今日3月17日は、春のお彼岸の入り・・・ 皆様はご存知でしたか?
「お彼岸」という言葉は、よく耳にされる事はあってもお彼岸の意味を知っておられる方は少ないかもしれません。
今日はお彼岸について、お話いたします・・・
「お彼岸」は、仏教に関連した行事だと思っておられる方が多いと思いますが、彼岸会という行事は日本独自の仏教行事となります。(正しくは仏教以外の宗教にもお彼岸関連の行事はありますが)
お彼岸の起源は、聖徳太子さまのおられた時代に遡りますが、 春の季節でしたら3月20日、お彼岸の中日は昼夜の長さが同じになり・・・ 太陽が真東から昇り、真西に沈む・・・ 仏教で言えば、『西』は極楽浄土のあると言われるところ、彼岸・・・ 私達人間もいつかは、あの夕陽のような温かい厳かな色の光に包まれた 彼の地に行きたいという ”願い”から、お彼岸という言葉が生まれ その前後三日ずつを合わせて、春と秋の「お彼岸」と言うようになったと 言われています。
お彼岸は、『この世を去った方々を想い忍ぶもの』 『ご先祖様に感謝をするもの』・・・これは、確かに正しい事です。
しかし、お彼岸というものは此の世に生きている私達にもとても意味のある、大切な時期なのです。 私たちが生きる人間世界である此の世(此岸)と比べれば、 彼岸とは御仏が住んでおられる清浄な仏土という事ですが・・・ いつかこの世を去った時、その極楽浄土である彼岸に渡る事が出来るような生き方とは?と考えるべき時期が「お彼岸」・・・ そのように私は考えております。
「自分ごとだけしか考えない」という偏った生き方にしがみつく事無く、 彼岸(極楽浄土)から自分を見つめてみて、心の在りかたや、日々の生活を 省みてみること、そして良き流れに修正していく期間・・・ これが生きている私達に於ける「お彼岸」の意味ではないでしょうか。
お彼岸の季節はお盆と同様に、霊的なもので体調を崩したり、倦怠感や頭痛等のトラブルを訴える方がとても多いのです。 そんな時に『どうして私ばかり』と不満や愚痴をこぼすのではなく、 『何が悪かったのかな』という反省・・・ そして、気づきが出来たら御仏様やご先祖様に感謝をすることが 出来るようになっていけば、 お彼岸やお盆にそれほど体調を崩す事は無くなっていくはずです。
『お彼岸』とは、ご先祖様や亡くなられた方々を想い忍ぶ大切な時期であり 生きている私達が ”反省と感謝”をする事により自分自身を磨き、そして 先祖供養の後押しをすることになる、本当に意味のある時期なのです。
杏珠
2005年02月16日(水) |
・・・塞翁が馬・・・ |
二月も半ばとなり、春は近いと言いながらも寒さの厳しい毎日が 続いておりますが、 皆様いかがお過ごしでしょうか・・・
今日は、私が自分の人生を考えるときに指針としているお話『塞翁が馬』のお話をいたしましょう・・・
『塞翁が馬』(人間万事塞翁が馬)という中国の故事をご存知の方は多いのではないでしょうか。 このお話は、教科書に取り上げられた事もあるお話です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜昔、中国の塞と言う辺境に近い土地に住んでいる、占術をよくする人(翁)の馬がある日逃げ出してしまった。 周りの親しい人は、「残念なことだ」と慰めたがその翁は、 慰めてくれた人々にこう言った・・・ 「いやいや、これが直ぐに福となりますよ」
それから数ヶ月たったある日・・・ その馬は、逃げた先の土地(胡)から駿馬を共に帰って来た。 周りの親しい人々は、この事を口々に祝った。 だが、その翁は・・・ 「この事が災いとなるかもしれない」と周りの人に言ったものだから、 人々はとても不思議に思った。
二頭の良い馬に恵まれて、その家の息子が乗馬をするようになった・・・ そして、 その息子は乗馬の最中に落馬をして、足の骨を折ってしまった。 周りの人々は、彼を慰め見舞ったが、 翁は・・・ 「きっとこれも福となるでしょう」と言う・・・・
それから1年経ったころ、 胡の土地の人が、塞の土地に攻めて来た・・・ 若い男たちは、戦いに参加して、その辺りの殆どの人が命を落とした。
しかし、足が不自由になった息子は戦いから逃れ・・・ 結果、翁と息子の親子だけが無事だった・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人間の人生において起きてくる物事の吉凶は、 このお話のように現在表に見えていることだけで判断するのは とても難しいものです。
物事自体を「自分にとってラッキー」な事が起きたと感じてよい気分になったり、「なんて嫌な出来事なんだ」と受け止めて落ち込んだり・・・
その物事の吉凶を決め付けているのは、実は私達なのです。 どんな事が起きてきても冷静でいれば必ずそれを 逆転させるチャンスがあるはずです。
起きてきた物事に対して、もう少し長いスパンで見て判断すれば、 そのときはアンラッキーな事でも実は後でとてもよい出来事だった・・・ そんな事はとても多いのですよ。
何が福で何が災いなのか・・・ 何が吉で何が凶なのか・・・ ”全ては貴方の心がきめつけている”
一見して、私にとって困難なことや嫌だと思えることが起きてきたとき、 私はいつも思うのです。
「きっと何か、これを引っ繰り返すチャンスがあるはずだ」
皆様に・・・ ”自分にとってピンチだと感じるときこそが好機”ということに 気づいて頂けたら・・・と想います。
杏珠
2005年01月22日(土) |
「厄」について・・今までの行いが結果として・・ |
大寒を過ぎ、本当の意味での新しい年を迎える二月の節分が迫ってきておりますが・・・
一月になってから、皆様より「厄」についてのご質問が多く寄せられましたので、今日は「厄」のついてお話をしていきますね。
大厄と呼ばれるのは、”男性42歳” ”女性33歳”(それぞれ数え年で)等、 しかし、その前後にも前厄、後厄と呼ばれる年があり、前後三年間が厄年となりますし、他にも厄年と呼ばれる年が多く有ります。
世間一般では『節分が来るまでに厄除け祈願もしくは厄払いをする』事が一般的ですね。 ここ中部地方では厄年の数だけの丸いもの(例えば丸餅など)をご近所の厄年の人がいない家庭に配り、厄を少しもらっていただく等の風習が残っています。 その他によく耳にする話は「厄年に子供を出産すると厄落としになる」のような話があります。 (こういったことに対して決して否定はいたしませんが、これで『厄』を避ける事が出来るのでしょうか・・・)
そして、私の元にも『厄払いに行って来たほうがよいのでしょうか?』 『私は今年本厄なのですが大丈夫でしょうか?』という質問が最も多く寄せられるのが、この季節です。 その都度、私がお答えするのは・・・ 『厄払いや厄除けをしないと不安だということでしたら、貴方にとって不安を持つ事のほうがよくないので、神社仏閣に行って厄払い・厄除けを受けてきてください』という答えです。
私が霊視して感じるのは、私共で極密祈祷を受けていらっしゃる方は通常でしたら、そういった厄払い・厄除けの必要は無いということです。 何故なら、極密祈祷をされている間は35日間に亘って一日も欠かさず、六明師が祈祷と同時に障りを起こしているモノに対しての供養をしてくださいますので、厄=障りを必要以上に怖がる必要は無いのです。 (どうしても運気が落ちるのでは・・と仰る方には「開運祈願」をしていただければ尚安心でしょう。)
では、”厄年”というものについての私の解釈としては・・・・
その年までに、御自身の行ってきた言動に対する『結果が表面に現れて来る人生の節目の年』と感じます。
それまでに行ってきた、又は考えてきた事が具体化する、と言う事です。
「厄年だから、悪い事ばかりが続く」という声も聞きますが、 私が実際に六明師の元を訪れる信徒さんから聞くのは・・・ 「今年は厄年だから、大当たりのような年です」というお話です。
これは、それぞれ普段から・・・ ”ネガティブな思考をお持ちで上手く行っている人を見ては「何であの人ばかりが」という不満や不安ばかり”というような人と、 ”何年か先の目標を持ち、それを達成するための具体的な行動・努力を惜しまない、自分の現状に幸せを感じられるから、周りの人の幸せを考えられる”というような人・・・それぞれの方々が日々積み上げてきたきた結果が、人生の節目である「厄年」に表面化している、という事です。
『思考は現実化する・・・』これは、有名な成功哲学家の人の言葉です。
厄年の時こそが、一番顕著に現れてくる時期なのでしょう・・・
”常に不安と不満ばかりを抱えていれば、その結果が現実化”し・・・
”常に前向きで現状に幸せを感じながら、決して甘んじず目標に向かって、努力する結果が現実化”する・・・
それが、人生の節目である『厄年』に起こってくる事象です。
『マイナスよりはプラス思考』 『不満不安よりは今の生活に小さな幸せを見つける』 『人を妬むよりは人の成功を喜ぶ』
できる事からで構いませんから、 一つずつ変えていけば『厄』は貴方を避けて通り過ぎ 貴方の元には「幸運」が残るはずです・・・
杏珠
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