あまりにも
酷く傷つけられてしまってから、私共の所に相談にいらっしゃる方が多くて珍しく感情的になってしまいました。



               杏珠



2004年11月05日(金) 「幸せの価値観」


AYAダイアリーを続けて訪問くださっている皆様、はじめまして
(とは言っても11月2日より、こちらのHPを管理させて頂いて
おります)杏珠と申します。AYAさんの結婚に伴い、こちらから
「卒業」なさった彼女の代わりに、拙い文章ではございますが、
私が携わせて頂く事になります。どうぞ、よろしくお願い致します。

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私が毎週日曜日に必ず目を通す、新聞の特集記事があります。
この東海地方の地方新聞の中の、とある記事なのですが、
『人は生きた』という、ごくごく普通の(有名ではない)方々が
生前によく口されていた言葉や考え方、または、最後に口に
された言葉を、遺された御家族が書かれた原稿をもとに、
書かれている記事、、、。その中でも、私がとても胸を打たれた
記事について、今日はお伝えしようと思います。

それは今から何年か前の記事でした、、、(もしかしたら、細かい
部分で内容が間違っているかもしれません。)

投稿者は亡くなられた小学校低学年の男の子のお母様でした。
その元気な男の子がある日、体の不調を訴えました、、、
病院とは全く縁のなかったその男の子に、医師の告げた病名は
骨肉腫だったのです。

その日から入退院と何度にも及ぶオペ、、、手術する度に体の
一部の自由がどんどん奪われる我が子を見て、お母様は
“あぁ・・・足が動かなくなってしまったら、この子はもう走る事が
できない” “右手が使うことができなければ、この子は鉛筆も
持てない”と、心の中でいつもいつも涙を流していたのです。

ところが、その男の子は入退院の間に小学校に通い、片足が
無くなってしまったハンディをものともせず、運動会にも出たのです。

彼の口ぐせは「まだ口があるから、お母さんと話ができて嬉しい。」
「左手が残ったから、おいしいご飯は食べられる。」

自分が無くしてしまったものを数え、そこにばかりとらわれるお母様と
今、自分に残されたものがあるから、まだ自分はこんなにも幸せだと
感じられる彼・・・

その息子さんは亡くなる前、もうろうとした意識の中、
「病気になったおかげでお母さんをひとり占めできちゃった。今まで
ありがとうお母さん。」という言葉を、最後に残しました。

お母様は息子さんが亡くなられた後、心から自分の考えを悔いたそうです。

人間にとって、一体何が本当の幸せなのでしょう・・・
今の自分を取り巻く環境・家族・友人・・・そのどれもがとてもかけがえのない物だとは考えたことは、どなたもあるでしょう。
でも、そこにこだわりを持ったとたんに逆に無くなる事を恐れ、貴方の不安を生み出す原因にもなってしまいませんか?

在ることに対して、状況に対して・・・感謝をするけれど、それについて囚われない・・・というスタンスで居て欲しいのです。

『なくして初めてわかる当たり前・・・』六明師がよく口にされる言葉
なのですが、この記事をお読みになって、皆様に一度考えて頂けたら
・・・と切に願います。 


              杏珠


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