ichijiku
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もう、あたまきたぞ、だんなさんよ なんで日曜日の後始末を私がやるんだよう うちのグラスの半分以上を持っていって ボウルからざるからおたまからバットから包丁からまな板まで なんで私がしまわなくっちゃいけないのよ
まーったく その上飲みにいくだと!怒り心頭。
お酒をもってって そんなことはいいのだけど 腹立たしいのはきちんと片付けなくって しかも そのくせ掃除機はこれを買え、だと! あったまくるのだ 掃除すんのは私じゃないかい あったまくんなあ よく使う人に選択権があるべきではないんかい でなければ全額払うべきでしょう それがいやなら掃除しろ
家事っていうのは気づいたもん負けだし 根負けしたほうがやるのだ 私もふつーの会社員なんだけどな 自分だけが、になっちゃうもんだ
私のストレス解消はスーパーだ 主婦っていうのは楽だね スーパーでてっとり早くストレスが解消できる 安いもんだ
私なんぞ高いブランドものを買うわけでもないし、きらきら光るアクセサリーを求めてるわけでもないし。 ちょっと贅沢なのはアイスクリームくらいだもの。 ハーゲンダッツのアイスと白くま。
ちがう、私だけが安いんだ。 ビンボーくさい?
いつのまにかこうやって話が摩り替わっていって 怒ったことなんか忘れちゃうのがちょっと悔しい。
明日はピアノの発表会 緊張する。 なんかとっても緊張する ひとりだ。誰も助けてはくれないのだ。
今日、一気に「ピアノの森」を1巻から9巻まで読んだ。
森の端という、一種のピンクな町で生まれ育った海が 森に捨てられたピアノを弾いて育ち、その天才的な音楽の才能を ピアニストをめざす転校生の雨宮、学校の音楽の先生である阿字野に出会い、見出され、開花させていく・・・ という話です。 9巻まででてるけど、今休刊中。どうなることか・・・
最初、なんだかちょっと下品なカンジに驚く。 でも、でも、でも。 主人公の海がコンクールで、誉子と出会ってからのシーンには感動。 胸が熱くなる。 雨宮とともに出場することになったコンクールで 海はコンクール前にさんざん悪態をついている誉子とケンカする。 しかしその誉子が本番前にいなくなってしまい、探したあげく、泣いている誉子を発見する。 優秀な姉兄に囲まれ、優れていたのはピアノだけ。 しかし本番に弱く、今まで失敗しつづけてきた、という誉子。 そんな誉子を海は自分にいいきかせるかのように励ます。 「自分のピアノを弾け」「競争相手は自分」 コンクールではお互いライバルなのに。 海の励ましには、感動です。
設定では小学校5年生の海。
自分のピアノを弾きなさい。
海は阿字野センセイの作り話につかれてしまうんだな いろんなモーツァルトがでてきて、戦うのです モーツァルトと戦うんだよ、そこでもうすごいね。 神童が神童と戦う
それにしても、いい話です
ああ、明日大丈夫かな ポジティブシンキングでいく。 成功のイメージ。 じゃんけんと同じ。じゃんけんは負ける、と思ったら負けるのだ。 ”気”である。 あるスポーツトレーナーのポジティブシンキングの話が印象に残っているのだけれど、 野球でたとえばピッチャーが ”真ん中をはずすな”といったら逆に回りに気がとんでしまうから はずしてしまう場合があるのだ、という。 だから逆に”真ん中を狙え”という風に、 否定形ではない物言いをしたほうが意識が集中するのだと。 意識は大切だということですな。
過去、金メダルを獲得した鈴木大地が 成功するイメージが浮かんでくるんです、なんて話をしていたが、 そうか、これなのかと思った。 ヒトにもよるとは思うけれど、 成功するイメージがもてないヒトに成功はないのだなあ・・・
今日、センセイにここまでひけるんだったら 音大の教育とか楽器だったらいけたかもしれないわねえ 副科でね って言われました。 ぶぶぶ、ありがたいねえ・・いろんな誉め方があるのねえ。 嬉しいというか、うーん、そういう道もあったのねとしみじみ。 しかし、よーく考えてみたら私、半年間2月の中旬から、この曲ずーっとやってますからね、毎週毎週。 そりゃあ多少ひけるようになるでしょう・・・半年間ですよ。こればっかり。 ほかのはハノンとブルグミュラーですからね
半年間もひとつの曲をひいたことないよ、多分。 もっと早い段階でOKをもらってるもの。ソナチネにしても、ショパンのほかのワルツも。 しかも暗譜でね。 われながら、記憶がないのですよ。 人間の記憶っていうのはいかにあいまいで薄れていくものか・・・・
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